ころりころりと振り返り
夏の終わりに少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです。
梅雨が開けた夏の初夏、私は叔父の伝手で都会から田舎に越してきた。
車で緩やかに曲がりくねった長い坂を登る。
これから私が住む予定の我が家が見えて来た。
結構古い一軒家だが縁側や庭があり、窓からの眺めも悪くないらしい。
車を庭先に停め、敷地の外に出て直ぐ隣りにあるガードレールを掴み、景色を眺める。
山の中腹にある家からは下を見れば絶景が、上を見ればコンビニが見える。
そうコンビニが近いのだ。
ここに住むのを決めた理由の一つだ。
田舎とはいえ、コンビニが近くにあるくらいの田舎なので、近くにあれば割となんとかなると思ったのだ。
このコンビニは、もう何年も昔からあるコンビニで突然なくなるなんてことはないだろうと聞いている。
安心して新生活をエンジョイできる筈だったのだ……
だが……
コンビニから五分の家だと聞いていたが文字通り、コンビニから五分だった。
家からだと『コンビニから五分かかる階段』を、永遠と登らなければならない。
道路を挟んで、家の正面には手摺すらない階段が永遠とコンビニに向かって伸びているようだ。
引っ越しの荷物の整理や片付けがある程度終わり暗くなるまで、縁側や窓から階段の様子を伺っていたが、誰一人として階段を利用する人はいなかった。
階段を利用する人は居なかったが、この辺で一軒しかないと聞いていただけに、コンビニに車や徒歩で階段を迂回していく人達は結構いた。
なにがおかしい……
おかしいのは登りだけではなく降りでも、誰一人として階段を利用していなかったからだ。
わざわざ、迂回して降りてくるのだ。
遠目からでは分からないが、あの階段はどこかに崩れていて危ないのだろうか?
無性に気になった私は、引っ越しの荷物を運び終わった後、戸締まりをするとコンビニに行くついでに確認しようと思い、階段を下から見上げていた。
懐中電灯で階段を照らしてみても苔さえ生えていない、しっかりとした石造りの階段だとわかる。
そう、苔さえ生えてはいないのだ。
「苔がないから転ける事も無いってね!」
虫の声が唐突に止み、静寂が訪れる。
え? なんで?
意味がわからず、無性に怖くなり家に帰ろうかと振り返る。
「こりゃ!」
振り返ると、背後から怒鳴り声が聞こえて、また振り返る。
誰も人がいなかった……
「下じゃ! 馬鹿もんが!」
声に導かれるまま下を見ると、腰が曲がり杖に両手を乗せどっしり構えた爺さんが眩しそうに目を瞑り、こちらを見上げていた。
「上から懐中電灯で照らすでない、眩しかろう!」
「さーせん……」
眩しさに目を細めた爺さんが片手を振り上げて抗議する。
「下から懐中電灯で階段の上を照らすでない、眩しかろう! 足元を照らせい!」
「誠に申し訳ありません……」
確かにその通りだ。
反射的に謝り、お辞儀する。
「わかりゃよかよか」
爺さんはカカカッと笑い去っていった。
「階段使ってる人いるじゃん……」
なにも問題がなさそうなので、私は階段をひいひい言いながら登っていった。
登り切る頃には、じんわりと汗をかき、愚痴を漏らす。
「いや、これは迂回したくなる気持ちもわかるわ……キツイわ……」
ぜぇ……はぁ……と乱れた呼吸を深呼吸をして整えると、裏手にあるゴミを纏めてある辺りからコンビニの入口に周り、中へと入る。
冷たい冷気が身体の上から下までを突き抜けるように包んでくれる。
「楽園はここにあったのか……」
青年店員が気だるげな感じで一瞬だけこちらに視線を送り、感動に打ち震える私に声を掛け、喜びを分かち合ってくれた。
「しゃっっっ~せぇっっっ~……」
まじまじと直視せずに直ぐに視線を戻す配慮も素晴らしい……うん。
ガサゴソと店内を漁り、戦利品を獲得していく。
『冷たいビール』『おつまみ』『アイス』『コンビニの弁当』もちろん暑いので弁当は温めない!
