第三十二話 一つの仮説
俺が居間で昨日買ったばかりの新しい図鑑を見ていると、アユムが慌てた様子で庭から戻ってきた。
いつも一定の態度を貫いている彼にしては珍しい。
アユムは、風にあたりに行ったきり一向に帰ってこないカレンを心配して様子を見に行ってくれたのだ。
「大変です!!カレンさんが庭で倒れていて……!!」
「えっ!?あんたならカレンを運ぶくらい余裕でしょ!?なんで連れてきてないのよ!!」
そう声を上げる自身の主に、アユムは申し訳なさそうにこう続ける。
「それが、カレンさんの周りに妙な結界が貼ってありまして……。自分、魔術に関しては昔からからっきしなので、その結界がどのようなものなのか分からず、下手に手出しができなかったといいますか……。」
「確かに、アユムは昔から計算と魔術が苦手だったものね……。」
「お恥ずかしながら。それで、もしその結界が罠であった場合にこれ以上周りに被害が及んでは、と思いまして、誰か魔術に長けている方をお呼びしようと急いで戻ってきた次第でございます。」
「何とも軍人らしい考え方というか……。アユムはいつも細心の注意を払っているのね。」
「それはお前が能天気なだけだ。」
「うう……。」
天界一能天気といっても差支えがないほどに能天気なレイカに思ったことをそのまま告げてから、俺は自分の義理の兄に向き直る。
「この中で魔術解析が一番得意なのは間違いなくミヤビ兄だと思うんだけど、なんか異常な魔力感じなかった?」
「我は魔術解析などほとんどやったことがないからな。」
プディン様がその手の魔術をあまり使わないのは四天王伝説について詳しく書かれた天界の本を読んだから把握済みだ。
俺の言葉を受けて、うーん、と唸りながらミヤビ兄は言う。
「俺が常時使っている魔力探知でも別に異常な反応はなかったが……。魔力探知は魔力が高ければ高いほど強く反応するから、魔力隠蔽がしにくい魔力が高いやつはどうしても存在を知られたくなくてかつ、近くに魔力探知を使っている者がいるときにしか術を使わない。魔力が低いやつはそもそも魔力を隠蔽できない。すなわち、魔力探知を常時使っている俺がここにいることを想定でき、カレンを倒れさせることをやりかねなくて、魔力が高いやつが犯人だ。俺にはそんな奴は一人しか思い浮かばないが?」
「……。」
その場に沈黙が落ちる。
そう、みんなうすうす気がついてはいるのだ。
絶対にアイツの仕業だと。
「とりあえず結界を解析しにいくか。全く、手のかかる弟だ……。」
そう言って若干半目になりながら、ミヤビ兄は庭へ通じる大きなガラス窓を開けた。
いつも無表情なミヤビ兄を半目にさせるとは。
ツバサ、恐るべし。
「お前達もついてくるか?」
庭に出ようとしたミヤビ兄がこちらを振り向いて俺たちに尋ねる。
「私は行きますよ。解析中のミヤビさんの真剣な表情、眼福ですし。」
「我も同行しても良いだろうか?魔術解析というものに興味がある。フェザーは魔術解析に集中したいと言って、なかなか人前で解析してくれなかったからな。」
「私も行きます。庭はとても広いので、カレンさんがどこで倒れていたか皆さんに案内した方がいいでしょうし、カレンさんを運ぶのは普通に力仕事ですからね。」
「ミヤビさん、力はありませんもんね。」
「トモエは黙っとけ」
「えーっ」
姉貴は本当に黙っていた方がいいと思う。
まあ、急に姉貴が黙ったりしたらちょっと体調が心配になるが。
「私達はどうする?行った方がいいのか行かない方がいいのかわからないのだけど……。」
「ユウトは良ければ来てくれると助かる。お前の知識が欲しいからな。」
「わかった。」
「お嬢様はお屋敷に残っておいてください。もしものことがあっては大変なので……。」
「でも、」
「言い方を変えましょうか。お嬢様はお屋敷を守っておいてください。私達がいなくなった隙に誰かが襲ってくる可能性もゼロではありませんし、私達やアサヒさんはすぐには対応できませんからね。お嬢様がお強いのを知っているからこそここに残すのです。」
「わかったわ!!お屋敷は私に任せなさい!!でも一人はさみしいから、レイカも一緒にいてくれると嬉しいのだけど……。」
「じゃあ私も残るわ。」
ということで、サヤカとレイカはここに残ることになった。
なんというか、アユムはサヤカの扱いがうまいな。
長年一緒にいるからだろうか。
だからといって、俺はレイカの扱いがうまいわけではないよな。
ミヤビ兄は、なんかもういろいろとあきらめている気がする。
仕方ない。
俺が生まれた時からずっと一緒にいるにもかかわらず俺も姉貴の言動は予測できない。
「それじゃあ庭に出よう。アユム、カレンがいたところに案内してもらってもいいか?」
「かしこまりました。至急ご案内いたします。」
「あんた、アホみたいに走るの速いんだから少しはスピード落としなさいよ!!」
「承知しております!!」
そうして、走り出すアユムについて俺たちもカレンの元に向かった。
それにしても手加減してる割には速くないか?
