君が魔王になるまで
初投稿です。
少年が魔王を目指す旅に出るお話。
清閑な空気の中、牧師は粛々と教えを説く。
曰く、神様は必ずわれらを見てくれている。
曰く、いいことも悪いことも必ず帰ってくる。
曰く、よい人生を送ったものにはよい死が訪れる。
バカみたいだ。ライは手を組んで祈る格好をとりながらも心の中で毒づいた。こんな事本気で信じている牧師様も、目を閉じて祈りをささげている大人たちも、子供たちも。本当はみんな気づいているんだ。こんなことは茶番だって、現実は神様は見てくれてなんかいないってうすうす感づいている。でもこんな世の中でこれしか縋るものがないからしがみ付いているだけ。
人類の脅威であった魔王を勇者が倒してからわずか数十年。共通の敵がいなくなった今残っているのは人間の汚い欲のみ。魔王打倒のために一丸となって戦ったはずの世界は徐々にくずれはじめ、勇者が死んだのを皮切りにその均衡は崩壊した。
ある国が「勇者が生まれ育ったのはこの国だ」と権利を主張すれば、ある国は「勇者一向に資金援助を一番多くしたのはわが国だ」と真っ向から対立し、魔王なき今世界を支配するべきはこの自分であると争いが始まった。
皮肉なことに魔王が支配していた昔より国民の生活は貧しく、厳しくなっていた。
争い、民は疲弊し、資源も少なくなるばかり。魔物も力を取り戻しつつある。誰も余裕がない。けれど争いは今更止められない。
ライが住むこの村もその余波を受けている。5年前、疫病が蔓延し小さな村はあっという間に壊滅の危機に追いやられた。ライと母も病に侵され、村唯一の医者であった父は治療薬を求め病床に付した母子を置いて村を出た。本来なら国から医者が派遣され甚大な被害が出る前に食い止められたはずである。だが戦争で国の医者はその対応に追われていたため小さな村は後回しにされた。そして出ていった父からの連絡は途絶え、未だに行方不明である。
連絡がなくなった当時戦争が激しい土地にいるという情報は知っていたのでライも薄々気づいている。戦争に巻き込まれ、おそらくこの世にはもういないのだろう。
ほら、やっぱり牧師様が言っていることは嘘じゃないか。善人であった父と母があんな死に方で、善人じゃない僕がこうして生きながらえているのもおかしいはずなのに。
ああでも。とライは考える。きっと僕の目が見えなくなったのは罰なんだろう。
命こそ助かったものの、ライの目は病気の後遺症で見えなくなった。当時10歳であったライが一命をとりとめたのはまさに奇跡で神の采配であると牧師は言うが、ライはこれまでずっと自分を責めて生きてきた。なんで自分だけ。いっそ僕だって
「ライ。心が離れていますよ」
「…すみません牧師様」
肩をそっとたたかれて、意識を現実に戻す。いつのまにか祈りの時間は終わっていたみたいで、教会にはライと牧師しか残っていないらしかった。牧師はライの手を取り、教会の長細い椅子に座らせた。ひんやりとした椅子の感触が伝わって、頭を少し落ち着かせる。
牧師はライの横に腰を下ろし、両手でライの手を包み込む。牧師の手は節くれだっていてごつごつした大きな手でおおよそ聖職者に似つかわしくない。今の落ち着いた大人ぶりからは想像もつかないが、本人によると昔は血の気が多く喧嘩ばかりしていたらしい。
「ライ。君は少し頭でっかちに物事を考える癖がありますね。思慮深いのは感心ですが、頭で考えすぎて行動に移せないことは帰って損をしますよ」
牧師は諭すように言う。実際、彼はライを赤ん坊の時から見てきたし、母が死に父も行方知れずで孤児になったライを引き取り育ててくれているのも彼である。故に今、ライのことを一番に知っているのは彼のみだろう。
「別に。どうせ僕は目が見えないんだから、どこにも行けない」
「ほら、そうやって決めつける。」
「事実じゃん」
「君はまだ本の中でしか世界を知らない。」
