最長の最短(3)
ナビが唱えた言の葉で、レッドの身体が一瞬だけ輝く。
しかし、それだけ。彼はギュッと目をつむり、体を震わせるが。
先ほどの壊れた令嬢のように消えることはなかった。
「テ、テメェッ!? いきなりなにを、俺になにをしやがったッッ!?!?」
レッドはいたく動揺するが。
「むむ?? やはり門壁は開かずですか」
ナビは彼に見向きすらせず、いつの間にかそっぽ向いており。
背後。追放棄路の門壁にペタペタと触れている。
「な、なんだッ、なんなんだッ! なにしたッ! 言え、魔女ッ!」
「べつに、大したことではありませんし」
「ざけんなッ! 俺の体が急に光ったんだぞッ!?」
「ふむ、万命の令嬢でないと意味を成しませんか。プーパと同じですね」
戦う力を持たないナビが唯一、その身で行使できる魔法。
それは命ゴイにおける「チュートリアルの三つの問いかけ」。
命ゴイはALR対応ゲームであり、人体に埋め込まれたニューロジャック端子からアクセスすることで、ゲームスタートと同時に意識と体感をゲーム内に持ち込める。注意点は、リラックス姿勢ではじめること。
ニューゲームではログイン時、自身がまるで別世界に飛び込んでしまったかのような演出で、ここサッドライク大陸の南端、スタート地点である恥ずかし魔女の隠れ家に降り立つ。そのとき、目の前にヘルプヤクの魔女が驚いた顔で立っている。このナビは、今いるナビと同じ存在だが、厳密にはイベント処理で配置されている別オブジェクトのため、同一存在だが、同一個体ではない。
そして次の瞬間、命ゴイを瞬間風速で風評大爆笑タイトルにのし上げた。
クソみたいなチュートリアルの選択肢がいきなり提示される。
A:『私は、魔女に声をかけた』
B:『私は、魔女の足から頭までベロベロと舐め回すように眺めて、名を尋ねた』
当たり前だが、正解はどう考えてもBだ。命ゴイ的にはそれが当然だ――という意思表明が込められたのであろうチュートリアルの選択肢。
しかし、大多数の人間は「とりあえずA」もしくは「上の選択肢」を選ぶ者が大半。それがゲームのみならず、選択下における人の無意識の判断というもの。
また、Bは単純にネタに走りすぎているきらいがあり、嫌いな人は嫌悪するだろう。そこまでいかずとも、ふしだらで苦手に思う人だっている。
それにALR接続もある。目が慣れるとそこまで濃密な作り込みではない世界であることに気付けるが、ゲームをはじめたての視界で、希少な植物のような凜々しさのあるリアル寄りの美少女を目にすると、不思議な感覚になるのもあり。
そこでなんとなくAを選ぶと、視野に次のテキストが浮かぶ。
「【魔女は答えなかった】。そのままどこかへ行ってしまった」
微妙に腹立つバラエティチックなBGMを背に、画面は暗転。
次に、冷や汗を垂らしているちっちゃなナビをあしらった一枚イラストが掲示される。そこには「ざんねん! 遊びたかったら命ゴイしてね!」という、気の効いたユーモアさでも醸し出したかったんだろうが、実際はよく分からないうちに一瞬でゲームオーバーになってしまった者の神経を絶妙に逆なでるだけの文言。
さらにALR対応ゲームでは没入感を損なわないよう、タイトル画面などを提示する前に、ゲーム世界にダイレクトに没入させるのが主流のなか。
近年の業界では忌避されている、往年のコンピュータゲームのような妙に古くさい、デザイン不足の突貫作りなタイトル画面に遷移する。
しかも、一連のチュートリアルでナビに提示される三つの選択肢は、どれもBが正解。「選びやすいよう上枠に用意された無難なA案」を選ぶと、記述は違うが同じような演出と文言で煽られ、時代遅れのタイトル画面に戻される。
なにか、とてつもないストレスを与えてくるわけではない。
すごく、ゲームプレイに過度な支障があるわけでもない。
言ってしまえば、ちょっと風変わりなテーマを提示したいがために凝った、開発陣のちゃめっ気を見せるイタズラのようなものだったが……これが大外れ。
サービス開始時は、初速の口コミで嘲笑と不快を呼び。
『サディスティックの意味をはき違えた産廃。しね』
『チュートリアルでゲームオーバーになる寒いクソゲー』
『基本プレイ無料ではじめやすいという利点を全部殺したバカ』
『こういうゲームなんですよおww とか笑って作ってそうで純粋にキモい』
『自分のこと面白いとか思ってそうなやつがやるやつ。逆にかわいそう』
『演出に知性を感じない。もって三か月。ご愁傷さまの★1です』
『即消しました。イエマチに帰ります。グッバイゴミ』
などの言われようで、サービス開始から三日ほどおもちゃとしてにぎわった。
ただし、ゲーム内容が知れ渡るようになると……そこはまた別の話として。
ともかく、ナビ主導で進行するチュートリアル中は、万命の令嬢たちに対して「ゲーム世界にいる権限」「移動操作の権限」「システム機能の開放権限」の対応コマンドを順次振るい、ゲームを遊ぶための基礎機能が開放されていく。
それはナビのキャラクター情報に格納されている、あくまでチュートリアルを進行させるためだけの、ゲームスタートのためだけのプログラムであったが。
地震災害後。命ゴイの破損の影響はナビにも及んでいて、今の彼女は、相手からの問いかけすら必要とせず、一方的な宣言で相手の権限を奪い取れる。
「イフ・ケイク・ワン(もし、あなたがガトーショコラなら……)」
【魔女は答えなかった】のなら。
