十一目惚れ ねるとんって令和でも通じるのでしょうか
若い男女が二人で消えていくとなれば、バレないように追跡するのが作法である。二人の邪魔をして馬に蹴られる訳にはいかないので隠密作戦だ。
どこに向かうかと思えば旧校舎にある美術室だった。静かになれる場所を探して古びた旧校舎の一室を選んだか。雰囲気的には屋上を選択したかったのだろうが、生徒が窓から落下するような学校なので屋上のドアは固く封じられている。
美術室に二人が入るのを見届けてから俺も近寄る。
……はて、ドアの鍵が閉められたかのようなガチャリという音が聞こえなかっただろうか。そんなはずはない。教室は内側からであっても鍵がなければ施錠できないので聞き間違えか。
「開かねぇ……」
小さな声で落胆する。
音が鳴らないようにゆっくりと引いてみたものの、全然動かない。建付けが悪いだけかもしれないと、もう一枚の戸を引いてみたのにやっぱり開かない。
「カンジ先輩。来てくれてありがとうございます」
「有森、用事は?」
教室の中で青春の一幕が始まってしまうぞ。
いいのか、このまま始めさせても。
そもそも止めるようなことか、これ。
どういう結果に至ろうと本人達の自由である。蚊帳の外ならぬ教室の外にいる俺は干渉せずに去るべきだ。というか、最初から追いかけるべきではなかったのだ。
柿崎を探るのに都合のイイ人でしかない俺が現れても、有森にとっては迷惑だ。
敗残兵がごとくトボトボと美術室の前から逃れてしまおう。
俺にはもう関係できない事だ。
心音が大きくなる。
血流が増して全身が熱くなる。
有森有紗は高校に入って一番ドキドキしていた。当然か。一目惚れしたイケメンに告白する寸前なのだから正常でいる方がおかしいというもの。
なお、高校に入って一番ドキっとしたのは窓から何者かが身投げしたのを目撃した瞬間だった。衝撃映像だった所為か、モザイクが施されたかのごとく落ちた男子生徒の顔を思い出せない。
美術室に直行した所為で前髪に不安を覚える有森。せめて手鏡は持ってくるべきだったと後悔だ。
「カンジ先輩。あ、あの――」
もう唇は動いてしまっている。今更、止めようがない。
「――初めて顔を見た時から好きでした。付き合ってくださいっ!」
有森は目を瞑りながら顔を伏せる。深く礼をしているようなものだ。恋人にしようという男が目の前にいるのだから礼節を尽くしてやろうというもの。
止められない恋心と溢れ出る不安に突き動かされるままに美術室で告白してしまった。
相手のフィールドを選んでしまったのは失策だったものの、昨日の内に美術部員となった有森は堂々と職員室から鍵を持ち出せた。二人っきりになって雰囲気を出すには美術室が最良だったのだ。
鼻を突く油絵具の臭いも気にならない。
ボブと名付けられたモアイに見られていても気にならない。
柿崎甘慈が色好い返事をくれるのだからまったく大丈夫。
振られる心配は考えていない。なにせ、有森は顔だけは良い女だからだ。他はどうあれ顔だけでも十分に勝負できる。たった数日の関係しかない男であれば顔以外の部分を知られていないため勝算しかない。
「すまないが他を当たってくれ。俺は有森にそういう感情は持てない」
……今、何と答えたのか。訂正して欲しくて聞こえていた返事を有森は聞き返す。
「有森の気持ちには答えられない」
急に瞼が潤った。
「俺にとっては顔の良い女と付き合うよりも、一緒に馬鹿な言い合いができる友人を作る事の方がはるかに難しいからな。そんな貴重な友人を馬鹿にした女と付き合う気には、絶対になれないだろ?」
油絵具の臭いが鼻を突いた所為に違いない。
変な名前のモアイ像に見られている所為に違いない。
恥ずかしくて、悔しくて、情けなくて、自分の行動が巡り巡って自分を苦しめてしまって、有森は決壊してしまいそうだ。因果応報だろうと耐えられないものは耐えられない。こんな事なら入口に鍵なんてかけなければよかった。逃走するのに酷く邪魔だ。
顔を見ないように背を向けてから走り始めよう。
やはり、自分は顔だけが良い女だった。有森はこう思い知って走り出す――寸前だった。
「――ちょっと、待ったァぁぁッ!!」
美術室の窓から入り込んできた不法侵入者が、大声を上げた所為で有森は逃げ遅れてしまう。
有森は男の顔を見た。
知っている顔だった。
有森を振った柿崎甘慈と同じクラスの男子生徒。青森なる男。有森と一文字違いという全然近くない関係の顔見知り。下の名前も知らないくらいだ。
どうしてただの顔見知りが美術室に乱入してきたのか。有森にはよく分からない。
……それはそれとして、その台詞って告白に割り込む時に発するものであって、告白失敗したタイミングで言うのは遅くなかろうか。