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2. 仮面の夜と裏切りの密会

最終話は6/5(木)夕方投稿します

王都で催される仮面舞踏会の招待状が、ヴァロワ侯爵邸からレルモン伯爵邸へ届いたのは婚約式から二週間ほど経った頃だった。


〈堅苦しい披露宴ではなく、面を着けたまま気楽に踊る夜。婚約者として同席してほしい〉


――ジェラルドからの一筆は軽やかな筆致で、舞踏会好きの貴族らしい浮き立つ気分がにじんでいた。

だが、封筒を受け取ったのは、レティシアではない。

イヴリンが「お姉さまに渡しておくわ」と言って使用人から奪い取り、そのまま自室へ持ち込んだのだ。


(お姉さまのもとへは、舞踏会の知らせなど最初から来なかったことにしてしまえばいいわ。代わりに私が楽しんであげる)


イヴリンは机に向かい、姉の筆跡を真似て返信を書いた。


〈喜んで参ります。当夜は薄紫を基調に支度いたします〉


◇◇◇


「王都の友人たちと遊ぶわ」


そう言い残し、イヴリンは招待状を持って別邸へ向かった。

イヴリンが選んだのは、淡い藤色に銀の刺繍を走らせたドレスだった。

袖は膨らませたチュールをリボンで絞ってフリルを重ね、腰には幾重もの細いサテンリボンを垂らす。

裾は三段ティアードで、歩くたびに花弁のように揺れる仕立て。

可憐さと甘さを詰め込みながらも、胸元は大胆に露出している。

鏡の前でターンすると、フリルの段々がふわりと開き、イヴリンの魅力を引き立てた。

しかし、そのままではスレンダーなレティシアとの違いが際立ってしまうので、胸が露出しないようにショールを肩にかけた。

靴は厚底。どうせろくに見えないのだから、10センチ近いヒールで背を稼ぐつもりだ。

髪をコテで真っ直ぐに伸ばしたあと、緩く結い上げてリボンを垂らした。

瞳の色は仮面の影になって、わかりにくいだろう。

最後に、髪の色をごまかすために気休めではあるがヘアパウダーをはたき、ドレスより濃い紫色のヴェールをかぶった。


「薄暗い会場ではまずわからないはずよ」


口元を上げたイヴリンは、ドレスの端を指でつまみ、会場へ向かう馬車に乗り込んだ。


◇◇◇


二十二時前、会場に一台の白い馬車が到着した。

扉が開き、現れたのは、華やかなフリルのドレスに身を包んだイヴリン・ド・レルモン。

仮面を付けてはいるものの、目元を隠しただけではなんとなく正体の予想がつくのが仮面舞踏会。

誰もがその姿を、侯爵家の婚約者──レティシアだと信じて疑わなかった。

人混みの中、イヴリンは微笑み、甘い声で挨拶を返す。


「あれはもしやレルモン伯爵家のレティシア様では?」

「無愛想で有名だった令嬢が、こんなにも華やかだったとは」


囁きが広がるたび、イヴリンの胸は焦げるような快感を覚えた。


そこへ、ひときわ華やかな黒の装束に身を包んだ青年が現れた。

ヴァロワ侯爵家の嫡男、ジェラルド。

イヴリンの視線が、仮面に隠れてもなお整った顔立ちを正面から捉える。

彼の目がわずかに見開かれ、心なしか笑みが深まった気がした。


「お招きにあずかり光栄ですわ、ジェラルド様」


イヴリンは一礼し、彼の手を取って体を擦り寄せる。

彼の手がしっとりと汗をかいているのがわかった。

イヴリンは胸の内で舌を鳴らした。──これは、確かに効いている。


「レティシア嬢、今夜はずいぶんと……柔らかな印象ですね」

「寒さのせいでしょうか。少しずつ春の心持ちが芽吹いてきましたの」


イヴリンは微笑み、ジェラルドを見上げる。

柔らかな声としぐさに、彼の視線がどこか惑った様子を見せた。


やがて二人は、ワルツに合わせてゆったりとフロアを巡る。

仮面の下でイヴリンの笑みが深まり、彼の腕の力が徐々に強まるのを感じる。

三曲、続けて踊ったころだった。

彼女は囁くように、そっと唇を寄せた。


「……せっかくのお声が、少し聞き取りにくいのです」

