星降る夜3
その日の夕方に、のぞみの弟さんとお母さまが帰宅され、夕飯をご相伴することとなった。
お父さまは出張中で帰らないらしい。
営業で全国を飛び回っているようで、普段から家にはあまりいないようだ。
連休中だというのにご苦労様である。
既に宿泊の話はお互いの家族に通っているから、お母さまは今更驚くわけでもなく、のぞみが初めて友達を連れてきたことを大げさに感激してくれた。
中学一年生の弟さんは陸人くんというらしい。
既にのぞみの身長は超して、私と同じくらいの背丈だった。
歳の近い男子と会話するのが久しぶりで緊張したが、相手の方も緊張していたのか軽く自己紹介をするだけでそれ以上は会話をしなかった。
声変わりの過渡期にあるハスキーな声音が新鮮で、のぞみには絶対に内緒だが私はちょっとだけなんだか色っぽいなとときめいてしまった。
のぞみはその間、なぜか私の腕を組んで所有物アピールをした。
「ましろちゃんは私のだから、手出さないでよね!」
「うるせーな、手なんか出さねーよばか姉貴!」
(兄弟喧嘩こわいなあ……)
反抗期で仲があまりよろしくないのだろうか。
弟さんは「飯あとにする」だなんて自室へ上がってゆく。
その様子を、何も手出しできずにぽかんと眺めていると、お母さまが気を遣って話しかけてくれた。
「ごめんねー、ましろちゃん。あれ多分、知らないかわいい女の子が家にいて、恥ずかしがってるだけだから」
「……のぞみ、ほんと?」
「ましろちゃんがお姉ちゃんだったらよかったのになあ」
うっとりと言って腕にすりすりと頬を合わせるのぞみを見て、ダメだこりゃ話にならん、と溜息を吐いた。
女四人姉妹だと、家族に同年代の異性がいる感覚が分からない。
中学からずっと男子のいない空間にいるため、同世代の男子がどんな感じなのかも分からなくて、さっきの「うるせーな」が兄弟喧嘩なのか、実はただの照れ隠しで本当は兄弟仲がいいのかの判別もつかない。
のぞみの言うことは当てにならないし、一旦は年頃の男の子が姉以外の女子を前にして恥ずかしがっているだけという、お母さまの言うことを信じて矛を収めることにした。
食卓に誘われて、お母さま特製のカレーライスをいただく。
家で母が作ってくれるカレーといえばお肉と野菜がたっぷりのまさに家庭料理といったものだ。
のぞみの家でいただいたカレーライスは、アスパラガスやブロッコリー、ゆで卵など、家では見たことのないトッピングがされていた。
お肉も家では豚肉を使うのだが、のぞみの家では鶏肉が主流らしい。
当然おいしくないわけがなく、私は感動しながらそれをすぐに食べ終えてお腹いっぱいになった。
食事のあとは一番風呂をいただいた。
洗面所に着替えを用意して、身体を洗ってから湯船に浸かっていると、洗面所の方からのぞみの声がした。
「ましろちゃん一緒に入ろ!」
「ええ……。お母さまいるし、まずいでしょ」
「いいの!」
そして遠慮もなしに扉が開いて、全裸になったのぞみが突入してきた。
ついつい思慮に耽ってしまう癖で、扉を挟んだすぐ傍でのぞみが服を脱いでいるのなんて気付いていなかったから、びっくりして体を丸めて胸元を隠す。
「ちょ――!」
「女同士なんだから、恥ずかしがることないじゃん!」
ほとんど飛び込むようにして、そこまで広くない湯船にのぞみが入ってくると、せっかくのお湯が溢れてこぼれ、ぎゅうぎゅう詰めになった。
確かに同性同士で、恥ずかしがることもないんだろうけれど――でも、あんなことがあったばかりだ。心の準備もできていない。
「ましろちゃーん!」
弾んだ声音で飛びついて、素肌どうしが触れる抱擁に押し倒される。
小柄な身体の割にほどよく熟れた双丘が、ドキドキと加速する動悸を圧し潰す。
