最長の最短(6)
「では十三皇、彼を倒してください」
ナビはあごをクイッとし、レッドに対し、パティシュバリエ討伐を命じる。
「……おい、ちょっと待て。今さらだがテメェ、俺に同輩を仕留めさせる気か」
ここに来て思い至ったか、レッドが抵抗しはじめる。
命じられていることには疑問を持たないようだが。
「安心してください。ファアキュウの万命書によれば、彼は私たちとは違います」
「ぁん?」
「彼ら草騎士は喋りも考えもしない、いわば別の生物。家畜のようなものです」
「か、家畜だぁッ!? テメェやっぱ蛮女だな、ヘルプヤクの魔女がよッ!」
ナビの言葉選びが悪かったのは満場一致のところだが、言っていることに大きな間違いはない。学習指導型AIを搭載し、自我を有するナビやレッドとは異なり、草騎士ひいては草騎士パティシュバリエたちは、あくまでMOB。
戦闘と稼ぎのための用命しか持たない、命なきオブジェクトではある。
そしてパティシュバリエが二人を視認し、柔らかくイケメンスマイル。
そのまま全身をクネクネとさせる、不気味な歩き方で近づいてくる。
捕捉しておくとパティシュヴァリエは正常であり、それが仕様だ。
「ほら、きましたよ。さっさと行ってください十三皇」
「ざけんな。俺に仲間の命を奪えって、何様だテメェは」
「教え導く者、ヘルプヤクの魔女です」
「皇国じゃそれを病原菌っつうんだよ」
「むっ。いいですから、彼の命は命でも、この世では取るに足らぬものです」
「……命に、人の命にッ、価値や貴賤なんざありゃしねえッッ!!!」
「っ……」
レッドの真っすぐな言葉に、ナビは初めて気圧された。
ファアキュウの万命書を通じて、世の理を誰よりも知るヘルプヤクの魔女であるが。この世界における人物たちには知れないことを知っているがゆえに、知るべきことを知らないがゆえに、彼女の論理は人間にも、ゲームキャラクターにも、そのどちらにも属しがたい複雑さで形成されはじめていた。
言ってしまえば未成熟。皇騎士からすれば、幼稚な知に映る面すらある。
レッドから見れば、今のナビはそれこそ、倫理観を持たぬ万命の令嬢らと同様。サッドライク皇国をおもちゃにし、壊して遊ぶだけの獣のように映る。
けれど、幸か不幸か。状況はすでに戦闘状態へと突入してしまう。
「――――」金髪パーマコックの無料スマイル。
パティシュバリエが、レッドに見向きもせず、ナビに接敵する。
パティシュバリエの武器……なのだろうか。見た目からして見るからにしょうもないが凶器である、お菓子作りの泡立て器が、ナビの頭。
高めに結った、白銀糸を束ねたような一本髪めがけて振り下ろされる。
「ッ! やめろパティシュバリエッ!」
レッドは攻撃を止めようと、腰の茜色の鞘から刀を抜こうとし――。
やっと気づいた。
「……ッッ!? クソがよ! なんてザマだ! 染め紅はさっき蛮女にッ!」
刀どころか、鞘ごと自前の武器が消失してしまっていることに。
彼の愛刀、血吸いの刀「染め紅」は先ほど憂森林で、白ワンピースに大量の赤リボンを付けた壊れた令嬢に触れられ、この世界から消滅させられてしまっていた。彼はそれをすっかり忘れていた。そうしてレッドは我が身を投げ出して。
「――――」
「いッ……」
ポカン。パティシュバリエのしょうもない泡立て器に叩かれるが。
「……痛くはねえな。テメェちゃんと訓練してんのか? ぁん?」
ナビと敵との間に体一つで割って入ったレッドが拍子抜けする。
「おい止まれ、パティシュバリエッ! 我は皇騎士が十三皇――」
「――――」
レッドの静止もむなしく。
パティシュバリエはターゲットをナビから切り替え、皇騎士に立ち向かう。
ゲームが通常であれば、皇騎士と草騎士が敵対することなどあり得ない。
あり得ないのだが、不幸なことに、命ゴイはもはや通常ではない。
「十三皇、そのまま倒してしまいなさいっ!」
流れに乗じてナビがけしかける。まさに魔女。
「できるかッ! この俺が草騎士をヤるなんざ、皇国に示しが……ッ!」
この間もパティシュバリエはポカン、ポカン。