お会計を済ませると、外に出る。
再びコンビニの裏手までやってくると家を見下ろし、階段を降るだけなので構わんだろうと缶ビールを空けて『グビッグビッ』と飲み干す。
「カ〜ッ〜、上手いねぇ!」
階段登りで、熱くなった身体を内側から冷やしてくれるねぇ。
一本を飲み干すと、残りは帰ってから飲もうかと空の缶を袋に入れアイスを取り出す。
冷たい表面に齧りつくと鼻唄混じりに階段をご機嫌で降っていく。
ん〜、登りとは違いコンビニで適度に冷えた身体に冷たいアイス! 実に素晴らしい! だがどうだろう……階段を中程まで降った頃、身体を内と外から冷しすぎたのせいか、先程から身体が冷える冷える。
「帰ったら温かい風呂でも沸かして浸かりたいねぇ……」
そしたらまた冷蔵で冷やし直したビールで一杯やるのだ。
「これからの新生活に、人生に乾杯ってな……おっとっと!」
暑さで中程まで食べたアイスが溶けかけていたので、垂れた部分を舐め取ろうとしたら体制を崩してしまう。
「危なく踏み外す所だった。階段で転んだら洒落にならん……」
『ベチャッ……』
背後から嫌な音がした。はじめの音は自分の声で聴き取れなかったが『ボトッ……ベチャッ……ボトッ……ベチャッ』と二回、聴こえた後、大勢が水たまりの中を走るような足音が聴こえて近づいて来た。
嫌な予感と悪寒がして、大慌てで後ろを振り返ると『目があった……』
階段の丁度良い高さで、視線が合う、血管が浮き出た、大きな『目玉』が二つ、こちらを見つめていた。
ゾワッっと全身に寒気が駆け巡った。
目玉から溢れているのか水が涙のように階段を伝って流れ落ちている。
濡れて広がる周りにはびっしりと足跡が残ってた。
裸足の子供の足跡のような……
ボトリッ……間抜けな顔をした私の手から溶けたアイスが落ちて、目玉の視線がアイスの方を向いた。
その隙に脱兎の如く階段を一段飛ばしで駆け降りていく!
はっ? なんだありゃ?
背後からはベチャッベチャッベチャッベチャッと水の中を走る足音と目玉が跳ねる音が追いかけてくる。
恐怖のあまり、振り返ることもできずに一心不乱に走り続け、階段の終わりが見えた頃、背後が気になり、走りながら後ろを振り返ると、先程より近い位置にある目玉が転がりながら、こちらを見上げ、視線を投げかけてくる。
足跡も、あと一歩で追いつく位置で追いかけてきていた。
背中を何かに掴まれたような気がして視線を向けるとシャツが引っ張られていた。
小さな子供の手でいくつも引っ張られた後がつき、背中越しでもわかるほど伸びたシャツが視界に入り込む、恐怖で視線が離せない中、掴む量が増える度に少しづつ走るスピードが落ちる。
もう駄目だ……
全力で走った疲れと、背中を掴む力の強さに足を踏み外し、残り数メートルの階段を転げ落ちる。
頭から地面に落ちるかと思ったが、背中を引かれたことで起動がズレて階段の横にあった枯れた茂みに頭から突っ込み、突き抜けるように道路に転がる。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロと身体が回り、うつ伏せで大の字になると背中をバシンッと叩かれる。
『きった……』
バシンッバシンッ……と何度も更に杖で叩かれる。
「コリャ! 坊、階段から転げ落ちるでない、危なかろう!」
私が怯えきった顔を上げると階段を登る前に出合った爺さんが、こちらを見下ろしていた。
「坊、顔切ったんか? 血ぃ出とんぞ! ええぃ!」
爺さんは手ぬぐいを取り出すと頬に垂れている血を拭ってくれたあと、奇麗な面を傷口に押し付け、私の手に持たせた。
「……目玉は?」
恐る恐る振り返りながら、立ち上がると爺さんが
「なんじゃ、わからんこと言うとらんで、帰って傷の手当をしたら、さっさと寝ぇ! もう日付も替わるでなぁ!」
と言ってきた。
階段を見つめるもそこには目玉も水に濡れた足跡もなくなっていた。
「はい、わかりました……」
呆然と呟くように応える。
「よかよか、坊は良い子じゃ、カカカッ……」
爺さん一度だけこちらを寂しそうに見上げるとバシンッと杖を持っていない方の手で叩くと、もうこちらを振り返らずに階段を登っていった……