みんな体力がないわけではないのでついていけてはいるが。
本気で走ったら一体どれだけ速いのだろうか。
レイカは屋敷に残して正解だったかもしれない。
アユムが止まったのは、白い花がたくさん植えてある花壇の前だ。
レイカがいればどんな花なのか分かったかもしれないが、今はあまり重要なことではないから今度暇なときにでも聞こう。
アユムが指した方向には、確かに結界が張ってあった。
だが、あまり邪悪な気配は感じない。
結界の近くに行って、半球を描く光の壁に手をかざしたミヤビ兄は、しばらく目を閉じて結界を解析する。
そして数十秒後にゆっくりと目を開くと、こう言った。
「害は全く感じない。しかもこの結界……。」
ミヤビ兄が結界の奥に手を差し伸べると、その腕は何の問題もなく光の壁をすり抜けた。
「俺達なら誰でも入れるようになっているな。魔力も間違いなくツバサのものだ。それに、」
ミヤビ兄は魔力を込めて何かの呪文を唱える。
すると、結界はいとも簡単に消え去り、光で見えにくくなっていたカレンが毛布にくるまれている状態であり、床に横たえられていることがわかった。
「アユム、カレンを屋敷まで連れて行ってもらってもいいか?担がなければならないが……。」
「問題ありません。ただ、毛布があるとちょっと運びにくいので毛布は外させていただきますが。」
そういってアユムは、手慣れた様子でカレンにくるまれている毛布を外し、いわゆるお姫様抱っこでカレンを持ち上げた。
持ち上げた時に失礼します、といったあたりアユムは本当に礼儀正しいと思う。
「体温が全く下がっていませんね。毛布でくるまれていましたし、まるで宝物のように結界に守られていたというか……。」
今の洗脳されたツバサを思い浮かべるが、カレンを宝物のように扱うなどするわけがないと言える。
黄色のヴィオリアの花畑でカレンが泣いてしまうようなひどい言葉をぶつけていたし。
アユムは、今のツバサを知らないからこそこのようなことを言ったのかもしれない。
でも、あんなひどい言葉を言っていたくせに宝物のようにカレンを毛布にくるみ、温度変化の少ない結界で倒れさせているのは事実だ。
一体ツバサは何がしたいのか、謎は深まるばかり。
ツバサの意図が読めなくて頭をフル回転させていると、ミヤビ兄がぼそっとつぶやいた。
「なるほどな。それにしてもまどろっこしいことを……。まあ、自分に近づくことで大事な女の子がひどい目に遭うなら、そうしたくなる気持ちもわからなくはないな。」
「……?」
ミヤビ兄の言葉の意味をじっくり考えてみる。
そして、一つの可能性に思い当たった。
考えてみれば、自分にかかっている洗脳魔法を数か月も研究できるような奴がそう簡単に完全洗脳されるわけがない。
カレンが紙にまとめてくれた日記の内容にも、完全洗脳は免れられると書いてあったではないか。
そして、プディン様の仮説通り、明良を裏で操っている黒幕がツバサに洗脳をかけていたとすれば。
俺の脳裏に思い浮かんだのは始まりの森でクロトが放ったあの言葉。
『こいつ、アレだ!!あの方が探していたヤツだぞ!!』
その ”あの方” が示すのが、この一連の出来事の黒幕だとしたら。
”この一連の出来事の黒幕がカレンを探している”
それを知ったツバサは、その黒幕の配下である自分からカレンを遠ざけようとするだろう。
そして、大切なカレンを黒幕になんか見つけられてたまるか、と考えるはずだ。
『正直君たちに周りをちょろちょろされるとやりにくいしね。』
当たり前だ。
本人が自分の周りにいたんじゃ黒幕にカレンが見つかるのも時間の問題だ。
『よく考えてみれば、どんなに努力したところで君たちが俺の目的をつぶすなんて不可能だ。』
そうだ。
どんなに俺たちが強くなったところで、カレンを黒幕に差し出すだなんて俺たちができるわけがない。
本来の性格のツバサなら、カレンを大事にしているのだから、体調が悪くならないよう温度変化の少ない結界を張ったり、毛布に彼女をくるんだりする可能性も十分にあるだろう。
この仮説なら、俺が目にした今までのツバサの行動全てのつじつまがあう。
つまり。
「ツバサは、最初から狂ってなんかいなかった……?」




