第三十話 ツバサの譲れないもの
私の目の前に再会したあの時と同じ狂気を孕んだ笑みを浮かべながら余裕のある表情で立つツバサ。
周りを漂う黒い人魂は前ツバサと会ったときよりも一回りほど小さくなっている。
そんな彼は、その昔私のわがままを止めてくれたときのような、幼子を諭すような目をしているような気がした。
きっと、そんな気がしているだけで目の前の男はもう洗脳されてしまっているのだろうけど。
この前目にした洗脳されて狂った彼を見る限り、その彼が幼子を諭す大人のような理性的な目をするわけがないのだ。
ツバサは今、私の知っている本当のツバサじゃない。
ここ数日で少しずつ受け入れてきた事実に胸が苦しくなるが、彼の洗脳を解くと決めたのは自分なので、まずはちょっとした話から入って彼の心の真ん中のところに触れるように誘導することにした。
「数日ぶりだね、ツバサ。あなたの言いたいことはこの前もう言ってくれたと思うのだけど、まだ言い残したことがあったの?」
私は昔から、こういう真剣な会話が苦手だ。
どんな言い方をすれば相手を刺激せずに済むのか、どのようにすれば相手を自分にとって有利な方向に引き込めるのか、よくわからない。
話術はそこまで得意ではない私が、どこまでツバサを誘導できるのかなんて、知る由もない。
剣術や魔術だけじゃなくて話術も勉強しておけばよかったな、なんて今更後悔しながら、私は目の前の男が言葉を返すのを待った。
「この前言った通りのことだよ。これ以上俺の周りを詮索しないで。そんなことされたら俺の目的に支障が出るし、迷惑だ。」
「自分のやりたいことのために行動をするのはいけないこと?ツバサも今やっているじゃない。」
「俺のは事情が違うんだよ。」
「どう事情が違うのかは知らないけど、私だって自分の目的くらい果たしたいわ。ツバサが何を企んでいるのかは知らないけど、それが誰かを傷つけたり悲しませたりするものなら、私は全力で止める。」
「立派な正義感だね。正義のヒーローにでもなったつもり?」
「そうかもね。ただのヒーロー気どりかも。でも、私にこんな正義感を教えたのはツバサだよ?」
「……そうだっけ。もう忘れちゃったよ。」
「ツバサは忘れているのかもしれないけど私は覚えているよ?」
「まあ、好きでも何でもない人との記憶なんてすぐに忘れるしね。」
「あなたは私のことどうでもよくても、私はどうでもよくないから覚えてる。」
「好きでもない人にそんなこと言われたってなんも心が動きやしないよ。」
「言いたいから言っただけよ。別にあなたがこの言葉に影響されなくても、伝えてみることが大事なの。」
ツバサから連続で来る精神攻撃。
洗脳されているとはいえ、ツバサ本人からの私をそこまで大切に思っていないという言葉は、結構心に来るものがある。
でも、ここで泣いてしまったら誘導なんてできるわけがないから今泣きそうなのを我慢して言い返す。
少しずつ、私との思い出に触れたら、少しは良くなるのだろうか。
そんな保証はないが、黒幕さんに勝負を仕掛けに行く直前まで私を大切に思ってくれていた本来のツバサの人格が少しでも戻る可能性に賭けてみる。
「ツバサ、あの日まで私のそばにいてくれてありがとう。私が今ブロウ村で幸せに暮らせているのは、ツバサのおかげだよ。昔、ツバサが私に正しい人との関わり方を教えてくれたから私は少しでも変われた。あなたにとって私がどんなにどうでも良くても、私は良くない。」
「そんなこと言われたって……。」
「手紙、すぐに送ってあげられなくてごめんね。私、ずっとツバサからの手紙を待っていたんだけど、お父さんとお母さんが隠しちゃったの。こんなことを言っても言い訳にしか聞こえないかもしれないけど、本当のことなの。信じてくれなくてもいいけど、これだけは分かってほしい。私の最初の旅の目的はね、あなたと会うことなのよ、ツバサ。」
「でも、」
「だけど、それは最初の目的。今の目的はね……。」
ツバサはこういうときの頭の回転が速いから、何を言い返されるかわからない。
だから、私はツバサが口を挟む隙がないように若干早口で話す。
「本来のツバサと会うことよ。そして、ツバサに罪を重ねさせないこと。悪いことをして後からつらいのはあなたよ。今までどんなことをやってきたのか私は知らないけど、これ以上悪いことをしないで。因果応報、これもあなたが私に教えたことだわ。」
「……。」
「ツバサにとって目的がどんなに大事なことかわからないわ。どんなにつらい思いをしても構わないからその目的を達成するというくらいの熱量があったとしても、私はあなたがこれ以上悪事を重ねるのは全力で阻止する。ツバサは忘れちゃっているのかもしれないけど、私の本来の性格はね、わがままでしつこいのよ?」
「ツバサがどんなに身の回りを詮索してほしくなくても、私のことをどうでもいいって思っていても、私は自分の目的を達成するわ。それこそ今のツバサみたいに、全てを投げ打ってでもね。」
「カレン、それ以上は」
「だって私にとってのツバサは、大好きで大切な親友だもの!!」
ツバサは見るからに動揺している。
少なくとも最初ほどの余裕はないみたいだ。
「カレン、本当に君って人は……。」
若干呆れた顔のツバサからは、昔の彼の面影を感じた。
少しは戻ってきているみたいだ。
でも、おかしくない?
