絶寒(9)
「……ハ?」
物知り魔女が、単語の疑問符を返す。
「私はここに残るわ。ナビたちは先に行きなさい」
「ハ?」
「マヌケな顔しないで。今はそれが、きっと最善よ」
凰華の表情はサラリとしたもので。
「私が、飢に餓える者をおびき出す。その間に逃げるといいわ」
霜割りの君の遺品であろう銀槍と衣服を前にして、凰華はまた、ここから二手に分かれることを提案した。その意味は理解できても、納得はできない。
「それで、凰華はどうするのです」
「さあ。どうかしらね。ナビが気にすることじゃないわ」
「気にするに決まってますし、ダメです。そんなの許しません」
「許しは請うてない。私は用が済んだ。それだけよ。早く行ってちょうだい」
ハエを追い払うように、左手をシッシと優雅に振るう。
「ダメです。許せません」
「頑なね。嫌いよ、そういう子」
「私もです。気が合いますね」
凰華の目的はここ、冬の地主の屋敷に来ることだった。
それは冬の地主、霜割りの君の生存確認を意味していた。
そして確認できたから、もう用は済んだ。そう言っている。
ついでに、自分の命はもういらないと。そう言っているように聞こえる。
「男が死んで自暴自棄ってか? お寒いこと言ってんじゃねえぞクソ女」
レッドの声には、悪態以上の怒気が乗っかっている。
「下品な言い方はやめて。私と霜割りの君はそういう関係じゃない」
「死んだヤツの後追いをしたくなるほどの関係に、以上なんざねえよ」
「やめて。私はゴールドスカイナーで生きる術を失しただけ。下世話にしないで」
取り繕うように詭弁を立たせるが、これまでの一本の芯を通したような姿勢ともまた違う、自己犠牲とも言いがたい匂いに反発しなかった者はいない。
フィカもまだ口出しをしないが、難しい顔で凰華を見ている。
「凰華さまぁ……ダメだよぉ、別れちゃぁ……そんなことしたら死んじゃうよぉ」
ナッツもだ。涙混じりの真剣な声で伝える。
「いいの。私はどうせこの先、こんな場所で生き続けるつもりなんてないもの」
「でもでもでもぉ、やっぱり、ダメだよぉ……イヤだよぉ……」
ダメだし、イヤだ。言い方は違えど、みな同じ結論だ。
もしも二手に分かれて、凰華が飢に餓える者を引きつければ、ナビたちは安全にスプリング・ネストにたどり着ける可能性が大きくなる。
ただし、その役は誰もが演じられるもので、誰もが演じるべきではない役だ。
「認めません。凰華、あなたは必ず一緒に連れていきます」
「それが迷惑だって……言ってるでしょッ!!!」
論理が過熱し、感情が爆発する。
「ふんっ! 迷惑なんて知るもんですかっ!!!」
けれど負けない。彼女はヘルプヤクの魔女だ。
「私は、教え導く者。あなたのような分からず屋のお尻を引っぱたく魔女です!」
犠牲のうえで飢に餓える者から逃げる。それはナビにとって敗北だ。
なにより、死にたい人を死にたいままで放っておくことなどできない。
それなら、みんなで生きるか、みんなで死ぬかを選びたい。
「凰華、キミがヤツの餌になったところで稼げる時間などタカが知れている」
魔女の愉快な力押しに、ようやくフィカも乗じた。
「諦めろ。僕らサッドライクの騎士は、レディの尊い死など見過ごさない」
それが皇騎士と、腐っても外騎士たるイケメンたちの流儀だ。
数秒の沈黙の末、凰華が諦めるように深いため息をついた。自分でもむちゃくちゃだと分かっている論理を押し通すには、彼女はあまりに聡明だ。
「……どうなっても知らないわよ。飢に餓える者は絶対、私たちを追ってくる」
「それなら、もっと早く逃げればいいんです」
