桜色のレース(4)
夢楽園のガーデンタイガー。それは夏のタイダイタルシャーク、秋の八乙女狐、冬の飢に餓える者と比肩する、春の大物目玉アニマラーである。
イエマチでは戦闘力など設定されなかったものの、トラという生物を知らない身であっても、相手が生やさしい動物でないことは直感で分かった。
ちなみに各ネストのアニマラーはシーズンごとの入れ替え制であり、周期的に顔ぶれが変更されるところもアップデートのウリであった。
「ウォガアァァッ!!!」
「ぐおッ!? はええッ」
眼前でゆったりと歩いていたはずのガーデンタイガーが。
一度のまばたき。たったそれだけの行動を隙と見て、飛びかかってきた。
想像以上の速度と質量差を感じたレッドは、桜の木の棒で受けることをすぐさま諦め、地面に体を転がして正面衝突を避けた。
逃げられたガーデンタイガーはそれでいて慌てることなく、また意味深な距離でウロウロとしはじめ、両目だけでレッドを狙い続ける。
どんくさなナビが眼中に入っていないのは、二人にとって幸運であるが。
トラからすれば、レッドを落とせば一挙両得の餌である。
「レ、レッドっ」「黙ってろッ!」
のどかな春の庭に広がる、飢に餓える者と遜色のないプレッシャー。
美麗な桜並木と、自然の残酷さが共存する不可思議な光景。
生き死にを賭ける場所としては、甲でもあり乙でもある。
夢楽園のガーデンタイガーの急襲は繰り返し行われ、そのたびにレッドは体を転がして窮地を脱する。対人とはまったくもって異なる野生生物のリズム。
ゲームに愛された強キャラクターとて、現実的なスタンスで「トラと戦え」と言われれば、そりゃこうなると言わんばかりの苦境であった。
「グルルルルゥ……」
「コイツ、なめてんじゃねえッ!」
ガーデンタイガーの急襲直後、状況をひっくり返そうとレッドが打って出る。
だが桜の木の棒での殴打は、体をしなやかに曲げられ、容易に避けられた。
これまで戦ってきた鮫よりも、狐よりも、熊よりもすばやい身のこなし。
それでいて突進してくるたびにえぐれる地面が、相手の破壊力を物語る。
えぐれた桜の絨毯は傷痕をすぐさま修復し、元どおりのキレイな姿に戻る。
きっと、血がまき散らされてもすぐに美しく元通りになるのだろう。
レッドの呼吸が荒くなる。まだ一度も攻撃を受けていないが、夢楽園のガーデンタイガーからのプレッシャーがかつてないほどの重圧感を生んでいた。
先ほどまではフィカが並び立っていたが、今は味方がいない。たった一人で野生のフィジカルと対峙し、この場を切り抜けなくてはならない。
だからナビは、力の限り、祈りを込めて声を出した。
「お願いしますっ! 萌ゆる落ち葉よ――招き招けっっ!!」
目を閉じて、必死になって文言を唱えると。
足元で――ポンッ。
「メチャデカッ!」白のワンピース。
「ハナリナさまっ!」ミニハナが召喚された。
今朝方のウィンター・ネストで黒熊にやられてしまってから、現在時刻は昼すぎで夕方前。再びのアニマルポンで呼ぶには、あと十秒早ければクールタイム中だったというニヤピンを、ヘルプヤクの魔女はベストタイミングでものにした。
「蛮女もどきかッ!? でかしたナビッ!」
「メチャデカッ!」
小さな体で、相変わらずの怒り顔で、両腕を上げて万命術。
「ウォガッ!?」
未知の精神ダメージを受け、ガーデンタイガーがのけぞって距離を取る。
それでも致命傷には遠そうで、怒りを増幅しているだけに見えなくない。
彼我の距離を作った夢楽園のガーデンタイガーが剣呑にのどを鳴らし、中距離から威嚇してくる。小さな怒りんぼうミニハナを前に攻めあぐねている様子だ。
「おら、蛮女もどき」
「メチャデカッ!」
「うっせんだよ。俺にまで万命術をかけようとすんなボケ」
「メチャデカッ!」
