浅草到着
大正14年、3月1日。
4月から東京の女学校に入学するために上京した私は、上野の駅に降りて叔父さんを見た時思わず胸が高鳴った。
切れ長でくっきりした目元、墨で引いたような眉に鼻筋の通った役者のような顔立ち。
服装は糊のきいた白シャツに鼠色の背広を着て、帽子をかぶった伊達男。
道行く人が思わず振り向いてその姿に見惚れるような男ぶり。
叔父さん……柳原 蓮次郎は駅の前にまるで絵物語から飛び出たような姿で佇んでいた。
銀幕の登場人物のようなその姿に風呂敷を持ったまま、駅を出て硬直していた私を前に、叔父は一度大きく頭を揺らした。
「えっきし!」
盛大なくしゃみをして、自分の口元をハンカチで覆うなり、叔父は私の方へと顔を向けて、そこでようやく私の存在に気付いたようだった。
「あー! エミちゃん、久しぶりやなあ、おっきなって~」
何故、大人というものは久しぶりに会う子供全てに大きくなったというのか分からない。
ただ、この目を見張るような伊達男である私の叔父は、口を開けば残念極まりないことに三枚目だということは十分に理解できた。
「叔父さん、お久しぶりです。 お世話になります」
京都に実家のある私は、4月からこの東京で暮らすに当たり、作家をしている叔父の家に下宿をさせてもらうことにしたのだ。
叔父は20歳の時に家を出て、作家としてこの東京で暮らしているらしい。
私が読んでいる少女雑誌には叔父の書いた話は載っていないが、実家で父の書斎に叔父が今までに出した本が並んでいるのを見せてもらったことがある。
叔父の服装を見る限り、売れっ子というものなのだろうかと思うと、この外見と売れっ子作家という肩書に反した言動がなんとももったいなく思えてしまう。
「ええんよ、エミちゃん、そんなかしこまらんで。 僕のことは蓮ちゃんとでも呼んでや」
「それだと父と変わりません。 それに父からは何事もきちんとせよと言われてますさかい」
「ほんま、兄さんは変わらんなあ。 ほな、ぶらぶらいこうや、家は浅草にあんねん」
そこから叔父に連れられて路面電車に乗り、浅草まで連れられた。
京都はいまだに古い町屋が軒を連ねているのに、東京の街はコンクリートやレンガの洋館も多く、背の高い塔のようなものが見えて私は私は叔父にその建物を尋ねた。
「叔父さん、あれなんなん? あんな高いの初めてみたわ」
「ああ、浅草十二階やね。 まあ……あんま近寄ったあかんで、あそこらは酔っ払いも多いさかいね」
へえ、なんて言葉を言っているうちに叔父に連れられ、私は徐々に小さな道に入っていった。
大通りは石畳でも流石に路地に入ると、街並みは京都とそこまで大きな差はなかった。
土塀が並ぶ住宅街で、平屋の二階建ての前に来ると、そこには柳原といううちと同じ苗字の表札がかかっていた。
「ここがこれからエミちゃんが暮らすうちやで、部屋を案内しとくわ」
玄関の敷居をまたぐと畳の青々とした匂いと古い紙の混じった不思議なにおいがした。
土間を上がって進んで右手に台所、縁側のある左手が居間、その奥が板葺きの洋間で応接室、それから少し小さな叔父さんの書斎が1階にあった。
台所の脇の急な階段を上って2階にあがって一番最初の部屋が私の部屋だと言ってもらい、その隣が叔父さんの部屋、そしてもう一つ奥にあるのが叔父さんの同居人の部屋だという。
「惣ちゃん、惣ちゃん、ちょっと出てきてーな。 うちの姪っ子来たから挨拶してや」
叔父さんが少し声を張ると、すぐに襖が開いて、中からぬっと出てきた巨漢の姿に私は息をのんだ。
短く刈り込まれた髪、凶悪そのものの目つき、上背が高くて筋骨隆々として、どうみてもその筋の人だった。
着流しの浴衣からはごつごつとして岩のような体が見えて私は絶句したまま叔父を見た。
まさか、叔父は暮らしに困って極道者にお金を借りて、家に上がり込まれたのだろうか。
そんなことを私が考えていると叔父はにこやかに私の肩に手を置いた。
「エミちゃん、こっちが惣ちゃんな。 僕の同居人。 そんで、惣ちゃん、こっちが笑美子ちゃん、僕の兄さんの娘さんな。 4月からは女学校の学生さんやで」
「ちゃん付けするな」
ぶっきらぼうな口調でそう言うと、大男は私をじろりと見下ろした。
目そのものは大きいものの、黒目が極端に小さくてぎょろぎょろした印象の目といい、への字に結ばれた口といい、どうみても友好的な雰囲気ではない。
「紺屋 惣佐だ、妙な呼び方はするな」
釘を刺されなくても、とてもじゃないが叔父さんのように「惣ちゃん」と気さくに呼べるような風体ではない。
私はこくこくと首を縦に振ると、すぐに部屋に引っ込ませてもらうことにした。
部屋は六畳、窓からは下の通りが見えて風通しの良い部屋だった。
文机に座布団、それから押し入れと反対の一角は小上がりになっていて、そこに布団を敷いて寝れそうだった。
私は自分の持ってきた風呂敷を降ろして、そのままふうと息を吐きだした。
風呂敷の中身は帳面と文具類、それから寝間着、部屋着としての着物が少々。
押し入れの中に着替えをしまって、帳面などは文机の上に並べてから、私は小上がりに腰を下ろした。
春先の強い風が三つ編みの髪を揺らして、私はこれからの東京での暮らしに想いを馳せていた。
京都とは風の匂いが違っていた。
石と煤の混じったような都会の匂いだと思いながら、私は遠目に見える4月から通う女学校に視線を向けていた。
「エミちゃん、ちょっとええかな」
不意に、襖の向こうから叔父さんに声をかけられて私はすぐに廊下の方に向かった。
叔父さんは小さな箱を手にしていた。
「これ、エミちゃんの進学祝い!」
そういって差し出された箱には百貨店の刻印がされていた。
私がどきどきとして箱を開けると、中には一本の万年筆が入っていた。
白いセルロイドに金色のクリップが付いた万年筆に私は思わず目を輝かせて、それから叔父を見上げた。
「叔父さん、ほんまにええの? 高かったやろ、こんなん」
「ええよ、子供が遠慮なんかせんときや。 これから勉強頑張ってや」
「うん! うち、勉強頑張るわ」
叔父から受け取った万年筆を手に、私はその夜、卓上の石油ランプに火をつけて、帳面をめくった。
これからの東京での暮らしを日記として綴っていくことにしたのだ。