星降る夜2
中学受験の勉強を始めた小学五年生くらいまでは妹たちとゲームをすることはあったものの、それ以降すっぱりとやらなくなってしまった私は、最近のゲームは何も分からないし、有体に言えばめちゃくちゃ下手くそになっていた。
「しょうがないなあ私が手取足取り教えたげる!」なんて得意げにするのぞみは家ではゲーム三昧らしく、高校受験もゲームがなかなかやめられなくて大変だったという。
そんな調子で定数六十人の難関私立に受かるのも信じられないが、それだけ本人の要領が凄まじいということなのだろう。
私はというと昔からプライドだけ高いくせして、運動は苦手で勉強も要領は悪くどんくさい。
ゲームだって全然上手くいかなくて、初級ステージすらなかなか越えられない。
擬音だらけで何を言っているのか全然伝わらないのぞみの教え方の方にも問題はある気はするが(本人のスキルが高いのと、教えるスキルは全く別物である)、それにしたって全然上手くいかなくて、私はむくれて他人様のベッドの端でうじうじと丸くなっていた。
「どうせ私はへたくそだもーん……」
「元気出して、ましろちゃん」
背中をつんつんとつつかれる。
ずっとゲームをやっていて頭がぼうっとして疲れて、おのずと瞼が閉じる。
ゲームが下手だったところで損をするでもなし、正直に言えば機嫌を悪くしているわけでもなかったが、疲れていたのでずっとそうしていたら、背後から覆いかぶさるようにして抱きつかれた。
「――大好きだよ、ましろちゃん」
「……あのさ、ずっと思ってたんだけど」
優しく包み込むようなハグ。
のぞみのぽかぽかの体温を感じながら、耳元で囁くような愛の告白に、私は声を潜めて訊ねた。
「大好き、って言うけど、のぞみは私のことどう思ってるの?」
「どう、って……。大好きって思ってるよ」
「だから、その……」
きょとんと無垢に首を傾げるその様子に拍子抜けする。
のぞみはただ、友達に対しての愛情が重いだけなんだろう。
甘えん坊で独占欲が強い、寂しがり屋のうさぎ。
だけどどうして、そんなにも私のことを?
のぞみみたいな女の子と仲良くなりたいなんて子、過去にもたくさんいたはずだ。
だってこんなにかわいくて明るくて、常に誰かがそばにいるような子、より深い友達になりたいと思うような子の一人や二人、いるに決まっている。
「じゃあ、ましろちゃんは私のことどう思ってるの?」
私は……。
逡巡する。そう言う私は、のぞみのことをどう思っているんだろう。
太陽みたいに眩しくて、いるだけで周りを照らしてくれるような存在。
だけど、私みたいな陰は目立たず世界の隅っこに居て、本当なら太陽には近づきすぎないように気を付けなければならなかった。
お日さまの温もりと、そのもっと深いところにある黒い炎を知ってしまった。
「……私も、のぞみのこと大好き」
「えへへ、やったあ」
ベッドに押し倒すようにして抱きかかえられ、そのまま二人でもつれて倒れこむ。
ちょうど私が仰向けで下になって、小柄な身体で、しかししっかりと体重を預けられて少し息苦しさを感じる。
のぞみはしばらく鼻を一定のリズムで鳴らしながら、お互いの体温が一緒になってゆく過程を堪能しているようだった。
私はされるがままに寝転んで、辛抱強くのぞみの言葉を待つ。
首元に回った手がゆっくりと緩められて、のぞみは少し重体を起こした。
おろした長い黒髪がはらりと落ちて、私の頬に振れる。
烏濡れの黒い瞳が、榛色に濁る私の瞳を捉えて揺れた。
ほのかに朱に染まる健康的な白肌を、窓からの西日が半分差して、もう半分が艶やかな影を作る。
まるで美術品みたいな造形美に見惚れて私は思わず息をするのを忘れてしまう。
「ましろちゃん、かわいい」
熱に浮かされたような吐息交じりの声で言って、のぞみはくすぐるように私の頬を撫でた。