「話通じてねえのか? さすが、もとから話の通じねえ蛮女だ」
「メチャデカッ!」
「おまえ、俺がいったら全力で声出せ。あいつをヒヨらせたら逃げるぞ」
「メチャデカッ!」
大きい返事。意思疎通が図れているかは不明だが。
ペット持ちの飼い主の日常のように、人間らしい愉快な一幕である。
「クックク、これで通じてなけりゃ俺もヤベえな、おい」
三色髪の小人の頭をポンッとしてから、敵に向かう。
「なっ!? ハナリナさまに頭ポンだなんて、なんてこと! ズルい私もしたい!」
のんきな魔女は、万命の令嬢たちによくやられた親愛のあいさつにお怒りだ。
桜散る風景のなか、皇騎士が白いマントをたなびかせ、様子見を続けていたガーデンタイガーに一気に肉迫する。そこから黒塗りの手甲に握られた桜の木の棒が、相手の顔面めがけて強く、鋭く、振るわれる。
だが、敵はなんなく回避。さらに一転攻勢。打撃直後で隙をさらしているレッドの上半身に両前足から飛びかかり、凶悪な牙が並ぶ口で食いかかった。
致命傷で済めばいいと思えるほどに、絶対的な絶命を予感させる凶暴さ。
レッドは心に冷や水を垂らしながらも、叫んだ。
「やれえッッ!! 蛮女もどきッッッ!!!!!」
赤髪の侍騎士の声に、万命術スキルツリーの「大声」が適用される。
夢楽園のガーデンタイガーがビクつき、わずかに静止した。その瞬間。
「メェーーーーーーッチャデカァッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!」
「あわっ!?」
「クハァッ!?!?」
「ウォガウッッッ!?!?!?」
強烈な、それはもう強烈な声が轟いた。その小さな体のどこから出てきたのかという驚きよりも早く、衝撃は耳から脳に刺さり、脳が危険信号を発する。
いわく「うるさすぎて耳痛くて脳揺さぶられてこりゃアカン」と。
耳にしたことのない大音量を前に、ナビは目をクラクラと回して、ついでに体もフラフラさせた。まさに音量兵器。レッドなどはより近くにいただけあって、全身がビリビリとシビれ、敵から逃げることも忘れて固まっている。
けれど、夢楽園のガーデンタイガーはさらにだ。敵は二人のように破壊的な音量で未知の衝撃を受けつつ、本命である万命術の精神ダメージもくらった。
壊れたアニマラーは肉体的には不死であり、たとえレッドやフィカが最大火力を叩き出しても戦闘不能にすることは困難、いや不可能であるが。
「ウォ、ウォガ、ォガ、ガ、ガガッ…………きゅーーーん……」
それはまるで、学校の先生をお母さんと呼んでしまったときのように。
誰もいないのだけれど、道ばたでスッ転んでしまったときのように。
受験の日にちを間違えて、寝坊したあとに気付いたときのように。
目の前を高速の車が走り抜けていく、危機一髪のときのように。
万命術なる暴言への対処などまったくもって考慮されていない平和な世界に生を受けた夢楽園のガーデンタイガーは、さまざまな感情を想起させる未経験のメンタルダメージを前に、すくみ、縮こまり、おびえて――明後日の方向へ。
ひどく動揺したまま、桜降る草原へと走って逃げていった。
それは紛れもなく、ミニハナがもたらした勝利だった。
まあ、巻き添えで仲間が死にかねなかったのだが。
「ふぁー……ふぁー……むわー……」
「こ、この、蛮女もどきがッ、殺す気かッッ!!」
「メチャデカァ……」
ミニハナは力を目いっぱい使ったからか、目を回して疲れている。
「礼はいいですって……ハナリナさまがぁ……」
「死にそうな顔で誤訳してんじゃねえぞバカ女ッ」
ナビが勝利のお祝いにミニハナの頭をナデナデしてあげようと試みるが、目も体もフラフラになっているため、なかなか触れられない。
レッドのほうも口から出る悪態は常だが、わりと命の危険が近かった。
