桜色のレース(1)
ドテン。「あうっ!」。
空中から、ナビが五体投地で地面に落ちた。
落下の衝撃で顔が痛い。膝も痛い。ついでにお腹も痛い。
「どんくせえなテメェ。大丈夫か」
「いたたぁ……ありがとう、レッド」
差し出された手を自然とつかみ、よっこらせっと立ち上がる。
「クックク、手くれえは耐性がついたか」
「むっ……は、離しなさい、このハレンチ男っ!」
気付かなかっただけの鈍感さはさておき、パッと手のぬくもりを離す。
「そうえばナビぃ、雪山で私のこと抱きしめてくれたよね~」
雪没夜叉に遭遇して、ナッツが雪に埋もれていたときの話だ。
「あ、あああ、あれは! その! 緊急時だったからですっ!」
「昨日の夜なんてあんなに恥ずかしがってたのに~、お姉さんうれしいよ~っ!」
「私のほうがお姉さんですっっ!!!」
海ガールからの喜びの抱擁に絡め取られる。
あたふた両手を振り回して抵抗する魔女の姿に、お姉さんらしさはない。
イチャイチャと浮かれる面々をよそに、凰華が安堵のため息をついた。
「間一髪といったところね。まさか、シーズンズ・スクエアに来られるだなんて」
「あっ、そうでした」
グイッと両手でナッツを突き放し、周囲を見回した。
シーズンズ・スクエアは各ネストの牧歌的かつ自然重視の風体とはまるで違い、現代的と言うべきか、近未来的と言うべきか、ピカピカな未知の材質で作られたビルや商業施設が色とりどりに建ち並ぶ、サイバーシティの様相であった。
もっとも、ここに訪れたことのある凰華以外には未知の世界。ナッツはまだしも、よくある中世ファンタジー風味が強めだった命ゴイからやってきた三人にとっては、まるでなじみのない、これまで以上に異世界めいた場所に映る。
「なんだか、なんなんでしょう。見たことのないすごそうな建造物ばかりです」
「んだよ、ありゃ。サッドライク皇城より高けえんじゃねえのか」
「不思議な材質だ。どの建物も甲冑をまとっているように見えるな」
田舎者のお登りさんの反応は、デジタルだろうと古今東西で変わらない。
天上の黄色い空が見渡しづらい、視界を切り取るようにして空を狭めている圧迫感のある高層ビル。透明に透きとおったガラスをふんだんに使った、どんな商品が置かれているのかも想像できないお店の数々。概念を知らなければ正体すら想像できない、アップダウンや丸みがおびただしいスケート場などなど。
それがゴールドスカイナーにおける、シーズンズ・スクエアの風景。
だが、この時代においてはゲーム以外でも珍しいロケーションではない。
雨後の竹の子のように生えて生まれたジャンル問わずのメタバースエリアというのは往々にして、文化や毛色、新旧や構造を自由に散りばめつつも「よい天気」「キレイな建物」「斬新な見た目」「にぎやかな町並み」など、目新しいテーマパークのような理想のイメージが世界的に共有されすぎていた。
そしてなんでもかんでも詰め込めるがゆえに、さまざまな理想と要素を組み合わせたところで、かえってありふれた着地点になりがちなのであった。
結果的に、ALR体験に求められるマップデザインは急速に発展したものの、従来的なゲームらしいマップデザインの作りがおろそかになり、ALRとして見れば使いやすいが、ゲームとして見れば使いづらい町の事例も増加傾向にある。
「なんだか、ここは暑いですね」
「正しくは、寒くないのよ」
シーズンズ・スクエア内は標準気候のため、体感補正の寒暖がない。
「私これもう脱いじゃお脱いじゃお~」
夏に生きる海ガールは本来、厚着がお好きではない。
ナビはウィンター・ネストでお世話になったモッズコートを、ナッツはファーコートを、凰華も無言でダウンコートを脱ぎ、隣のベンチに放った。
ナビたちは手荷物として持ち運ぼうとしたが、凰華が「捨てていいわ」と言うので、丁寧に畳みつつも、同じくベンチのうえに置くことにした。
「つーかよ、フィカ。もしかして俺らの体」
