第4話:ある元助手の回想
プロローグに少しだけ出て来た、ある人物に関しての話です。
主人公であるテレーゼとの出逢いや、その後のことが彼女の回想として語られます。
日頃から自分の師と強く慕っている人が経営する接骨院のアルバイトとして勤務した最終日(作者注釈:プロローグ2を参照のこと)のことは、今でもはっきり覚えている。
その日は、電柱に衝突して左鎖骨を骨折したサラリーマンの急患があり、テレーゼ院長が愛護的かつ適切に患部を整復・固定されていたのを、助手として院長の手助けをしつつ、間近で学ばせていただいた。教科書のお手本のように基本に忠実で、それでいて物凄く手際の良い、いつ見ても本当に惚れ惚れとさせられる施術ぶりである。
接骨院の勤務を終えて実家に帰宅して、入浴や夕食を済ませて授業の復習と予習を始める前に一休みしていたときに、院長から事情は全く不明であるものの、急な話で本当に申し訳ないが当面の間出勤しないで欲しいという内容のメール連絡があった。
極論すれば、自分の理想を全て体現したかのような院長ですら対応が難しい、自分では想像も付かないような突発的な出来事でもあったのだろうか?おこがましい言い方かも知れないが、師である院長のことが本当に心配である。今すぐにでも院長のところに駆けつけたいという衝動を何とか抑える。
院長からの連絡メールでは、お給料のことにも触れられていたので、院長の接骨院で働き始めたときに、院長に口座開設手続きを教わりながら開設したインターネット銀行の口座を確認すると、今月のまだ働いていない分と、全く働いていない翌月分を含めたお給料が丸々2ヶ月分振り込まれていた。
メールの最後には、柔道整復師の国家試験を頑張って欲しいという、師としての院長の優しさが強く伝わってくるような内容で締められていた。
以前専門学校の図書室を利用していたときに知り合った1学年上の先輩から、「勉強に本腰を入れるのは、できれば3年生のなるべく早い時期が良いよ」というアドバイスを受けていたことに加えて、「柔道整復師の国家試験に現役で合格できなければ、次年度以降の合格は本当に厳しい」と、専門学校の先生たちも口を揃えて現役で合格することの大切さを何度も話されていた。
そう考えると、国家試験の大変さは院長自身よく知っている筈なので、今回のことは自分を学業に専念させるためなのかも知れない。院長に何事もないのであれば、そっちの方がずっと良いと心から思う。
今回の院長のメール連絡が不慮のアクシデントによるものなのか、それ以外の理由によるものなのかは全く解らないが、今の時期の離職は、結果的には丁度良いことなのかも知れない。自分なりに精一杯考えた、今までの過分な厚遇に対してお礼のメールを院長に返信させていただいた。
院長からの連絡を受けて2週間ほど経った頃、残念ながら院長の接骨院は廃業していた。私は接骨院のドアに貼られていた、綺麗な字で書かれた院長手書きのお知らせでそれを知った。廃業が少なくとも経営難などの不名誉な理由でないことや、院長にとって心底不本意な決断であったことは、曲がりなりにも院長と開業時から一緒に頑張ってきて、院長の一番身近に居させてもらった自分には、本当に理解できるつもりである。
そして、院長とはスマホも繋がらなくなり、自分の前からは完全に姿を消してしまった・・・
やはり院長の身辺に何らかのアクシデントがあったに違いない。こんなことなら、連絡があったあの日の夜に、たとえ自分に何かあっても院長のところに駆けつけるべきだった、と心底後悔した・・・
これらのことは、今から2年近く前の話である。
私は西原直子。3年制の医療系専門学校を卒業して、合わせて柔道整復師の国家試験に合格して、今は新米の柔道整復師として、ある整形外科の病院で、主に患者様のリハビリテーション(リハビリ)を担当させてもらっている。この病院は以前院長の接骨院と業務提携していたことから病院の医師たちとも面識があり、その縁もあっての採用ではないかと思う。改めて院長には感謝しかない。
もう少し今の仕事に慣れてきたら、少しずつ骨折や脱臼の整復(骨折や脱臼を施術で元の位置に戻すこと)といった外傷の施術に関しても経験を積ませてもらえるとのことである。
