宇宙猫・起
微生物の死骸を含んだ乾いた土の匂い。春風に揺られる広葉樹の枝葉の音。摂氏25度前後であろう空気の温かみ。空気が美味しいとはこのことだ。
見上げれば木漏れ日。見下ろせば獣道。鳥獣の声はしない。風や草木の奏でる音色を除けば、耳に入るのは私自身の足音だけ。どれだけ歩いたのか、前も後ろも森ばかり。だが目的地は近い。
水を一口飲んだ。荒れた道を随分歩いてきたので脚や腰が痛む。軽食も持参したが、手が薄汚れているので今食べる気にはならない。またしばらく歩くと、道幅が少しずつ広くなってきた。前方に開けた空間が見える。雑草や低木は伸び放題だが、人工的に切り開かれた痕跡がある。木陰からそこへ出ると、日光のまぶしさに視界が一瞬眩んだ。森の中に隠れるように作られた、そこそこの広さの庭。そしてその真ん中に建てられた、小さく古びた小屋。使われなくなってから一体どれ程の年月が過ぎたことだろう。ここが目的地だ。
その小屋は木造で、外からは3~4部屋しかないように見えた。周囲に木がないせいか、あまり侵食はされていないようだ。ガラス窓は割れずに残っている。庭は全体的に荒れているが、かつて人や乗り物が多く踏み均したであろう部分だけが細長く土を露わにしている。その「道」は今歩いてきた獣道から小屋の入り口、そして小屋の周囲を取り囲み、庭を横切って反対側から出るもう一本の林道の入り口へと続いていた。
軋む扉を押して中に入ると思いの外広く、2部屋しかないようだ。唯一の光源は窓から射し込む日光だけなので薄暗く、目が慣れるのに数秒を要した。見渡すと、その部屋には小屋と同じ位古びたテーブル、ベンチ、中身のない大きな本棚があるだけだった。敷かれたラグは指の幅程の厚さの埃が積もり、模様も何も見えなくなっている。奥の部屋へ続くドアは外れて倒れていた。
奥の部屋は最初のものほど広くはなく、あるのはベッドと机、椅子が1つずつだけだった。机の引き出しを開けても空だ。壁や天井にも特段変わった物は見当たらない。空き巣が入ったにしても何も無さすぎる。小屋の持ち主がここを手放すときに、大きな家具以外の品を全て持ち去ったのかもしれない。
倒れたドアの下にそれはあった。木製の合板でできたそのドアを踏んだとき、僅かにガラスの砕ける音がした。どかしてみると、小さな額に収められた手のひらサイズの絵が下敷きになっていた。手に取ってよく見るとそれは着色写真だった。無数の傷や折れ目でボロボロになっているが、辛うじて写っているものが見てとれる。
うずくまって眠る一匹の猫の写真だ。背景からして、撮影された場所はこの小屋の目の前だろう。茶色い毛をした雑種の若い猫。今私がいるこの小屋は、かつてこの猫が暮らしていた場所だ。
写真の猫は老いてはいないが、恐らくは死を目前としていたのだろう。死因は不明。名前も性別も不明。飼い主も不明だが、この小屋の持ち主と同一人物と予想できる。
この猫は生前、「史上初めて空を旅した猫」として持て囃された。記録によれば、当時1~2歳だったこの猫は数人の旅人と共に鋼鉄の飛行船に乗り込んだ。その船は極めて強い動力を持っており、空に浮かぶ雲の何倍もの上空を航行することが可能だったという。そうした方法でおよそ一ヶ月の間空を旅したものの、帰還直後に猫はあっけなく命を落としたのだ。
猫の直接の死亡原因は知られていない。世間では帰還、特に着陸の際に発生したトラブルによって事故に巻き込まれ回復不可能な損傷を負ったのではないか、と推測されている。だが、実際に猫が死の間際を過ごした場所を訪れその姿を目にする限り、写真越しとはいえそのような状態に陥っていた様子はない。記録にないだけで、猫は元から何らかの病気を持っていたのだろうか?だが一方で、空の旅には候補となる猫のうち、特に健康状態の良好な個体が選ばれたことは分かっている。原因は旅の最中にあったのかもしれない。
薄暗い小屋を出ると、日光の明るさにまたも目が眩んだ。庭を見渡し、もう一本の道に目をやる。私が歩いて来た獣道とは反対側から伸びる、やや幅広な道。そこは粗末ながら板敷で整備されており、明らかに獣道の方と比べても重要度、または使用頻度が高かったことが分かる。小屋の所有者であり猫の飼い主でもあった人物は日常的にこの道を使っていたのだ。その人物の住んでいた場所からは写真しか見つからなかったが、その人物の用があった場所を調べてみれば更なる情報が手に入るかもしれない。私はその道に踏み入ることにした。猫の写真も持ち帰ることにする。今更窃盗にはなるまい。