レッドを、金属製ではあるがしょうもない泡立て器で叩く。
「やりなさい! 今ここで倒さねば、私たちは碧い波に飲まれておしまいです!」
「そ、そりゃ、分かってるが……」
「ならやってください! もうあなたしかいないのですっ!」
「ッ、テメェが俺に命令すんなッ!」
「お願いですっ! 皇騎士十三皇、レッド=フォン=プリンシュヴァリエっ!」
「グッ……クソが、クソがよォォ! 地獄へ堕ちろ、ヘルプヤクの魔女ッ!」
彼らを眺めていれば、それぞれの信念をかけた死闘中の決断にも見えるし、命なき者たちのほほえましいお遊戯にも映るだろう。真実を知っていれば取るにたらないことなのだ。けれど、知らなければ重大な過ちにもなり得る。
物事は有りよう次第。些細なことでも、人を変えるには十分な要因となる。
などという説法じみた視点とて、命ゴイを俯瞰できる神々の視点でもなければ、口から出ぬものだが。決して小ばかにすることはできない。
彼らは今、各々の命を、各々の信じるものを投じて、生きている。
そして皇騎士は、十三皇は、レッドは。
自らが決めた一つを選んだ。
「ウッ、ラアアァァアアァーーーッ!!」
ガンッ。押しに弱い皇騎士が、侍具足を装着した黒塗りの手甲で。
パティシュバリエの顔面を、美しい角度で殴った。
レッドの装備は、鋼鉄に近しい硬度を誇る鉄花糸を編み込んだ皇騎士の白外套、ただの布類だが上品な茜染めの上衣、漆黒の侍袴というカジュアル寄りな装いであるが、パティシュバリエの泡立て器による攻撃は、命ゴイ五強に入るとされる隠しボスならではのステータスにより、わずかなダメージで済んでいる。
対してパティシュバリエは、世界五強のワンパンチでのけぞる……が。
こちらも笑顔を崩さぬまま。キレイなお顔にもケガはない。
「ウラァァアアッ!」
「――――」
命ゴイにおいて、万命の令嬢たちが武器による物理攻撃、ないし物理ダメージを利用することは極一部を除けば皆無だ。
プレイヤーたちは基本、本作のコンセプトに則り、万命術による言葉の精神ダメージでネチネチ、ときにはバッサリ倒すのが鉄則。
そもそもプレイヤーキャラクターには「武器」の概念が存在しない。
装備できるのは「ドレス」と「アクセサリー」のみである。
アクセサリー作成により、剣や槍のような”見た目は武器のアクセサリー”を用いれば物理攻撃が可能だが、本作のレベルデザインは物理属性をまったく考慮していないため、レベル1だろうがレベル100だろうがダメージに違いがない。つまり根本的に産廃であり、なにより武装で叩くのはALR対応の女性向けではウケない。
結果、命ゴイの戦闘で物理攻撃を用いるのは敵側のみ。皇騎士や草騎士たちだ。そして彼らは通常、エネミー同士で敵対することなく、その体も「物理攻撃を考慮していない、対精神攻撃にのみ配慮したパラメータ設計」であるから。
それがどういうことになるかというと。
ガン。ポカン。ガツン。ポカン。
バシッ。ポカン。ゴスッ。ポカン。
「ウラアアァァァアーーー!」
「――――」
レッドが、セクシースマイルを崩さないパティシュバリエを殴りまくり。
パティシュバリエが、ほぼ無傷なレッドを泡立て器で叩きまくる。
対物理にやたらと頑丈なイケメン同士による、惨たらしい泥仕合となった。
その原因は、ゲーム内ではまず使われないだろう、そもそも使い道がないのだからということで、敵側の物理防御の設計が面倒になった開発陣の女性プランナーらにより、「んー、この子はなんとなく男らしいから、こんくらいで!」くらいの勢いで調整された裏設定として、対物理面のパラメータが素顔の男らしさなる値の代替としてノリで調整されてしまっていたがゆえの悲劇だった。
「ウラァアアアアーーー!」
残念ながら、公式にお気持ちも送れない身上の者たちは。
「――――」
ガシポカ。ガシポカ。ガシポカ合戦を続けるほかなかった。
レッドの打撃はさすが十三皇。エンドコンテンツにふさわしい最強騎士らしく、作中で振るわれることのなかった拳闘でも、見た目の威力や速度は半端ではない。だが、「優男に見えるが実は硬派で一途」な妄想設定により、無駄すぎる物理防御を盛りに盛られていたパティシュバリエの堅さも半端ではない。