ナビが胸を張ってドヤると、流れは決した。
秋の地主は顔をプイッと背けて、立秋の緑と秋分の黄混じるお団子ヘアを揺れ動かすことなく、姫毛をなびかせた。精いっぱいの遺憾の意のようである。
「後悔しないことね。もう遅いけれど。私みたいな知性的な予言者の仕事はいつも『ほら、だから言ったでしょ』って言うことにあるのよ」
それが捨て台詞らしく、切り替えとともにいつもの気丈さを取り戻す。
付き合いは短くとも、そのほうが彼女に似合っているとナビは思った。
ガンッ……ガンッ……屋敷内でのイザコザが収まると同時に、入口扉でなにかがぶつかる音がした。開いた穴の隙間から見える色は、黒。かすかに聞こえてくるのは険悪なうなり声。お客さまはまず間違いなく、飢に餓える者だろう。
アニマラーは原則、ペットでなければ住居に侵入できない仕様だが、壊れた世界でその法則をも打ち破ったであろうことは、霜割りの君の遺品が示している。
「――皇騎士十三皇、使いなさい」
いち早く身構えていたレッドの背中に、凰華からなにかが投げつけられた。
右手で俊敏につかみ取ったそれは、銀の槍。霜割りの君の銀槍。
「彼が命運をともにしてきた銀槍、折ったら承知しないわ」
「ケッ、命が惜しくなるまでは善処してやる」
握りを確かめる。モリやクワと比べて心強さが段違い。ちゃんと武器。
それがこの世で唯一、分かりやすく武器である霜割りの君の愛用品。
飾り気のない無装飾の槍だが、かえって洗練された意匠に見える。
「グゥガァァァッ!!」
支えのない白の扉は簡単に破られた。同時に、屋敷内に寒気が入り込んでくる。
飢に餓える者が黒々とした巨体を不気味に揺らし、ゆっくりと侵入してくる。
「最終決戦だ。テメェら、死にたきゃ突っ立ってろ。逃げたきゃ走れよッ!」
五食分の獲物を捉えた黒熊が、太く頑丈な四足で地面を蹴り出し、銀槍を構えるレッドの前で二足歩行に移行。彼を抱きしめるように全身で襲いかかった。
赤髪の侍騎士は銀の槍を器用に操り、得意武器と見間違うほどの高速二連突きで迎撃する。これは二皇、エディス=フォン=プリンシュヴァリエが槍使いであり、踏まれたがりのイケメン策士との訓練がタメになった動きである。
銀槍の刃先が鋭い突きを浴びせるも、飢に餓える者の頑強な体を貫くことはできず、黒い剛毛をわずかに空中に散らすにとどまる。
戦闘なき世界ゆえ、ティア・フロトゥピスと違い武器としてのパラメータも有さないアバター用オブジェクトでしかない銀槍だが、なにか、特殊な力でも働いているのか。飢に餓える者はそれまでにないほど嫌がり、猛った。
「キミたちは奥に下がるんだッ! レッド、左右から同時にいくぞッ!」
弱体化している銀槍の侍騎士に負けじと、フィカも打って出る。
ティア・フロトゥピスの斬撃もやはり通らずで、レッドの銀槍による攻撃時のほうが相手のリアクションが大きいと見て取った彼は、黒熊との距離をさらに縮め、零距離まで肉薄し、レッドの数倍の手数で斬撃を重ねた。
彼なりの戦力計算。飢に餓える者の敵意をより多く買うためのオトリ作戦。
それにレッドは、終式ペナルティの影響で戦闘能力が著しく衰えている。
もう一打でもくらえば、次こそ致命になりかねない。
状況を踏まえると、彼を矢面に立たせるわけにはいかなかった。
「グゥガァァァ……!」
飢えた手負いの黒熊は、新しい傷こそ増えないがストレスがたまったか。
全身を大きく身震いさせたのち、敵対者を仕留めようと暴れ出した。
その一つ一つを的確に避ける二人だが、かすりでもすれば一瞬でボロ雑巾だ。
