絶寒(10)
「グゥガァァァーー!!」
飢に餓える者が、これまでになく咆哮した。それは悲鳴だった。
「ウガッ、ガッガッ!」
突然現れた白い狼が、黒熊を背後から強襲。
両眼から後頭部にかけて、その大きな口で噛みついていた。
白狼の牙は、飢に餓える者の顔面に食い込み、ギシギシと音が鳴るほどにかじりついている。見た目どおり絶えきれない痛みなのか、黒熊も全身で暴れる。
強化されたフィカをもってしても引き出せなかった、そのリアクションは、おそらくアニマラー同士が干渉していることが大きいのだろう。白狼の存在によって、飢に餓える者にもダメージが確実に入ることが認識できた。
そうでなければもはや、この難敵を倒しきることは不可能に思えてくる。
「ど、どうなっている。この狼は先ほど、僕らを助けてくれた……」
ラスト・カレスがカッコいいだけの不発に終わったフィカが呆然とするなか。
「ッ、なんだかよく分かんねえが、好機だろうがッ!」
レッドはすぐさま、白狼の援護に回るように銀槍を突き出す。
「ウガッガッガッ!!」「グゥガァァァァァ!!!!」
イエマチとは思えない、アニマラー同士による生々しい死力戦。
命ゴイと同じく、この世界にも血液や損傷表現こそないのだが。
それぞれが全身に浮かべる桃紫の発光が、グロテスクで痛々しい。
白狼は十数秒と飢に餓える者の顔面を丸かじりした。そのままであれば噛み千切りかねなかったが、飢に餓える者が暴れた拍子に、左腕の爪によって脇腹付近をえぐられてしまい、とっさに黒熊の背中を蹴って飛び離れた。
「セイヴッ!!!」
やはり知己なのだろう、凰華が叫ぶ。
対して白狼は、彼女に目線もよこさず、また飢に餓える者に飛びかかった。
狼の動きは強靱で高速。巨体の熊も破壊力は断トツだが、すばやく駆け、四肢に噛みついては飛び離れる俊足の白狼を捉えきれない。
さらにレッドも中距離から銀槍で手出し。狼に気を取られているときは対角の背面からフィカが強襲。人の手は地味だが、飢に餓える者を着実に削っていく。
新たに形成された三対一の戦いは、飢に餓える者に反撃を許さなかった。
決め手には欠けるが、一方的な攻勢が続くトライアングルの陣形。
互いに共闘の合意を取ったわけでもないのに、二人と一匹は攻め続けた。
「おめえが不死身だろうが、死ぬまで殺してやるよッ!!」
戦況の趨勢はすでに傾いている。場の空気も好転している。
そのせいで攻めあぐねたわけでも、攻め急いだわけでもなかったのだが。
飢に餓える者もまた、生まれながらにしての厳冬の強者だった。
「グゥガァァァアアァァッ!!!!!」
勝機に踊らされた青年二人が、ほんのわずかに前のめりになった瞬間。
一方的な攻勢を受け続け、身を固めていた黒熊が吠えると。
二人の間に突進。当然、抑えられはせず、包囲を抜け出される。
その先には、戦いを見守っていたナビたちの姿。
「ッッ!? しまっ……凰華ッ!!!」
「ナビッッ!!! 逃げろッ!!!」
高速。飢に餓える者はすぐさま屋敷の奥側までたどり着き。
凶暴な獣腕が届く距離まで迫られてしまったナビたちに牙をむく。
「ヤバヤバヤバ死ぬ死ぬ死ぬぅ!?!?!?」
ナッツは慌てふためくも、ナビを的確に逃がせるよう黒絹のローブをつかんだ。
「も、萌えるもちばよまねくまねこっ!」
焦り。ナビのアニマルポンは文言がめちゃくちゃだ。
そんな二人の前に、スッと、体を差し出す女性がいた。
「…………まったく」凰華だ。
秋の地主は冷静に、整然と、二人の前に歩み出た。そこは飢に餓える者の正面。まるで自らの身を差し出して、彼女たちを守ろうとしているように見える。
表情は苦笑交じりの諦観。それが彼女なりに格好をつけた投身だった。
「グゥガァァアアアァァア!!」
「凰華ァァァッ!!!」
フィカたちには到底追いつけない、わずかだが不可侵な距離の先で。
「クスッ……秋の実りに比べたら、人の一生なんて永遠だと思っていたのに」
時世の句に似た後悔は、目前に迫った野生の咆哮にかき消され。
「ウガゥッッ!!!!!」
「ッ!? んな、てめッ、俺の槍をッ!」
黒々とした熊手が、凰華のきゃしゃな体に振り下ろされる寸前。