「ああ、どうやら治ったみたいだな。いつの間にか痛みが引いている」
「だよな。ご加護でもあんのか、ここにゃあ。ありがてぇには違えねえが」
ここに来て、レッドとフィカのHPが満タンまで回復した。シーズンズ・スクエアはフィールド相当のネストとは違い、ホームタウンのようなものだった。
ゴールドスカイナーは彼らに都合のいいシステムをことごとく備えていないが、ここでは移住者らの体感パラメータなどがデフォルト状態にリセットされる仕組みから、ずっと引きずっていた体の痛みもスッと消されていた。
意地を立てても、ときおり口から漏れるほど我慢していた痛みが消えたことで、二人は内心、跳びはねたくなるくらいの心地よさに浸っている。
「人は……やっぱりいませんね」
「凰華、ここにゃ野生のアニマラーもいねえのか」
「いないわ。シーズンズ・スクエアは移住者のためだけの町だもの」
あらためて周囲を見回すも、生物の息づきは感じられない。
人がいないホームタウン。シーズンズ・スクエアは移住者専用の町であり、人型のNPCもいない。代わりにさまざまな形状のロボット端末がショップなどをアテンドするが、ナビの目ではそれらをただの置物としか認識できなかった。
「ここに移住者たちがたくさんいたんですよね」
「そうね。私にとっては気分の悪い魔窟だけれど」
反論は浮かんだが、口は開かずにいた。
「とりあえず、安全を確保できたのは確かよ。移住者もアニマラーもいない以上、今のゴールドスカイナーで最も安全なのはこの町かもしれないわ」
プレイヤー専用インタフェースを有さないナビたちでは簡単には気付けないが、シーズンズ・スクエアの機能はまだ稼働しており、ロボット端末に話しかける術さえ試行錯誤して見つければ、今後の衣食住を整えられるほどだ。
人がいなくなった今の大陸都心は、壊れたアニマラーがのさばる各ネストで生活するよりも、よっぽど安心安全なスローライフをすごせてしまう。
けれど、それはナビの目的ではない。
「今やったみたいに、ここからスプリング・ネストにも行けるんですか」
「ええ。今ので使い方は理解できたわ」
凰華は本来、オータム・ネストにしか転送されないのだが、ゲームの理から外れた今、たった一度の試行で転送台のあらゆる使用法を感覚的に把握していた。
彼女も彼女で、壊れたイレギュラーなNPCの側にいるのである。
「渡り橋がないのに転送して、海に落っこちたりしちゃわないでしょうか」
ナビはシーズンズ・スクエアを出るとき、渡り橋に戻されるという想像をした。
しかし春行きの橋は足場がもうないので、海に落下すると思った、が。
「シーズンズ・スクエアからの転送は橋の先に出るのよ。安心しなさい」
「ふむ、そうですか」
イメージの細部は口に出さずとも、聡明な秋の地主は先回りでお見通し。
「じゃあ、さっそくスプリング・ネストに行きましょうか」
「え……も、もうですか?」
そろそろ、凰華が言うが早しのタイプであると身に染みてくる。
「あら、ナビは早くサワカに会いたいんじゃなくて? 私はあの子、嫌いだけど」
「む」
「私の勝手なライバルなのよ。気にしないで」
各ネストのNPCはゲーム上ではめったに絡みがない。ただ、人物同士の背景設定や季節の変わり目、シーズンズ・スクエアでのイベントごとでの集いなどでときどき接点を持ち、それぞれの関係性を構築している。ナッツが地元サマー・ネストで交友関係を持つように、凰華たち地主も特別な関係でつながっている。
秋の凰華、冬の霜割りの君、春の桜野サワカ、夏のバルールカンはそれぞれ相関図が用意されているが、例えば凰華なら「幼いころの冬ヌシとの思い出」「冬ヌシが気にする春ヌシへのやきもち」「暑苦しい夏ヌシへの苦手意識」である。
他方で、冬ヌシと夏ヌシは毛色は違えど男の友情が篤く、天然すっとぼ系美少女の春ヌシは、ちゃらけているが根は真面目な純愛夏ヌシの恋心に気付かないなど、地主たちも四者四様。移住者らもそれをかわいがり、お節介を焼いた。
