七目惚れ そしてファミレスへ
◆前日 二年C組 放課後◆
人口密度の減った教室の、机の天板のひんやりとした感触がありがたい。
ありがたい反面、有森有紗の強過ぎる言葉にノックアウトされた心を癒す手段が学校の机しかないというのも虚しい限りだ。そろそろ帰るとするか。
「青森先輩、まだいた」
昨日、今日で妙に聞き慣れた下級生女子の気配がする。餌を与えたつもりもないのに懐いた犬みたいに寄ってくる子だ。
天板から頬を離して廊下側を見る。
「二年の教室、初めて入った」
「特に違いはないかー」
二人いた。い、いや、山畳が影分身した訳ではなく、山畳ともう一人いる。
有森が何故かいる。一年B組では親しそうにしていたので友人関係にあるのだろうか。よく連れてきたと山畳の頭を犬のように撫でてやりたくなったのと同時に、昼間の事を思い出してテンションが沈み込む。
教室に入って真っ直ぐ俺の所にやってきた。
今は話をする元気もないのだが、年下に情けない姿を見せられないので努めて普通に挨拶しようか。
「山畳にあ……あ……」
有森の名前を発音しようとして言い淀んだ。柿崎経由で名前を聞いているが本人から自己紹介されてはいない。有森の名前は言わないでおこう。
「有森有紗です。そちらは、青森先輩ですよね」
「お、おう。青森で当たっている」
「一字違いなんですね」
そうですね。授業で指名頻度の高いあ行の学生の苦労を共感できますよ、と気さくに会話を続けられたのであればよかったのだが、有森とどう話せばいいのか分からず舌が回らない。
俺もぎこちないが有森の方も挙動が不審だ。知らない相手と無理して会話している気苦労が感じられてしまう。
「俺に用事でしょうか?」
「ほら、アリサ」
「うん。その……昼は初対面なのにいきなり言い過ぎました。ごめんなさい」
なるほど。ぎこちなかったのは謝罪を言い出そうとしていたためか。
昼休憩の件は、今後の人生のトラウマである。立ち直るのに柿の木を種から育てて収穫可能になるくらいの期間が必要になりそうであるが、人生経験として後ろ向きに気持ちと付き合おう。
「ご丁寧に、有森さん。ライトヘビー級ボクサーにボコされたゾンビよりも悪い顔の俺は、気にしていませんよ」
「物凄く気にしていませんか?」
冗談を言えるくらいには気にしていないから安心して欲しい。家族から受け継いだ顔なので誇りを持って生きています。
昼休憩の有森の言葉に酷く納得しており、謝られる理由は何一つない。ただし、受け入れなければ角が立つな。
有森に安心して欲しくて、形だけであるのに本心で彼女を許した。
「本当に気にしていないから。大丈夫」
有森の顔を初めてまともに見れた気がした。不安で若干震えている唇も見れてラッキーな気分だ。
少し元気が出た、
もう放課後なので適当に荷造りして帰るとしよう。椅子から立ち上がって……すぐに座ってしまう。
「……腹減っていた。そういえば」
昼飯を食い損なっていた。弁当はカバンの中にあるので食べて帰るか。
「私もお腹空いたんで、ファミレス行きません?」
有森から家族向けレストランに行かないかと提案を受けたからといって、家族みたいに親密になりたいという意思表示と解釈できたものではない。言葉と意味が乖離した用語なんて世の中に無数に存在する。
とはいえ、言霊というオカルトも世の中には存在する。
ファミレスに一緒に行くというのは、もはや家族になりませんか、という意思表示ではなかろうか。
「あ、私も食べたいから行く」
え? 山畳も来ちゃうのか。そうか。
ちなみに、厄介者という言葉には扶養家族という意味も昔は含まれていた。ファミリーレストランにマッチしていなくもない。
物価高な世の中においてもファミレスが学生の憩いの場になっている事に変わりはない。他の店も高いのでファミレスが相対的に安いままという悲しむべき理由がある。