もし、ここに至るまでにミニハナの万命術への勝手な自傷ダメージを克服していなければ、彼はマジで死んでいただろう。フィカも当然、死んでいた。
「ったく……まあいい。あのデッケーのもいなくなったことだしな」
音量の衝撃から気を取り直して、両目のピントが合ってきたところで。
道の両脇。桜並木の草花から、ピョコリとアニマラーが飛び出た。
「ぁん?」
それは先ほど見かけた、歯ウサギのようだった。
「んだぁ、さっきのブサイクか。ケッ、邪魔くせえ。散れ散れザコが」
「メチャデカァ……」
疲労中のミニハナの声には万命術が乗っていないようで、歯ウサギへの攻撃にはなっていない。そうして二本前歯のケッタイなうさぎは長い耳を立てつつ、大きな前歯をガチガチと噛み鳴らして、ぴょこぴょこと跳びはねてきた。
「チッ、ぶっ叩かれてぇのか、小動物の分際で――」
などと、レッドが強者の余裕を見せた瞬間。
ピョコリ、二匹。ピョコリ、三匹。ピョコリ、五匹。ピョコリ、九匹。
十匹、十数匹……あれよあれよという間にその数、三十匹以上。
子鬼リスに囲まれたときのように、大量の歯ウサギが次々と現れる。
とても残念なことに、人とアニマラーの友好をはじめる姿勢にも見えない。
「……レッドぉ」
「……俺のせいじゃねえだろ」
「メチャデカァ……」
誰の責任かと言えば、ミニハナの大音量が招き寄せたものである。
ガチガチガチガチガチ。大量の前歯による噛み鳴らしの音が増えていき、徐々に距離を詰めてくる。最初は小動物のささやかな触れ合いに見えていたが、今はもうお食事前のそれだ。事実、予想は錯覚で終わらず、一匹がレッドに飛びかかったと同時に、何十匹もの歯ウサギが一斉に食いかかってきた。
「クソがッ!! ナビ逃げるぞッ!!」
「むきゃっ!?」
レッドが、ナビの手を強引に引っぱり。
「メチャデカァ……」
ミニハナはいつもの小脇に抱えて、一目散にダッシュ。
大量の小型アニマラーの襲撃を前にして、レッドは即決で撤退を選んだ。
歯ウサギたちはぴょこぴょことかわいらしく追いかけてくるが、不気味なくらいには大きいサイズ感と、愛らしさを台無しにする前歯が自慢げにガチガチと鳴らされているせいで、調子づいた暴漢たちに襲撃されている絵面と大差ない。
さらに、レッドは懸命に走るも歯ウサギの大群に少しずつ距離を詰められる。
その原因は十割、「ハァハァ! ゼェゼェ! けほっ! は、はやっ!」。
すぐにスタミナゲージを枯らして息切れしているナビのせいである。
撤退側の足が鈍くなっていくなか、追跡側の獣足は速度を増していく。
このままだといずれ、凄惨な目にあうことだろう。
だからレッドは一言だけ断りを入れて、返事は聞かずに動いた。
「だぁーッ! おっせえんだよテメェッ!!」
ミニハナを肩にしがみつかせ、ヨレヨレの魔女を引き寄せ、悪態をつき。
お荷物を手荷物に変えるべく、魔女を両腕で大胆に抱きかかえる。
「むきゃっ、なっ!? なななっ!?!?!?」
命ゴイの世界では接触判定の制限もあり、概念ごと存在しなかった行為だが。
人気投票四位のイケメン皇騎士ともなれば、自然とたどり着いてしまえる。
「な、な、なななななな、なに勝手に! 私を! 抱えてるんですかっ!!!」
「うっせえ黙ってろ!!」
俗に言う、お姫さま抱っこというやつに。
体力万全のレッドは持ち前の高ステータスもあって、ナビの体重くらいなら苦でもなく抱えられた。おかげで、手を引いて走っていたときよりもスピードを出せるようになり、歯ウサギたちを少しずつ引き離すことに成功する。
今後の課題は、右肩の首筋近くで抱っこ人形のようにしがみついているミニハナがフラフラしていて危なっかしいのと、手荷物本人さまが両腕のなかで大量の暴言を吐きながら、ささやかに身をよじって小暴れしてくることくらいだ。