「わかってるよ、サイテーな権力者が暴れまわってる汚い世の中なんでしょ」
「こらライ…子供が世界を悲観する必要はないんだよ」
「説教はもういいでしょ!今日はあの本を読み聞かせてよ」
「全くもう…はいはい、今とってきますから」
頑固なんですから、と苦笑して腹いせのようにライのおでこを中指ではじいた。
その頑固さは牧師の前でしか見せていないことはきっとばれているのだろう。ライは両親がいなくなってから誰にも本心を語ることがなくなった。わがままを言うこともなくなった。世間一般が想像する子供像からは大きくかけ離れたませた少年である。
けれどライを引き取り、父親のように育ててくれた牧師にだけは、ライはありのままの自分を出せた。牧師の言葉は長い年月をかけライの心を溶かしていった。そして牧師も、ライが口答えしてくれることがライが自分に心を許している証明であるようでそれが嬉しくて結局許してしまうのであった。
二人には確かな信頼関係が築かれていた。お互いに、かけがえのない人となっていた。
「昔々に…」
牧師の声はどこまでも優しく、芯がある。ライはその声が嫌いではなかった。
「この本が終わったら次はあの本だよ、その次はあれが読みたい」
「はいはい。本当にわがままなんですから」
言外に秘めた切なる思い。明日も明後日もこの先ずっと、傍にいられますように。この人がいなくなったりしませんように。この願いが叶うなら神様のことだって信じてやってもいい。
左目の義眼がじくじくと痛む。思えばこれも予兆だったのかもしれない。
平和はいつだって仮初のものである。
日常は急に崩れて初めてその貴重さがわかるものだ。
ごうごうと燃える村。教会の屋根は崩れ、轟音があたりを包む。
あっという間のことだった。村を襲ったのはどうやら盗賊らしい。
ライと牧師は斧を持ち物陰に隠れて様子をうかがうと、何か目的があるのか、男たちは村の端から端まで火をつけて回りながら何かを探しているようだった。
「に、逃げなきゃ。ねえどうするの」
「ライ。君は先に教会の地下に隠れていなさい。私は後で必ず追いつきますから」
「どういうこと、敵うわけないって!一緒に逃げよう!」
ライがどれだけ腕を引っ張ったって牧師は動かなかった。
「ライ。よく聞きなさい」
牧師は両手でライの頬を包み、まるで宝物を扱うように撫でる。その手の震えは彼の覚悟とけじめを示しているようだった。
「ライ。君は生きなければならない。必ず生き延びて」
「僕一人じゃ何もできない!あなたも一緒に!今なら…!」
言葉が終わる前に牧師はライを抱きしめた。強く強く、ライの背骨がきしむほどに。牧師の優しい声で名前を呼ばれるとライもとうとう涙をこらえられなかった。牧師は涙をぬぐいながらライの耳に囁く。
「ライ。君は僕の希望だよ。一人じゃ生きられないなんて言わないで。この村に来てから僕はずっと幸せだった。だから守らなきゃ」
「やだ…やだ…!」
遠くに聞こえていた盗賊の声がもうすぐ近くに聞こえてきていた。タイムリミットだ。
最後に名残惜しそうに頬を撫でた後、牧師は体を離した。温かい水の感触がライの肩に広がる。
「さあ行って」
「待って!」
「ライ…だいすき」
背中を押され勝手に体が地下に向かって動き出す。牧師の魔法で操られているのか、心は嫌だと叫ぶのに手足は止まらない。
また大切な人を失うのか僕は。何もできずに逃げるしかないのか。僕はまた、自分だけ生き残るのか。
火の手が回って、息ができなくなる。
薄れゆく意識の中でライはただ自分を呪うしかなかった。
「い…おい…!生きてるか!」
「…だ、れ…牧師様は…」
遠くで誰かの声がする。その大声は頭の中で反響し頭痛をもたらす。
「ライっていうのはお前のことだな。お前をずっと探していたんだ」
と手を差し伸べられる。
「本当に会えるとは思えなかった。こんな時に言うのは何だが、会えてうれしいよライ」