この後、私は言われるがままに家に帰り、さっさと寝た。
気を失うが如く、すんなりと深い眠りに落ちることができた。
翌朝目を冷ますと外はバケツをひっくり返したような土砂降りで、梅雨が戻ってきたかのようだった。
仕方なくその日は、引っ越しの荷物を片付け、昨日買った弁当を食って、おつまみをおかずに酒を飲み、アイスをのんびり食べていると雨が上がってきた。
局地的豪雨というやつだったのだろうか……雨が上がると私は黙々と荷物を車に積み込み、街を出た。
そうしなければ行けない気がしたからだ。
帰すがら、通ろうとしていた道が昨晩のうちに崩れたのか通行止めになっていて、かなり迂回したが元々住んでいた町に帰ってきた。
ちらりと爺さんに渡された手ぬぐいを見つめる。
その日から暫く叔父のうちに泊まり、新しい家を見つけるとさっさとそちらに移り住んだ。
叔父には落ち込んで田舎に引き篭もるって言ってたくせにもう良いのかとか、なぁに女なんてまたすぐ出会いがあるさとか、碌でもないことを延々と語られたが、新しい家が決まった日、家を出るときに驚いた顔をすると私のズボンのポケットを指差し、訪ねる。
「それ、おめぇの爺さんが使ってた手ぬぐいだろう? 向こうから持ってきたのかい?」
「ああ、爺さんの形見にしようと思ってさ」
叔父は気まずそうに呟き、後頭部を掻く。
「爺さん逝くときはなんの前触れもなくころりと逝っちまったからなぁ、あのときは葬式にも呼べんくて悪かったなぁ……」
「大丈夫、家もあのときはごたごたしてたから。じゃあ、叔父さんいろいろとありがとう」
薄い緑色で小判柄の手ぬぐいを服の上から優しく撫でると笑顔で叔父に別れを告げた。
あの日……僕は夢を見た小学生低学年だった頃の夢だ。
学校で辛いことがあり、僕は田舎のお爺ちゃんの家に預けられていた。
中学を卒業するまで背の低かった僕は、大きな爺ちゃんを見上げて、いつもいつもついて回っていた。
泣き虫だった僕は良く、辛かったことを思い出し、泣きじゃくっていた気がする。
僕が泣きじゃくる度に、お爺ちゃんは手ぬぐいで顔を拭いて、子守唄を歌って寝かしつけてくれた。
暫く経った頃、お爺ちゃんが近所の子供達だと言って友達を連れてきてくれた。
皆とは直ぐに仲良くなり、僕はあまり泣かなくなった。
家の前の森で皆と色んなことをして遊んだ。
お爺ちゃんは僕や子供達に混ざって良く遊んでくれた。
今なら昨日のように、その日のことを思い出せる。
でも結局は一年程で、お母さんが迎えにきて、町へ帰った。
一年だけだったが皆と仲良くなり、爺さんには優しくして貰った。
だから、いざ帰ることになると『もっと友達やお爺ちゃんといたかった』と僕は大泣きして、いつものようにお爺ちゃんが寝かしつけ、寝りに落ちるとき『辛かったら、またいつでも遊びに来るとよかよか、皆で待っとるけぇ』と囁かれた。
眠りから覚めて気がついたときには、もう自分の家の中だった。
お母さんは『気難しくて怒りっぽい、お爺ちゃんがあんなに親身になってくれるなんて不思議ねぇ』と聞かれたが、僕が不思議そうに『ずっと優しかったよ』と答えると狐に抓まれたような顔をしていた……
階段の下で倒れているとき、爺さんを見上げたこと、昔の夢を見たことで、私は幼い頃の記憶を思い出せたらしい。
爺さんはあんなに小さかったんだなぁ……
それからは、何故か手ぬぐいを手放せず、大切に持ち歩くようになっていた。
怪我をした女性に渡してしまったり、泣きじゃくる子供達の涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったりしたが、今では弁当を包むのに使っている。
今日も愛する妻から弁当を受け取り子供達の頭を撫でて、仕事に出かける。
今でもあの日のことを良く思い出し、振り返る。
あの日、階段で追いかけてきた沢山の足跡。
あの日、寂しそうに去っていった爺さん。
あの日、私は爺さんに助けられたのではなく。
あの日、私は皆と遊んでいただけなのかも知れないと。
『ころりころり』に因んだ設定を色々盛り込んで、テーマにそって書いてみました。