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恋文屋-蓮次郎-  作者: 行雲流水
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海老茶式部

3月10日。

今日は仕立て屋に私が4月から通うことになる女学校の制服を取りに向かった。

叔父さんが付き添ってくれ、一緒に家から路面電車に乗って仕立て屋の並ぶ通りまで向かうと、ガラス張りの店の中に入った。

叔父さんは相変わらず洋装で、濃茶の背広に縞模様のラッパズボン、鼠色の中折れ帽をかぶった紳士然という恰好で、街を歩いているだけでもちらちらと叔父さんの方を向く女性が何人もいた。

もっとも、この紳士然とした顔で話口調は間延びした京都弁、おまけに路面電車から降りる時にはステップを踏み外して転ぶという喜劇じみたことになったのだから、本当に叔父さんは顔だけだ。


店の中に入るとすぐに前掛けをした中年の婦人が駆け寄ってくれ、店主らしい男性に叔父さんが私の名前を告げていた。


「制服の注文をしておりました、柳原 笑美子と保護者でございます」

「はい、制服、届いておりますよ」


のんびりした叔父さんの口調とは真逆に、店主さんの口調はきびきびとしており、すぐに私の制服が包まれた紙を持ってきてくれて、長机の上で紙をめくり、制服の確認をさせてくれた。

矢絣の長着に海老茶の袴。

子供の頃に京都の町で見かけた女学生さんたちが着ていたのと似ているが、帯留めの校章は流石に違っている。

もう4月にはこの制服を身に着けて学校にいくのだ、と思うと胸が高鳴る思いがした。

父があらかじめ東京に送ってくれた荷物の中には制服に合わせるために頼み込んだ革長靴もあり、自分が着るのが待ち遠しかった。


「最近は水兵さんみたいな制服もあるけど、僕はこの矢絣と袴の方が好きやわ、エミちゃんも似合うやろなあ」

「あのスカートのやつやろ? 私も、あっちより袴がええわ。 足が出るのはどうも好かんの」

「あれはあれで颯爽としてて洒落てるんやけどなあ」


制服の入った紙袋を叔父さんが持ってくれて、ぶらぶらと歩いて帰ることにした。

別に来しなと同じように路面電車に乗ってもいいのに、叔父さんはわざわざ歩いて帰ろう、と言ってくれたので、多分、私に浅草の街並みを見て歩かせたかったのだろうと思う。

家から学校までは歩いて30分ほどの距離で、大通りを進んでいけばつくから道に迷う、ということもないだろうけど、街になじみがないとどこを歩いているか実感が持てない、というのも心配だったのだろう。


東京の街は職業人が多いように感じた。

京都はやはり呉服の街で、大正の今でも普段着は和服の人が多いけれど、東京の人は皆すまし顔で背広や、スカートを着た格好の人たちが足早に歩いている。

丸の内の方にいけば大学を出たサラリーマンだとか、タイピストも多くいるのだろうと思うが、浅草は逆にそうした人たちが息抜きに来ることが多いのだと教えてもらった。

浅草六区という映画館の並ぶ通りを進みながら、私達は家までの道を歩いた。

家についた後、私は叔父さんに促される形で制服を実際にきてみることにした。

袴を身に着けるのは初めてで、少し手間取りはしたけど、七五三の時以来の緊張感を覚えた。


「まあ、まあまあ、似合うわね」


お昼の支度をしてくれていた吉田さんに叔父さんが呼んで、私は2人の前ではにかみながら自分の袴姿を見せた。

鏡の前でも見たけれど、人の目にもきちんとした女学生に見えているのだろうか、と思うと少し緊張する気持ちがあって、背筋も肘もぴんと伸びた。


「ええなあ、海老茶式部」

「海老茶式部?」

「女学生さんは海老茶の袴はいとるやろ? せやから海老茶式部」


叔父さんは暢気にそんなことを言いながら楽し気にして、背広に豚毛のブラシをかけていた。

私はそんな風に女学生を呼ぶことを知らなかったけれど、自分がそうした1人になるのだと思うとなんとなく誇らしいような気持になっていた。


「学校行くようになったら、惣ちゃんともよう会うやろから、ちゃんと挨拶するんやで」

「え? 学校の近くで働いてんの?」

「そうや、エミちゃんの学校から近いから、昼時なんか会うんとちゃう?」


あの極道者にしか見えない男が学生街で何をしているというのだろうか。

もしかすると、苦学生相手の金貸しでもしているのだろうか、と私は苦い表情を浮かべていたが、叔父さんはそんな私の様子など気にかけていないかのようにニコニコと笑っていた。


昼ごはんを食べた後、叔父さんのお客が家を訪ねてきた。

以前に吉田さんが言っていたように、入学祝の代書の依頼だそうだ。

付き合いのある人のお祝いの手紙なら自分で書けばいいのに、と思うのだが、実際問題叔父さんの字は綺麗なものだということを見せられた。

というのも、叔父さんが小説のネタ出しにと使っている雑記帳を見たのだけれど、真っ白な帳面の上に方眼でも書かれているかのようにびっちりと同じ大きさで、真っすぐに整列した文字が並んでいるのを見た。

それも、一つ一つの文字がきちんと同じような大きさで、読みやすくて、これならば近所の人が代書を頼みたいというのも分からなくない。


「叔父さん、うちの家の代書もしてくれたらええのに」

「兄さんの商売やもの、頼まれたらやるけど、僕から口出したら大きなお世話やろ」

「兄弟やのに変な遠慮するんやね、叔父さん」


そういうと叔父さんはどことなく困ったような雰囲気で笑っていた。

私はもしかすると、叔父さんは兄さんとの間に何かあったのだろうか、と少し心配になった。

とはいえ、本当に兄さんと叔父さんが仲が悪かったりするんなら、私の下宿なんて叔父さんが断るだろうし、考え過ぎなのかもしれない。


夜には惣佐さんも帰ってきて、私達は三人そろって夕飯を囲んだ。

夕飯は麦飯にカブの漬物と味噌汁、それから焼いたししゃもだった。

私はまだ惣佐さんのことが少し怖かったのだけれど、よくよく考えてみれば今の所、別に彼から怖がらせるようなことはされていないので、勝手に怯えているのも失礼だろうか、という気持ちもあった。

とはいえ、叔父さんのように「惣ちゃん」なんて声をかけられるほど親しみも感じない。

そんなことを考えてちらりと視線をやると、ちょうど惣佐さんの茶碗のご飯がほとんどなくなっていた。


「ご飯、おかわりしはりますか」


私がそう問いかけて、茶碗を受け取ろうとすると惣佐さんは一瞬目を丸くしてから、すぐにむっと眉根を寄せた。


「女中じゃねえんだ、そんなこと気にすんな」


ぶっきらぼうに言うなり、惣佐さんは自分でおひつの所まで行って、茶碗に麦飯を盛り付けていった。

気を使ったつもりだった私は少し腹が立つ気持ちもあったけれど、多分無骨な任侠ものなのだろう、と大人になることにした。


「堪忍なあ、惣ちゃん、シャイやねん」


そんなことを言って叔父さんは惣佐さんに頭をはたかれていた。

なんとも、この2人がこれほど仲のいい理由が私にはまったく思いつかない。

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