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第二話

嫌な世界に生まれた


降りしきる雨に打たれながら、カイルはそう思った。


この国は間違っている。

結果的に、恩恵を被っているのは国民ではなく、権力を握る一部の重鎮たちだけ。

民を守る存在としてあるべき国家としての姿を歪めに歪めた結果だ。


そんな若者の怒りを冷ますように、雨粒が若者の顔を濡らしていく

だが彼の怒りはくすぶり続け、挫折にも似た感情を芽生えさせる。


こんな世界……俺は嫌いだ


若者がそうつぶやきかけた瞬間、背後で土砂のはねる音がした。

何か水たまりにでも落ちたのか、そう思って若者が振り返った先には、雨の中、裸足で傘もささずに地へ倒れ込んだ少女と、彼女に襲いかかろうとしている髪を振り乱した女が立っていた。

女の濡れた髪の隙間から、般若のような形相がのぞく。

ただならぬ雰囲気を感じて、若者は思わず身構えた。が、女の殺意は目の前の少女にだけ向けられているようであった。

少女は腰が抜けて立てないのか、水たまりの中でむなしくばしゃばしゃと脚を暴れさせていた。


「ママやめて!」


般若のような形相の女に向かって少女が叫ぶ。

女は鼻息荒く首を横に振ると、間髪入れず手に持った包丁を少女に向かって振りかぶった。

「やめて!」

「やめろ!」

少女と若者の叫びが、灰色の雨空に溶けていった。


玄関でパパを刺した後、ママは私に襲いかかって来た。

私はとっさに家の外へと転がり出たのだが、外はもうすっかり日が暮れていて真っ暗だった。

どこへ逃げようかとオロオロしている間にもママは後を追って来ていた。

 

あてもなく必死に走り回っていた私だったが、突然背後から人のものとは思えないうなり声が、聞こえるようになった。

「ウウウ……」という獣のような低い声だった。

恐ろしいうなり声の主がママであることに気付くのにそう時間はかからなかった。

私は震え上がり、力の限り走ったが街灯も人通りもない暗い道が続くばかりで、逃走劇が終る事は無く……。

いつのまにか雨も降り始め、そこで体力の限界を迎えた私は倒れ込んでしまった。

背後であの低いうなり声が聞こえ、もはやこれまでと死を覚悟したのだが……。


今現在、私はまだ生きている。

とっくに死んだ



命拾いした安堵でほうっと息をついたその時、誰かが私の肩を叩いた

振り返ると一人の男性が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

西日を受けて黄金色に輝く金髪に、鮮やかな琥珀色の瞳。

座っているから正確な値は出せないが、身長百八十センチはあるだろう。

そして……なんというか服装が……少し古めかしい。


この金髪外国人は何か話しかけてくるが、何の言葉か私には全く分からない。

日本語でも英語でも、フランス語でもない言語だ。

首をかしげて分からないというアピールをすると、男の人は懐から小瓶を取りだし、その中にはいっていた黄色いビー玉を一粒私に差し出す。

更に首を傾げて見せると、男の人は飴を口に入れるジェスチャーをしてくれた。


これは失礼。

ビー玉じゃなくて飴玉だったのね。

悪い人には見えなかったし、喉も乾いていたので私はありがたくそれを頂戴した。

黄色に透き通った飴玉は、口の中に入れると柔らかな蜂蜜の味がした。


大事に食べようと思って慎重に舐めていると、張りつめていた緊張も、疲弊した心も癒されていくような気がする。


あとでもう一粒もらってママにあげたら、きっと喜ぶかな


もらった飴玉に夢中になる少女の横で、若者はだまってその様子を眺めていた。

なんてことだ

影鬼の呪いに打ち克つものがこの世に存在するなぞ、想像だにしなかった。

しかもこんなか弱い少女が……。

こんなにも無邪気でいたいけな少女がだ……。


大事そうに飴玉を味わう少女の横顔は、ひどくあどけない。

この国ではあまり見かけない絶妙な栗色の髪に、特徴的な肌の色……。

そしてその服装も、若者の注意を引いた。異国人という時点で、身分は平民か奴隷で確定するはずだが、この少女の服装はその身分にしては相応しくない。


若者には驚くことばかりだったが、少女が飴をなめ終わったのを察すると再び話しかけた。

「大丈夫か……?」

もうちょっと気の効いた言い方はできないものか。

若者は自分の言葉の不甲斐なさに思わずため息をついた。


少女はそれを見てこう思った。

自分で声をかけておきながらなぜため息をついた……?