ツバサを超える魔力を持つ人の洗脳って、そんな簡単に解けるものなの?
「そんな風に言われたら決意が揺らぎそうだよ。でもカレン、ごめん。」
少し、嫌な予感がする。
「カレンが大切だからこそ、ブロウ村が大好きだからこそ、俺は目的をあきらめることも譲ることもできないんだ。せめて、ことが一段落つくまでは、」
そういってツバサは私の肩をつかんで、私の瞳を見つめる。
ツバサが私への視線に力を籠めると、その藤色の左目は赤味を帯び始めた。
彼の胸元で光っている思い出の赤の天魔石もより強く輝きを増してる。
「え、」
戸惑うのもつかの間、どくんと心臓が脈打って、ツバサの瞳に映り込む私の目はうつろになる。
頭もぼーっとしてきて、まともに思考回路が働かなくなった。
これは、魅了魔法?
いや、ちょっと違うかも。
「つばさ?」
そう幼い声音で目の前の彼の名前を呼んだが最後、私の意識は遠のいていく。
「ごめんね、カレン。こんな手荒な真似をして。でも、君が俺にとって大切な人だからこそ、こうするしかなかったんだ。せめて、いい夢を見れるようにはしてあげたから。ことが落ち着くまで、幸せな世界で眠ってて。おやすみなさい。」
意識の片隅で優しい声音でそう話す私の知ってるツバサの声が聞こえた直後、私は意識を手放した。
私が意識を手放した後、ツバサが1人でカレン、ごめん、本当にごめん、と繰り返し呟いていたことなんて、誰も知らない。
*****
ひとしきりうずくまって懺悔の言葉を繰り返した後、少年は立ち上がって、すっかり元の色に戻った瞳を闇を薄く照らす月に向ける。
「少しずつタイムリミットも長くなってきたかな。この調子なら計画通りにことが進みそうだ。俺が自分のために戦っているだなんて、君は考えたことすらないんだろうなあ。」
その月を映した瞳に、先程までの狂気は微塵も感じられなかった。
そう言って少年は目の前ですやすやと眠る少女を見てふっと表情を緩める。
「俺の考えていることなんてわかってくれなくてもいいけど、君のためにももう少し大人しくしていて欲しいかな。派手に行動してあの女に目をつけられでもしたら、いくら俺でも守りきれない。」
体を冷やさないようにね、と呟いて少年は、少女の周りに結界を張り、魔法で生み出した毛布を彼女にかける。
「彼らならきっとすぐに君のことを見つけてくれる。もし次に会う機会があった時に何を言われるかはわからないけど、彼らのためにもここはしばらく立ち止まってもらわないと。」
少年は自身の背中にある魔族の羽を羽ばたかせ、空へと舞い上がる。
「そろそろことが一段落つく。この作戦が成功すれば俺は、もっと自由に行動できるようになる。きっと影から彼らをサポートするのも簡単にできるんじゃないかな。」
少年は闇に溶ける直前、笑みを浮かべてこういった。
「俺は、君と俺たちの村の安寧だけは絶対に譲れない。例え全てを投げ打つことになってでも、例え君が、俺のことを嫌いになってしまったとしても。」
そんな少年の言葉は、誰にも届かず夜の闇に溶ける。
それと同時に、少年の姿も夜の闇に溶けた。




