第1話:「知らない場所」での急患
たとえ知らない場所で知らない人たちに出会っても、求道者的にテレーゼが磨いてきた技術は彼女自身の大きな助けになります。
5月3日 一部表記揺れなどの修正と、骨折関連の加筆を行いました。
(ここは街の外のようね。良く晴れていて、さっきまで散々悩んでいた気持ちも軽くなりそうだわ・・・)
自分の接骨院の出入り口から見て、500メートルほど先に街らしきものがあった。また入り口の20メートルほど先に、石畳の街道らしきものがあった。接骨院の後ろには広葉樹の森林が広がっていて、その境界は肥沃そうな腐葉土で日当たりも良く、接骨院の裏庭?で家庭菜園くらいは十分できそうである。
(これじゃご近所様自体存在しないから、引っ越しの挨拶は無理ね。というか、どう見てもやっぱり日本ですらないわよね・・・)
そう思っていると、革鎧?を身につけた、どことなく疲れたような女性3人がテレーゼのそばに寄ってきた。
「こんにちわ。ここは何屋さんですか?」と、リーダーらしい背の高い綺麗な長い銀髪の女性がテレーゼに話しかけてきた。
(あれ?言葉が通じるけど何で?)「接骨院です」
「接骨院って何のお店ですか?」
「店というか、怪我をした人を治す場所です」
「治すって、回復魔法使えるの?それとも医者?」と、小柄な碧髪ポニーテールの少女が話しかけてきた。
「魔法ではないですが、手当は可能です。誰か怪我したんですか?」
「魔物と戦ってるとき後ろに下がっていたら木の根っこに足を取られてしまってさ・・・とっさに左の掌を地面に置いたら、左手を折ってしまったみたいなんだよ」と、体格的にがっちりとした肩の高さほどの赤髪の女性が左手首を右手で押さえている。
「とりあえず話は後です。やれることはやってみますので中にどうぞ」と、テレーゼは3人を院内に迎え入れた。
「まずは、左手首を見せて下さい」と、テレーゼは左手首を痛めた赤髪の女性に椅子を勧め、視診と触診を行う。
「どうだい、先生?」
(さっき聞いた発生機序から見ても、ほぼ間違いなくコーレス骨折ね。幸い、舟状骨(掌の骨で血行が悪いため、骨折してしまうと治りにくい)は折れていないようね・・・)テレーゼは三診の結果をそう結論付ける。
コーレス骨折とは、正式には「橈骨遠位端部伸展型骨折」という。
橈骨とは、手首と肘の間にある2本の前腕骨のうち親指側の骨のこと(なお、小指側の前腕骨は尺骨という)で、この場合、橈骨の手首に近い部位が、掌(手首)に外力を受けたとき、手首を手の甲側に反らした状態(手首を進展させた状態)で骨折したことを指す。
参考までに、今回とは逆に手首を掌側に曲げた状態、即ち屈曲させた状態で骨折した場合は「スミス骨折」(正式には「橈骨遠位端部屈曲型骨折」)という。
因みにこの骨折は、老人に比較的好発する「老人性骨折」の一つとされているが、若年者でも起こりうる。
「転んで咄嗟に地面に手をつこうとしたときに左の手首の関節を伸ばすように強く打ち付けてしまったから、その衝撃で骨を折ってしまったみたいね」
「それで、治せるのか?」と、受傷している赤髪の女性が不安そうに尋ねる。
「折れた骨を元の位置に整復して固定しておけば2ヶ月くらいで治るわ」
「参ったなあ・・・魔物討伐のあとギルドにまだ行ってないから金がないんだよ」
「お金のことはとりあえずどうでも良いけど、固定するのは構わない?そのままだとかなり痛いでしょ?」
「それは構わないけど、良いのかい?」
「私、最近ここに来たばかりで何も知らないから、施術料の代わりに色々教えて欲しいわ」
「それならお安いご用だ。私はアデリナ、槍術士(槍など長柄武器全般に長ける戦士)さ。よろしくな、先生」と、赤髪の女性が自己紹介する。