不思議なことに、今度は男の人の言っていることがハッキリとわかるようになっていた。

さっき舐めた飴のせいかもしれない。

「ママが……あいや、この人が、倒れてしまって……」

「君は自分の身よりその女のことを心配するのか。君を包丁で刺し殺そうとしていたじゃないか」

「見てたんですね……。でもそれは……」

「どのみちその女はもう死んでいる。あの黒い影の鬼、アレは君が倒してしまったからな……もう助ける方法はない」

「あなたにも、さっきの影が見えていたんですか?」

「ああ」

男の人は淡々とした口調で答えた。


一体何なんだ、この人は。

私が刺されそうになっているのを黙って傍観し、事態が収まったらいきなり出てきて「ママはもう死んだ」なんて……。

私はママが死んだことをどうしても信じられなかった。

「ママ……?」

そっと声をかけてみるが、やはり返事はない。胸元に耳を押し当ててみても、心臓の鼓動は聞こえなかった。

あんなに私を叩いて殴って蹴飛ばしてきたママ。

酒に溺れ、毎日のように私に罵詈雑言を飛ばしてきたママ。

私のパパを刺し、最後に私のことも殺そうとしてきたママ。


でも、昔のママはもっと優しくて、キラキラしていた。明るくて、いつも私を優しくだきしめてくれた。そう、さっき私がしたように……。

いつのまにか頬を伝った涙が、安らかに眠るママの顔を濡らしていた。

ふと、夢に出てきた鬼のことを思い出す。そして、玄関先で私を見据えたあの時のママの目も。

そう、そんな簡単にママが死ぬはずないんだ。


若者は怪訝そうに首をひねった

自分をあやめようとした者にここまで同情する奴など、俺は見たことがない。

この少女の国では罪を犯した者に情けをかけることが美徳なのか。

不思議な少女だ。


若者が心のなかでつぶやいた丁度その時、若者の手首の腕輪が赤く点滅し始めた。

純度の高い金属を溶接加工して作った銀色のブレスレットで、特に目立った装飾は施されていない。この若者が、護身用のために業者に頼んで特注させたものだ。

そのブレスレットが不吉な血赤色の点滅を繰り返していた。

まずいな。

すぐにここを離れないと、誰かがこの現場を目撃したら面倒だ。

影鬼を倒した時点で、この少女の悲惨な運命はほぼ決まっている。

一緒にいた俺も、相当なトラブルに巻き込まれるだろう。

せめて警告くらいはしてやり、ここから逃げるべきだ。


若者は小さく舌打ちをすると、母親の死を悼む少女に声をかけた。

「大切な人の死で辛いのは分かるが、その女を置いてすぐここから離れた方が良い」

「嫌です……。帰るならママを連れて、ママと一緒に帰ります」

「なにバカなことを言っているんだ。こから住居区まで、早馬を飛ばしても半日はかかる。君を狙う奴らがすぐそこまで来てるんだ」

「私を狙ってるのはあなたの方じゃないですか。私のことは放っといてください、大丈夫ですから」

少女は警戒心をむき出しにして若者をにらみつけた。

なぜここまで話が噛み合わないんだ。影鬼に関する話も、影鬼に関わった人間がどんな目に遭うかということもまるで分っていないみたいじゃないか!

若者は焦れったさのあまりに歯噛みした


「すぐそこの交番にいけば、私もママもちゃんと保護してもらえ……」

そう言って周りを見渡した少女の表情が一変した。

あきらかに、私がさっきまでいた場所とは別世界だった。

おかしい、こんな草木に覆われた獣道みたいな場所まで急にくるなんてこと、ありえない。

時間だって狂っている。日はとっくに暮れたはずなのに、まだ夕日が辺りを茜色に照らしている。

何より決定的だったのは、男の人の背後に広がる荒涼とした草原と、そのさらに向こうに小さく見える城のシルエットだった。

男の人の外見、服装と合わせると不気味なくらいピッタリマッチする。

そう、まるでひと昔まえのヨーロッパみたいに……。


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