「い、いい、今すぐ離しなさいっ! このむっつりラッキードスケベっ!!!」
「だからうっせえ! 意味分かんねえ言葉を口にしてんじゃねえぞッ!!」
「メチャデカァ……」
「ふ、ふふ不純ですっ! 不純なりますっ! 不純なりますよーーーっ!!!」
「テメェ頭おかしいのか!? おかしいけどよ! いい加減捨ててくぞッ!!」
「メチャデカァ……」
高速で流れゆく満開の桜並木の下。朗らかな春の温度と、清らかな風が心地いいスプリング・ネスト。ほほ笑ましい男女の情景である。リアルな死を予感させる、大量に引き連れたブサイクな歯ウサギたちから目を背ければだが。
レッドが必死に走った成果で、気付いたころには歯ウサギたちも追うのは諦めだし、徐々に散り散りになって草むらに消えていった。
最後の一匹がいなくなったころには周囲の景色も変わり、それまで目にしていた豊かに肥えた桜ではなく、情緒のあるしだれ桜が景観の主役になっていた。
その間、レッドの両腕のなかで身を縮めて抱きかかえられていたナビは、暴れて興奮して疲れきったのか、両足をダラーっと外向きにこぼしている。
とてもじゃないが、疲労困憊な表情も含めてプリンセス失格だ。
「ハァ、ハァ、げほっ」
「はぁ、はぁ……おら、そろそろ自分の足で歩け」
かいがいしく足側から地面に下ろし、疲れ魔女を丁寧に立たせる。
「くぅぅ……万命の令嬢の皆さま、私はまた、体を穢されてしまいました……」
「いい態度だな、おい。ぶん殴られてぇのか?」
どの世界でも、どんくさ魔女のヘルプ役は大変なお仕事である。
「クスクス」
レッドの肩口で、小さなほほえみがこぼれた。
「むっ、ハナリナさまが、ハナリナさまになっています」
先ほどまで目を回していた白ワンピースのミニハナに変わり、いつの間にやら、水色ワンピースのミニリナがちょこんとしがみついている。
「なに言ってんのかややこしいんだよボケ。クズがカスに変化したで十分だ」
「な、なんたる暴言! 許すまじ許すまじハナリナさまへの暴言は許すまじっ!」
ミニハナのごとく、両腕を上げてお怒り。意外と元気な魔女である。
「蛮女もどき。おめえもさっさと降りろ」
と言いつつ、優しい手つきでミニリナを地面に降ろす。
「クスクス」
小さくお辞儀をし、爽やかに笑うところに、もとの人柄が表れている。
最大の美点は奇しくも、オリジナルの暗黒面が反映されなかったところだが。
「むーん許すまじっ、許すまじっ、許すまじーーーっ」
怒っているが暴力には訴えてこない、か弱い子は放っておき。
「おっ、黒い天塔がもうすぐ近くにあるじゃねえか。さっさと行くぞ」
「クスクス」
「むーーーっ!」
レッドとミニリナがイイ感じのコンビのように、勝手に歩きはじめる。
これまでの戦いの連続で、信頼でも芽生えたのかもしれない。
黄色い空のスプリング・ネストでは気付きにくいが、時刻は夕方どき。
しだれ桜の並木には雰囲気があるが、春の大地では空模様に暗めの色調のグラデーションが適用されないため、まだまだ昼すぎに近い調光である。
そんな光景でも不自然さを際立たせている黒い天塔は、体感ですぐ近く。
後ろを振り向くと、シーズンズ・スクエアの白い天塔はだいぶ遠くなった。
その反面、黒い塔の先で黄色の空を侵食しはじめた碧い波がもう近い。
碧い波との接触にはまだ猶予があるが、相対距離を縮めたことで悪寒が増す。
「許すま……むむ。レッド、あれがもしや」
「適中だと思いてぇな」「クスクス」
珍しく、レッドのほうがしだれ桜の風光明媚に感傷的になっていたころ、黒い天塔が目前に迫ってきた。その直下には、大きくも小さくもない一軒の白い家。
おそらく、それが当初からの目的地としていた。
「あれが凰華の言っていた、桜野サワカさまのお屋敷ですね」