「ここは賑やかすぎますね。少し静かな場所へ参りましょうか」

「嬉しゅうございますわ」


言葉を交わすうちに、彼女の手を引く力は明らかに強まっていた。

イヴリンは心の中で、ほくそ笑んだ。

扉の脇で控える給仕に軽く視線を送り、誰にも気づかれぬよう、人気のない廊下へと足を運ぶ。


薄暗い廊下には、舞踏会の喧騒がかすかに漏れ、壁の燭台が揺らめく灯を落としている。

イヴリンは足を止め、背中越しに振り向いた。


「……今宵は随分暑うございますね」


胸元で指を重ね、ショールの結び目に指先を添え、「……ふうっ」と一つ吐息を漏らすと、ゆっくりと肩からショールを滑らせる。


露わになったのは、しっとりと汗をかいて、布地からこぼれんばかりの豊満な双丘。

ジェラルドの喉仏が、つばを飲み込むようにゴクリと動いた。

イヴリンはそれを確認するように、一歩近づく。


「少し、涼みながらお話しませんか……?」


断る理由など、どこにもなかった。

ジェラルドは引ったくるように彼女の手を掴み、小部屋に転がり込んだ。


◇◇◇


扉が閉まると同時に、外の喧騒が遠のく。

イヴリンは目を伏せ、ドレスの裾をつまむ。

焦らすようにゆっくりと捲っていくと、ジェラルドの鼻孔が膨らみ、呼吸が荒く「フーッ、フーッ」と獣の熱気を帯びた音を立てた。

やがて完全にまくり上げると、陽の光を浴びたことのない、むっちりとした白い太ももがジェラルドの目を釘付けにした。

イヴリンはゆっくりと仮面をずらす。


「ねえ、私……イヴリンなのよ…?」


名を明かすと同時に、理性と欲望の間で揺れていたジェラルドの視線が一瞬顔に向かう。

しかし、イヴリンが彼の太ももを撫でまわすと、辛抱溜まらずジェラルドはイヴリンの肉感的な唇にむしゃぶりついた。

衣擦れと息遣い。

絹の隙間からさらけ出された肌に、青年の熱くて大きな手が迷い込み、イヴリンの身体を貪る。

イヴリンは目を閉じ、勝利の甘さを舌の裏で転がした。

やがて二人の影が絡み合い、ろうそくの炎が揺れた。


◇◇◇


翌日。

イヴリンは仮面舞踏会の興奮を思い返しながら鏡の前で頬を染めていた。

彼女が仮面を外し、自らを「イヴリン」と名乗ったにもかかわらず、控室の薄暗がりで身を重ねたジェラルドは、拒絶の言葉ひとつ口にしなかった。

むしろその肉体に理性を絡め取られたかのように、青年は何度も彼女の名を喘ぎ、彼女の肌に口づけた。

その事実が、イヴリンに新たな自信と愉悦をもたらしていた。


そして一週間も経たぬうちに、彼女は再びジェラルドのもとを訪れた。

仮面舞踏会の日と同じ化粧、同じ口調、そして同じ微笑み。

彼女の登場に、一瞬だけ眉をひそめたジェラルドだったが、イヴリンとわかるとすぐに口元を緩めて応じた。


「レティシア、よく来たな」

「……あとで、わたくしの名前も呼んでくださいまし」


この日から、ふたりの密会は常態となる。

小難しい書類仕事で疲れた青年は、仮面の奥から注がれる鋭い笑みとレースの向こうの胸元に再び理性を揺らす。

扉の閉まる音。絹の裂ける音。

そして噎ぶような吐息と、罪の甘さ。

回を重ねるごとに大胆になった。

邸の控室ばかりでは飽き足らず、王都の石畳に面した安宿を借りる夜もある。

狭い屋根裏部屋の寝台で、イヴリンはショールを脱ぎ捨て、首筋に残る牙痕を指でなぞりながら笑った。


五月。

昼下がりの薔薇園には、ルビーのような薔薇が咲き乱れていた。

温室脇の木陰にたどり着くと、ジェラルドは周囲を素早く確かめ、イヴリンの手首をそっと引いた。


「イヴリン」


低い呼び名に胸が震える。

もう彼は自分のことを「イヴリン」と認識したうえで求めてくれている。

イヴリンは色付きヴェールの端を指で持ち上げ、吊り目風に整えた睫を伏せる。


「ジェラルド様ったら……まあ、大胆!」


頬を染めた声は鈴のように可憐。

次の瞬間、苔むす木の幹に背を押し当てられ、薔薇と若葉の香りが鼻腔を満たした。

