2-1 ライヴハウス「ミュート」
「丙型のゾンビを陽動に、本命がヨールンカの要人を暗殺……とは、ずいぶんと手の混んだテロだと思ったけど……あんなのが出てくるようじゃ、これはもう……テロというレベルじゃないね。戦争だよ」
「いかさま」
「ま、それは後で考えるとして……とにかく、僕たちも逃げなきゃ、ね」
すごい勢いで、何十という数の電磁浮遊式重戦闘ユニットが飛んでくるのを見やり、青年が苦笑した。
リリとピーパが同時に青年の腕をそれぞれとり、次元反転してその場より消えた。
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テラスティ一九七四年。
西暦に換算すると、五四七四年になる。
カナーデル州の中心都市マンオークの上層階から南を眺めると、かつて大繁栄した古代国家「日本」の一部、北海道と呼ばれた土地が見える。
ただし、度重なる大規模気候変動や地殻破壊兵器の使用により、四分の一ほども海没して往時の姿はなく、人もほとんど住んでいない。自然保護区管理用ユニットと、管理事務所員や研究者などの最低限の人間、そして野生動物しかいない。
従って、マンオークはサハリン南部に位置している。
ヨールンカより規模が大きく、地上一〇〇〇階、地下二〇〇階。高さも二キロ半、直系は十キロに及ぶ。周辺にも小規模の高層都市がいくつかあり、大小のコイルが不規則に並んでいた。経済圏の総人口は八〇〇万。この時代の、世界一の大都市だった。
このタイプの高層都市で、地下都市に住む人々は本当に最下層だった。
かといって、いわゆるスラム街というわけでも無い。
また、底辺の労働者階層というわけでもなかった。
なぜならば、スラム街が形成されるほど当代人類は困窮しておらず、自ら世捨て人的な生活を選ぶもの以外は少なからず政府の手が入ってどんな人でも医療、食事、住居は保証されているのと、単純な労働力はほぼ全て作業用他脚多腕ユニットが請け負っているからだ。
では、何をしているかというと……一部が地上とつながりを持ってささやかな取引をしているほかは、ほとんどの人間は細々とした自営業を営んで、地下空間だけで完結した、特殊な世界に生きていた。
地下と云っても採光システムと大規模発電素子、そして気象デヴァイスにより、吹き抜けの大区画部分は地上とほぼ変わらない。それは、上層階の住宅区と同じだった。
そんな世界で、一生、地下から出ない者も大勢いる。そういう人々にとって地上とは、知識として知っていても、異世界のように感じている。自らの生活に欠かせない様々な物資や水、食料、空気すらも「地上」ってところからやってきているんじゃないの? しらないけど。と、いった意識で生きている。
地下二〇〇階のうち、居住可能区域は地下一二〇階までだった。
そこから階下は、超巨大都市を支える様々なインフラ施設が詰まっている。最上階地区と同じく、人間はほとんどおらず、数多の全自動ユニットが施設を管理している。
そんな地下四五階はニヴフン地区の一画に、ライヴハウス「ミュート」はあった。
我々で云う軽音楽や、ロック、ポップス、ジャズ、クラシック、地域に根ざした民謡、民俗音楽、電子音楽、その他諸々……そして、それらの融合などという「ジャンル」は、すべて進化し、あるいは滅亡し、復刻され、再興し、また融合……それぞれの時代の最新技術と重なりあって、数えきれぬほどの変遷を経てきた。今や、電脳と霊能を複合させた形態を通じて演じられ、配信され、またライヴで体感されている。
ミュートの名物は、そんな音楽ユニットによるAIバンドや人間のバンド、それらの混合バンドに混じって、アンデッドバンドがいることだった。
つまり、バンドマスターは特殊能力者たる「コンダクター」であった。
とはいえ、この店の場合、ネクロマンサーは店のオーナーのベリーだった。
ベリーは茶髪の巻き毛が愛らしい、二十六歳。小柄の童顔で、いつも年齢より若く見られていた。じっさい、精神的にもどこか大人になりきれないでいた。三年前からミュートを経営しているが、彼女が立ち上げたわけではなく、二代目オーナーだった。
しかし、コンダクターに制御されているとはいえ……街中でアンデッドが堂々とバンドを組んでいるなどと、地上では考えられない。上階は、コンダクターの完全な管理下にあるアンデッドですら、自由行動は厳重に禁止されているし、そもそも高層都市内にアンデッドの進入は原則禁止である。
しかし、地下と云う世界はまったく異なっていた。
人々も、あまり気にしていない。
先天性を含むほとんど全てのケガや病気、障害すら治療し再生するこの時代の医学においても、アンデッドに襲われて下位アンデッドになる「アンデッド症」だけはどうにもならない。死体は、未だに生き返らなかった。