患者様の整復は正直不安であるが、院長が以前「柔道整復師とは、マッサージだけでなく骨折や脱臼の整復をはじめとした外傷の施術が行えてこそ、その価値がある」ということを話して下さった(作者注釈:プロローグ2を参照のこと)のを思い出す。ぜひとも機会をもらえるよう、自分の記憶にある院長のように、日々精一杯自分の技量を磨いていきたいと強く思っている。
元々私は、当時院長が勤務されていた接骨院の患者だった。
私は高校の時、陸上部に所属していた。幼少の頃にオリンピックのテレビ実況で見た、試技を成功(「クリアランス動作」という)させた小柄な外国人女性選手の格好良い姿に憧れて、中学から部活動では棒高跳びをやっていたのだが、高校3年生のとき、最後の大会に向けての仕上げとも言うべき時期に差し掛かったある日の放課後の部活動で、着地に失敗してしまった。
もちろん着地する場所にはマットが敷いてあるものの、なかなか結果が出ずに焦っていた当時の私は、発生機序(外傷が発生したメカニズムのこと)的には、バーを倒してしまったときに大きくバランスを崩してしまい、加えてマットの外に身体がずり落ちるように地面に落下してしまい、左腕の肩に近い部分を地面に強打した際に骨折してしまったのだ。
具体的な骨折名は、左上腕骨近位部の不全骨折である。これは、左腕の二の腕の骨(上腕骨)の肩に近い部位が完全に折れずにヒビが入った状態の骨折を意味する。因みに、完全に骨が折れていれば「完全骨折」という。
今にして思えば、利き腕とは違う左腕の不全骨折だったのは、日常生活への負担が比較的少なく、完治までの期間も完全骨折と比べるとずっと短いため不幸中の幸いであったが、当時の私はそんなことなど知る由もなく、何より後述のように精神面は非常にナーバスになっていた。
立ち上がって左肩を動かそうとすると、酷い疼痛(痛みのこと)があった。しばらく競技に復帰できないくらいに左肩を負傷してしまったことを、嫌でも自覚することとなった。「大丈夫?」とチームメイトたちが心配してくれたものの、自分には心配してくれる気持ちを素直に受け取れずに煩わしいとさえ思ってしまい、ともすれば相手に八つ当たりまでしそうになるくらいに、負傷がきっかけで心まで酷く荒んでしまった自分自身が嫌で仕方がなかった。
私の異変に気付いた顧問の指示を受け、チームメイトに付き添われて部活動のユニフォームのまま、高校から程近い場所にある接骨院に足を運んだ私は、そこでテレーゼ院長代理(当時の院長の肩書きである。実質的に、そこの接骨院運営の一切を取り仕切られていたようだ)の施術を受けることとなった。
施術当日だけでなく完治までの間、私のために本当に親身に長期間のリハビリメニューに付き合って下さり、加えて三年生で最後の大会を目標にしていたにも関わらず、競技が出来ずに酷く落ち込んでいた自分の心さえも優しく励まして癒やして下さった、そんな本当に心優しい院長を見て、同じ女性として自分もこんな先生になりたいと、幼少時に棒高跳びという競技を志したとき以上に、院長という女性に心底憧れた。
改めて言うまでもないことであるが、骨折という今までに経験のないレベルの怪我をしてしまい、心身ともに不安定だった私を優しく癒やして下さったのみならず、高校卒業後に専門学校への進学を、そして近い将来は柔道整復師として働きたいと心底納得して決心することができたのは、全て院長のお陰である。
院長が勤務されていた接骨院から独立して、新たな接骨院を開業されることになったのは、私が専門学校に入学して間もなくのことであった。
私の実家と同じ団地内に以前接骨院があったことは知っていたものの、そこの廃業後は以前の看板が取り外されていて、新しい店の看板もまだ設置されていなかったため、次は何の店が入るのかは解らなかったが、改装が終わった建物のドアに貼られていた、綺麗な字で書かれた院長手書きの接骨院スタッフ募集案内を偶然目にした私は、幸運にも院長の接骨院の開業をいち早く知ることができた。
院長の開業される予定の接骨院は、更に幸いなことに、前述の通り同じ団地内にある私の実家の近所だった。後から知ったのだが、院長のご実家は、少し離れてはいるが私の実家と同じ団地内であり、以前の接骨院を院長が譲り受ける形で、ご実家と同じ団地内での開業を決意されたとのことだった。