声の主は喋るのをやめない。うるさい。少し静かにしてほしいという意味を込めて差し出された手を押し返すとそのまま強引に腕をつかまれた。
そこで漸くライの意識は覚醒した。
「牧師様っ…!牧師様は」
「いったん落ち着け、肺を吸い込みすぎている。急に立ち上がるのは危険だ」
「誰だお前!まさかあいつらの仲間なのか!」
「だから落ち着け!そいつらは全員その牧師とやらに倒されてる!」
立ち上がろうとするライを強い力で抑えながら男はことの顛末を話して聞かせてくれた。ライが気を失った後、牧師によって盗賊は倒され、村は大部分が焼かれたものの村人の意の命はほとんど無事だったとのこと。そして戦いの後牧師は役目を終えたように息を引き取ったとのこと。
「嘘だ…嘘だよね…ねえ!」
「全部本当のことだ。すまない、俺がもう少し早くこの村についていれば」
「そうだ、そもそもお前は誰なんだよ、こんな村に来る理由なんて盗賊以外ないはずじゃないか!」
ライは男の手を振り払う。錯乱して何を言っているのか自分でもわからないまま、ただ事実を受け入れられないでいた。
男は真正面からライに向かい合って凛とした声で言った。
「俺の名前はゼン。お前の父親からの言伝をお前に伝えるために、お前を探して東の国からやってきた。お前に会いに来たんだ」
「父さんから、僕に…?」
「ああ、お前の父親に生前世話になって、その時にお前の話もよく聞いていた。話の通り父親によく似ているな」
「嘘だ…」
「本当さ。シキさんは病で動けず、お前に二度と会えないことを悔やんでいたよ。だから俺が代わりに来た」
ゼンと名乗った男は、父の名前を親しげに呼ぶ。本当に父と知り合いなのだろうか。うまく働かない頭で考えるも思考がうまく纏まらない。
牧師が死んで、父も遠い地で死んでいた。覚悟はしていてもその事実は今のライには重すぎるものだった。
「でも生きているかは正直望み薄だったから、本当に無事でよかった」
「なんで…」
脳を介さずにぽつりと声が転がり落ちる。
「なんで、僕のためにこんな」
どうにか絞り出した声は無様に震え、相手に伝わるかもわからなかった。そもそも伝える意図もなかった。ただ頭に浮かんだ疑問が口から出ただけ。
「ライ。お前が今辛いことは分かるがよく聞け、大切なことだ」
端から何も言えない。そんな気力は尽きてしまった。
無言は肯定ととらえたのか男は言葉を続ける。
「お前の父親はこう言ったんだ。『希望を諦めるな』ってな」
「…父さんが…?そういったの?」
ようやくライは頭を上げる。
脳内にめぐるのは幼き日の父との記憶。優しい人だった。村人からも慕われていて、そんな父が大好きだった。
「ああそうだ。今は辛いだろうがライ、だから生きろよ」
その言葉は今のライには眩しすぎた。目だけでなく脳もクラクラしてまともな思考が困難になる。故に攻撃的な言葉が口から出るのを止められなかった。理性ではわかっている。この男は何も悪くないどころかライを助けてくれ、義理堅く父の言葉を伝えに来てくれた。
分かっているのに止められない。
「分かるかよ、お前に。僕にはもう何も残ってないんだ。こんな偽物の目じゃ未来だって見えない。もう何も考えられない」
目の前の彼の胸を殴る。揺らがない彼の強さにも理不尽に腹を立てさらに殴る。自分が何に怒っているのかももう曖昧だ。父親か、牧師か、盗賊か、理不尽なこの世か、神様か。
いや、ライが何よりも許せないのは自分自身だった。
「ライ、わかるよ。お前の気持ち」
男はライのこぶしを軽く受け止め、そのまま両手で握りこむ。いつも牧師がやっていたことと同じ仕草にライの意識は漸くまっすぐ彼に向けられる。
男は手はそのままに訥々と話し始めた。
「俺もさ、両親を死んでんだよ戦争で。その時俺小さくてさ、守られるばっかで何もできなくて」