お湯で温まった体がそのせいで一気に茹で上がって、全身から火が出るみたいに熱くなるのが苦しく感じられた。
首元に回った手がしっかりと私を離さずに、肉付きのよい脚が私の自由を絡めとって、動こうにも動けない。
せめてもの抵抗で、私は輻輳するのぞみの視線から顔を逸らした。
「最初からこのつもりだったでしょ」
「ましろちゃんと一緒にお風呂入りたかったんだー」
「……のぞみの方がよっぽどえっちじゃんか」
よく懐いた小動物みたいにすりすりと頬擦りをして喜ぶのぞみは、恋人というよりはやっぱりペットみたいな感じ。
あんなことを言った手前、義理を通そうなんて考えていたけれど、のぞみの方は変わりなさそうで拍子抜けした。
でも、こっちの方がのぞみらしくて、肩の荷が降りたみたいに安心した。
観念してのぞみのされるがままになっていると、そのうちに満足して、私たちは湯船に浸かったまま向かい合った。
のぞみがにこにこと嬉しそうにして何も言いださないのが居た堪れなくて、私は膝を抱いて目を逸らす。
「その……、私の身体とか、興味あったり……?」
「からだ……?」
湯船の中で更に体温が上がるのも堪えて、意を決して口を開いたというのに、のぞみは私の悩みなんてこれっぽちも思い至らないという風に、きょとんと首を傾げる。
やっぱりこの子の考えていることが分からなかった。
さっき付き合おうかって――恋人になろうって話してたよね?
「だから……っ、お風呂一緒に入りたいって、そういうことなのかな……って」
「私はましろちゃんとずっと一緒にいたいだけだもん!」
「そっ……、それだけ?」
やっぱり、意識してるのは私だけみたいだった。
これじゃあ告白のし損だ。
のぞみは変わらず私のことを友達としてしか見ていないみたいだった。
――それもそうだ。だいいち私たちは女同士だ。自分と似たような同性の身体を見て性的に興奮するわけでもなし。
そもそも、私たちの間に芽生えたこの関係性が、本当に恋愛なのかどうかも定かではない。
私もそうだし、のぞみも、恋人である以前に私たちの間の友達という関係性を十分に理解していなくて、初めて感じた言語化できないこの激的な思いを、咄嗟に恋愛感情という言葉で代用してしまっただけだった。
……だとしたらさっきのはやっぱりなし。告白はノーカンだ。
だいたい、私はともかく、のぞみの乙女としての貴重な恋愛経験を、こんなおぼろげな勘違いで消費していいはずがない。
私はのぞみのことが好きで、のぞみも私のことが好き。
でもその大きすぎる好きは恋愛感情とはまったくの別物であって、私たちはあくまで親友の範疇に収まるような関係性なのだ。
多分――。
「それだけって、それが重要なんじゃん!」
「そ、そうかもだけど……。私たちって一応、恋人……でしょ?」
「……うん」
「恋人が何考えてるのか、私は知りたいよ」
とは言ってものぞみもそこまで鈍感ってわけじゃなくて、さっきの言葉の意味自体は理解しているみたいだった。
あくまで否定はせずに、首を縦に振って、まっすぐな瞳でこちらを見つめ返してくる。
のぞみはゆっくりと言葉を選びながら、とつとつと話し始める。
「ましろちゃんの全部が知りたい。何が好きなのかとか、昔の話とか、ほくろがどこにあるのかとか」
「……うん」
「ましろちゃんの全部が欲しい。ましろちゃんの使ったノートとか、シャーペンとか、ましろちゃんが読んだ本とか」
「……それはだめだよ。生活できなくなっちゃうもん」
「ましろちゃんのこと、お部屋に飾りたい」
きっとその感情の重さは、親友とも恋人とも少し違う。
あの普通そうなお母さまから、どうやってこんな怖いこと考える子が育ったんだろうと訝しんだ。
