星降る夜1
連休の中日は、のぞみのリクエストで山へ遊びに行った。
本格的なハイキングではなく、ロープウェイで登るだけのものだったけれど、空気のおいしい山の上で晴れた良い景色を眺めたり、一緒にランチした。
ショッピングの時は少し湿っぽい雰囲気になってしまった私たちだったけれど、その日は一日中笑いが絶えなくて、本当に楽しかった。
そして連休最後の二日間、お互いの両親の合意も取れて、私はのぞみの家にお泊まりに行く。
「ましろちゃんいいなー、友達の家にお泊まりなんて」
頬を膨らませて羨む和穂を雑にいなす。
「おみやげのおせんべいでも食べて我慢してな」
「ずるい。またちゃんとおみやげ買ってきてよね!」
「友達の家に遊びに行くのにおみやげとかうける」
横で他人事のように笑う雪菜。
助け舟を出してくれる様子もないので、私は困りつつ和穂の口に、おみやげのおせんべいを咥えさせた。
むくれながらもぐもぐする三女がかわいくて癒される。
こういうときに末っ子の若葉は意外とドライで、「じゃ、私宿題やってくるから」なんて二階の自室へ上がっていった。
「ちゃんと時間通りに帰ってくるのよ。何かあったらすぐ連絡しなさい」とお母さん。
約束の時間より少し早く着くように、家を出る。
すごくワクワクしていた。
友達の家に遊びに行くのなんて初めてで、服選びにも時間をかけた。
選ぶと言っても、持っている私服のほとんどはお母さんが買ってきてくれたもの。
おしゃれに興味のないズボラな私だけれど、初めて友達の、それも私とは正反対のキラキラした女の子の家に行くのに、あまり適当な服を選ぶわけにもいかなかった。
結局一度だけ袖を通したものの、それきり恥ずかしくて着ていない膝丈清楚なワンピースを押し入れの奥から引っ張り出してきて、それを着る自分を想像して恥ずかしくなる前に何も考えずに、去年の修学旅行の時に買ってもらった無骨なスーツケースに突っ込んだ。
(先が思いやられる……)
着替えの他にも本やお菓子、ペットボトルのお茶を詰め込んで家を出る。
のぞみの家の最寄り駅で、迎えに来てもらうことになっている。
『ましろちゃん、おはよー!』
のぞみからメッセージ。
最近のぞみはよくメッセージだけでなく、通話をかけてくるようになった。
姉妹が多いうえ一人部屋のない私が、常日頃から声を出して通話をするのは家族に迷惑をかけてしまう――というより、家族に友達との通話を聞かれるのが恥ずかしかったから、通話には出られないことが多かった。
のぞみはそれを不満がって反動みたいに頻繁にメッセージを送ってくるのだけれど、やりとりしているうちに楽しくなってしまって、気付けば読書に費やす時間はだいぶ減っていた。
通話は朝の、雪菜がまだ起きていない時間であれば受けられる。
雪菜は私とは逆に比較的朝に弱いのだ。
『おはよう』と私は返信した。
『もう家出てる?』
『うん』
『駅まで迎えに行くから!』
『今日からよろしくお願いします』
『ましろちゃんが遊びに来るの、すっごく楽しみ!』
のぞみはスキンシップが多く甘え上手な女の子だった。
一方で思い通りにならないことがあるとすぐに拗ねてしまったり、独りを極端に怖がる寂しがりなところがある子だった。
山へ遊びに行った時は、ショッピングの時に返してもらいそびれていた本を返してもらう約束をしていたにも拘わらず、「やっぱり返さない」なんて言われたときに、少し強めに怒ってしまった。
その時はしばらく機嫌を直してくれなくて気まずかったけれど、なんとか帰るまでに仲直りをできた。
……と言っても謝ったのはほとんど私なのだけれど。
「言いすぎちゃってごめん」みたいな感じで。
