届かない俺
青森なる同学年は毎日ではないが時々、美術部へと現れた。
部活に入っていないのかと一度訊いてみたところ、米花市で生き残るのは難しかったとよく分からない回答をされたので以後訊いていない。
「どうして像ばかり書いているんだ? 像が好きなの」
「リンゴは腐るだろ。石膏ならいつでも変わらないから練習に使い易い」
「そうなんだ。って、思ったよりも重いな、これ」
「落とすなよ。結構高いから高校生が弁償するのは大変だぞ」
石膏は凹凸や平面、曲面も混ざっており意外に複雑だ。陰影の描き方がおろそかだと途端に違和感のある絵になってしまう。画力を測るのにも高めるにも最適だから描いているのであって、腐らないだけが理由ではない。
青森が角度を変えてしまった石膏を元の位置に戻して、練習を再開だ。
「もう少し安くて軽い像を使えばいいだろ。モアイとか」
「モアイか。悪くないかもしれないが安くも軽くもなくないか?」
西洋絵画に描かれた突然のモアイを想像し軽く笑う。あれだけ単純な形をしている癖に人間と分かるのは少々反則ではなかろうか。
「先週より上達していないか、柿崎?」
「まだまだ。俺が目指しているのは有巣先輩だ」
「美大に行くくらい上手だからか」
「よく知っていたな、青森。有巣先輩は有名人になっているのか」
有巣先輩の石膏の絵と比較すると、どうにも見劣りする俺の石膏。青森はうまくなっていると言うが実感はない。
「石膏も色々種類があるのか。なら、西洋のおじさんばっかりでなく、たまには別の被写体を選んだらどうだ。可愛い女の子とか」
「アルテミスの石膏もあるらしいが美術部で見た事ないな。マルスには挑戦したいが、ちょっと探せていない。倉庫にでもあるのだろう」
石膏ばかり描いているのもマンネリである。
気分を変えるために青森の顔をスラスラと描いてみたのだが、こっちの方が石膏よりも悪くない。
「うまく描けた方だろ、青森」
「おいおい、もう少しリアルに寄せろよ。こんなに冴えない顔じゃないだろ、俺。ヘビー級ボクサーに殴られた顔よりマシに描けよ」
「はい、お土産のモアイ。欲しいって聞いたからあげる」
「……先輩のプレゼントは嬉しいですが、俺、モアイは特に欲しくありませんよ」
「あれぇ、おかしいな??」
ぶらりと美術室に現れた有巣先輩は、モアイの人形を片手に現れた。
「そもそも、どこのお土産ですか?」
「修学旅行の」
「……先輩、三年でしたよね。今年の二年の修学旅行に同行しちゃったのでして?」
「だから、去年の修学旅行のお土産。太秦だったのよ」
去年の旅行のお土産を一年越しに渡してきて、それはお土産と言えるのだろうか。いや、嬉しくない訳ではないのだが。
近年、時代劇の放送が絶滅気味であり、水戸黄門も銭形も、あばれるタイプの徳川吉宗も視聴していない世代の俺には断言できないものの、モアイは江戸時代の日本に生息していなかったはずである。相変わらずツッコミ所の多い先輩だ。
大きさはやや大きめの貯金箱サイズであり、絵の練習に使えなくはないだろう。
「まあいいや。そのモアイを私だと思って大切に使ってね。……アレスはちょっと用事があって出張中だから」
「先輩とモアイはまったく似ていないので、将来的にまったく興味のない女の名前をつけようかと思います」
「酷いっ。私とは遊びだったのね! 私はブルータスさんと結婚します」
「そいつ、親友を裏切る酷い奴ですよ」
親友を裏切った男を机に置くと有巣先輩は鉛筆で描き始める。
大学の入試でも石膏は使われると聞く。来年の大学受験に向けて、今日も有巣先輩は頑張っている。
「作品集の提出もあるらしいからねー。良い感じに描いてあげないと」
「株でも始めましたか? 余裕ですね。受験は大丈夫そうですか?」
「まぁまぁ? 自信はあるけど、本番次第かな」
有巣先輩の画力は夏の頃から更に一段上がっている。写真のように正確に作品を描く技術もそうだが、そこに個性を上乗せするようになってきた。