開業のことを知った直後に、私は団地内にあるスーパーの中にある100円ショップに駆け込み、生まれて初めて履歴書用紙を購入して、合わせてスーパーの敷地内にある証明写真機で写真撮影を行い、それらを使って登校後の授業開始前(私が通う専門学校の授業は、3年生の補習を除いて午後から開始である)に初めて履歴書を作成した。
そして、授業終了後直ちに院長が開業準備をされていた接骨院に行き、院長の接骨院でどうしても働かせて欲しい、何ならタダ働きでも構わないですと、自分の中にある熱い想いを全て院長に訴えるかのように強く懇願した。
私の話を黙って聞いて下さった院長は、「わかったわ。もし良ければ明日から私と一緒に頑張ってくれないかしら?但し、いくら何でもあなたにタダ働きなんて絶対にさせないわ。こちらこそ、今後よろしく頼むわね」と、私の懇願を笑顔で受け容れて下さった。
今にして思えば、素人目から見ても、以前院長が勤務されていた接骨院からは遠く離れた場所での開業のため、柔道整復師としての知名度もなく、過去に施術を受けた患者様もいない、経営的には手探りかつ苦しい状況である筈なのに、専門学校に入学したばかりで、まともに助手にもなれていない私に対して、毎月きちんと精一杯のお給料を出して下さった、そんな院長の優しさには本当に感謝しかない。
院長は、自らの生い立ちや前職に関してあまり多くを語ろうとはされなかったが、時々接骨院に来られる院長のお母様の話によると、院長は日本人のお父様とドイツ人のお母様とのハーフで、お母様の転勤の関係で小学校低学年の時にドイツに母娘で移住、中学校入学直前にお母様と一緒にお父様がいる日本に帰国(いわゆる帰国子女である)されたとのこと。
幼少の頃から自然が好きだったという院長は農学系の大学に進学、卒業後は世間に疎い私でも名前を知っているくらいの多国籍企業で、世界を股に掛ける、という形容が相応しい仕事ぶりで、主にドイツ語、英語、フランス語での通訳及び翻訳業務を担当されていたそうである。
日本語を含めて4言語の通訳なんて、院長は「生まれ育った環境に恵まれていただけよ」と謙遜されていたが、少なくとも私には、高校まで自分なりに割と得意科目だった英語の通訳ですら、それを仕事にするのは、たとえ院長と同じ環境で生まれ育ったとしても到底無理だと思う。
加えて当時の院長の仕事ぶりは、退職されたあとにも関わらず、以前の会社から後日改めて表彰されるほどに突出した貢献ぶりだったそうだ。文字通り超一流のキャリアウーマンである。正直なところ、お母様に話を聞いた直後は、何でこんな凄い人が言い方は悪いかも知れないが、積み重ねてきたキャリアを捨ててまで柔道整復師に転職したんだろう?という感想を抱いたものである。
でも、そんな凄い人が転職して柔道整復師になっていなければ、今の私と出逢うことなんてなかったのだから、そんな院長を師と公言できる私は本当に幸運だったと何度でも思う。
世界に冠たる多国籍企業で、多言語の通訳や翻訳に従事されていたという院長の頭の良さは、今更私が語るまでもない。
接骨院の勤務時間後に、場合によっては休日にも、授業で解らなかったところを本当に数多く質問させていただいたのだが、柔道整復師関連の科目はもちろんのこと、後述のように一般教養科目(特に数学と英語+ドイツ語)でも、家庭教師の月謝が必要ではないのだろうか?というレベルで、本当に色々お世話になりまくりだった。
あまりの申し訳なさから、院長にお給料を月謝に充てて欲しい旨を伝えたところ、非常に温厚な院長に珍しく叱られたが、心優しい院長がそこまで私を強く引き立て護って下さっていることが心底嬉しかった・・・特に印象に残っている授業内容は以下の通りであるが、やや脱線気味なのは平にご容赦願いたい。
・数学:院長が高校生の時に「代数・幾何」と呼称されていたらしい内容は私も高校で授業を受けたのだが、流石に、院長が高校生の時に「確率・統計」と呼称されていたらしい内容(高校で文系を選択した私は、残念ながら履修していなかった)まで専門学校の授業で出てくるとは思ってもみなかった。