公式イベントでも「秋のバレンタインデー」「夏のクリスマスパーティ」など、季節感をミックスした催しがシーズンズ・スクエアで開かれるたび、やってくる地主の組み合わせに応じて、親愛なる茶々を入れていたものだ。
「ここには転送台がいくらでもあるから、すぐに行けるわよ」
凰華の指さす先に、今しがた窮地を救ってもらった転送台が一台。
それ以外にも、古代日本には多かったという公衆電話ばりに点在している。
「むぅ、お腹も減っているので一息つきたいのですが……」
「どのみち、シーズンズ・スクエアでは食材を取り扱ってはいないわ」
いわゆる調理済みの食事ならあるが、彼女も入手方法を知らないので言わない。
「仕方ありません、なら行きましょう。ごは……桜野サワカさまに会うために」
レッドとナッツ、ついでにフィカに同意を求めるが、みな拒否はない。
そうして久々な気がする黒絹のローブの袖を揺らし、首元の深紅宝玉の位置を確かめて、ヘルプヤクの魔女が白銀糸のような一本髪を元気に踊らせた矢先。
「ナビ、あなたはサワカに会ってどうしたいの」
凰華の声には、少しだけトゲがあった。
「当然、万命の令嬢のことを……プレイヤーのことを尋ねます」
「さすがに分かっていると思うけれど、あの子はプレイヤーではないのよ」
桜野サワカ。スプリング・ネストにいるという春の地主。彼女は端的に、異世界転送的な設定でゴールドスカイナーにやってきたと、凰華は言っていた。
「きっと、そうなのでしょう」
「それどころか、私たちよりもプレイヤーの概念に乏しいかもしれない」
「かもしれません」
「サワカはあくまで、こちら側の住人。ナビの求める答えは持っていないわ」
凰華と出会い、彼女にプレイヤーの存在を示唆された時点で、ナビも想定はしていた。凰華にせよ、最初はナビをからかうつもりで意図的に伏せていた情報だが、この場にきて伝えた。フェアじゃないと思ったからだ。
桜野サワカはあくまで、プレイヤーのような者たちが生きている世界からやってきただけの存在。この世界の純粋な住人であると、ナビも分かっている。
ここにいる者たちとそう変わらない立場なのだろうと。それでも。
「なんでもいいのです。なんでも。サワカさまがいた場所では、どんな花が咲いていて、どんな服が着られていて、どんな言葉をかけあっていたのか。万命の令嬢の皆さまを感じられる、なにか一欠片でもいいのです。あの方々が生きている世界を、私も知り、スキになりたい。それが今の私の夢なのです」
サッドライク大陸なき今、ゴールドスカイナーに骨を埋める可能性があっても、知りたい。自分のスキを求めるためだけに逃げ続けてきた旅なのだから。
「……ハァ、仕方ないわね。いいわ、やることもないし、ついていってあげる」
「ありがとう凰華。ではレッドたちもご飯のために――」
振り返った浅緑色のナビの目は、誰よりも早く、その違和感を目視した。
見たことのない町。シーズンズ・スクエアに、一つだけ見たことのあるもの。
それは先ほどまでなかったはずのもの。真っ白で、純白な、白い塔。
白い天塔。この世界にあるはずのない大きな大きな天塔が。
それがいきなり、真後ろのビルに重なるようにして建っていた。
「ク、クックク、おいありゃあ、ざけんな……ざけんなッ、クソがよッ!!!!」
急に悪態をつきはじめたレッドの金色の両目は、別方向で固まっていた。
そちらを追うと、その先には、黒と碧。
見慣れた黒い天塔と、見たくもなかった碧い波。
「そん、な……ゴールドスカイナーにも、碧い波がやってくるのですかっ……」
なんの前触れもなく、兆候もなく。派手で未来的なシーズンズ・スクエアの建造物がかすむほどの存在感で、ゴールドスカイナーに急に現れた三つの存在。
そのうちの一つ。最も大きな物体が音もなく動きはじめる。
そうしてイエマチの黄色い世界で、碧い波がうごめき。
端から静かに、ゆっくりと丁寧に、彩り豊かな季節を食らいはじめた。