帰り際にはショッピングのときもそうだったけれど、山のときもなかなか離してくれなかった。
腕にしがみつくようにして「帰りたくない」なんて言うのぞみはかわいかったけれど、私より小柄なはずの彼女の力は私より想像以上になかなか振りほどけなくて、疲れていたのもあって、このまま本当に返してくれないのではないかと不安で少し怖くなったのを覚えている。
結局、陽が沈むまでには解放されたのだけれど、のぞみがこんなに感情の重い子とは知らずびっくりしていた。
親しくなるまでは見えなかった一面は、みんなの人気者だなんて聞いていた時と印象を変えるのに十分だった。
のぞみの新しい一面を知って幻滅したなんてことはなかったし、寧ろ他の人は知らない彼女の秘密を自分だけが知っているみたいで、優越感みたいなものもあった。
生粋の人嫌いだったはずの私が、こんなにも特定の誰かに強く好意を持っていくのが少し怖くて、だけどそれ以上に、初めて誰かに夢中になる酩酊を心地よく感じる自分もいた。
気付けば四六時中、のぞみのことを考えている。
昔の私と矛盾して変わっていく私自身に困惑し、一方で熱病に浮かされたみたいに判断力を鈍らせてゆく。
――駅の改札を降りて、きょろきょろとのぞみの姿を探す。
突然、背中に衝撃を感じたかと思ったら、突進してきたのぞみに思いきり抱擁されていた。
「ましろちゃーん!」
「――っ! ……のぞみ?」
ひときわ明るく元気な声で名前を呼ばれて、頬が緩んでゆくのが分かる。
のぞみは私を強く抱き締めながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜びを全身で表現していた。
跳ねるたび私の体も前後に揺られて、少し息苦しい。
「おはよう、のぞみ。今日も元気だね」
向き合って私たちは、改めて強く抱き締め合う。
誰に対しても明るく元気で、みんなの人気者。
そんな子が、友達なんてまともにいたことのなかった私に、こんなに重い愛情をぶつけてくれる子だったなんて知らなかった。
のぞみの温かな体温がぎゅっと全身を抱き締めてきて、その抱擁を私も精一杯にお返しする。
「会いたかった、ましろちゃん」
「うん、私もずっと楽しみにしてたよ」
お日さまが今日も、眩しいくらい明るく笑っていた。
「ねえ、ましろちゃん」
「ん、なあに?」
「名前呼んでほしいな」
「ん、のぞみ?」
「えへへ、なあに?」
「呼んでって言ったののぞみじゃん!」
私はずっと冷めた子だと思っていた。
クラスの女子が友達同士ではしゃいだり、くだらない喧嘩をしたりするのを、遠巻きに冷ややかな目で見ていた。
あの時見下していた子たちと同じようなやり取りで喜ぶ自分を一方で冷めた目で見てしまいそうになるけれど、それよりものぞみに対する好きの感情がとっくに上回っていて、改札の前スーツケースを傍らに、連休の瀬を通り過ぎる人々の視線なんて一切気にも留めなかった。
気が早って歩幅が開くのぞみに手を取られ、ほとんど引っ張られるようにして、駅から歩いて十五分ののぞみの家に着く。
住宅街の真ん中の新しい一軒家で、初めて訪れる友達の家が周りのどこの建物より輝いて見えた。
玄関へ手を引かれ、急に緊張が押し寄せてきた。
勝手知ったる自分の家の敷居を「ただいまー」と軽い調子で上がるのぞみに置いて行かれるのが不安で、私は慌てて靴を脱ぐ。
上がろうとすると廊下からにゅ――と現れた大きな体躯に、気付けばとびかかられていた。
「おじゃましま――わあっ!?」
……そういえば犬を飼っているって話だったっけ。
「こらこら、おまめ。ましろちゃんをいじめないのー」
助けて!