誰よりも早く駆けた白狼が、その口でレッドの手元の銀槍をくわえて奪い取り。
そのまま疾風となって、飢に餓える者の背面に肉迫すると――ドスッ。
勢いのまま、飢に餓える者の背中から胸元にかけて、銀槍を貫き通した。
突き出た穂先が、凰華の顔面の真横を通りすぎ、彼女の後れ毛に触れる。
すると周囲に、何本かの緑黄の髪が散らされた。
「セイ、ヴ……?」
黒熊の巨体に隠れ、裏側は視認できていないが。
凰華には感じるものがあった。けれども。
「グゥガァァァァァァァーーーッ!!!!!!!」
飢に餓える者がよれる体を反転させ、密着していた白い狼に。
凶暴な右腕の爪を直上から突き刺し、背中から腹身まで貫通させた。
「ウヴォッ、ガボァッ」
「セ……セイヴッッ!!」
飢に餓える者が目に入っていないのか。凰華は無防備にも敵の前まで回り込んで、白い狼に近づき、地面に横たわったその体を抱く。
白狼の背中や腹には、それまでなかった桃紫の発光が新たに広がっていた。
あまりに危険な行動に、ようやく追いついたレッドとフィカは、凰華を蹴飛ばしてでも飢に餓える者との距離を作ろうとしたが……その必要はなかった。
胸部から背中にかけて銀槍を生やした飢に餓える者は、それが致命傷になったのだろう。白狼への反撃を最後に、剥製のように動きを止めていた。
「セイヴッ……セイヴッ……」
「ウガッ、ガボッ」
表情を崩した凰華は、倒れ込んだ白狼を抱き寄せ、懸命に声をかけ続けた。
狼はケガのせいか、あるいは野生の誇りか。感情の見えない目で彼女を見つめ。
やがて、吠えることもなく、凰華の腕のなかで静かに息を引き取った。
「おい、なんだ、その……ソイツのこと、やっぱ知ってたのか」
イケメンは赤髪を気まずそうにかきながら、凰華の反応を待つ。
「ええ」返答はそれだけ。
「そうか……ナビ、ナッツ、テメェらは無事か」
「問題ないです。その、狼さんに助けていただきました」
「うん……ありがとう、狼さん。凰華さまも」
秋の地主の目の前で亡骸となった、救世の獣に畏敬を送る。
「ウッ、グッ……僕にも皇束開放・エンドの反動がきたか」
フィカのほうは最後の皇束スキルで受けていた恩恵が消失すると。
レッドと同様、勝利時のみの生存ペナルティが発生。体が重くなる。
「これで僕らはともに、騎士としてはもはや役立たずだ」
「ハッ。それでも餌になって死ぬくれぇはしてみせろ、外騎士風情が」
きっぷのいい侍騎士は宣言どおり、やれることはやり尽くすつもりだ。
死闘が終わり、それぞれの安否が確認できたところで、凰華が細い両腕で白狼の亡骸を大切そうに抱き上げた。そのまま屋敷の奥側へと歩いていく。
向かったのは、霜割りの君の遺品が散財している場所。彼女は白狼の体を優しく安置して、数秒。声を出さずに眺めたあと、立ち上がり、もとの顔に戻った。
それが本当に、いつもの顔だったから、誰も無粋はしなかった。
「行きましょう。これ以上、この屋敷にいても危険なだけだわ」
「ぁん? 休んでかねえつもりか」
「えっ、あの、じゃあ、ご飯はぁ……?」
命のかかった死闘の精神疲れからひと休憩いれたいナビだったが、自分の隣で、今にも動き出しそうな飢に餓える者の死体をあらためて目にすると、たしかにここで寝るのはゴメンです……と自己完結。また。
「見なさい。外の吹雪がまた強くなっている。なにかが近づいているのよ」
飢に餓える者によって打ち破られた、屋敷の入口扉。
そこから見える外の風景は事実、訪れたときよりも強く吹雪いていた。
前例で考えれば、また雪没夜叉が潜んでいる証明か。冬の地主の屋敷内も入口が開け放たれてしまっている以上、戦地と変わりなさそうでもある。ここで迎え撃つのも手は手だが、相手が雪没夜叉一体とは限らない以上、籠城は危険だった。
「それで、どうするつもりだ凰華。外でオトリの餌にでもなってくれんのか?」
「冗談。皇騎士のくせに、レディの扱いも知らないのね」
「ただのジョークだ。イヤミのな。おまえが皇騎士のなんたるかを語るな」
軽口は嫌がらせのためではなく、いつもの温度に戻るためのポーズ。
「このまま山を下りましょう。スプリング・ネストに逃げ込むのよ」
堂々とした振る舞い。まるでパーティのリーダーである。
