とんでけ、イエマチ!(10)
「シュギャアアアァッー!!!」
見たことのない、魚類と言うには巨大すぎる魚。
「クソがよッ!!」
それが大口を開いて、眼前に迫っていた。
レッドは川の流れに身を任せ、腰のベルトからモリを引き抜き、自身の上半身に丸っとかじりついてくるであろうタイダイタルシャークに対して、"モリを縦に構えて"の防御姿勢を取る。要はつっかえ棒にして、かじられるのを防ぐ試みだ。
「シュギャアァッ!」
サメの口が、縦にしたモリへと激突し、ガンッと衝突音。
「グゥッ……!」
ギチギチと、押し比べの均衡が音になって響いている。
敵の体表は上部が深い青色で、下部は白色。右目のほかに背中や腹、尾ひれの一部など、全身のところどころに無理やり引き裂かれたような裂傷じみた模様を浮かべており、桃色と紫色のまだらが妖しげに発光している。
先のオオカマキリでも見られた、壊れたアニマラーの証拠。
「っぅ――イフ・ケイク・ワン(もし、あなたがガトーショコラなら……)」
赤髪の侍騎士が襲われている背後で、とっさに口に出す。
「【魔女は答えなかった】」ヘルプヤクの魔女の万命令。
それは世界の規則を侵害する、彼女だけの魔法であり。
タイダイタルシャークの存在を消し飛ばす呪い……になるはずだったが。
「シュギャアアアァッー!!!」
「むぅっ……万命令も効かないっ……」
効かない。これまで何度も窮地を救ってきた万命令だが。
世界の法則が異なる、ゴールドスカイナーのアニマラーには届かない。
巨大な大口に迫られる未知の恐怖と、か細いモリの一本で押し引きしながらも、レッドは水流のなかで果敢に右足を振り上げ、サメの下あごを蹴飛ばす。
ダメージになった様子はないが、タイダイタルシャークはそれをうっとうしく思ったか。毛嫌いするように身じろぎして数歩後退し、得物を見定める。
「クソがッ、ケッタイな姿の魚のくせしやがってッ」
「シュギュゥゥゥ……」
落ち着いて目にするタイダイタルシャークの全身は、彼の知識にはないものの、まさに水面に浮かぶ巨体のサメそのもの。
凶悪に突き出された口先から、ヒラヒラと振られている尾びれまで、レッドを縦に二人分ほど並べた体長があり、横幅もレッド三人分はありそうな太さ。
まるでトラックvs人間。青白の体に浮かぶ桃紫色の裂傷ような発光はもとより、ギザギザに尖った鮫歯がいかに捕食に長けているかを表している。
ただし、発光している右目とは逆、小さく切れ長な左目はギロリとしているが、本物とは違ってキャラクターチックなデザインだ。肌質も鮫肌ではなく、モチモチとしていそうで、ペンギンの見た目に通ずるやわらか感がある。
それというのも、タイダイタルシャークはあくまでペットナイズされたアニマラーであり、彼らはリアリティが追求された生物群ではないからだ。
その一要素として、タイダイタルシャークはお腹の下あたりにずんぐりむっくりな二本の短足を備えており、地上を歩くことができる。
今は白鳥が水中に両足を隠しているように、プカプカと立ち泳ぎしながら、全身を水上に浮かべている。とはいえ、ここが水族館でもなければかわいいものではない。破損した桃紫色の発光が、それだけで危険生物の異常さを表している。
「シュギュゥゥゥ……」
巨体を水面に浮かべつつ、様子見。
敵はあからさまに襲撃の機会をうかがっている。
「……ナビ、平気か」
レッドは全神経で相手の動きを捉えながらも、意識は背後へ。
「あっ、わぷっ、っぷぅ!」
サメの襲撃に驚き、溺れかけていそうな音を出すナビに注意を払う。
「ゆっくりでいい。まずは止まれ、それから進め。絶対、水に流されんなよ」
「はっ、ぅっぷ、わっ、は、ハイっ!」
素直に受け入れた魔女も、まずは落ち着いて態勢を立て直そうとがんばる。
進めなくても止まれるならいい。最悪なのは川の流れに足を取られ、レッドよりも体を前にさらしてしまい、タイダイタルシャークに食らいつかれること。