のぞみがおまめと呼んだその大型犬にとびかかられて廊下に押し倒された私は、ざらざらとした舌で頬をべろべろ舐められていた。
覆いかぶされば私と同じくらいの身長にはなる大きさで、初めての友達の家に来た緊張に、大型動物にのしかかられている恐怖が上乗せされて、私はすっかり呼吸の仕方を忘れた。
こんなに大きい犬だとは想像していなかった。
というか、「おまめ」って感じの大きさじゃない。
手慣れた様子でおまめを躾け、私から引きはがすと、のぞみはすっかりひっくり返ってほとんど気絶した私の頭を、申し訳なさそうに撫でる。
「ましろちゃーん。……ごめんね、びっくりしちゃったね」
「で……、でっかくない……?」
「おまめ人懐こいからさ。初めて会う人には全力でとびかかってっちゃうんだよねー」
「はあ……、似るものだね」
言いながらやっとのことで上体を起こし、散々舐められてべとべとになった顔を、手のひらで撫でる。
初めて友達の家に上がって、初めて大型犬に舐められた。
「似るって、何が?」
「……何でもない」
きょとんと首を傾げる女の子一人と大型犬一匹。
そういうところがだよと言いかけて、私は口を噤み苦笑いをした。
「ましろちゃん、手と顔洗おうか。いまお母さんも弟も出かけてるから、一緒にゲームしようよ!」
相変わらずマイペースに盛り上がって小躍りするのぞみの様子に、毒気を抜かれる。
仲良くなってどんどん、のぞみの私に対する遠慮がなくなってゆくのが分かった。
みんなに愛想を振りまく、いつも誰かの中心にいる子というのが最初の印象だったけれど、素の彼女はもっとわがままでマイペースな子だった。
妹が三人もいる私は、年下の女の子に振り回されるのには慣れていたけれど、それにしたってのぞみは奔放すぎるところもあって、人目を憚らずに抱きついてきたり、スマートフォンを覗き込もうとしてきたり、本をなかなか返してくれなかったり――。
つど不満は口にしているつもりだけれど、のぞみはすっかり私に気を許してくれているみたいで。
それ自体は嬉しいのだけれど、夢中になってなかなか聞いてくれないこともあった。
別れ際に、のぞみはいつも寂しい、と言う。
のぞみが甘えたがりの寂しがり屋であることは分かった。
でも時々そのトーンが本気すぎて怖くなることがある。
私はまだ、のぞみに対する不満を抱え込んで、そのことをなかなか強く言い出せないままだった。
実際、些細な不満を一緒に居られる幸せが大きく上回っていたから。
洗面所に案内され手と顔を洗うと、リビングへ案内された。
家具はきれいに整頓されていて、初めて上がる友達の家はキラキラと輝いて見えた。
のぞみはおまめを粗雑な手つきで撫でまわしながら、
「うさぎのスピカちゃんを紹介します!」
そう言ってリビングの一角のケージを指す。
小学校時代にうさぎの飼育係をやっていた時以来久しぶりに、灰色のかわいいモフモフに対面して、私は思わず歓喜の声をあげた。
「かわいいー!」
「ましろちゃん、うさぎ好き?」
「うん! 小学生の時、飼育係でね。うさぎのお世話してたんだー」
「撫でてみる?」
「い、いいの?」
スピカは初対面の私に対してひどく緊張しているようだった。
私は遠慮しつつも、スピカのことを少しだけ撫でさせてもらった。
ふさふさの羽毛の懐かしい感触が手に跳ね返ってきて、多幸感に包まれる。
小学生のとき、友達がほとんどいなかった私は、学校で飼っていたうさぎのことを友達みたいにかわいがっていたっけ。
昔のことに思いを馳せて、私はしばらくそこが友達の家であることも忘れて夢中になってしまう。
「――ましろちゃーん」
「……なに、どした?」
のぞみは無言のまま背後から抱きついてきた。
うさぎを撫でる手を止め、表情を窺えないままの手のひらを胸の前で握り返す。
「今度は一緒にゲームしない?」
「……嫉妬してるんでしょ」
「してるもん!」
急に強まった語気に驚いた。
のぞみは私の身体をくるりと回して、今度は前から強く抱き締める。
のぞみは私より小柄だが、力は少しだけ強い。
本気で抱き締められると振りほどけなくて、されるがままになるしかなかった。
「ごめんね。一緒にゲームするから赦してよ」
