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サ終世界から逃げ魔女っ!  作者: 手遊花
■イエマチ編
70/81

絶寒(7)

 獰猛な大型生物。それをイメージのまま形にしたような黒く大きな獣が、太く頑丈な四足のうち、後ろの二足だけで立ち上がり、両腕を大きく広げている。

 不規則に尖った牙が並ぶ口内からは、腹の底に響く重低音のうねり声と、体温の熱さを感じさせる白い吐息が獲物に向けて放たれている。


「グゥガァァァ……」

 飢に餓える者。それがこの、腹を空かせた手負いの黒熊の異名だ。

「ハわ、りワ、はま……?」

 口元が凍えてうまく動かせないナビが、ミニハナリナの所在に声を漏らす。


 外敵の足元で立ち上ったスモークは、吹雪に吹かれ、すぐに消えた。

 ミニハナはどうやら、気配を感じぬ間に背後から襲われたようだった。


「クソッ、とんでもねえ客のお出ましだ……凰華、おまえはこいつらを頼む」


 レッドは戦慄していた秋の地主に冷え切った体のナビとナッツを預け、そのまま下がらせた。魔女から離れた手の未練がましさは、死を予感したからだ。

 けれども、それをすぐに断ち切り、フィカとともに並び立つ。


「レッド、さすがに状況が芳しくない。交戦よりも撤退に専念すべきだ」

「分かってる。このままだとアイツらが凍え死ぬか――」

「僕らが食い殺されるかだ。生物としての圧力が尋常じゃない」

「だな……どうする。今朝の小屋まで戻るか?」

 眼前には巨大な飢に餓える者と、先行き不安な雪山の傾斜。

 山小屋までそう離れてはいないはずで、今なら下り坂も利用できる……が。


「山を下るのは無謀よ。飢に餓える者は人よりも圧倒的に足が早いはずだわ。背後からやられるのが関の山よ……私たちの撤退路は、山頂への道だけ」


 人間よりもよっぽど強い足腰。もし斜面を下って逃げようとすれば彼らは即座に肉塊となる。それが古来より、クマと対峙してしまった人の習わしだ。


「……了解だ。おらナビ、もう少し気張れよ」

「ぅぉぅ……わかり、ましゅた……」


 凰華はガタガタと震えるナビとナッツを、ギュッと力強く抱き寄せ、二人の耳元で「シャキッと走りなさい。ここで死にたくなければね」と告げる。

 今にも寒さで凍りついてしまいそうな魔女とウサ耳ガールは、そのハードな要求に両目で不平不満を返すも、反対の意は見せず、意識を奮い立たせる。


「グゥガァァァ……」

 野生の黒熊の姿は、八乙女狐や雪没夜叉とはまた違う。

 生死をより身近に感じさせてくる、そんなプレッシャーをまとっている。

「ヤツには僕が当たる。キミは援護しながら、凰華たちの進路を確保しろ」

「ケッ、頼まれてやる。さっさといけ」

 宣言どおり、フィカが右足を踏み出し、飢に餓える者に立ち向かった。


 降雪と傾斜。視界も足場も悪いなか、上段に構えたティア・フロトゥピスを大げさに振り下ろし、飢に餓える者を威嚇する。だが、敵は大ぶりの剣閃に目線すら釣られることなく、堂々とした不動のままフィカを見定めた。


 まるで相手を見透かした上位者の佇まい。過剰な大立ち回りで少しでも感心を引こうとしていた外騎士二皇だったが、安易な動きで揺さぶれる相手ではないとすぐに考えをあらため、ティア・フロトゥピスを青眼に構え直す。


 続けた斬撃は、深入りすることなく、手傷を負わせれば十分とばかりに距離感を維持した、堅実で小回りの効く実戦的なもの。花裂きの剣の刀身は、飢に餓える者の腹身を撫でるようにして斜めに走ったが……傷痕はなし。

 黒々とした剛毛は、鋼鉄をも跳ね返す強靱さを備えているようであった。


「グゥガァァァ!!!」

 眼前をうろつく黒髪の小バエへの反撃は、豪腕の振り下ろし。

 フィカは軌道を読むこともせず、勘だけで体ごと後退して回避する。


 不作法に振るわれた右腕の爪の間から、風を切って鳴らす音が吹き抜ける。

 どんな角度で当たっても、人の体くらいならズタズタに引き裂いてしまえそうな力強さ。そもそもの豪腕自体、気軽に受け止めようとすればフィカでもレッドでも体ごと宙に浮かされ、ただでは済まないはずだった。


 皇騎士や外騎士の技量をもってすれば、避けられないほどの攻撃ではない。

 ただし、避けなければ()()()()()()()()()()とハッキリと分かってしまう。

 飢に餓える者の打撃力は、対峙しているだけで神経に負荷がかかった。


「グゥガァァァ!!!」

「セイヤァーー!!」


 それでもフィカは過度に密着し、肉弾戦を仕掛けた。反時計回りで相手の周囲にまとわりつくような距離感はリターンを見込めず、リスクだけが高まる。


 その間、レッドはそれぞれの立ち位置を調節して、凰華に手を引っぱられているナビとナッツが戦闘地点を迂回しながら山を登っていく。

 歩みは早くはないが、身体を張って進路を妨害しているフィカとレッドにより、飢に餓える者の目線が向かってくることはない。


 そのうち、昨晩レッドが雪没夜叉を相手にコントロールしていたように、フィカと飢に餓える者が山の下側に、ナビたちが山の上側に位置取った。

 フィカはギリギリの攻防戦を仕掛けているが、被弾はなし。

 そこは命ゴイの五強に入る、外騎士二皇の成す技だ。


「フィカッ、オマエも少しずつ山を登って――」

「ッ、しくじった……!」

 レッドのかけ声よりも先に、フィカの体が崩れた。


 攻撃されたわけではない。彼は凰華たちが先行したのを確認し、山の下側へと立ち位置を入れ替えた飢に餓える者に対峙しながら、後ろ歩きで傾斜を登っていた。しかし、足元を深めの雪に取られてしまい、つまづいた。