「もう、よいのですか」
一応の、ナビの優しい再確認にも。
「ええ、もういいの」
それだけの、そっけない返事で終わらせる。
死闘が終わったばかりだというのに、一行は休む間もなく移動を再開した。
「さ、寒い……」「さぶさぶさぶー!」「だらしないわね」
一人ずつ、温かくはないが寒くもなかった冬の地主の屋敷から出ていく。
「ス、スス、スプリング・ネストはさすがに、こんな寒くないですよね……?」
「さあ、どうかしら」
「凰華も行ったことはないのですか」
「ないわよ」
「そうですか。なら、一緒に初訪問ですね」
「いえ、旅よ」
「旅ですか?」
「ええ、気に食わない旅。一度だけ、してみたかったころがあったのよ」
屋敷内に最後に居残った凰華が一度だけ、屋敷奥のステンドグラスを振り返る。
目の端に映る、飢に餓える者の動かぬ死体はご愛敬であるが。
「ありがとう。私を生かしてくれて。さようならセイヴ……それと、スィード」
気持ちを置いていくように、一言だけつぶやき、その場をあとにした。
――それは「とんでけ、イエローマーチ ~春夏秋冬のんびりライフ~」の背景設定であり、サービス中は描かれなかった、設定資料上のみの出会いであったが。
『ねえ、しもわりのきみ』
『なんだい、凰華』
『あなたのほんとのなまえ、なんてゆーのよ』
『ごめん。それは誰にも教えてはいけない冬の決まりなんだ』
『キャンキャン!』
『なんでよ! おしえなさいよっ!』
『キャンキャン!』
『ほら、セイヴだってそうゆってるわ!』
『困ったな。僕ら冬守の真名隠しは、ウィンター・ネストの習わしなんだよ』
『そんなのしらないわ! わたしはあきヌシになる、おーかさまなのよ!』
『はは』
『セイヴだって、こんなにモフモフしてるんだからいいじゃない』
『ハッハッハッハ!』
『僕は、凍え山の冬の守り手だ。本来、他者は近づいてはならない』
『なんでよ!』
『飢に餓える者がいる限り、この山は危険だからね』
『ふーん。だからあんただけそとにでてこないのね。このひきこもりっ!』
『ごめんね、凰華』
『ハッハッハッハ!』
『なら、あなたがまもりなさいよ』
『え?』
『あなたがわたしをまもりなさいよ。それでいいわ。かんぺきよっ!』
『いや、だから……』
『ほら、セイヴもさんせーだってゆってるわ!』
『キャンキャン!』
『はは、困ったなぁ……』
『じゃあ、わたしもあなたのこと、まもったげる』
『?? 支離滅裂な気が……』
『ふっふん! しってる? あきはね、ふゆをささえるためにあるのよ』
『君が僕の……支え?』
『そーよ。なんてったってわたし、あきヌシさまになるんだもの!』
『キャンキャン!』
『そっか』
『そーよ!』
『なら、僕らはちゃんと支えられないとだね、セイヴ』
『ハッハッハッハ!』
『そーだわ! そのきががががとかゆーのやっつけたら、たびにでましょう!』
『旅?』
『ええ。たびよ。あきをあんないしたげる。なつはいやよ。ばるーるかんきらい』
『へー。じゃあ僕は、スプリング・ネストに行ってみたいな』
『なーんでよー! はるはもっといや! どーせサワカめあてなんでしょっ!』
『寒い冬が終わったあとの季節がさ、どんな景色なのか気になるんだ』
『キャンキャン!』
『うん、そうだねセイヴ。うん……僕も少し、旅をしてみたくなってきたかも』
『ほんとにっ!?』
『ほんとだよ。セイヴもそう言ってる』
『キャンキャン!』
『ほら。ね』
『ふーん。ま、まあー、どーしてもってんならいってあげてもいーけど!』
『はは……スィード』
『うん? すいいど?』
『僕の名前。凍え山から脅威が消えるその日まで、名乗ってはいけない真名』
『……いっちゃったわよ?』
『いいよ。凰華とは旅に行くんだから。いつか飢に餓える者を討ってからね』
『ふーん……ふーん!』
『キャンキャン!』
『凰華。僕もセイヴもその日がくるまで、この冬を、キミの秋を守ってみせるよ』
『わたしだってまもるわよ! ぜったいよ! やくそくよ!』
『うん。待っていて。僕も待ってるから』
公式サイトにも書かれていない、ムック本でしか知れないその背景は。
設定資料集のうえでは「色づく秋」と命名されている。