「……わかった」
渋々と抱擁を解いてくれた彼女は、伏し目がちに少し不機嫌そうだ。
私は……、あくまでのぞみの数いる友達のうちの一人だと認識しているのだけれど。
連休中に、のぞみとは急激に親しくなることができた。
でも、学校に行けばのぞみは他にたくさんの友達がいて、クラスも違う私たちが一緒に過ごす時間はそこまで長くならない。
私は内進生のクラスで、のぞみは高入生のクラスで。
お互いに同じ時間軸で異なる時間を過ごして、その中でできるだけ長くいられれば幸せに思う。
のぞみが他の誰にでも抱きつきにいって、帰り際に寂しさを口にするような子とは思えない――第一印象を思い出す。
彼女は紛れもなく、学園のアイドルで人気者、みんなの輪の中心にいる女の子だったはずだ。
「ねえ、ましろちゃん」
「……なに?」
山で遊んだ時、一日中笑いが絶えず楽しかったと言った。
一方で、仲良くなるまで想像だにしなかった彼女の距離感の近さ、感情の重さに、かなり戸惑ってもいた。
「私のこと、やっぱりうざいと思ってる……?」
だから彼女に、そんなことを言わせてしまったのだと思う。
「まさか、うざいなんて思ってないよ。……私、友達少なくて、友達との関わり方とかよく分からなくて、時々びっくりすることとかあるけど――。でも、のぞみのことは本当に大切な友達だと思ってるよ」
「私も中学の頃、友達あんまいなくて、そういうのよく分からないんだ」
ペットたちはすっかり私に興味を失い、それぞれの定位置で丸まって大人しく眠っている。
のぞみの言葉が、にわかには信じられなかった。
あれだけたくさんの笑顔に囲まれたこの子が、中学時代は友達が少なかったという。
顔を伏せて声のトーンを落とすのぞみの表情はよく窺えなくて、私は動悸した。
「ずっと誰かに甘えたくて、構ってほしくて――私だけのものにしたくて。でもそうするたびうざがられて、仲良しだった子に嫌われちゃう」
だから処世術としてみんなに笑顔を振りまくようになった。
誰に対しても明るく元気よく、でも誰に対しても必ず一線を引いてそれ以上は踏み込まないようにする。
もし距離感を誤って本性を知った人は、その感情の重さに耐えきれずに自分のもとから去っていってしまう。
近付きすぎればその身を焦がす太陽のように、こんなにも眩しいのに、本当の意味で寂しさを紛らわすことはできない。
「ショッピングモールでぎゅってしたときね、すごく嬉しかったの。ましろちゃんには、甘えてもいいんだって。だけど、ましろちゃんがもしいやなら、私――」
「いいよ――」
底なし沼のようにネガティブに陥ってゆくのぞみの独白を遮って、私は彼女を強く抱き締める。
お互いの心臓の鼓動の高鳴りがシンクロしてゆくのが心地よく感じられた。
「甘えていい。そう思えたから、きみのことを抱き締めたんだよ」
私だって同じだ。
どうせ私は他人のことが嫌いで、友達なんてできないと思っていた。
そんな私が心から仲良くなりたいと思えた、初めての相手がきみだったのだから。
「嫌なことは嫌って言うよ。でも、それで友達でいることを諦めないでほしいな」
「だって……。私、ましろちゃんに嫌われるの怖いもん」
「嫌いになんかならない」
きみのその瞳に吸い込まれて、沼へ堕ちた今更、嫌いになんかなるものか。
私は改めて、のぞみの不安に揺れる黒い瞳を見つめ返した。
「だから安心して甘えてよ」
のぞみは返事の代わりを再び抱擁で返して、その勢いの強さに私たちは床に倒れこんだ。
床にはふかふかのクッションが敷いてあって、ところどころにおまめの毛が落ちている。
静かに鼻を鳴らすのぞみの背中をあやすように、とんとんと叩いてやると、彼女の心音が落ち着いてゆくのがわかった。
しかしこれで本当に良かったのだろうかと、私の決断に靄がかかる。
無責任に言い放ったその場しのぎの言葉では、いつか地雷が発火して取り返しのつかないことになるかも知れない。
そんな危険性を顧みずに、考えなしにこの臆病な小動物を手懐けられるのだろうか。
まだ私はのぞみに夢中でいて、大局的なことに頭が回っていなかった。
ただ流されるまま愚かしく、彼女の歪な愛を無条件で肯定し受け止めることしかできなかった。