それさえなければ最低限……とも言いづらい。仮に現状維持でも風向きは悪い。初手の突撃、彼の両手に伝わった衝撃、ビリビリとくる痛みを伴うシビれ。
「この野郎……プリベリオンシュヴァリエ級かッ……!」
永久鋼土で遭遇した最強の敵、鋼の騎士王プリベリオンシュヴァリエ。
見た目は違えど、あれくらいの圧力を一撃のもとに感じてしまった。
「デケえだけの魚の分際で、人さまナメんなよッ!!」
「シュギャアアアァッー!!!」
再度、タイダイタルシャークが水上で跳びはね、一直線に襲い来る。
目の端でわずかにとらえた、ずんぐりな二本足に不格好さを抱くも。
ガンッ。衝突。細いモリで受け止めたには大きすぎる音。付随する衝撃。
イエマチには戦闘の概念やシステムがたしかに存在しない。存在しないのだが、壊れた世界の壊れた生物として、アニマラーたちは相手のオブジェクトに無理やり干渉し、力任せにぶつかり、形状や器官で食い散らかすことができた。
ある意味、電子の計算世界には似つかわしくない原始的な暴力だ。
それゆえ、今のこの世界で人間キャラクターに働いている不利は、仕様の壁すら越えて、とてつもないディスアドバンテージにつながっている。
もしタイダイタルシャークが敵モンスターとして設定され、システムを介在して戦うのなら、「レベル50のサメ」に「レベル100の幼女」が食らいつかれたところでピンピンしていて、反撃のビンタで一撃KOを狙うこともできる。
それがゲームを成り立たせる、バトルシステムというものだ。
しかし、戦いのためのシステムを有さないイエマチにおいて、パラメータすらも持たないタイダイタルシャークは、その姿。野生生物としてデザインされた体格をそのままバトルシステムの枠外、リアルな暴力の領域で生かしている。
それはむしろ、RPGに出てくるファンタジーな敵として設計されるよりもよっぽど凶悪で、よっぽど強力。ゲームに登場するモンスターを指して「こんなのリアルで戦ったら勝てっこない」とメタ的に語られる現象と同じ。
現状は、ゲーム的には最強クラスのキャラクターである皇騎士十三皇が。
システムもパラメータも介さない、ゲームとは言えない自然領域で、化け物サメにフィジカルファイトを申し込まれているのに等しかった。
「シュギャアアアァッー!!!」
ガチン、ガチン、ガチン。
縦にしたモリの前で、大口が何度も噛みしめられる。
「クッソ、アブねえ歯しやがってッ!」
槍のようにモリを握るレッドの手指には、かすかに引っかかっていないが。
角度を誤れば、指数本がすぐに持っていかれる程度の危うげな均衡。
「ぁ、あっぷ! わっぷ!」
バシャバシャ。後ろでは、ナビが賢明に泳ごうとしている物音が続く。
だが、距離的にはあまり進展していなさそう。
できれば振り返って確認し、ナッツのほうまでぶん投げてやりたいが。
「シュギャアアアァッー!!!」
眼前のタイダイタルシャークは、その隙を与えてくれそうにない。
敵は巨体を水面に浮かべながら、再突撃のための距離を取るように後退する。
そしてすぐさま三度目の突撃。モリがへし折れてもおかしくない音が鳴る。
レッドだけであれば、このままタイダイタルシャークと対峙しながらでもジリジリと足を進めて対岸まで渡りきれる。相手も足つきの魚とはいえ、歩行速度はそれほどないものと予想すれば、その後の逃げ方だっていくらでもある。
けれど、そのためにはナビの安全を確保してからでないといけない。
それまで皇騎士十三皇はこの場から動けない。動くつもりもない。
「あぷぷっ、わぷっ、あわっふぁっぷ!」
「あせんなくていい。安心しろ。テメェは絶対死なせねぇって誓ったばかりだ」
サッドライク皇国亡き今、最後の皇国民を守ると誓った今。
彼はその身を賭して、魔女の騎士であろうとしている。
タイダイタルシャークがまた飛び跳ね、モリで受ける。
海の捕食者による巨体突撃が何度も何度も行われる。