おまけに、外部講師(数学の元高校教師)が、授業中の質問は一切不可で、授業後もすぐ退室されて全く質問できない(授業中に配布されたプリントを熟読すれば理解できるはず、という理由らしい)ため、代わりに専門学校の先生たちに質問しようとしたのだが、「申し訳ないが解らない」と言われてしまった。
授業の復習もままならず困っていた私に、院長は配布されたプリントの内容を改めて丁寧に解説して下さったが、そのプリントの内容が時々間違えているらしく、「相変わらずね・・・」などと口にされていた。なお、院長が解説して下さった内容を、後日テスト前にクラスメイトたちと一緒に行った自主的な学習会で、私が説明することになったのは余談である。
後日院長の在学中に担任だったという専門学校の先生に、当時の授業のことを聞いたところ、詳細な内容は割愛するが、専門学校の6年先輩でもある院長は、学生時代も数学の授業内容の間違いをその都度見抜いていたばかりか、クラスメイトたちに請われる形で、放課後の教室の使用許可を担任に掛け合われたうえで、数学の授業後に自主的な学習会を院長主催で行われていた(院長在学当時も、数学授業中の質問は一切不可だったようだ)らしく、いつしかそれがほぼ全科目の自主的なクラス内学習会に発展したとのことで、今でもそれが語り草になるくらい凄い人だったことに改めて心底驚嘆した。
このように、クラス内の結束は非常に強固で、院長たちが受験された年度の国家試験は、前述のようにクラス内全員が協力し合った結果、全員現役での合格だったそうだ(正直な話、これは相当難易度が高いことである)。もし叶うならば、自分もぜひ院長と同じクラスで一緒に学びたかった・・・
・英語:高校時代までの英語は前述の通り多少得意であったが、医学用語満載の英単語テキストは耳慣れない単語や文章が多く、勝手が全然違うことに流石に呆然とした。あまつさえ医学用語にはドイツ語由来のモノが多いからと、テキストにないドイツ語の授業も一部出て来たのだが、正直なところ全くヒアリングできず、何とか板書を書き写したノートを院長が聞き取りやすいように発音&翻訳して下さった。流石はマルチリンガルの院長である。なお、院長が解説して下さった内容を、後日テスト前にクラスメイトたちと一緒に行った自主的な学習会で、数学と同様に私が説明することになったのは余談である。
因みに、前述の専門学校の先生によると、院長が学生時代の時も同じ外部講師(英語の元高校教師)による授業だったそうであるが、社会人出身の同級生たちには、院長以外ドイツ語を履修していた人がいなかった(彼らが大学で選択した第二外国語は全員フランス語だったようだ)らしく、多言語に精通する院長は、他の科目や授業以外のことを含めて、クラスメイトたち全員にとっては、みんなのお姉さんまたはお母さん的な存在として非常に頼りにされていたようだ。
上級生が留年した場合の下級生の学年への編入や中途退学以外には、3年間入れ替わりのないクラスにおいて、多言語の通訳業務を生業にされていて頭脳明晰で面倒見が良く、加えて当時のクラスで最年長だった院長が自ら率先して勉学に励む(授業で唯一年齢的なハンデがあった柔道に至っては、時間外や授業のない長期休暇中も毎週道場通いまでされていたらしい)真摯な姿は、前述の数学や英語やその他の科目にも言えることであるが非常に心強く、前述のように紛れもなく当時のクラスメイトたち全員の精神的支柱だったようだ。もし院長が一緒に授業を受けて下さるのなら、たとえどんな困難な状況であっても、間違いなく私もこの上ない心強さや安心感を感じると思う。
前述のように、特に一般教養科目の想像以上の授業内容の難解さに、私は正直なところ度々唖然としたのだが、高校を卒業したばかりの私よりも院長の方が遙かにそれらに堪能だし、いつでも嫌な顔一つせずに本当に解りやすく私に教えて下さった。
改めて感じたのだが、元々の頭の良さだけでなく、自らには人一倍厳しい努力家の院長が、本当に血の滲むような努力を現在に至るまで積み重ねて来られたことは明らかである。
加えて失礼を承知で断言するが、私が通った高校までの先生たちや、専門学校の先生たちよりも遙かに教え方が上手なのだ。
