とんでけ、イエマチ!(1)
「ゼェゼェ、ゼェ……こほっ……けほっ」
疲れた女と。
「……ったく、気が済んだかよ。一人で怒って疲れてりゃ世話ねえぜ」
呆れる男。
爽やかな黄色の空の下。清潔感のある白い砂浜にて。
場違いな銀髪の黒魔女と、赤髪の侍騎士がへたっている。
ヘルプヤクの魔女「ナビ」は、頭上で高めに結った白銀糸を束ねたような一本髪をブラブラと揺らし、荒い呼吸を整えている。毛先に向かってほのかにグラデーションしているヘアカラーは、彼女を生んだデザイナーのこだわり。
浅緑色の両目をジトーッと歪ませ、純白な陶器のようにきめ細やかな頬をほんのりと紅潮させながら、口元はムスーッとさせる構え。今は亡き世界からの連れ合いである相棒のイケメン皇騎士に、姿勢で抗議している最中だ。
黒き魔嬢装束チユートリアの袖から飛び出した細めの両腕は、まるで幼子のように袖元をバサバサと揺さぶって威嚇中。首元の深紅宝玉が太陽光をキラリと反射するなか、右手の指先から思わず飛び出た薄汚れた金装丁の書物。
ファアキュウの万命書はなにを調べるわけでもなく、プカプカと浮かび中。
学習指導型AIに自我を与えられた二人とは違い、人格なき書物であるが。
そこはかとなく「すみませんねえ、うちの主が」と謝罪しているかのようだ。
「ぁ、ぁぁあ、あなたが! 破廉恥なのが! いけないんですっ! レッドっ!」
「あー、うっせ。単に物珍しかっただけじゃねえかよ……」
「ぁ、ぁあ、あのような、あのような所業……これぞ"れいぷ"というものっ!」
「だぁから、その意味不明な蛮女の言葉を使うなッ! 古傷が痛むだろッ!」
対して、皇騎士十三皇「レッド=フォン=プリンシュヴァリエ」のほうは、茜が差したようなショートマッシュの赤髪をガシガシとかいている。
ただでさえザンバラな毛先はさらに枝分かれし、ラフな印象が強まった。
金色の切れ長な両目はまぶたの内を隠して、ちょっとした申し訳なさを表明中。男伊達な鼻筋が希代の彫刻のようにピンと立っているが、彼に与えられたアイデンティティは参ったイケメン姿のアピールに忙しい。
右耳で垂れる、ちょっぴり色っぽい青い雫型のイヤリングも、ファアキュウの万命書に対して「いえいえ、うちの皇騎士こそー」と返礼しているみたいだ。
美しき金糸刺繍が施された白き皇騎士マントにも、茜色に染められた上衣にも、漆黒の侍袴にも、黒塗りの手甲にも足甲にもいっさいの汚れがないために、ついさっきまで窮地のただ中にいた者とは思えない風体である。
「ああ、万命の令嬢の皆さま……私、皇騎士に穢されてしまいましたっ……」
「ふざけろッ。テメェに比べりゃ、俺らが何百万倍汚されたと思ってやがるッ!」
「むっ、それは令嬢たちの愛です。あなたとは趣旨が違うのです、趣旨が」
「クソがよ。そのうす汚ねえ本で、愛と精神的殺害の違いでも調べてろ」
不気味な碧い波に食らわれてしまった命ゴイこと、サディスティック恋愛オンラインRPG「十三皇騎士ノ命ゴイ」の世界で逃げ続けていたナビとレッドは、サッドライク大陸の最北端、壊れた令嬢たちがのさばる永久鋼土のさらに先、黒い天塔の内部と思わしき真っ黒な空間に飛び込み、この場所にやってきた。
目に映るものと言えば。
淡く真っ黄色な大空に浮かぶ、フラフラとした白い雲々。
混ざり物もなく肌触りのいい、サラサラとした白い砂浜。
いずれもサッドライク皇国では目にしたことのないものだった。
先ほどの一悶着で火照った感情を鎮めて、二人してようやく周囲に目線を配る。白浜にはところどころ、足首くらいの高さで水が流れている白レンガの道、文化によっては「カテール」と呼ばれる水路や、水底に岩石を蓄えた川がある。
そのほか、大きな新緑と果実を実らせた大木も点在している。全体的にオシャレな水路様式の海水浴場の砂浜といった景観だが、すぐ近くに木造家屋と木の柵で囲われた畑……らしき土壌もあったりと、どうにも場違いなものもあった。
「コホン……先ほどの件はおいおい、あらためて謝罪させるとして」
「ならテメェらが先に何千万回も謝れ。それが筋ってもんだろ、蛮女がよ」
「それは見解の相違。令嬢の言うところの解釈違いとしまして」
「その、テメェにばっかメチャデカ都合よく考えるコツってのをいち早く捨てろ」
「むっ、ハナリナさまの一言にケチをつけるのは許しませ、むがっ!」
「もういい。話が進まねえから黙ってろ」
ペタッと、レッドの手指がナビの口元を押さえる。
両者ともにこれまで経験したことのない、他者の柔らかな素肌の感触。
手弁当で雑な作りの命ゴイでは味わえなかった、他人の温度を感じるも。
