最長の最短(1)
「テ、テメェ、今なにをした……? いきなり蛮女が消えたぞ、おいッ!」
「……さあ。不思議なこともあるものですね」
背後からかけられた青年の声に、ナビは知らん顔するが。
さすがに無理がある。
「ふざけろッ、ヘルプヤクの魔女がッ! テメェがやったことだろッ!」
「うるさいです。怒鳴らないでください。不愉快です」
「んだとテメェ……俺はさっき、テメェを助けたんだぞ」
「へえ。私も今、お助けしましたが?」
「グッ……クソがよ」
命ゴイの原則。この世界において皇騎士たるもの。
ほどほどに詰めが甘い性格でなければ、万命の令嬢には愛されない。
憂森林の奥深く。森はそれほど長く続く道のりではないが、正規のルートから外れると意味なく広大だ。理由は当然、フィールドのかさ増しである。
皇騎士に助けられた負い目はすぐさま返礼することができたと、ナビは後腐れを覚えることもなくサラリと一礼してみせ、すぐに一人で歩きはじめる。
しかしレッドは「ヘルプヤクの魔女ッ! テメェ逃げるつもりかッ!」と罵り、後ろをついてくる。立場がどうあれ、命を助けられたことには義理を感じているのか。彼は再びナビを害そうとはしなかったが、追跡はやめない。
「おいテメェ。ヘルプヤクの魔女。聞いてんのか? 逃げてんのか?」
「むぅ、本当にうるさい人。あなたと言葉を交わすつもりはありません」
「ぁん? ねえワケあるか!」
「なぜです?」
「そ、そりゃ……うっせえ! こっちにゃあんだよッ!」
見苦しいが、皇騎士十三皇は言葉を続ける。
「これまで一度たりとも皇騎士の前に姿を見せなかった諸悪の根源、あのヘルプヤクの魔女がこうして現れやがった。今こそ断罪のとき。それに……キングシュヴァリエたち皇騎士、皇国にいる皇国民、ついでにあの醜悪極まった蛮女たちッ、ついでにあの碧い波ッ! どうせ、ぜんぶ、テメェの呪いだろッ!」
レッドの視点では、命ゴイの世界における異変はすべて。
ヘルプヤクの魔女こと、ナビのせいなのであった。
「む、となると地震の影響は、この森だけではなかったと」
ナビも森の外の様子は知らない。
知識はあっても、現状はとくにだ。
「ああ、それがどうした。まさかテメェ、しら切るつもりか? 魔女がよ」
なにを言い返しても突っかかってくる。
穏やかに対応していたナビも、ちょっとイラつきはじめる。
「その、それ。テメェと呼ぶのをやめてくれませんか。私に失礼です」
「ぁん? 知るか。じゃあテメ……おまえの名前はなんだよ」
「おまえもやめてください。無礼です。十三皇のくせに」
「ケッ……あなたさまのッ、お名前はッ、なんでございましょうかッ!」
イラ立ちを隠さず、高圧的に下に出てくるレッドに対して。
「教える必要はありません」
キッパリ。返す刀で言いきる。
「グッ……クソがよッ」
それが彼の口癖らしい。
会話は険悪に終わるも、レッドは依然うっとうしく付きまとった。
ナビは気にしない風体であしらいながら、森の出口と思わしき光の切れ目に向かって、触れても触れられない草木生い茂る道なき道を進んでいく。
背後でグチグチとぼやいている赤髪の青年は、小柄なナビと比べ、身長差20センチほどある。だが、現状はふてくされた赤毛のヤンキー犬のよう。
それに、ナビはこれまで女性アバターオンリーな万命の令嬢としか触れ合ってこず、同じNPCと話した経験もなかったため、勝手が分からない。
ただ、誰かと会話したのは、思えば久方ぶりのことだった。
「んっ」
森の出口。真っ白な光の切れ目を前に、目がくらんだ。
まぶしさに両目を薄くつむりながら、臆することなく進んだ先には。
「……花。そうですか、ここがあの、四季彩の大草原」
目の前に、色とりどりの花々が咲き乱れる。
緑地帯の大草原が広がっていた。
「四季彩の大草原」。チュートリアルエリアを抜けた先に広がる、サッドライク大陸の中腹。命ゴイにおける冒険のメインフィールドでもある。
なだらかな丘の起伏に、少々の樹木のにぎわい。高低差や障害物のない平面地帯はさえぎるものなく水平線を描いており、また青々とした草原にはところどころ、赤、青、緑、黄、紫、桃、白と。幻想的な造形の花々が咲いている。