絵は本当に難しい。
見たままを正確に描いたとしても写真の高画質に劣る。実物を正確に模写するのではなく、人間が想像する実物から離れた空想を描く事で初めて写真を上回れる。
「美術の天才いわく、写真こそがシュルレアリスムらしいけどね。私にはまだ分かんない域だわ」
有巣先輩が描く石膏は人間が想像し共感する写真以上の石膏なのだが、芸術の壁は分厚い。有巣先輩が無理なら当然、俺には当分描けそうもない。
「美術の神髄を極めるためにも大学に入らないと。他の教科は全部赤点だから、絵だけで受験できる美大は最高」
「……あの、先輩。美大の入試ですが、一般の学科の試験もあるそうですよ」
「えっ?! 嘘ぉ」
仄暗い俺は、有巣先輩が大学受験に失敗すればいい、なんて思ってしまう。
秋が深まり、有巣先輩の出現頻度が劇的に減った。部室に来ないで勉強に集中し始めたらしい。
その所為で、俺は寂れた旧校舎の一階の端にある美術室で独りぼっちだ。
「……全然駄目だ。時間がまったく足りない」
一年と三年。経験が違う。画力で追いつこうというのは土台無理な話だったのだ。
「追いつけないなら、どうすればいい?」
先に大学生になってしまう有森先輩は、新しい環境で新しい人達と出会い、新しい関係性を深めてしまうのだろう。まだガキな俺の事など一か月もしない内に忘れてしまうに違いない。
来年の春を思うと最悪な気分だ。
現実に抵抗しようと毎日、部室で絵を描いているというのに、下手な自分の絵を見ていると厳しい現実をより深く認識してしまう。
嫌でも目につくのは美術部の壁に貼られた自分の絵。歪んだ構図の石膏。
「こんな絵ッ」
若気の至りで、つい、自分の絵を引き裂いてしまう。変えられない現実の代わりの犠牲となった。
その日はもう描く気になれなくて、破った絵もそのままに帰宅してしまう。
憂鬱な気分で美術部を訪れた次の日。
放置してしまった絵を回収するために早朝に旧校舎を訪ねた。ただの八つ当たりで騒ぎになっても困る。犯人が犯行現場に戻るという話は事実らしい。
早朝固有の異世界チックな廊下を歩く。人の気配が感じられないだけでも見慣れた校舎を別世界のように感じてしまう。
「……いや、人の気配が」
進行方向より誰かが走ってくる足音を耳にして、慌てて空き教室へと滑り込む。朝早くから旧校舎を訪れるとは不審な生徒である。
「別に隠れる必要はなかったような」
幸いにも不審な生徒は隠れた俺には気付かず素通りしていく。
綺麗なフォームで走り去っていくのは女子生徒だ。
「……あれは、有巣先輩??」
後ろ姿だけを目撃したので自信は五分五分だが、俺には有巣先輩の後ろ姿に見えた。
女子生徒が走ってきた方向が美術部だった事も、有巣先輩と連想させている要因かもしれない。何となく嫌な予感を覚えながら歩み、美術部の建付けの悪い引き戸を開く。
「――なぁッ、ブルータスがっ」
若気の至りで、つい、石膏の絵を破いてしまったのはほんの十二時間前。己の犯行なのでそこまで驚きの声を上げる必要はないだろう。
けれども、石膏の絵と同じように、石膏本人も割れてしまい床に散乱してしまっているとすれば、驚いてしまっても仕方はあるまい。
学校の備品が壊されている現場となれば高校生としては衝撃だ。殺人事件の第一発見者になってしまった心境にすらなる。
俺が破いた絵とまったく同じ。顔面から縦に割るなんて、いったい、誰がこんな猟奇殺石膏事件を起こしたのか。
「まさか……」
……そういえば、美術部方向から走り去る女子生徒を目撃したばかりだ。
昨日の時点では確かに石膏は生存していた。つまり犯行は昨日の晩から今日の未明にかけて。犯人候補は走り去った女子生徒以外にいない。
「有巣先輩が、やったのか?!」
女子生徒が有巣先輩とは限らない。
けれども、もし仮に、女子生徒が有巣先輩だったとしたならば大事件だ。
大学受験を控えた学生が学校の備品を壊してしまって、良い影響があるはずがない。