板敷で整備された広い道とはいっても、それは獣道に比べた場合の話だ。進む程に周囲の木々の密度は増す上に、道の片側が切り立つ崖になっているせいで日光は先ほどよりも射さなくなっている。古本屋で購入した地図によればこの道の十数キロメートル先に小さな集落があり、そこには商店や通信所、鉄道乗り場もあるらしい。小屋の風体を見る限り猫やその飼い主の暮らしはあまり豊かなものには思えなかったが、定期的にその集落の施設を利用していたに違いない。
地図上には川があった。この道をもう4、500メートル歩けば、その川に架かる橋に出るはずだ。小屋を後にしてから、昼間にも関わらずやたらと静かで暗い一本道を、かれこれ1時間以上も歩き続けている。いい加減気が滅入ってきた。膝も足の裏もズキズキと痛む。川辺に到着したら少し休憩しよう。川で顔と手を洗って、持参した昼食を食べることにしよう。
それにしても静かだ。無音なだけではない。この森には私以外に動物がいないのかとさえ思ってしまうほどに何の気配も感じない。鬱陶しい虫がいないのはありがたいが、鳥のさえずりさえ一切聞こえないのは不気味だ。先程から私の息が荒いのはもちろん疲労のせいだろうが、もしかすると、心のどこかでこの異様な静寂を恐れてのことなのかもしれない。
無心で歩くうち、気づけば左右の木々の途切れた部分が遥か前方に見えた。あそこに川がある。その部分だけ陽当たりがよく、樹木のトンネルの断面のようになっているため遠くからでも視認できた。あの橋は小屋から集落までのほぼ中間に位置するのだが、私は体力も限界とあって最後のひと踏ん張りといわんばかりに両脚に力を込めた。
そこに川はなかった。正確には、かつては川だったのであろう石まみれの溝がそこにはあった。元来そこまで大きな河川でもなかったから干上がったのだろう。土壌が川底の状態のままになっているあたり、干上がったのはここ数年から数十年の出来事かもしれない。数十メートルの距離まで近づいても水音一つしなかったのでまさかとは思ったが………地図もかなり古いので致し方ないことだ。
川が消滅していたのは残念だが、私はここを休憩場所と決めて体力を使い果たしたので、とにかく休むことにする。鞄を傍らに降ろし、どこにあるのかよく分からない「川岸」に腰かける。何故か歩いている間は我慢していた水を飲んでから、その一部を手にかけて洗い流した。流れが無いので川のどちらが上流でどちらが下流だったのかは分からないが、どちらを見ても水はなく、この橋を除いて人工物は影も形もない。その橋ですら大昔に造られて長らく使われていないであろう組木のもので、今にも崩壊しそうにも見える。そういう意味では川が干上がっていたのは幸運といえるかもしれない。
食べ物を取り出そうと鞄をまさぐっていると、奇妙なものが目に飛び込んできた。それは蜂の巣だった。場所は橋の真下。橋脚の内側の側面に作られている。かなりの大きさだ。両手に抱える程だ。恐る恐る近づいてみるが、蜂は一匹も現れない。既に使われていないようだが、それにしては朽ちているようにも見えない。まだ表面の層が形成されてから間もない蜂の巣がもぬけの殻とは奇妙だ。いや、それ以上に奇妙なのは、これほどの木々が生い茂る広大な森林の中で、わざわざ橋という人工物を住処に選ぶところだろう。樹木の上に巣を作った方が明らかに材料や食料の調達に便利なはずだが、蜂はそれが理解できないほど知能の低い生き物ではない。もしかすると、この巨大な巣が放棄されていることや、ひいては森全体が異様な静けさを纏っていることが何か関係しているのかもしれない。その巣をもっとよく観察しようと顔を近づけたとき、突然頭を固い物体で打ったような強烈な痛みと共に私は体の自由を失った。
以前テーブルの下に転がったペンを拾おうと潜り込み、角に頭をぶつけたときは痛かった。無警戒に受けた痛みは体の髄まで響き渡る。私は今そんな衝撃を首に受け、まるでほんの一瞬だけ、夢の中にいるかのような浮遊感を味わう。だが次の瞬間には地面が待ち構えており、私の上半身は勢いよくうつ伏せに叩きつけられた。胸部と頬に、同様の痛み。立ち上がろうと手をつくが、力が入らない。まず思ったこと・せっかく洗った手がまた砂利で汚れた。次に思ったこと・体がだるい。病気にかかって高熱を出したときのような体の重さだ。不自由。それは不快。何故息を止めている?吸えばいいのに。いや、上手く呼吸ができない。長距離を走ったわけではあるまいし。腕が動かない。腕立て伏せの姿勢だからか?いや、膝は付いている。あ、脚は動きそうだ。では立とう。
そして私が2度目の衝撃を頭に受けたとき、それを感じ取る前に意識は途絶えていた。後に私は、眠りに落ちる瞬間と同様、気絶する瞬間もまた認識不可能だと理解する。