とんでけ、イエマチ!(9)
黄色の空、翠玉の海沿いにたたずむ、ホテルのような趣きの白い屋敷。
そんな夏の地主バルールカンの屋敷への視認距離が近づくに連れ、周辺には派手な柄の海水パンツをはじめ、大人っぽい赤のビキニ上下、子供用だろうか桃色でしましまのワンピース水着や、ビーチサンダルが散在していることに気付く。
一見すると、海遊びを満喫し終わったあと、その場の勢いであたりに脱ぎ散らかしたようにも見えるが。真実はそう楽しげなものでもないようで。
「おかしくなっちゃったアニマラーに食べられちゃうとさ、私たちの体が消えたあと、服だけがああして残されるんだ。水場の子はとくに口が発達してるから、噛みつかれて、飲み込まれて、ああして服だけ、その場に吐き出されるの」
ゴールドスカイナーに生息するアニマラーは通常、観光生物であり、移住者たちのペット対象でもあった。イエマチは冒険目的のRPGではないため、移住者が一方的にアクションしない限り、命ゴイの一般MOBなどと同様、絶対に襲いかかってはこず、共通して人懐っこい振る舞いでそれぞれの習性を見せてくれる。
移住者がアニマラーをペットにしたいと思ったら、相手に「ペットひも」を投げつけるだけ。「><;」といったかわいらしいデフォルメ顔で、四方八方にバタバタと走り回る対象につけたヒモがちぎれないよう押し引きをし、足元まで寄せられればペットにできる。小物と大物とで難度に差はあるが、攻略知識が必要になるほどの相手はおらず、あくまで釣り風のミニゲームにとどまる。
捕獲したアニマラーは大型なら乗り物としてマウント可能だが、基本はそばに侍らせてモフモフするだけ。正しくペットの範疇で扱われる存在であったが。
デジタルな世界が破損し、自然の法則が塗り変わり、弱肉強食は一変した。
「誰も、アニマラーたちとは戦わなかったのでしょうか」
「たたかう……? あー、そんなこと考えてもなかったかも」
戦いのなかった世界では、ナビですら戦闘民族に近いのかもしれない。
「もし戦っても、ケンカ嫌いのバルールカンじゃ、ダメだったかな」
「……ケッ」
命ゴイのように、イエマチのゴールドスカイナーにもなんらかの異変が起きているのは明白だった。急にやってこなくなった移住者、壊れて人を襲うアニマラー、それにおびえる住人たちと、なぜか現れた別ゲームのキャラクターたち。
けれど、ゲームのNPCでしかないナビには、レッドには、ナッツには。
理由を知らずに荒廃した、それぞれの故郷を憂うことしかできない。
ゴールドスカイナーには雰囲気作りのためのNPCが散りばめられているが、その数は多くはなく、各ネストにも固有NPCは十名前後しかいない。
ナッツが「海の雑貨屋」だったように、全員がシステム的な役割を割り振られており、周囲を散歩するだけの者、あいさつを返すだけの者なども存在しない。
ほかに、日々のプレイのお手伝いさんのようなパートナーをランダムクリエイトで生成する機能はあったが、言ってしまえばそのくらいだ。
「…………」
だから、みんな知っている。彼女だけは知っている。
ナビたちには分からなくても、地元住人である彼女には。
どの水着が誰のもので、誰の墓標であるのか。
ひと目で分かってしまうのが残酷だった。
楽しげに散らばっている水着たちを横目に、ナッツは足を速めた。
「……ナッツ」
「……だいじょぶ、ありがとね」
振り返ることなく答えた水色パーカーの背中は、気丈であったが。
サンバイザーの脇から生える金髪ツインテールは、かすかに震えていた。
海岸沿いからすこし離れた位置を歩いて進み、バルールカンの屋敷も背後で見切れて見えなくなってきたころ。サマー・ネストのちょうど中央位置だったナッツの雑貨屋周辺でよく見たカテールもなくなり、途上には河川が増えた。
ときおり遠くに見える水棲の壊れたアニマラーたちは、ピンクとパープルのまだら模様を体表に浮かべていた。他方で、水辺を悠々と泳いでいる小魚や、不快にならないくらいの存在感で夏を感じさせるように飛行するトンボは、アニマラーとは別の環境生物なのか、己の存在を主張することなく目をにぎわせる。
移住者であれば、徒歩で体感三十分。足の速いマウントペットがいれば約十分で横切れてしまうくらいのサマー・ネストであるが、それは人間の時間感覚。ゲーム内キャラクターである三人の体感では、すでに数時間が経過している。
ゲーム中の移動速度は双方変わりないが、現実時間を指標とする人間と、そこに住む圧縮された一日時間を過ごすNPCとでは、感覚的にそういうものなのだ。