不意に身体が跳ねる。
金縛りにあったみたいに体の制御が利かなくなって、そのきれいな瞳に、艶やかな表情に釘付けになった。
「大好きだよ」と呟いて、彼女はまた私のことを柔らかく抱き締めた。
ドキドキと胸の高鳴る一方で、ふわふわの綿の中にいるみたいに心身が落ち着いて、ずっとそこにいたいとすら思える気分になる。
「――ましろちゃんのこと、お人形さんにしてお部屋に飾りたいなあ」
短く断続的に、暖かな吐息が耳元を撫でて、そのたびにこそばゆさで体が痙攣した。
私はそっと指を動かして、腕を背に回し、優しく撫でる。
「あのさ……、のぞみって女の子のことが好きなの?」
「私はましろちゃんのことが大好きだよ」
「……そうじゃなくて」
密着した肩を押し返して、抱擁を解いた。
見つめ合った黒い瞳は、まだどこか夢見心地に淡く揺れている。
窓は締まっていて、まだ柔らかい昼下がりの日が部屋に漏れていた。
家には誰もおらず、ペットたちは静かで、静寂だけが二人きりの空間を包む。
「この学校、女の子同士で付き合ってる子も多いし、私も別に、のぞみが相手ならいやじゃない、っていうか……」
ゆっくりと選んだ言葉を紡ぐさなか、のぞみの瞳に少しずつ光が戻り始めて、そして私を押し倒した手のひらが震え始めるのが分かった。
白い肌がみるみる真っ赤に染まっていくのが分かる。
……あれ?
「ましろちゃんが悪いんじゃん!」
「……えっ」
急に大声をあげたかと思ったら、のぞみはパニックになったみたいに、ぷっくりと柔らかそうな手のひらで顔を覆い、ふるふると首を振った。
まるで恥ずかしさを紛らわすように、首を左右に振るたびストレートの黒髪ロングがはらり、はらりと揺れる。
「ましろちゃんがき、き……きすなんてするから!」
「えっ、したっけそんなこと」
「したもん!」
本当に心当たりがない。
のぞみは顔を覆う指の間から、困ったような視線を寝転がる私に落とした。
睨みつけるつもりの縋る視線でもの言いたげに見つめられて、お腹の上に跨られた私は逃げ場をなくした。
「その、それで結局、のぞみは私のことを、そういう目で……」
「ましろちゃんのえっち!」
「え、えっち……」
さっきまで頬を紅潮させながら、私のことをお人形さんにしてお部屋に飾りたい、なんてサイコなことを言ってた子から出てくる罵倒とは思えなくて、私は思考がフリーズして次の句を告げなかった。
そうしている間に、のぞみは声を震わせながら続ける。
「子どものときから、お姫様とかお嬢様に憧れてて、東京に引っ越してきて、高校生になって、ほんとにそんな子がいるんだもん……。そんな子に誘われて、き――きすなんてされちゃったら、わけがわからなくなって――好きで好きで、止まらなくなっちゃうよ……」
表情を覗かせたのぞみは涙目で、今にも大粒の雫がこぼれおちてきそう。
次第に震えて不明瞭になる発音で、のぞみが続けるのを、私はハラハラと心配しながら聞く。
「めっちゃかわいい女の子がさ、おしゃれなカフェに誘ってくれたら勘違いしちゃうよね! いっぱいぎゅーってしても、引かないでいてくれたらもっとしていいって思っちゃうよね! おでこにキスなんてされたらさ、好きになっちゃうよね! ――だからましろちゃんが悪いんだもん。この天然人たらし!」
心当たりのないことを散々言われて、今にも決壊しそうなのぞみの勢いに圧倒されて、すうっと背筋が寒くなるのを感じた。
とにかく何かを言って宥めないと、彼女の感情が暴発して取り返しのつかないことになってしまいそうな危うさを感じて、私は慌てて言葉を探した。
「えっと――私、自分に自信とかなくて、そんな風に思ってもらってるなんて知らなくて。なんかその……、ごめんね」
これは要するに――のぞみは私に対して恋愛感情を抱いているという解釈で間違いないのだろうか?