 両肩にかかる背負い袋の重量で、体のバランスを崩してしまったせいだ。


 隙を見逃さず、飢に餓える者が覆い被さるようにして飛び込んでくる。

 攻撃どころか、その重量でもって潰されればグロテスクなイケメンになること請け合いであったが、フィカはとっさに背負い袋から両腕を引き抜き、すばやく後転して、足元の大きな荷物を敵に向かってテクニカルに蹴り上げる。


 黒熊の顔面に当たったそれはダメージにはならなかったが、イラつかせることはできた。飢に餓える者は、飛んできた背負い袋に八つ当たりするように腕を振るい、爪で引き裂く。すると中身のジャガイモが雪道に散らばった。


「クッ、食料がやられてしまったッ」

「んなもん今はどうだっていい! とっとと下がれフィカァ!」

 幸い、ナビは寒さに集中していたので卒倒せずに済んだ。


 重量よりも身体可動域の面で身軽になったフィカだが、優位になったわけでもなく、黒熊相手にジリジリとしたヒリつく攻防を続ける。雪没夜叉を下がらせたことで吹雪は明らかに弱まってきたが、それでも視界はギリギリ。


 一行の先頭で女二人を必死に引っぱっている、見た目以上に頼りになる凰華と、最後尾で飢に餓える者を引きつけているフィカの相互視認は保てているが、目的地の手がかりはまだない。進路は凰華の経験だけにかかっていた。


「フゥ、ハァッ!!」「グゥガァッ!」

 イケメンの荒い呼吸音。疲弊を感じさせる。


 鋭利なティア・フロトゥピスの刃はすでに、飢に餓える者の体を何度も斬りつけている。だが黒い体は傷つくことなく、すべて剛毛で跳ね返している。

 黒熊の全身には、桃紫色の発光とは別に裂傷がところどころに見られるのだが。もはやその手傷すら、どのようにすればつけられるのか理解できない。


 それに刀身を腕や爪で迎撃されると、フィカはそのたびに体ごと吹き飛ばされかねない衝撃に襲われた。ティア・フロトゥピスを手放さないのは彼の意地だが、世界が世界であれば、剣自体がとっくに半壊していてもおかしくはない。

 どうにか渡り合えているだけ行幸。遅々として進まない撤退と先の見えない攻防に、みなの精神がすり減る。凶悪さはタイダイタルシャークと似たようなものであるが、サメと違い、クマからは逃げられるビジョンが浮かばない。


 野生のフィジカルはひどく頑強で、イケメンたちのちっぽけさを物語っていた。


「フィカァ! 俺と変われッ!」

 元親友の疲労を見かねたレッドが、クワを片手に突撃する。

「フゥ、ハァ……クッ、ダメだレッドォ! キミは凰華たちをッ!」

 忠告しつつもフィカは機会を捨てず、呼吸を合わせて同時攻撃に打って出る。


 レッドは斜面を下る勢いを利用し、敵の左肩にクワを大きく振るった。

 皇騎士の攻めに合わせて、フィカは右の下半身から剣を振り上げる。

 完璧な対角線攻撃のコンビネーションが、飢に餓える者に決まる。


「グゥガァァァッッ!!!!!」

 だがそれだけ。命ゴイ最強タッグの攻撃でも、手傷すら与えられない。

 飢に餓える者は、小賢しい小動物たちに怒りの声を上げ、暴れはじめる。

「グワッ!?」「くはッ!?」

 踏み込んだ攻撃のせいで回避がおろそかになり、二人は暴力に絡めとられた。


 フィカのティア・フロトゥピスは下半身への切り上げであったため、飢に餓える者からの反撃にも力が乗りきっていなかった。対してレッドのクワは上半身への袈裟斬りであったため、大暴れされて振るわれた黒熊の打撃により、武器としていたクワが強烈に叩かれ、遠い雪山の斜面へ吹き飛ばされてしまう。


 二人ともダメージこそ微量で済んだが、クワを拾いにいくには位置が悪い。

 こうしてレッドはまた無手となってしまった。


「グゥガァッ!」

 そして左右に散ったイケメンたちの間を、飢に餓える者が正面から突破する。

「グッ!? てんめぇそっち行くんじゃねえ! おまえら逃げろッ!!」

 青年二人の先にいるのは当然、疲労しきった女三人。

「……あのバカ男たち!」「ハァっ、ヒャアっ」「ぅふぃーッ……」


 レッドとフィカは踵を返し、全力で飢に餓える者の背中を追うが、まったくもって速度が違う。クマが走ったときの最大速度は50キロに及ぶと言われているように、黒熊は数秒で凰華と、彼女に引っぱられてゼェゼェと山を登っているナビ、震えるナッツのもとにたどり着き、両腕を上げ、花を裂くように振り下ろした。


「……最後の最後に、死に様まで最低ね。なんて残酷な世界なのかしら」

 死を受け入れた凰華の眼前に、飢に餓える者の右腕が迫り。

「――――ウガゥッ!!!」


 いったい、どこから飛び出してきたのか。その黒々とした豪腕に。

 桃紫の発光を浮かべた、青い眼をした、真っ白な狼が食らいついた。


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