普段の言動がほんわかとかわいらしいからつい許してしまいそうになるけれど、私たちが深く仲良くなって以来、のぞみは時折とんでもないことを言い出す。
「ヘーゼルナッツのきれいなおめめ、くりぬいてホルマリン漬けにして眺めるんだ」
そう恍惚とした表情でまっすぐにこちらを見つめる眼差しに恐怖を覚えて、私は反射的に顔を覆った。
「ねえやめて、怖い!」
「怖くないよ?」
「……おめめくりぬいたら、もう一緒にぎゅーもできないよ」
「うん……。だから我慢する」
「目をくりぬきたいってのは冗談じゃないんだね……。私もう一生のぞみに逆らわないよ」
「ほんと!? じゃあ何でも言うこと聞いてくれる?」
「私なんでこんな怖い子のこと好きになっちゃったんだろう……」
一生懸命おどけているつもりなのに、のぞみはちっとも冗談と受け取ってくれない。
やっぱりのぞみは変わっている……というか、だいぶ病んでいる。
いい心療内科を紹介してあげる必要がありそうだった。
「今日は一緒に寝ようね」
屈託のない笑顔は出会った時に初めて見たのと同じで、穢れがなくて眩しくて。
その顔を見てしまうと、やっぱり全部許してしまうのは惚れた弱みなのだろう。
「……うん」
部屋に戻って、シングルサイズにしては気持ち大きめのベッドを二人で使うことにした。
お母さまは布団をもう一枚用意しようと提案してくれたが固辞した。のぞみが。
少し早めに消灯して二人でベッドに潜ると、広めとはいえ高校生二人が入るので精いっぱいの布団の中で、私たちはぎゅうぎゅうに密着した。
のぞみは私の肩に手を回して、お互いに横向きに見つめ合う一人部屋を、星明りの夜が窓から降り注ぐ。
結局、私たちの関係はうやむやだ。
私は確かに交際を提案して、のぞみはそれを肯定した。
でも私はのぞみに恋愛感情を持っているかどうか分からなかったし、のぞみの私に対する感情も不思議なものだった。
いま確かなのは、のぞみは私に対して所有欲にも近い愛情を持っているということ。
独占欲を更にエスカレートさせたみたいな狂った愛情は、いつか彼女自身を壊してしまいかねないと思った。
私には私の人生があって、のぞみの要望をすべて答えることはできないだろう。
彼女の抱擁を受け止めることはできても、決して私物をすべて差し出すことも、目玉をくりぬいて渡すこともできない。
みんなを照らすお日さまだったはずの彼女の腹の底に渦巻く、冷たく黒いその感情の正体はいったい何なのだろう。
果たして私ごときにそれを御しきれるのだろうか?
「ねえ、ましろちゃん」
「なに?」
布団をかぶったのぞみが、甘えた声で名前を呼んで、まだ名前のついていない感情で愛の言葉を囁いた。
「大好きだよ、ましろちゃん。世界一の親友になろうね」
「……うん」
そこにあったのはやっぱり恋なんかじゃなかったのだろうか。
私はのぞみを脇から抱きかかえるようにして一つになり、お互いの心臓の鼓動を確かめた。
五月の夜は布団をかぶっていては暖かすぎて、もうお風呂に入ったというのにすぐに汗をかいてしまいそうだった。
「大好きだよ、のぞみ。ずっと、親友でいようね」
そして私はまた、のぞみの前髪の上から触れるだけのキスを落として、目を閉じた。
「えへへ――」と妖精が囁くような笑い声で、二人の時間を喜んでいたと思ったら、彼女は安心したのかしばらくして安らかな寝息を立てて眠りに落ちた。
星明りがその整った寝顔を白く淡く照らして、まるで芸術品みたいに見えた。
正直に言って、のぞみの気持ちも分からないでもない――これだけ美しい寝顔なら、お人形にして部屋に飾っていつまでも眺めているのも悪くないな、と。