そのうち、背後で「わっ!」という声。
川の最深部であくせくしていたナビが、下半身のバランスを崩し――どんっ。
「ッッ、こんのどんさく魔女がよッ!」
「す、すみまわっぷぷっ!」
水に流されてしまったナビが、レッドの背中に接触し、事なきを得るも。
それが同時に、彼の隙をも生んでしまう。
「シュギャアアアァッーーーーッッッ!!!」
ここが勝機と見たか、サメが全力突撃で迫った。
「ググッ!! こぉんの、魚野郎ッッ!!!」
「レッドっ!? 大丈夫でわぷぷっ!」
背中で彼女を受け止めたことで、彼の体幹が崩れた。
正面に構えたモリはサメに押しきられ、バランスを崩した彼の左腕。
黒塗りの手甲よりも先、二の腕まで鮫歯に食らいつかれ。
「シュギッ、シュギッ、シュギッ」
タイダイタルシャークの閉じられた口が、ギザギザの歯を、ギリギリと動かし、おいしそうにレッドの左腕を噛み千切ろうとしていた。
「グワァッ!! つッ、クソが、てめ、人様の腕を飯にすんなァッ!!」
動かせない左腕に代わり、残された右腕を思い切り振るい、狙いは目。
健常そうに見えるデフォルメ調の左目を殴りつける。
「シュギュッ」
目を攻撃された生物本能か、敵がのけぞり、退いてくれた。
しかし、レッドの窮地は続く。
「グッ…………皇束解除ォ……弐式ッ! 浚え、赤雷蛇ァァ!!」
シュー……詠唱に伴い、レッドの背から血液を蒸発させたような真っ赤な水蒸気が立ち上り、次の瞬間、超臨界に達するように爆発と轟音。
水蒸気が霧散し、電流走る赤黒の粒子を舞わせる。
それこそHP50%を切った証、「皇束解除・二式:赤雷蛇」。
攻撃力・防御力・生命力・抵抗力の基底ステータス値を1.3倍に引き上げ、15%の反射ダメージ付与、そして背中のオーラから生えてきた、三本の赤い蛇。
「シャビャァ!!!」「シャビャァ!!!」「シャビャァ!!!」
三匹の赤雷蛇が、威嚇するようにタイダイタルシャークに吠える。
リアルなら彼の左腕はとうに噛み千切られていただろうが、ゲーム世界では最強格の体を持つレッド。腕は幸いにも、姿形を変えることなく伸びていた。
ただ、皇束解除・壱式が発動していない。壱式を飛び越えての二式発動は本来ありえない挙動だが、それを究明する思考は、この窮地ではないに等しい。
「レ、レッドくーーーん!!! やばいやばい死んじゃいそー!?!?」
皇束解除を知らぬナッツが、赤黒い演出を見て、対岸で騒ぎ立てる。
「ッ、ざけんな痴女ッ! 誰が死ぬかッ!」
シャビャシャビャ、シュギャシュギャと。ヘビとサメが野生生物らしく威嚇し合うのをよそに、レッドは背中にしがみついているナビに目配せをした。
「大丈夫か、ナビ」怒ってはいないが、やけに真面目な声色。
「っぷ……すみません、私が、邪魔したせいで、わっぷ」
銀髪の黒魔女は、弱々しげな涙目調。足を引っぱったことを反省している。
それを見たレッドは思わず笑いをこぼし――爽快なイケメンスマイル。
「ああ。テメェは邪魔なんだよ」バッサリいった。
「っっ……! だ、だから、そ、それは分かっていますがわぷぷ――」
「だから先いかせてやる」
「ふぇ?」
瞬間、タイダイタルシャークが水上で動く。
大口と巨体が宙を舞う、お決まりのロケット突撃。
あっ、見捨てられるかも――そんな胸中から両目をギュッとしたナビの体に。
「赤雷蛇ァァァッ!!! 遠慮なくぶん投げろッッ!!!」
「シャビャァ!」一匹目が、白い肌の首元を甘噛みし「ふぁ?」。
「シャビャァ!」二匹目が、黒い絹の肩口を甘噛みし「ひゃっ」。
三匹目が、水中で優しく噛んだ腰元を振り子のようにして振り上げ。
「シャビャァ!」水面に顔を上げたと同時に、三匹が一斉に口を開くと。
「わっ、はわっ、むっきゃああああぁぁーーー!?!?!?」
水に濡れて美しく輝く、銀髪のハイポニーテールごと。
ナビの全身は赤雷蛇により、空中にぶん投げられていた。