「私はテレーゼよ。今から整復させてもらうわね。悪いけど、あなた、アデリナの左手首を掌のほうに軽く曲げて固定するように支えてくれないかな?」
「先生、これで良いの?私、ヘレナ、斥候(偵察や罠の解除に長ける)」と、碧色ポニーテールの少女が自己紹介する。
「ヘレナ、それでいいわ。少し待っててね。包帯と石膏を持ってくるから」
「それでは整復を始めるわ」
テレーゼは手首を「屈曲」(この場合、前述のように手首を掌のほうに曲げること。逆に手の甲の方向に曲げることを「進展」という。)させて患部を弛緩させる。
弛緩とは患者に患部を脱力・リラックスさせることを指し、全ての整復の基本である。
その上で、慎重に橈骨の骨折部を整復して包帯やテープ、ガーゼで固定、その後石膏を水で溶いてその上に被せて固定する。シーネ(ドイツ語で「副木」のことで、石膏などで患部を固定したもののこと。)の完成である。
その後、首から三角巾で骨折を保護しているシーネを吊り、施術終了である。
「これで終わりよ。だいたい2ヶ月で完治するけど、うまくいけば1ヶ月くらいで固定した石膏を取り除けるから、それからリハビリを開始しましょう」
「ありがとう、先生。少し痛みが少なくなった気がするよ(これはアデリナの気のせいではなく、骨折を整復すると疼痛が緩和することが多い)。教会の坊主達は大した腕じゃない癖にお布施の金が高いし、医者も治療費が高いから、今回の討伐の稼ぎだけじゃ金が足りなさそうで、正直どうしようかと困ってたんだ」
「先生、アデリナを助けてくれてありがとうございます。私はパーティーのリーダーをやっているカトリナで魔剣士(攻撃魔法を使える戦士)です。ところで、情報って何を話したら良いんですか?」と、背の高い綺麗な長い銀髪の女性が話しかけてきた。
(3人とも、私と同じでドイツ系女性のような名前だけど偶然かしら?)
「国の名前、街の名前、通貨・・・出来るなら何でも知りたいわ。ところであなたたち、これからどうするの?」
「アデリナが怪我してしまったから、ギルドへの討伐完了の復命以外は何もないですね」
「それにアデリナが治るまで、次の依頼は薬草採取くらいしか受けられない」
「それなら、今日はここに泊まっていったら?何もないけどお風呂くらいならすぐ沸かせるから歓迎するわ」
「風呂があるのか!」「カトリナ、泊まっていこう」「迷惑じゃないんですか?」
「知らないことをいろいろ教えてもらうんだから、少しくらいはお返しさせて。3人ともそこに座って待ってて」
「カトリナ、まさかタダで治療してもらった上に泊めてもらえるなんて良い先生だな」
「この建物、街の教会や病院よりも色々揃ってる」
「しかも、討伐終了直後でボロボロだった初対面の私たちを、何も疑いもせずに信じて受け容れてくれた懐の深さ・・・こんな良い人とは末永く友達でいたいですね。あとテレーゼさんには情報以外にも何か恩返ししたいですね」
3人は、お人好しにも程があるテレーゼの人となりに、すっかり惚れ込んでしまったようだ。
「3人とも、お風呂が沸いたから、狭いけど順番に入って。ただ、アデリナは傷に障るから、今日は身体を拭く清拭(お湯で濡らして固く絞ったタオルで、身体を拭いて清潔にすること)で我慢してね」
風呂に入った3人は、テレーゼが用意したあり合わせではあるが、「知らない場所」人的には上等な食事と言える、カップご飯(カレー味)と海藻サラダとコーンポタージュスープを口にして、その美味しさに、お風呂に続いて2度目の驚きを感じたのだった。
「「「一体、先生って何者?」」」
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
テレーゼのところには、良い意味で彼女と同じような、情愛の深い性格の人たちが集まり仲良くなっていくようです。