青年たちは野生の暴力を完璧に回避してみせた。けれど攻撃しても反撃しても、怯ませることすらできない。皇騎士と外騎士はシステムの場外乱闘じみた巨体黒熊を相手に、死と隣り合わせの緊張を宿しながらも懸命に攻め続ける。
レッドが突き出した銀槍は、生物の弱点であろう眼球を数度も突いたが、いずれも鉄を叩いたかのようにはじき返された。ティア・フロトゥピスも脇腹や関節部を小器用に斬りつけているが、こちらも手応えは得られず。
無敵のボスモンスターに、無根拠で挑んでいるような焦燥感が募る。だが、この戦いにかかっている命の数を前に、油断はせず立ち回る。レッドとフィカの言葉いらずのコンビネーションも敵の意識を完全に揺さぶれている。
それでもなお届かないのか。壊れたアニマラーの理不尽な不死身さもそうだが、単純な生物としても太刀打ちできていない無力さがこみ上げてくる。
そういう肌に悪い感覚の積み重ねは、長期戦の最中に発露してしまった。
「グゥガァァァッッ!!!」
「ぐはぁッ!」
全身で押し寄せた黒熊が、左腕でティア・フロトゥピスを跳ね上げると。
鋭い爪を生やした右腕で、フィカの純白のサーコートの胸部を切り裂いた。
「フィカァッ!? オマエッ、このッ、クソがよォォ!!!」
レッドの銀槍に致命打を託すべく、無理攻めで敵の関心を引いていたフィカが、ここにきて的確に捉えきられ、負傷してしまった。
上半身がくずおれた彼に、飢に餓える者が追い打ちを試みる。
だがレッドが怒りを腕に乗せつつ、冷静な乱打で追い返すことに成功する。
「グッ、おらザコ騎士ッ!! ケガはだいじょ――」
「――――皇束開放ォ……」
静かに解き放たれた決意の声。外騎士のオートスキル。
それこそが彼が残していた、最後の希望の力。
「――――エンドッ! ラスト・カレスッッッ!!!」
フィカの背中から青白い水蒸気が立ち上り、超臨界に達して爆発。轟音をまき散らしながら、青白い電流を走らせる白色粒子を舞わせた。
外騎士二皇、最後の切り札「皇束開放・エンド:ラスト・カレス」。
残りHP20%以下時、ステータス基底値を1.5倍にし、状態異常・特殊能力・属性の類を100%カット。レッドと同様、使用後にフィカが勝利したときは弱体化が適用されるが、最大の特徴はフィニッシュムーブ「ラスト・カレス」の存在。
フィカは皇束開放・ファースト時、広範囲攻撃化「カレス・インパクト」を解禁する。皇束開放・セカンド時は、手負いとなったレッドをそのまま一撃で葬り去ろうとした時間充填技「ギルティ・カレス」を解禁する。
そして皇束開放・エンド時は、一定時間経過後に強制発動する全滅技。
万命の令嬢との戦闘に強制勝利する演出技「ラスト・カレス」を発動する。
これにより命ゴイ時代は、HP吸収量を上回れないと倒せないレッド、変わり手がすべて無効化されたうえでの純粋なダメージレースで倒さなければいけないフィカといった差別化がなされ、立ち向かった万命の令嬢たちを苦しめた。
……という事実は、無敵最強傲慢令嬢の前では決して多くはなかったものの。
この調整は、レッドと比べて「お騎士見をさせづらくしよう!」が起点となっており、フィカの設計自体は開発チームの狙いどおりに作用した。
ゲーム的にも、いずれも一定ラインの戦力に達していないと足切りされる存在として、それぞれ強ボスとしての立ち位置を確立していた。