「ハンバーグ目玉焼き付き」
「メロンソーダ」
「甘口抹茶小倉パスタ」
一人、変なメニューを注文した奴がいなかっただろうか。
俺はとりあえずエネルギー補充のためにハンバーグを頼むが、後で弁当も食べるとなると夕飯が厳しくなりそうだ。まあ、未来の俺と胃袋に期待するとしよう。
「それで青森先輩。一年の誰に恋しちゃったんです? アドバイスもコンサルもできませんが、昼間のお詫びに聞くだけ聞きましょう」
ハンバーグの肉片が気管に入り込んでしまって盛大に咽せる。
隣席に座っていた山畳が「おりゃ」と強めに背中を叩いてくれている一方、正面席の有森はメニュー表を盾に逃げていた。
「だ、誰に聞いた」
「私が話したような?」
山畳許さねぇ。
「それでそれで。誰なんです?」
言える訳がない。言っても有森を困らせるどころか呆れられてしまう。謝罪した意味がなかったと怒られるかもしれない。
だからといって、もう知られた状態で白を切るのも厳しい。有森は前のめりになっているので話題を変えるのも無理だ。
いい感じに話を創作できないものか。いや、下手な嘘をついてバレるのはマズい。ある程度のリアリティが欲しいところである。
最悪、想い人が有森とバレなければそれでいい。どこかにスケープゴートがいないものか。
……こう悩める俺の鼻腔に甘ったるい小倉餡の臭気が届けられた。隣で謎のメニューを食べている一年生も女か。
山畳かぁ。山畳は、仮だとしても、うーん。まぁ、心が痛まない相手としてはこれ以上ない人選だろう。名前を言わなければバレる事もないだろうし。
「名前は言えないが、いるにはいる」
「ほうほう」
「思いやりのある人で、具体的には誤嚥した時に背中を叩いてくれるような人だ。もう少し優しく叩いてくれた方がいいけど」
「へぇ、顔で選ばないなんて、先輩って人ができていますね。顔で一目惚れするタイプの私には無理だなー」
一目惚れはバッサリ切る癖に顔で一目惚れする女、有森。ダブルスタンダードな気がするが、その生き方であっていますか。
「一目惚れは否定していませんって。私に一目惚れするのが駄目だってだけです」
なるほど。分からん。
「私の事よりも今は青森先輩の事です。その人の名前は?」
「だから言えないって」
「ケチな事を言わず。身長は先輩よりも高い低い?」
「えーと、山畳は身長、何センチだ?」
「百四十と九.五センチ」
「相手の身長は俺よりかなり低いぞ、有森」
んんー? と、擬音を声にした有森が俺と山畳を交互に見てくる。どうしたのだろう。
「もう少しヒントを。下の名前を文字数だけでも教えてください」
「文字数か……。あれ、山畳の下の名前って何だっけ?」
「美樹でーす。あれ、私、青森先輩の名前知らないや」
「二文字ないしは三文字だな」
クールダウンするかのごとく、メロンソーダを半分一気に飲んだ有森。思考を巡らして天井を見上げている。
何かを悟られてしまった……はずはないか。我が校の一年女子だけでも七十人強はいる。その中からたった一人をファミレスの椅子に座ったまま特定するなんて名探偵であっても不可能。
俺が有森の意味深な顔付きに見惚れて勘違いしているのだ。彼女はメロンソーダの味を反芻しているだけなのだろう。
「あのぅ。もしかして、その子ってパスタを箸で食べちゃう系女子です?」
「そんなイタリア人に激怒されそうな奴がこの世にいるはず――」
「餡子入りだからこれは和食だけど、何か?」
「――いや、食べちゃう系かもしれないな」
我、確信得たりという悪い顔で有森はニヤァと俺を見てきた。そんなにメロンソーダが美味かったのならもう少し頼むか。
「店員さん、すみません。メロンソーダをもう一杯」
「あ、私も喉が渇いたのでメロンソーダ」
「注文は後にしてくださいッ」
有森が飲み干したコップで台パンしたため、注文はキャンセルされてしまった。