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恋文屋-蓮次郎-  作者: 行雲流水
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買い物をしに

3月20日


今日は帳面を買いに向かった。

叔父さんと惣佐の家は商店街から少し奥にある路地にあり、民家の間を抜けるとすぐに商店が目に入った。

野菜に魚に雑貨に文具に、何かと必要なものが買いやすいのはありがたく、逆に居酒屋や食事処といったものはあまり見当たらない。

元々叔父さんも惣佐も夕方には家にいて、外に飲みに行く様子も見ないから大抵のものはこの商店街でまかなえているのだろう。

私が文具屋に入ると、眼鏡をした白髪頭の老人がちらりとこちらを見た後、手元に視線を戻した。

老人は小上がりにあるちゃぶ台の前に座ったまま、煙草を取り出して煙管にさしていた。


「ごめんください、帳面はどこにあります?」

「ああ、あっちの棚だよ」


煙管にさした煙草をふかしながらぶっきらぼうな口調で言う老人の指さした棚に向かい、私は何冊か帳面を引っ張り出した。

新しい帳面は表紙がつるつるとしていて肌触りがよかった。

それから後は鉛筆を数本、消しゴムといった具合に手に取っていると、不意に老人の方から声をかけられた。


「柳原さんとこの姪っ子かい?」

「はあ、そうですけど……よお分かりますねえ」

「ここらで京都弁なんか話してんの、あの人くらいだよ。 ちょいと前に、万年筆を姪っ子のために買ってたからすぐ分かった」


言われてみればそうだ。

まだ東京に来て日の浅い私ならともかく、20歳の時から東京にいるのに叔父さんは未だに京都の言葉で話している。

ここらに住んでいる人たちなら叔父さんのことだってよく知っているだろう。


「私、柳原 笑美子っていいます。 どうぞよろしゅうに」

「はあ、しっかりした子だ。 柳原さんも礼儀はしっかりしてんだがね、ほら、どうにもあの人、あれだろう」


老人は初めてこちらをちゃんと見ると、あれだろう、と言ってずっこけるような仕草をしてみせた。

それで大体何を言いたいのか分かってしまった。

私は思わず笑ってしまいながら、帳面や鉛筆の会計を頼んで、商品が包まれる間、何とはなしに店内を眺めてみた。

そう高くない天井、並んだ棚。

商品は万年筆のような高級品よりは、実務用品の類が並んでいて、使い勝手のよさそうなものばかりだ。

女学校に通うようになったら、ここに来る回数も増えるだろう、そんなことを考えていると老人が紙袋に包んだ商品を差し出してくれた。


「はいよ、お嬢ちゃん。 来月には女学生になるんだって? 勉強頑張んなさいよ」

「ありがとうございます、叔父さんからも励ましてもろてますさかい、よう気張ります」

「気を付けて帰りな」


しわしわの手を持ち上げて笑う老人に頭を下げて、紙袋を手に外へ出た。

まだ日差しは高い。

少しくらい、寄り道をして帰ってもいいのではないだろうか。

思えば東京に来てから、制服を買いに向かったりしたけれど、商店街はさほど見てこなかった。

何分近くにあるのだから、わざわざ案内してもらおうとも思わなかったし、京都から届いた荷ほどきやらで家にこもる時間が多かったのも事実だ。

うちの実家も京都で雑貨屋をやっていることもあって、こうした商店の並ぶ様子は懐かしさを感じた。

そうして歩いているうちに、本屋が目に入った。


「そういえば、叔父さんの本って読んだことないなあ」


考えてみれば、私は小説を普段は読まない。

少女小説に載っているような短編は読んだこともあるのだけど、そう読書家というわけではない。

父は書斎を持っていたけれど、私は普段は入れてもらえないし、母も本を読めというような性格ではなかった。

本屋の敷居をまたぐと、少し埃っぽいような紙の匂いとインクの油っぽい香りがした。

壁際には大きな本棚が並び、そこにぎっしりと本が詰まっている。

通路は人が2人並んで歩くのがやっとで、とにかく見通しの悪い店だった。

店主の姿は見当たらず、奥にいるのだろうと先に進む。

私が少し本棚に視線を向けると、並んでいるのは洋書だと気づいた。

どうやら、ここは私のような小娘が読む本を取り扱っている店ではなかったらしい、そう思うと、少し居心地の悪さがあった。

なんとも難しい、頭の良い人向けの本が並んでいる場に、こんな子供がいるだなんて店主も冷やかしと思うだろう。

戻ろうと振り返ると、一瞬、目の前に壁が出来たように感じた。


「なんだ、お前か」


壁、と思ったのは惣佐だった。

紺の着物を着て、片手には分厚い本を持っている。


「惣佐さん、どないしたんです?」

「買い物だよ。 辞書が欲しかったんだ」

「辞書、ですか? なんで?」

「なんでって、海外の本を読むのに使うんだよ」


惣佐は相変わらずぶっきらぼうな口調だけれど、海外の本を読む、という言葉でようやっとぴんと来た。

なるほど、叔父さんの代わりに辞書を買いに来てくれたのか。

先日の話でも分かったけれど、惣佐は武骨でいかめしい外見をしている割に、内面はとても純粋な人なのだろう。

なら、友達である叔父さんのために買い物に来てくれたということもよく分かる。


「それで、お前は。 女学校の授業で使うもんでも買いに来たのか」

「いやあ、叔父さんの書いた本でも見に、と思ったんやけど……ここの本、どれも難しいもんみたいで」

「ここは専門書が基本だからな。 蓮次郎の本が読みたいってんならあいつに直接言えばいいだろ」

「なんかそれ、恥ずかしいやないですか」

「なんでだよ」

「なんでって……身内やもの」


私が視線をそらして着物の裾をいじるのを見ながら、惣佐は理解できないとばかりに首をかしげていた。

お互いに身内だから、作品に興味はあるけれど、読ませてくれというのはなんとなく気恥ずかしかった。

それに叔父さんの方も、自分の書いたものを身内に見せる、というのは恥ずかしいのではないか、と思ってしまった。


「私、もう帰りますさかい」

「そうか、気を付けて……」


そこまで言って、私たちはお互いの顔を見合わせた。

体格の良い惣佐がいると、この書店の通路はほとんど埋まってしまっている。

私がいくら小柄とはいっても、この通路ですり抜けるとなればかなり密着することは避けられないだろう。


「あー……私、いっぺん奥いきますさかい」

「いや、俺が一旦外に出るから」

「いやいや、気にせんでくださいよ」

「お前が帰る方が先でいいだろう」

「でも、気ぃつかわすの申し訳ないやないですか」

「お前なあ、子供がそんなこと言うんじゃねえよ。 変な所ばっかり蓮次郎と同じか」


惣佐は眉根を寄せながら、ぶっきらぼうな口調でぼやいていた。

結局、惣佐が一旦来た道を戻ってくれたことで、私が店の外にでることができた。

帰り道、帳面の入った紙袋を手にしながら、私はなんだか不思議な気持ちがしていた。


叔父さんのことを惣佐は気遣い症のように言っていた。

でも、私が知っている叔父さんと言えば、役者さながらの二枚目顔に喜劇のようなマヌケな姿。

その叔父さんもあれこれと気を遣うようなところがあるのだろうか。

不思議な心地で私は帰り道を急いでいた。

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