まあ、ラスト・カレスの演出発動は皇束開放・エンド後から"三分経過"とあり、火力偏重な蛮女環境では、その間にタイマンでも堂々と罵り勝たれてしまう程度のバランス。ハラハラドキドキ演出の域を越えていなかったため、わざわざ見ようと思ってニヤニヤしながらぼっ立ちしてみた令嬢以外、どういう攻撃なのかも見たことがないプレイヤーが大半である。それが命ゴイの力関係というものだ。
「レッドォ! ラスト・カレス発動までの三分間、僕を援護しろッ!」
「クソがッ! 大技キメめねえで死に腐ったら、ただじゃおかねえぞッ!」
ラスト・カレスは自動発動。二人の目にタイマーは見えないものの。
カウントダウンはイエマチの世界でも順調に機能し、時を刻んでいた。
「ここからが、僕の本気だッッ!!」
飢に餓える者に向かい、果敢にもフィカが俊足で踏み込む。
ラスト・カレスを除いても、彼は皇束開放・エンドによるステータス強化の恩恵で戦闘力を大幅に向上させている。身のこなしも圧倒的な加速力を得ており、攻めるにせよ、避けるにせよ、先ほどまでとは段違いのスピードだった。
花裂きの剣ティア・フロトゥピスも剣速が増していき、レッドの銀の槍以上に、飢に餓える者の被撃リアクションを引き出しはじめる。
「グゥガァァァ……!」
外騎士二皇に翻弄されはじめた飢に餓える者が、全身で暴れ回る。
敵すら捉えようとせず、見境なく両腕を振り回されるため近づきづらいが。
「今さら、その程度の力で、僕を抑えられるかッ!!!」
バレエを踊るような華麗な足さばきで、フィカが黒熊の両手をかいくぐる。
そして打撃力を増したティア・フロトゥピスで、胸部を切りつけた。
不利的状況が一変。フィカが攻防の優位を握りはじめた。
彼らはキャラクター的に、HPが低下するほど強くなるボスだからだ。
惜しむらくは二人とも「三段階強化の恩恵は乗算」なことで、皇束スキルが順次適用されていればもっと強力であったことだが。ここイエマチの法則では言っても栓のないこと。この土壇場に切り札を持ってきたフィカの勝利だ。
いまだ、飢に餓える者の体に傷らしい傷はつけられていない。
それでも一方的に傾いた戦闘はやがて、世界に三分の時を刻み――。
「――貴女に命じて令ずる。永久に眠れ……ラスト・カレスッッッ!!!」
両手で地面に突き刺したティア・フロトゥピスが、強く発光する。
冬の地主の屋敷内全体に、白い光。時限式の全滅技を走らせ。
光が収まったころ、目の前に立っていた飢に餓える者が。
「…………グゥガァァァ!!!」
べつに、なにも起きずに戦いを再開しはじめた。
「なッ!? 僕のラスト・カレスでもダメなのかッ……!!」
もしラスト・カレスに、目の前の敵を強制的に叩き潰す攻撃……などの演出設定でも付与されていれば、飢に餓える者にも効いたのかもしれない。
だが、この大技は残念ながら「すべての邪を一掃する聖なる光」という設定のもと、アクション的にもそれほど作り込まれたわけではなく、ただの白い発光演出にプログラムで戦闘強制勝利な意味づけをしただけのものだった。
結果、戦闘システムの備わっていないイエマチで、彼の最後の切り札は、ウィンター・ネストで光り輝くクリスマスツリー以上の効果を発揮しなかった。
「クソがッ! なんもねえじゃねえか! この役立たずな外騎士がよッ!」
「キミが言うなッ!」
「グゥガァッ!!!!!!」
不可思議な儀式に怒り狂った飢に餓える者が、二人に突進する。
言い合いをしていたレッドとフィカは、不意の隙を突かれてしまったが。
「――――――ウガゥッ!!!」
屋敷の入口から、新たに白い影。
二人に迫りくる、飢に餓える者の頭部に後ろから。
先ほどの青い眼の白狼が、大口を開いて噛みついていた。




