最長の最短(4)
追放棄路の門壁、一つめの開放条件である「レベル80」が不発に終わった以上、ナビが試みるのは二つめ「定命の令嬢パス(1か月。有償版)」だが。
「定命の令嬢パス……ですか。万命ではない……定命……完全に意味不明です」
「定命だと……? おい、もしかして、あの厚顔な蛮女どもも死ぬのかッ!?」
二人の議論は、まさに未知の言語にとまどう現地住民そのもの。
「パス、手形。一か月。有償版。物品か期日を設けた儀式? 有償の版とは……」
「ひと月後に有るもので償わせる手形。有るもの、定命……命を払えってか」
「つまり、死の契約をもって門壁を開く手形とせよ……そういうことですか」
「ここより先は外騎士の巣窟。相応の覚悟を証明しろってことだろ、クソがよ」
人知が及ばない。人ではないが。ナビはファアキュウの万命書のページをいったん閉じて、あらためて「定命の令嬢パス」の語を検索する。
しかし、そこにも「月額料金」「追加ログインボーナス」「経験値・ナルキの取得量三倍」「パブリッククローゼット使用権」などと難解な令嬢語が並ぶ。
それらを再度調べていっても、同じように理解に及ばず、らちがあかない。
そのうち二人は「……万命の令嬢ならではの概念か」と思索を諦めた。
やはり、彼女らには「ボーナスたくさんの一か月サブスクリプションサービスを購入すれば、レベリングやクエストを消化してなくても大型アップデートエリアに行けますよ」というだけのことも理解するのは難しい。
そもそもパスを購入するには外貨もアクセス手段もない身の上。命ゴイの有償サービスの提供にせよ、とっくの昔に停止してしまっている。
現状、二つめの選択肢は意味を理解したところで確定で無理な案であった。
「蛮女どもが。不埒な淫蕩のカス女とは分かっちゃいたが、このうえ徴税官みてぇな金勘定にも手を伸ばしてやがったか。皇国を絡めとるつもりかクズが」
レッドの場合、理解できなさすぎて推論が明後日の方向にたどり着き。
お金。命ゴイでいう「ナルキ」が関わるのであろうと読み、一人逆上する。
「令嬢の皆さまはそのようなことはしません。妄想はやめなさい、十三皇」
「クックク、テメェの節穴じゃ強欲な獣まで無欲とするか。めでてぇ魔女がよ」
「むっ……イフ・ケイク――」
「ッ!? テんメェまたなにしやがる気だ!」
「むがっ」
とっさに万命令を唱えて仕返ししようとするナビの口元を、レッドが抑える。
はたから見ればイチャイチャしているように見えなくもないが、あたり一面どころか、サッドライク大陸に二人を認識できる存在が残っているのかは怪しい。
そんなこんなで無駄に時間を費やしつつも、次の案に取りかかった。
「三つめはロイヤルチョコレイトタルトの贈り物……これなら分かります」
「ロイヤルチョコレイトタルトと言やぁ、たしか、草騎士の、あいつだ」
「パティシュバリエ」
「そいつだ。パティシュヴァリエが一週間かけて作る名物だったな」
「万命の令嬢たちへ贈る、貢ぎ物ですね」
「貢ぎ物ッ!? ざけんじゃねえぞッ! 蛮女はただ搾取してるだけだろがッ!」
パティシュヴァリエとはサッドライク皇国周辺に湧く草騎士であり、ロイヤルチョコレイトタルトは彼らのレアドロップのことであるが。
レッドが言うように、音声バトルの要たる「万命術」で皇騎士や草騎士たちが精神ダメージを負ってうめき、なじられ、戦闘不能状態を示す、地面に片膝をつきながら報酬アイテムを献上する絵面を見れば、どちらの言い分も分かる。
命ゴイのタイトル発表時、同時開設された公式サイトで提示されたのは。
「惨めね――あなた、それでも皇騎士?」といった。
ピンク色のセクシーさを押し出した挑発的なキャッチコピーである。
万命の令嬢たちの通常攻撃にあたる万命術は、発した音声の言葉、発音、口調、意気などをゲーム側が音声認識し、複雑かつ適当にダメージが計算される。
ALR使用中はリアル人体が生理現象や自然反応以外では動くことなく、ゲーム内で思い思いに喋ってもゲーム接続中の身体は声を出さず、命ゴイ内でのみアウトプットされる。おかげで家族や近隣住民に優しい。それ以前に、本人が被りかねない甚大な寝言被害を抑えられるのが最重要であるが。