ライの手を包み込む手は今までの彼の苦労を物語るようにボロボロで、戦う者の手だった。嘘をついているようには見えない。会ったばかりなのに不思議と、信用に足ると感じさせる力が彼の言葉にはあった。
「しかも戦争の時についた傷で周りからひどい目で見られて。顔に大きいやけど跡ができたもんだから化け物だなんて言われてさ。孤独だった時にシキさんに出会ったんだ。あの時の俺もお前みたいに自暴自棄になってたよ。でもシキさんが地獄から俺を救い出してくれた。だから今の俺がいる」
「だからシキさんの息子がこんなことになってるの見過ごせるわけないだろ」
何という善性。こんな混沌とした世の中で自らもその害を被りながらなお、そんなことが言えるのか。おせっかいどころの話ではない。
ライはあっけにとられて声が出なかった。そして思う。
こんな良いやつばかりだったら戦争なんて起きないんだろう、と。魔王を倒した勇者もきっとこのような優しい男で…
「だからな、俺魔王になろうと思うんだ」
「………え?」
いやいやいや待て待て待て。思わず素の言葉が出てしまい、慌てて取り繕う。
きっと聞き間違いである。冷静になれたと思っていたがまだ混乱していたみたいだ。
「えっと、今なんて」
「ん?だから、魔王になってこの世を支配してやろうと思ってな!」
絶句。言葉が出ないとはこういうことか。少しわかりかけていたこの男の考えていることが何一つわからなくなった。
「着地点がわからないんだけど…なんで魔王なの」
「だって魔王が倒されてから人類が戦争を始めてみんな苦しんでいる。なら簡単だ、もう一度魔王を作ればいい。俺は魔王になってみんなを救ってやる」
どうだ、完璧な作戦だろうと言わんばかりの立派な宣言である。
彼が言わんとしていることは、理屈としてはわかる。怪我をしたら薬を塗るように、魔王がいなくなったこの世には新しい支配者を。
だから自分が次の支配者になると?何と馬鹿げた考えだろう。できるはずがない、そんな否定の言葉が口から出そうになる。しかし思い出すのは牧師からさんざん言われたあの言葉。
僕は、この世の中をまだ知らない。
一歩、踏み出すなら今なのかもしれない。こいつは僕に、新しい世界を見せてくれるのかもしれない。そんな希望を見せる力がこの男にはあった。そして、誰もが自分のことで精一杯なこの時代に赤の他人を助けるような善人がいう「悪」に興味を持ってしまった。
その狂気に突き動かされたのだ。
「今この世に必要なのは新しい悪だ」
なんて当たり前に言ってのける彼のルーツが知りたくなった。彼の奥底にはこの決断をするに至った理由がまだあるはずだ。それにひどく興味をそそられた。
目の見えぬライにさえ彼の光は強すぎて、自然と引き込まれる感覚に身震いする。
「僕も連れて行って」
気づけば声に出していた。どうせ一度捨てようとした人生だ、賭けてみたくなった。そして父親の遺志を継ごうとする彼の旅を見届ける義務と権利が自分にはあるとも思ったのだ。
「しんどいぞ。わざわざお前が来る必要はない」
「見たい。君が魔王になってどんな世界を作るのか。その先が見たい」
彼の手で開かれた未来なら、閉じた自分の目にも映るのではないだろうか。
ライは自ら茨の道を選んだ。きっと摩訶不思議で道理の一切通じない道だろう。だが後悔はしないと予感していた。この選択をきっかけに彼の人生は大きく歪むこととなる。
「俺はゼン。東の国で生まれた。改めてよろしく」
「僕はライ。よろしく」
ライは生まれて初めてこの村を出ることとなる。牧師の亡骸を教会のそばに埋め、うろ覚えの祈りをささげた。こんなことになるなら祈りの言葉をしっかり覚えておけばよかったという小さな後悔も村に置いていくことにして。
こうして二人の魔王を目指す旅は始まった。
これは、のちに歴史に名を残す男のお話。
最後までお読みいただきありがとうございます。
初投稿のため、このサイトの仕様がわかっておりません。
お手数ですが、何かあればご指摘いただけると幸いです。