たくましい胸板が近づくたび、彼の呼吸は荒く熱を帯びていくのがわかる。


「そんなことを言って、君も満更ではないだろう?」


囁きとともにショールの結び目がほどけ、薄絹が肩から滑り落ちた。

イヴリンは形ばかりに身を捩りながら、指先で彼の勲章の縁をなぞる。

胸元の鼓動が重なり合い、どちらからともなく唇を重ねた。

――やがて茂みが揺れ、花弁と吐息の匂いが一層濃くなる。


ひとしきり熱が鎮まると、ジェラルドはまだ余韻の残る指でイヴリンの顎を優しくくすぐった。


「君は本当に、かわいいな」


まるで遊び疲れた子猫をあやす仕草。

イヴリンは上目づかいに瞳を潤ませ、つややかな唇を開く。


「……かわいいだけじゃ、だめですか?」


囁きは甘い毒だった。

ジェラルドの瞳に再び熱が灯り、彼女の腰をたやすく引き寄せる。

柔らかな吐息が重なり、陽射しの奥で花弁がはらはらと降り注ぐ。

茂みの奥へ揺らいだ影は再び絡み合い、木々のざわめきが遠くかき消されるころ、薔薇園にはひそやかな午後の熱だけが残っていた。

ジェラルドは執務の合間に手紙を寄越し、イヴリンは新しい香水やベールで仮装し、彼の欲を刺激し続けた。


◇◇◇


イヴリンとジェラルドの逢瀬は、次第に人目を引くようになっていた。

最初のうちは仮面やレースの陰に隠された密会だったが、次第に大胆さを増し、侯爵邸の控室や庭園の木陰で抱き合う姿が使用人に目撃されることが増えていった。


「どうやら、レルモン伯爵家のレティシア様はかなり積極的なご様子だ」


やがて、人々は口々に噂を立て始めた。

イヴリンはむしろそれを楽しんでいた。

彼女にとって、陰で囁かれる噂もまた、自身の美と愛の勝利を証明する勲章のようなものであった。

だが、世の風は常に女性に厳しい。

貞淑や慎みを求められるのは決まって女の側であり、男の放蕩は武勇譚のように語られるのが常だった。

今回も例外ではなかった。

侯爵との逢瀬を重ねる「レルモン伯爵令嬢」に向けられた非難の矛先は、仮面の陰に隠れたイヴリンではなく、本物のレティシアへと向けられたのだった。


◇◇◇


レティシアは静かに暮らしていた。

まさか妹のイヴリンが自らの名を騙っているとは夢にも思わず、書庫にこもり、刺繍に励み、花を愛でて過ごしていた。

穏やかな日々の中、レティシアは時折胸の奥に小さな棘を感じていた。

手紙を出してもジェラルドからの返事の頻度が少なくなってきたからだ。

しかし、根拠のない疑念を抱くことは自分の品位を下げるように思えて、彼女はその感情を押し込め、微笑みを絶やさなかった。

だがその無垢な日々は、ある朝、父からの冷ややかな視線によって突然終わりを告げる。


「レティシア、お前は婚約破棄されることになった」


困惑する彼女の前で、あろうことか、父は家名を汚したのはレティシアの方だと断じた。


「お前の不品行が、ジェラルド殿の信頼を損ねた。陰気で女らしさのかけらもないお前が、まさかこんなスキモノだったとはな」


冷たい声でそう言い切られたとき、レティシアの中で何かが静かに崩れ落ちた。

弁明の機会も与えられず、証拠も示されないまま、彼女は一方的に裁かれた。


やがて、ジェラルドとイヴリンの婚約が公に発表された。

城下は噂に包まれた。


「レルモン家の美しき次女、放蕩の長女に代わって侯爵家に嫁ぐ」


レティシアは何も知らされず、何の抗弁も与えられないまま、居場所を失った。

胸に残ったのは、信じていた人々への裏切られた思いと、正体のわからない孤独だけだった。

それでも、彼女は泣かなかった。

ただ静かに、書庫の片隅でかつて描いたクロッカスの絵にそっと指を伸ばし、小さく、こう呟いた。


「春の前に咲く花は、きっと……寒さを知っているから、強いのよね」


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