「おら、まずはあの家から行くぞ、ナビ」
それすらも、すでにすがすがしいほど気にしていないレッドに対して。
「……むぅぅーーっ」
唇に触れた青年の手指の感触に、黒魔女は赤い顔で混乱するばかり。
ザクザクと足音をさせて歩き出したレッドの白い背中を、ナビも不服ながら追いかける。黒い革製のブーツの足裏にミシミシとする地面の感触が伝わってきて、ここ一帯の白浜にいかに砂が詰まっているのかが実感させられる。
「なんだか火に近い……とでも言うのでしょうか。やけに暑いですね」
「……だな。んだよここは。サッドライク皇国じゃ感じたことねえ暑さだ」
一言で言って、暑い。二人の知らない夏の季節を感じさせる暑さがある。
それはこの世界にやってきたプレイヤーには、あくまでALR機能が感じさせる錯覚程度のフレーバーであったが。
それすらなかった命ゴイの世界の住人には未知の感覚。「気温」である。
プログラムで形作られたゲームキャラクターである二人の体が汗ばむことはないが、炎や水など、ゲーム的にありふれた魔法や魔術の類いすら知らず、年がら年中平温で平穏……だったのはプレイヤー側だけであるが、ともかく。
知らない感覚が嫌でも、この場所がサッドライク大陸ではないと教えてくる。
「あっ、花です! 花がありますよっ!」
「ぁん? あれか。ずいぶんとデケえな。四季彩の大草原でも見ねえやつだ」
「紫に青に桃……ええ、大きいですし、キレイですし、すごいですね」
ピチャピチャと、水流が足首まで濡らしてくる白レンガ地のカテールを横切っていくと、先ほどまで視野角的に見られなかった木造家屋の裏手側に、鮮やかでふくらかな花々が、壁のようになって一面に咲き誇っていることに気付く。
それは夏の花。創作の架空の花々が散りばめられていたサッドライク大陸にはなかった、濃厚な紫と爽やかな青の朝顔、淡くかわいらしい桃の夕顔。
梅の雨なるものの降りはじめに咲く、どこかの世界の一部地域の風物詩。
「なんてキレイな。まるで令嬢のドレスのフリルで仕立てたみたいな造形です」
レッドの背中を追い越して、ナビが木造家屋の先まで小走り。
色濃くふくよかな朝顔に駆け寄って、顔を近づけてみる。
家屋の裏手側は草木地帯と面しており、ナビが両手いっぱいに広げても覆いきれないほど、色とりどりの朝顔と夕顔が咲き乱れていた。
匂いもまた、命ゴイの世界と比べてより濃く感じられる。彼女のちっちゃな小鼻の奥まで甘ったるい香りが届き、鼻孔が未知の甘美で刺激される。
「どうなってんだ。手は触れられるし、体は暑ちぃし、鼻は臭うしよお……」
その間、レッドのほうは未知の体感の連続に動揺していた。
精神面のガードの適度な甘さは、さすが人気投票第四位だ。
「わあ、すごいすごい。このお花、ハナリナさまにも教えてあげたいほどです」
残念。あのフタゴノオハナヤサマの令嬢なら、この花も既知であろう。
ナビがうっとり大はしゃぎしていても、レッドは気にかけずに放置した。
それは心の余裕と言うより、現状が窮地ではなさそうだからだ。
この世界にはどこにも、碧い波の姿が目に入ってこない。
今はもう、それだけで安心できてしまう。
「おいナビ。花なんていいから、まずは家んなかにだな――」
けれども、安心安全なんて概念はゲームの世界において。
人々を楽しませるエンターテインメントにおいて、お邪魔虫なだけであり。
「――――シャーッッッ!!!」
それは唐突に現れた。
「むきゃっ!?」
「んなッ!? 下がれナビッ!!」
一面に壁のようにして咲いている朝顔群の裏側、草木の茂みから。
リアルと比較すれば圧倒的に巨大になった、緑色の生物が飛び出した。
相手の大きさはレッドよりはちいさく、彼より頭20センチほど小柄なナビよりは大きい。頭部はナビと同サイズだが、手のひらを広げたほどの大きさがある二つの無機質な複眼のほかに、額には小粒な三つの目まで備えている。
胴体も手足も不可思議に細長い筒状のようで、背中には大きな二枚羽。
後部には、ブニブニしていそうな芋虫状のお尻がついている。
また両目をはじめ、全身にところどころ無理やり引き裂かれたかのような裂傷があり、ピンクとパープルのまだら模様を浮かべ、加虐的に発光させている。
そんな光沢塗料を塗りたくったような全身すらも差し置いて、なによりもの特徴は両腕だ。基節と転節による組み合わせで、人間よりも一つ多い間接を有したその腕は――まさに鎌。ひとたび振るわれれば、魔女の首を一瞬で刈り取ってしまいそうな残虐な形状から、通名を知らずとも、人は思わず呼ぶだろう。
「シャーッッッ!!!」
鎌で切り裂く者。それを由来に「カマキリ」とでも。