実際、サディスティック恋愛オンラインRPGを謳う命ゴイだが、イケナイお姉さんたちによるちょっぴりセクシーなイタズラワードの駆け引き……なんてものは、爆笑するためのお遊びパーティプレイのときに用いられただけ。
普段の万命の令嬢たちによるゲームプレイ中。
万命術を用いたバトルの様子の九割五分は。
『ブッサ。タイプじゃないしキザくてキモい』
『ウッザ。ほら死んで、早く死んで、ゴミ野郎』
『しね』
『さっさと土下座して。無意味に謝罪して。ほらゲザれよカスがよォォ!』
『そのイケメンですーって顔、まじ無理。ぶん殴りたい。ツラ出せ』
『あんのクソオヤジ! さっさと会社辞めろ! 電車撮って轢かれてろ!』
『あんたさ、イイ顔して立ってるだけでご飯食べて生きれるんだ? クズすぎ』
『しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね』
などと。サディズム嗜好以前に、現代社会に疲れてやさぐれた女たちが、美麗な万命の令嬢たちの姿で、どうしようもなく知性のない暴言の限りを尽くした。
その光景の目撃証言から「女子さんwww(笑)」とネット上をにぎわせ、物見にやってきたにぎやかしプレイヤーが、ナビのクソみたいなチュートリアルの洗礼を受けて笑い、本当に人目を気にせず、イケメンNPCに頭悪そうな暴言を吐きまくる万命の令嬢たちの姿に腹を抱えるなどして、最初は愉快な空気に包まれた。
だが、一か月もするとこの世界は。
「現代女性の闇」と評されるようになった。
冷静に冷淡に淡々と。キレイな口から吐瀉物を吐き続けるように、日常のストレスを暴言に変えて出力する令嬢たちの様子は、最初は笑えるものがあった。
だが一日、二日、一週間と経つと。美しき四季彩の大草原で、思わずビクッとさせられる本格派の怒鳴り声が増えた。そのころになると、物見遊山にやってきた人たちに「あ、これマジヤバいヤツだ」と思わせるだけのパワーがあった。
また時間が経つにつれ、好き好んで遊び続けていた奇特な万命の令嬢たちのなかから、なにか、真性とでもいうのか、圧力を身にまとう者が増加した。
そこからは加速度的だった。当初は無料で斬新だからと遊びのフリで楽しんでいたはずの令嬢も、心の原石が磨かれ、やがて命ゴイにふさわしい”ホンモノ”へと変貌。すると、この世界はあまり近づけないお店のような本気の雰囲気が形成され、「あれはもう笑えない。近づくな」との警告が広まるようになった。
今もなお闊歩している壊れた令嬢たちにしても、彼女らは例外なく全員、サービス終了の発表後に告知された「未ログイン三か月でデータ消去のお知らせ」という、運営側がデータ保全の後処理を楽にするためだけの計画をかいくぐり、命ゴイが終わるその日まで遊び続けた、愛されるべき屈強なソルジャーたちだけ。
つまるところ、レッドたち皇騎士は、近未来蛮族じみた現代女性らの相手をした者たちだ。プレイヤー保護のため、指一本にすら干渉できない敵。斬っても叩いても手応えがない鋼鉄のような美女。善戦しても苦戦しても一方的になじられ、笑われ、バカにされ、勝っても負けても蔑まれ、尊厳を傷つけられる。
皇騎士はそんな無法どもを相手にがんばって戦った、偉大な騎士だった。
事実、サービス末期にお遊びで潜り込んだ男性プレイヤーが、ゲームとはいえ、NPCとはいえ、万命の令嬢たちの口から無限に湧いて出てくる生きた罵詈雑言により、イケメンらがなすすべもなくメッタ打ちにされる姿に胸を打たれ、「誰か皇騎士を救ってあげてくれ!」という見出しの個人記事を掲載した。
これが爆発的に伸びた。読者の多くは哀れなイケメン騎士に同情し、悪逆卑劣で「どんな生活してればそんなヒドイこと言えるの?」と蛮女に恐怖することで盛り上がった。惜しむらくは、サービス終了発表後の花火でしかなかったこと。
なかでも神髄と言えるのが、万命術での戦闘勝利後に行使できる「万令術」だが……これはまた別の話として、ナビとレッドの状況に戻ろう。
「おい、待て。ロイヤルチョコレイトタルトは分かるが、贈り物ってなんだ?」
草騎士パティシュバリエが持っている秘蔵品を、いったい誰に贈るのか?
