三目惚れ 名前のない怪物
「お料理クラブに入部体験に来てくれた皆さんには、エッグベネディクトを作ってもらいます。どうしてエッグベネディクトなのかというと、名前が格好いいからです」
鍋を火にかけながら疑問に思う。
俺はどうして調理室でお料理クラブに体験入部しているのだろう、ここにいるはずの一目惚れの相手がどこにもいないのに。
「わ、すごい。片手で卵を割ってプロっぽい。どうやったんです?」
「自分でも自分がよくわからない。何しているんだろ、俺」
「無意識にできるくらい料理上手なんだ」
放心状態のため、何を料理させられているのか分かっていない。調理室の扉を開くと四の五の言えぬままエプロンを装着させられ、コック青森となった俺は鍋で卵を茹でている。
名前もまだ知らない彼女と出会うべく、彼女が向かったはずの調理部を訪れた。そのはずなのに、どうして彼女はここにいないのだろう。もしかして、彼女は俺の妄想か。
すっぱい酢を注いだ鍋の中で回されている卵はきっと俺だな。湯気となった酢が染みて目が痛い。
長時間、茹でているのは辛いのでお玉で掬い上げる。
「あれ、タイマー鳴る前なのに」
「これ以上は精神的に耐えられないから」
「その日の気温や湿度によって茹で時間を変えている?!」
卵を氷水で冷やすように頭を冷やしてクールダウンだ。
彼女は実在の人物だ。柿崎も目撃している。調理部にいないのは何かの手違いだったのだろう。
隣にも女子生徒はいるが彼女ではない。同じ鍋を囲む事になっただけの間柄である。
「私は一年B組。名前は山畳と言います」
「ご丁寧に。二年C組、青森です」
「どこかのアレな友人と一字違い。それと二年……あ、先輩でしたか。料理上手だから調理部に? 私は食べる専門ですが」
食べる専門というだけあって山畳の卵を割る様子はたどたどしい。力が弱過ぎて殻にヒビが入らず、四苦八苦した後、鍋の縁に打ちつけて悲劇を起こしてしまった。
後戻りできず、絶対に殻が混ざった卵を鍋の中で掻き混ぜている。
「人を訪ねて調理部に来たんだけど、いなかった」
「調理部の部員さんに友達でも?」
「いいや、知らない人」
「どゆこと??」
ゆで上がった成れ果てを氷水に投じる山畳。
「スコッチエッグって難しい」
「ポーチドエッグな」
自分が何を作っているのか分からない女V.S.自分が誰を探しているのか分からない男の真剣勝負、始まったな。
「新入生のはずなんだが」
「もしかして女です」
「あー、まぁ」
たった数回のやり取りだけで色々と察せられてしまった。まだ高校生になったばかりだというのに女のカンは鋭い。
恥ずかしさを覚えるが調理中だけの関係だ。旅の恥は搔き捨て理論。逆に今この時を利用して、一目惚れした彼女を調べるとしよう。同じ一年の同性ならば知っているかもしれない。
「横顔が綺麗で、少しだけ挑発的な感じの一年女子を知っていたら教えて欲しい」
「特徴が一致する残念女なら知ってます」
「彼女が残念なはずがないから別人だな」
聞き取りつつも調理を平行する。次はイングリッシュマフィンを半分に切って焼く工程だ。
オーブンレンジを使っていいとの事であるが、フライパンでバターを溶かしてそこで焼いてしまおう。表面をカリっと仕上げるだけならこれでもいける。
「名前も知らないって、一目惚れでもしたのでして?」
「俺を外見しか見ていない奴だと思わないでくれ。人は内面があってこそ。目に見えない部分だからこそ理解しようと励むんだ」
「お、おおー。なんて高潔で高尚な考え。爪の垢を私の友人に飲ませてやりたい」
同じフライパンでそのままベーコンも焼けば洗い物の節約になる。ちょっと手際が悪くて焦がしてしまったものの、カリカリベーコンこそが至高だろう。
ほぼすべての工程を終えた。
マフィンをバンズにしてすべての食材を重ねていく。あ、ベビーリーフを忘れた。
「ベリーリーフの袋を開けておきました。まだ洗っていませんが、ぜひ使ってください」
「助かる」
無駄に並んだ調味料の中からエッグベネディクトに最適なものを選ぼう。オランデーズが定番か。
「私の家、目玉焼きには醤油派なので」
「俺達、目玉焼きを作っていたっけ?」
ついでに言うと、山畳なる女子はエッグベネディクトも作っていない。焼いていないマフィンに茹でたスクランブルエッグもどきを挟んだ何かを皿の上に盛っている。
「うーん、私の知り合いに青森先輩の意中の相手はいないかと。少なくとも同じ教室にはいませんね」
「となると一年B組以外か。ありがとう、参考になった」
一目惚れした彼女の正体について進展はあまりなかった。せっかく訪れた料理部はハズレであったが、こういう日もある。
今日一番の成果は目の前のエッグベネディクトだな。
自画自賛となってしまうが美味しそうに作れた。さあ、食べるか。
「では、ペア同士で完成した料理を交換してから実食してください。お料理クラブは料理を作るだけではなく、食べてもらう喜びも感じる部活動をしています」
……んん??
部員の宣言を噛み砕けないでいる間に、山畳は俺の料理をひったくってカリカリベーコンを噛んでいた。それは別にいいとして問題は目の前にスっと移動してきた皿。
卵の殻混じりの名前のない怪物がそこにいる。