いずれも架空の植物。命ゴイのデザイナー陣が必死にこしらえたものだ。
遠くに見えるのは、白亜のタイルが敷き詰められた皇国街道。
あちらが憂森林の本来の正規出口。皇国街道はレッドたち皇騎士の居城にして、命ゴイのメイン拠点ともなる「サッドライク皇城」へとつながっている。
「これが自然植生の花ですか……メチャデカ美しい」
見開いた浅緑色の両目は、普段と違って活発な少女のよう。
「クックク、当ったりめえだ。花すら見たことねぇってか、魔女のくせによ」
金色目の高貴な野良犬は、もうテメェ呼ばわりに戻っている。
「ええ、手折った花しか見たことなくて。森から出たのも、初めてですので――」
意識の抜けた相づち。四季彩に見とれているナビは素直であった。
知識としては知っていた場所。話だけはずっと聞いていた場所。
けれど、見るのも初めて、来るのも初めてのこの場所は。
ナビの小さめな頭に、小さくない衝撃をもたらす。
体感没入型ゲームの弱点を補うため、人が住む現実世界と比べればあまりにかすかだが香るフレーバー。視覚情報に付随させた擬似的な香りで記憶を刺激する、いわば「梅ぼしを思うとツバがでる」の仕組みで匂いを想起させようとする嗅覚システムだが、ナビの作りものの五感には暴力的な香りとなって届く。
彼女はとくに、それらの花々が本来どのようなかぐわしさであるのかを、この世界で生き残っている誰よりも深い知識として知っている。
『ナビも、いつか一緒にお花を見に、私が連れていけたらよかったのにね』
(万命の令嬢ハナリナさま。あなたと一緒でないことだけが残念です)
「ケッ。しっかし、まさか憂森林が蛮女の巣窟だったとはな……うかつだったぜ」
銀髪の黒魔女はセンチメンタルに浸っていたが。
赤髪の侍騎士は無粋にわめく。
「なに見とれてんだ、田舎魔女がよ。テメェ、今がどういうときなのか――」
「うるさいっ!」
少しだけ怒る。
「グッ……」
素直に怯んでくれる。これが人気投票六位の対応だ。
人の感覚に換算すると、十七分ほど経っただろうか。
ナビは憂森林の出口に立ったまま、四季彩の大草原を見渡していた。
その間、レッドは叱られた大型犬のように無言で立っていた。
ヘルプヤクの魔女は、草騎士に襲われたときに転んでしまった黒絹のローブから汚れが落ちているのを確認すると、勝手にスタスタと歩きはじめる。
名残惜しいけれど、今は満足しよう。この先にもいろいろあるのだから。
「おいおいおい、おい! テメェどこ行くつもりだ! 皇国は北東だぞ!」
当然の進路とばかりに、皇騎士が口をはさむが。
「??? なぜ、私が皇国になど行かなければならないのです?」
素直な幼子のようなハテナ顔で、一蹴される。
「ん、んなの……そりゃあ、その通りかもだがよ……」
設定上は一歳違いの二人だが、どっちもどっちな素顔だ。
「私はこの先、追放棄路の門壁へと向かいます」
ションボリしたレッドを無視して、ナビは告げる。
「ッ!? ……クックク。そうか、追放棄路に逃げ込もうってか、蛮女が」
弱者と悪役をコロコロ行ったり来たりする皇騎士を差し置き。
「それでは十三皇、さようなら」
「んなっ、おい待てボケッ! ヘルプヤクの魔女がッ!」
皇騎士十三皇が忠犬のように追ってくるのを察しながらも、ナビは振り向くことなく北西へ。四季折々の草原と青い空が広がる先のうち、北東遠地の「白い天塔」ではなく、正面遠地に見える「黒い天塔」の方向へと歩いていく。
知識では、大草原にはそこら中に草騎士、いわばザコ敵がうろついているはずであったが。彼女の目に見える範囲で、動く者の存在はなにもなかった。
これもまた、命ゴイに起きている異変の一つであるとは知らない。
日本人が遠方から富士山を目指すように、遠くの目的地をめがけて、緑の草地をひたすら歩む。黒い革製ブーツの足裏。柔らかな草の感触が気持ちいい。
感情の変化はおもてに出さないものの、それでいて内心ウキウキで仕方ないナビは、ゲーム内世界を生きる彼女の体感にして数時間、人の感覚では数十分にも満たない時間、ブツクサうるさいが無害なレッドを伴い、大草原を進んだ。