院長のお母様の話によると、院長は大学で理科と農業の教職を取得されたとのことで、加えて通訳業務という、他人に物事を解りやすく伝える業務に永年従事されていたのだから、それも強く納得である。
こんな凄い人に師事できることの有り難さと、せっかく教えて下さったことをきちんと自分の糧とすることこそが院長への最大の恩返しであると確信した私は、間違いなく高校までの自分以上の熱意で精一杯頑張ったつもりであり、過去に院長を含めて2人しかいないという授業の皆勤も在学中の目標にさせていただいたが、院長に続く3人目(加えて過去の2人と同様に成績優秀者としても表彰された)になれたときには本当に嬉しかった。
あと、院長は9月の誕生日の時に、「酷く手荒れもしているし、見ての通り私はおばさんだわ」と謙遜されていたが、ご両親に似て容姿端麗で170センチという女性としては結構な高身長である。院長の50歳という実年齢を知るまでは、2年余り一緒に働かせていただいた私ですら、お世辞抜きで10~15歳くらいは若いと思っていたくらいで、おまけに体力においても、院長が毎日10キロのウォーキングをされていると聞いて一度同行させていただいたが、年齢的に遙かに若いはずの自分が付いて行くのがやっとだった・・・
手荒れに関しては患者様の施術前後の度重なる手指消毒が原因で、たとえそれがあっても院長の容姿は欠片も損なわれていないと私は断言する。特に若い頃は院長が通り過ぎると、同性ですら振り返るくらいの物凄い美人さんだったのは間違いないだろう。
加えて非常に温厚な、それでいて非常に太っ腹というか豪胆な性格をされている。一人っ子の私はそんな院長のことを師として、加えて実の姉のように今も心底慕っている。
「院長、今どうされているんだろう?」
院長が開業されていたかつての接骨院の前を通る度にそう思う。そういえば2年近く前に、丁度接骨院廃業の話を院長手書きのお知らせで知った直後(早朝)のことであるが、院長を2~30歳くらい若くしたような黒髪の物凄い美女が、どこか思い詰めたような、上手く言えないのだが何らかの覚悟を持った表情で、電停のある方向に歩いて行くのを見掛けたことがあった。もしかして彼女は院長の親戚なのだろうか?
または、自分が再度先生に逢いたい、という私の強い想いが見せてくれた、若返った院長という幻だったのだろうか?
もし院長がどこか他の場所で柔道整復師としての仕事をされているのであれば、もっと言えば極端な話、他の仕事をされていたとしても、私は院長にずっと付いて行きたいと心の底から思う。
でも、今の自分にはまだまだ学ぶべきことが山ほどある。こんな中途半端な自分が院長のそばにいても全く役に立てないに違いない。だから、今の勤務先でもっと自分を磨いて、いつの日か院長と再会したとき、(自分には分不相応な望みかも知れないが・・・)公私ともに院長にとっての「右腕」になりたいというのが、間違いなく自分にとっての一生を懸けても構わないとすら思える唯一無二の目標である。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
テレーゼのことを心底慕っている、かつての接骨院の元助手についての話です。本作における初めての完全な第三者視点からの話ですが、いかがだったでしょうか?
作中でも触れたように、テレーゼは気付いていない状況での2人のニアミスはありましたが・・・因みにこの回想シーンは、第2章第3話でのひとコマです。彼女が今後テレーゼと、どのような形で再会するのでしょうか?但し作者的には、間違っても愛娘たちを不幸な形で再会させたくないと思っています。
これで第18章及び今年の更新は終わりです。次章はギルドマスターであるジークリットの意向を受けたテレーゼが、セフィロト屈指の大都市であるティフェレトと、隣接する王都ダアトに向かいます。ここまで熱心に読んで下さった皆様であれば、きっと楽しんでいただけるのではないかと思います。
次章も一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします。