「ハァ、ハァ……」
「ナビ、疲れたー? すこし休もっか?」
「ハァ、いえ、大丈夫です……こほっ」
走ってはいなくても、単純な長距離移動の疲れがのしかかる。
イエマチにはスタミナや疲労の概念もない。仮に命ゴイからコネクトし、万命の令嬢から移住者へとコンバートされれば、元データは刻印されて保存されつつ、この世界に即したプレイヤーアバターとして調整されるのだが。
ナビとレッドの場合、移動経路自体がもともと開通されていなかったイレギュラーであり、なによりNPCのコネクトなどシステム的に存在しない。
スタミナが存在しないのに疲れる。システム的に存在しない戦闘も行える。
だけど、グラフィックス表現や食事・睡眠などの挙動には適応している。
二人のキャラクターデータがどこまで命ゴイのままで、どこまでイエマチの設計に準拠しているのか。担当プログラマーがコードを確認したものなら、あまりのごちゃ混ぜ具合にもろ手をあげて音を上げるだろう。
「そろそろ砂も見飽きたぜ……おいナッツ、オータム・ネストはまだなのか」
延々と続く白浜と河川の連続に、レッドも嫌気が差している。
本来、このあたりは移住者の居住地専用に設けられていた開けた土地だったが、イエマチではプレイヤーデータの消去が済んでいるようで。
壊れた令嬢のように、壊れた移住者が湧くこともなければ、数多く作られては放置されていった家々まで、その痕跡はキレイさっぱり消失している。
「もう少し、だと思う。んま~、来たことないんだけどね~」
「ぁん? おまえ、経験ねえのに来やがったのかよ」
「経験はないけど、知識ならあるよー!」
「ふふっ」
ヘルプヤクの魔女が、共感でニヤける。
「ケッ、頼りになんだかどうだかな」
お決まりの悪態が、黄色い世界に溶ける。
朝、ナッツの雑貨屋をあとにしてから日も完全に昇りきり、そろそろお昼といった時刻。サマー・ネストはとくに昼夜の表現が凝っていて、朝の海、昼の海、夕方の海、夜の海、明け方の海と、景色の顔色が繊細かつ明瞭に変わる。
これもまたナンパ成功率とともに数々の指南が公開された。
今は昼すぎで夕方前。ずっと歩きっぱなしだったからか、ナビは自身のお腹が「きゅ~」っと腹ぺこになっているが、口には出さない。
一人だけ疲れて息せき切らしているところ、おまけに「お腹が減りました」などと嗜好品の休憩タイムを取らせるのが申し訳なかった。
なにより、それ以上に、申告するのが意外と恥ずかしくて口に出せない。
きゅ~~~…………今まで感じなかった腹の虫が、いきなり恨めしい。
「うっ……やっばいかもー」
「っ、わ、私はまだ平気ですよっ」
後ろを歩く、銀髪の黒魔女の腹ぺこに気付いた……わけではなく。
ナビの墓穴掘りは無視して、パーカー水着の海ガールが足を止める。
三人の数十メートル先には、大きめの水流。
これまでの足を濡らすくらいの水場ではない、川らしい川があった。
「チッ、そうか。川か」
「そう、川なのー」
「川……?」
「ボケが。あそこに"出る"かもしれねぇって話だろ」
「あっ、そうですか。なるほど、水辺のアニマラーがあそこに……」
前方の川岸に近づく。対岸の白い砂浜までの距離は二十数メートルといったほどだ。川上は水平線のように遠くまで伸びており、川下は海に面するところまでつながっている。水底が見える程度の深さしかないため、溺れる心配はなさそう。
ただし、サマー・ネストの水の透明度は差し引きせねばならない。
最初の数歩は両足のふくらはぎを沈めるくらいで済みそうだが、真ん中のほうはどう見ても腰上。背丈の低いナビなら、胸元まで浸かるほどの深さである。
「ナッツ、このへんに危険なアニマラーはいるか」
オオカマキリ以降、敵対的なアニマラーを実際に目にしていないレッドは、外敵の姿にまだまだピンときていない。サッドライク大陸では魚こそ存在していたが、大型魚類や哺乳類といった概念を知らないのもある。
「見た感じ、いないけどぉ……急に現れるから、危ないは危ないかな」
「なら、安全に渡れそうな川上までさかのぼるか?」
安全策としては上出来であるが。
「たぶん、そんなに変わらないと思う。出たとこ勝負でいくしかないかなー……」
「クックク、これ以上ないほどの良案だ。嫌いじゃねえ」
皮肉ではなく、皇騎士十三皇は荒事ならそう思えるタイプだ。
「敵はどこから来る。海のほうか、川上のほうか」