レッドの疑問には、ナビがあっさりと答える。
「私にです」
「んだと?」
「万命の令嬢たちはみな、私にロイヤルチョコレイトタルトを贈るのです」
「……ハァ?」
赤髪の侍騎士が、顔を不思議にゆがませる。
「私は令嬢から好物のチョコレートを贈られると"こうかんど"なる神経が高まり、喜びのお返しとして魔法鍵『万鍵』を贈呈します。なかでもロイヤルチョコレイトタルトは一個で一本と破格なため、皆さまからもよくいただきました」
魔女の隠れ家に住まうナビに、レアドロップである贈り物専用アイテムを手渡すと、物品と個数と継続期間に応じて「万鍵」を入手できる。
この鍵は通常、それぞれのゲーム内時間で生活している皇騎士たちの、サッドライク皇城にある寝室に忍び込むためのもので、いつもとはちょっと違うドキッ! なシチュエーションを楽しむための特殊アイテムである。
だがその実態は、より豪奢なドレスの制作ための布材や宝玉を集めるべく、睡眠中の皇騎士に安息の時間すら与えず、ベッドの横で言葉でボコっては物品を強奪して帰る稼ぎプレイに使われるのが大半だったが、話が帰結するところは。
「万鍵ってのがありゃ、この追放棄路の門壁だろうが開けるってことか」
「ええ、そういうことでしょう」
実のところ、ナビの狙いは最初から万鍵である。
ファアキュウの万命書で『追放棄路の門壁』と調べたとき、ページに出てきた文字列を見て、選択肢の一つ目、二つ目、四つ目のクエスト「棄て花の隠されごと」は、最初から理解が及びそうにないことが分かっていた。
四つの選択肢のうち、自分にはおそらく三つ目しか理解できない。
なら、パティシュバリエからロイヤルチョコレイトタルトを手に入れる。
手に入れるにも、自身の力で草騎士を倒すことは不可能に近い。
であれば、倒せる人。戦える力。レッドの手。彼が必要だと。
なにより贈り物には、相手の存在が不可欠だった。
それが分かっていたから、彼女は最初に皇騎士への協調を済ませていた。
「おい、ちょっと待てよ……テメェ、言ってることがおかしくねえか?」
「? なにがでしょう、十三皇」
「……テメェも十三皇はやめろ。レッドでいい」
「そうですか。それでなにがでしょう、十三皇」
「蛮女がよ。ともかく、万鍵とやらはテメェが持ってんだろ?」
「ええ」
「なら、なんで今ここで出さねえ」
レッドの質問はその通りだが。
それはナビとて承知していること。
「持っていないからです」
「ぁん……? いや……なに言ってんだ? 万鍵があるから持ってんだろ?」
「私は贈り物をもらったときに、万鍵を手に入れるのです」
「……ぁん?」
「そういうものなのです、ヘルプヤクの魔女とは」
「な、なに言って……おいおいおい、こいつ、もしや、頭おかしいのか……?」
二人は今、身に着けている衣服や甲冑を除けば、手荷物はなにも持っていない。見たとおりの着の身着のまま。システム面にアクセスできないから、アイテムストレージもなければ、なにもない空間から物を取り出すこともできない。
それらは超越的存在たる、万命の令嬢たちだけに許された特権だ。
ナビが自覚しているとおり、今現在の彼女は万鍵を持っていない。
ただし「誰かからロイヤルチョコレイトタルトをもらったとき、イベント処理として、報酬の万鍵を対象者に渡す」という挙動が備わっている。
彼女自身もイマイチ理解はしていないが、過去の命ゴイのサービス期間中の記憶により、「そこはそういうものだ」と記憶している。
ゆえに、彼女には自分に贈り物をさせるための相手が必要だった。
「それでは大陸東部へと参りましょう。あまり時間がありませんので」
一人で納得。銀の一本髪をなびかせて、一人で歩きはじめる。
「ど、どういうことだ? 鍵を持ってないのになぜ……グッ、クソがよ!」
赤髪をかきむしって混乱するも、今は飲み込むほかない。
追放棄路の赤さびた門壁に見切りをつけ、四季彩の大草原を歩いていくナビ。
その背中を慌てて追いながら、レッドはチラリと横目で遠い空を見上げる。
青い空を隔てる、不気味な碧い波は、憂森林の半分を飲み込みはじめている。