万命の令嬢は、この世界にはいられない。
「イフ・ケイク・トゥ(もし、あなたがフォンダンショコラなら……)」
【魔女は教えなかった】のなら。
万命の令嬢は、歩いて移動できなくなる。
「イフ・ケイク・シィ(もし、あなたがザッハトルテなら……)」
【魔女は授けなかった】のなら。
万命の令嬢は、システム画面を開けなくなる。
二週間前、ナビが壊れた令嬢に初めて襲われたとき、ふと脳裏で思い出したこの魔法「万命令」は、目の前にいた令嬢をこの世から消し去った。
それはまるで、壊れた令嬢が触れたもののように、碧い波に飲まれたもののように、存在そのものを消し去ってしまう非道なリーサルウェポンだった。
ナビは自らの恐ろしき力の制限を知ろうと、隠れ家周辺にいるマスコット的な非敵対型MOBで、彼女のお掃除の邪魔する虫たち「プーパ」に万命令を唱えた。
機能画面を付与するケイク・シィを唱えると、プーパに変化はなかった。
彼らは万命の令嬢のように、なにもない虚空を見つめて、瞬く間に衣装を着替えたり、足元に花びらを残して消え去ったりもせず、お掃除の邪魔をした。
移動操作を付与するケイク・トゥを唱えると、プーパに変化はなかった。
彼らは万命の令嬢のように、お喋りしながら走ったり、まるで進路を見ていないのに的確に目的地に向かったりもせず、いつものようにお掃除の邪魔をした。
そして、いくらなんでもかわいそうなので、やるのは一度限りとドキドキしながら、この世界にいる権限を奪うケイク・ワンを唱えても、やはりプーパたちは壊れた令嬢のように消えることはなく、毎日のようにお掃除の邪魔をし続けた。
ついでに、隠れ家の外れにたった一人だけ配置されている戦闘チュートリアル用のイケメン草騎士にも、命を奪うかもしれないとおびえながら三種を唱えた。
だが、甘い笑顔の草騎士にはどれも効かず、そそくさと撤退した。
探求は続く。最終的に、ナビは自分に向かっても唱えた。
とはいえ、彼女は特殊な作りのナビゲーションキャラクター。
プログラム的に命令を受け付ける余地はなかった。
それを彼女自身は知らないが、こうした実験の結果。
『つまり、この万命令は、万命の令嬢の皆さまにしか効かないのですね』
ナビの見解は「万命令が効くのは万命の令嬢たちだけ」ということになった。ゲームとして見るなら、本来は不可逆であるべきスタートプログラムの濫用であり、バグを生み出しかねない可逆性だが、最低限の法則はあるようだった。
しかし、だ。
令嬢たちと同等の知的生物相手なら、どうだ?
使う使わないに限らず、仮定はしていた。生まれてこの方、万命の令嬢たちしか目にしたことがない彼女。令嬢たちが嗜好の限りを尽くした逸話や、最低な構図のスクリーンショットなどで皇騎士の姿は知っていたが、会って話したことはない。サッドライク大陸由来の、皇騎士以外の知的生物も見たことがない。
ゲームシステムとは別にある理。ファアキュウの万命書にも決して載っていないイレギュラーな概念だけに、ヘルプヤクの魔女は自らで思索していた。
生け贄がほしいぞ。そして、それが目の前に現れたぞ。
だからとりあえず、いきなりケイク・シィを唱えてみようか。
そうしてレッドは無遠慮に実験体にされた……というのが今である。
「ま、魔女ッ! 答えろッ! 場合によってはここで死なせて――」
「十三皇、あなたの目に、なにか変わった数字や文字は映っていませんか」
レッドの相手をしているヒマなどない。
強引に自分の話へと持っていく。
「数字に文字だぁ……? なに言ってんだテメェ!」
「なんというか……身に着けたものを手足を使わずに脱いだりできますか」
「グッ!? テメェそれは蛮女のやり口! やっぱ品性下劣なクソ女かッ!」
ナビが指したのは、自分では見たことのない”しすてむがめん”のこと。
つまり、急にHPゲージが見えるようになったりしていないかの問いだ。
ただ、そもそもユーザー側のシステムに属さない彼女らには、各種ゲーム内機能を実行するためのコマンドもインターフェースも備わっていない。だからステータス確認や装備変更といったプレイヤーキャラクターの特権も行使できない。
ナビの非道な実験は、レッドのトラウマを刺激しただけで終わった。
「むむ、万命令はやはり、万命の令嬢にしか効かないのですか……ブツブツ」
分かっていた答えだが、これもまた新たな答え。
ナビの目的は、彼に「れべる」なるものがあるかの確認だった。
万命の令嬢たちはよく「れべる」という言葉で双方の強弱を示していた。
彼女の見解では「れべる」は強さの指標であり、また目の前に起立する追放棄路の門壁が開く条件「レベル80」に関わる数値であった。
ゆえに、それがレッドにあるのであれば話は早い……といった考えから手と手を取り合った瞬間、相談もなくケイク・シィを唱え、彼に強制的に万命の令嬢たちのような生物としての新たな概念を付与できるかを画策した。
「十三皇に変化なし。一つめの条件は令嬢たちでないと無理そうですね」
淡々と述べる口調は、被検体を相手にした研究者のそれだ。
「だからテメェ! 俺になにをしたんだよッ!?!?」
「うるさいです。騒がないでください。ほら、次を考えますよ、次」
万命の令嬢たちにとって、ナビは優しき案内人であり、頼もしき相棒であり、かわいらしい妹分であり、すがりつくおばあちゃんの知恵袋であるが。
彼女もまた、隙だらけに作られた皇騎士相手では蛮女であった。