「なんと……本物の戦いというのは、かくも醜いものなのですね……」
血液表現はないが、どう見ても血みどろの叩き合い。
正常で異常な戦いを目にしているナビは、一人達観した。
レッドがパティシュバリエを両腕だけでノシたのは、相手の顔面に六十発ほどのパンチを入れたあとだった。それでもパティシュバリエはやさしげな笑みをいっさい崩すことなく、いっそ不気味な笑顔のまま、片膝を地につけた。
万命術であれば精神ダメージのリアクションで顔をしかめたりするのだが。
これは開発側が「草騎士が汗臭い決闘をするわけない」としたための手落ちだ。
「レッド、そのままパティシュバリエの持ち物を探ってください」
「……ケッ、俺に盗賊のまね事までさせるか、魔女め……」
それでも彼は受け入れ、膝をついている金髪コックの体をまさぐる。
レッドの手が、パティシュバリエのコックコートの内部に潜り込み、お目当てのアイテムを探す。システムに則っていれば「経験値およびアイテムドロップを確認するリザルト画面」で容易に受け取れるが、彼らならではの利点もある。
それは、相手が身に着けている物品はそのまま手に取れるということ。
レッドがやろうと思えば、顔や髪などの身体ビジュアルの破損や、万命の令嬢ですら不可侵設定である下半身の衣服をのぞき、パティシュヴァリエが持っている物であればなんでも奪うことができた。この点は、アイテムリストに設定されたオブジェクトにしかアクセスできないゲームプレイヤーとの大きな違いだ。
むしろ、この類いの仕様を夢見る者はいまだ少なくない。
「ロイヤルチョコレイトタルトはありますか、レッド」
「……ねえな。こいつはなにも持ってない。泡立て器くらいなもんだ」
男同士の遠慮なしのまさぐりも、まもなくタイムアウト。
規定時間内に討伐後の万令術を仕掛けられなかったことで、パティシュバリエの姿がその場から消失した。再出現は、一定時間後のリポップ待ちとなる。
笑顔の同輩を見届け、自らが殴り倒したことをあらためて自覚し、赤髪の侍騎士は間の抜けた泡立て器を片手に、魔女の口車に乗せられた失態にうなだれた。
「俺はなんてことを……草騎士をこの手で、しかもチョコはねえときやがった」
「大丈夫です! パティシュバリエはまだたくさんいるはずです!」
ナビが明るく元気にレッドを応援。
どちらかというと、そそのかそうとしている。
わざとらしさを隠しきれていないところもまた、彼女の未熟さ。
「そういうことじゃねえッ! ヘルプヤクの魔女がよッ!」
まあ、世界がどう変わろうと、皇騎士にツラい世界なのは変わりない。
「せめて染め紅さえありゃ、もっと楽に済ませられたんだが」
手元の泡立て器を、目線の高さに上げて自嘲する。
彼は今さらながら、愛刀との別れを悲しんでいた。
たしかに、皇騎士十三皇レッド=フォン=プリンシュヴァリエが持つ血吸いの刀「染め紅」は、この世界において破格のパラメータと特性を有していた。
それこそ、命ゴイにおいて最強武器の一角に位置するほどに。
染め紅の特性は、戦闘時間および攻撃・被撃のヒット時に応じて、彼の攻撃力に「0.25倍の乗算強化」をかけるというもの。
効果の始動は、HP減少に伴う別スキルの発動後からとなるが、普通に戦っていれば条件達成はとてもゆるく、単純な構図として、レッドは戦闘時間が長引けば長引くほどに攻撃力を無限大に強化できるボスであった。
それが今や、皇騎士屈指の名刀から、メレンゲ作りの泡立て器。
「この無力さ……まるで蛮女たちの悪夢の宴みてぇじゃねえか……」
己の得物の落差に、イケメンなりのトラウマが刺激される。
「ああ、十三皇の『お騎士見』ですか。懐かしい」
「……やめろ魔女。それだけは、その言葉だけは、俺の前で、口にするな」
「たしか、カリカリうめえさま主催の華やかなパーティでしたか」
「やめろってんだクソ魔女がよッ! その名を、俺に、聞かせるなぁッッ!!」
レッドの怒号は、もはや悲鳴であった。