「わかんない。足元から急におっきいのが湧いたこともあるってバルールカンが」
「気がきく厄介だな、おい」
レッドとナッツが顔を突き合わせ、この先の決断を思案する。
ナビは「きゅ~~~~~」と鳴るお腹をさりげなく押さえている。
明確な安全策を考えつかなかったことで、思いきる。まずは水中での運動に慣れているナッツが先んじて川を渡りきり、その所感をもってナビでも渡れるかどうかを試すこととなった。単純ながら「むっ、私なら泳げますが!」とイキる黒魔女のことを、今や保護者と化した皇騎士が認めなかったための案だ。
「おっ、おっ、っと。見た目よりはけっこー流れ強いかも。注意ねー」
「ナッツーっ、だいじょーぶですかーっ」
「ヘーキヘーキぃ」
深さのある河川の中央部も、器用な立ち泳ぎでスイスイと進んでいく。
元気なツインテールの先っぽは、水面に沈んで揺れている。
彼女が持っていた食事入りのトートバッグは、安全確保のあとにレッドが持っていく手はずとなり、今は皇騎士が手に持っている。それでも所帯じみた姿に見えないのは、イケメンかつ侍騎士な格好のおかげであろう。
ジャブッ。「ふぃぃぃ~~~」。
見事、一分もしないうちに、ナッツは川を渡りきった。
それを見たナビは「ふんっ、私でも余裕そうですね」とイキり。
それを見たレッドは「……手間かけさせんじゃねえぞ」と釘を打つ。
対岸のナッツは、腰あたりの裾の両端を結んでいた前チャックのない水色パーカーをほどいて肌をさらし、川の上下と水面、水中を見渡して警戒する。
川岸には小石が転がっているが、キレイな境界線ですぐに白い砂浜に切り替わっている。目に見える範囲では、環境生物であろう小魚以外の生物もいない。
ナビとレッドも同時に確認している。危険の兆候は見当たらない。
そうして残った二人が並んで立ち、川に踏み入れた。
「わっ、わわわっ」
さっそく水流に足を取られてアワアワしはじめるどんさく魔女は、川上に。
「おいおい、おいッ。足腰でしっかり水底を踏みしめろ! ったくよぉ」
プールに付き添う赤髪のお母さん青年は、彼女の川下側で並走。
ナビが転んだり、流されたりしたときにすぐ支えられるようにだ。
川の中央部に至ると、ナッツよりも背丈が若干低いことで、ナビの白銀糸を束ねたような銀色の一本髪が水面に浸かり、水流に流されはじめる。
それよりも、彼女の体を上半身から膝丈まで覆う黒絹のローブが水中での抵抗力を生んでしまい、ただでさえニブチンな魔女の動きを阻害している。
「あぷっ、わっぷ」
実際、泳ぎなど万命の令嬢たちとの会話でしか知らない子だ。
「ナビぃ! 慌てないでいいけどー、なる早で泳ぐんだよーーー!」
それってつまり、慌てろってことか。などと勝手に憤る。
「……予想を少しも外してこねえ、どんくささだぜ」
レッドのほうは泳ぎの技術はなくとも、水には慣れている。
サッドライク皇城は見た目だけは水運の町。河川も張り巡らされていた。そうして過去、万令広場の噴水や水路で、蛮女らに散々沈められて遊ばれたからだ。
すでに一分が経過するが、ナビは胸元まで沈んでしまい、川中央であっぷあっぷと四苦八苦しているため、スマートに前に進めずにいた。
レッドも腰丈の白い皇騎士マント、茜色の上衣、漆黒の侍袴がすべて布広な衣服であり、腰のオシャレベルトには愛刀であった血吸いの刀"染め紅"に代わり、やぼったいモリを装着しているのだが。頑強な体幹は水流ではなびかない。
いい加減面倒だと、ナビをひっ捕まえて渡りきろうと画策すると。
「うわうわうわ!!! レッドくんレッドくんまずいまずいまずいーーー!!!」
「うっせえなんだって……ッッ!? なんだ、ありゃあッ!!」
海に面する川下。そこからバシャバシャバシャ――水面に激しい白波を立てながら、遠目からでも恐ろしいスピード感で、なにかが高速接近していた。
それは徐々に、川面に背びれを浮かび上がらせて。
レッドまで間もなく、十メートルもないという位置で。
「シュギャアアアァッー!!!」
ザバンッ。巨体が、水中から、ロケットのように跳びはねて一直線。
「ッッッ!?!? っざけんなよオラァッ!!!」
腰上まで水に絡めとられているレッド目がけて、一直線。
のこぎりのようなギザギザな歯を並べた巨大な口で、食いかかってきた。
「た、タタ、タイダイタルシャークだぁぁぁーーーっ!!!」
それがサマー・ネストの人気ペットの一角、二本足のサメ。
壊れた夏の世界の頂点に君臨する、タイダイタルシャークだ。