肝心なところははぐらかされて、まだ彼女の真意は見えてこないが、つまり彼女にとっての私は憧れの人になってしまっていて、おでこにキス――ああ、思い出した! ショッピングモールの時か。
「初めてだから分からないもん。こんなに誰かのことを大好きになるのなんて……」
そんなの、私にだって分からなかった。
私だって初めてだったから。
友達だってまともに作れなくて、他人を好きになれなかった私が、自分自身の感情に対してだってあやふやで、恋愛感情がどういうものかなんて分からなくて。
ゆっくりと上体を起こすと、のぞみは私のお腹の上からどいてくれて、二人並んでベッドに腰かける。
肩を抱き寄せて、妹をあやすみたいにぽんぽんと、一定のリズムで叩くと、最初少しドキッとして身体を震わせたが、段々と呼吸が落ち着いてゆくのが分かった。
こうして並ぶとやはり私の方が背が高くて、妹と接しているみたいに思えた。
女子校にいれば女の子同士で付き合うなんて珍しくないし、その関係に偏見なんて持っていないつもりである。
実際、この学校で見かけるような美女同士のカップルは、仲睦まじく尊い関係に見えた。
そこは男女の恋愛以上にどこか遠い神聖な世界に思えて、自分がその身をそこに置くだなんて微塵も考えたことはなかったけれど。
私自身は高校を卒業して男女分け隔てない環境に放り込まれてから、ある時に誰かと普通の恋をして、大人になってゆくのかななんて、うっすらと考えていた。
隣に座る妹みたいな女の子は、初めて会ったときのみんなのアイドルといった印象からはすっかり変わっていた。
初めての恋心に悩む等身大の、寂しがりで甘えん坊な女の子。
お日さまみたいな底抜けな明るさは、彼女が生き抜くための処世術にとどまらず、陰鬱とした私の性格を照らしてくれる持ち前の光だった。
そんな彼女だからこそ、私は惹かれたのだと思う。
のぞみと友達になりたいと思った。
もっとたくさんきみのことを知って、きみのことを愛した。
「私たち、付き合おうか」
さっぱりとそう言うと、のぞみは朱を差したままの表情で、しかし呼吸は落ち着かせて、無言で頷いた。
上目遣いで見上げる眼差しが、夜空の星を反射して輝く水面のように幻想的に揺れている。
その瞳に何度でも夢中になる。
私はのぞみの小顎を優しくつまんで、ゆっくりと顔を近づける。
視界いっぱいに整った幼い顔立ちが扇情的に紅潮するのを、今度は決して忘れないように脳内のフィルムにしっかりと焼き付ける。
「――愛してるよ、のぞみ」
その言葉の意味もまだよく分からずに、ただ恋愛小説の主人公の真似事のように嘯く。
半ば強制的に物語の大いなる流れに突き動かされるように、今度はおでこにではなくて、柔らかな唇を重ね合わせた。
自分にその自覚がなくても、彼女がそう言うのなら――私がのぞみの初恋を意識せずとも奪ってしまったというのなら、私には責任があるのだろうと思った。
しばらくそうしてお互いの息を交換し合って、二人の心臓の鼓動が同調したのを確認して唇を離すと、私たちはお互いに気恥ずかしくなって、同じ部屋にいるというのに目も合わせられなくなった。
でも、無言で隣り合い、二人の時間を共有するこのひとときが、私には幸せに感じられた。
のぞみは何を考えているのだろう。
――心地よい沈黙に身を任せる、刹那とも悠久ともとれる時間を、大切に思ってくれていたらいいなと、独り善がりに願ってしまった。