視界前方には、サッドライク大陸の美しい姿。
けれど、ときおり後ろを振り向くと。
わりとお喋りなのか、なにか話したそうなレッドは無視して、その背後。
そこには、今にも世界を飲み込まんとする幾何学模様の異常現象。
碧い波が、ジワジワと広がっていた。
遠目では判別しづらいが、波はジワリジワリと憂森林を侵食している。
「おい。テメェはあの碧い波のこと、なにか知ってんのか」
「いいえ、飲み込まれたらおしまいになりそうなことくらいしか」
「ケッ、ヘルプヤクの魔女でもその程度か」
「私の名、意味を分かって言ってるのです?」
「んだぁ? どういう意味だ、魔女」
「さあ、どういう意味でしょう」
「……クソがよ。そういう性格の悪さ、やっぱり蛮女だぜ」
ナビの旅には現状、明確なタイムリミットが存在している。
碧い波に飲まれる前に、目的地である黒い天塔に到着せねばならない。
しかし、そのための最短経路は、ヘルプヤクの魔女にはお手の物。
「着きましたか。ここが追放棄路の門壁……大きいです」
「この先は外騎士の根城だ。分かってんのかテメェ」
四季彩の大草原の北西側。ゲームをはじめてからダッシュでくれば、わりとすんなりたどり着けてしまう位置に、赤さびで色づいた頑強な鉄門がある。
特筆すべきはその大きさ。十人のレッドが肩車しても手が届かなそうな高さに、百人のレッドが押しても開かなそうな頑強で分厚い二枚の鉄門。
地面も門左右で途切れていて、底の見えない崖になっている。門壁上部に飛び出た角材と鉄線から、門の裏には長大な吊り橋が架かっていることが分かる。
ついでに言うと、ナビが目指す、二本の天塔はこの先にあった。
そしてサッドライク大陸から天塔に向かうには、ここ以外のルートは少ない。
「困りました。ここまで大きいとは。十三皇、あなたなら門壁を開けますか」
「できるわけねえし、やるはずもねえ。門の先は皇国に相反する外騎士の領域だ」
「なるほど。存外、皇騎士というのは役に立たないものですね」
「ん、んだとテメェッ!」
悪口を言いつつも、ナビも門壁が開いていないことは知っていた。
そのため彼女は、黒絹のローブの右袖を揺らし、右腕を上げる。
天に向けた人さし指、その指先に……フワァっと。
薄汚れた金装丁の書物が浮かんで現れる。
「そいつは……災厄をもたらす、ファアキュウの万命書ッ」
「魔女が問いかけに応じよ。『追放棄路の門壁』」
ナビの声に反応し、手のひらサイズの書物が勝手に開き、命令に突き動かされて自動でページをたぐる。これは「ファアキュウの万命書」。
万命の令嬢たちが攻略などで迷ったときに頼る、運営チームや公式サイトに寄せられた意見・要望、果ては非公式コミュニティに寄せられた愚痴・批判までもをWebクロールシステムで回収して束ねる、自動収集型のFAQ機能。
これによりナビは、プレイヤーが魔女の隠れ家で話しかけたり、システム画面のFAQボタンで寝そべっているプチキャラ姿にイタズラしたりすると。
『私が好むものは、皆さまにいただける花とチョコレートです』
『二皇は、生足でむげに足蹴にされるとまんざらでもないようです』
『月朝ボンバーRinさまが、どエロいサマードレスをアップいたしました』
『イヴゲームスのゴミ運営は、皆さまに土下座すべきだそうです』
などなど。ヘルプヤクの魔女は命ゴイのあらゆる疑問に答えてくれた。
彼女は正しく、チュートリアルとナビゲーションを務める魔女なのだ。
とはいうものの、ゲーム内機能としてのナビと、今ここにいる学習指導型AIにより人格が形成された彼女は、ある種の別物として切り分けられている。
「彼女が自ら知った知識」も、命ゴイに万命の令嬢たちが訪れなくなり、二週間前の地震災害を発端に、自我と言うべき意識が生まれてからのこと。
プレイヤーたちとの会話により、辞書ユーティリティに自然学習されたワードはいくつもある。ただし攻略面はうとい。ナビが知る物事は、命ゴイにおける一般常識や規範や教養のほか、サービス期間中のプレイヤーとの触れ合いによる膨大な記憶と、自我が芽生えてから自ら調べたことだけ。決して万知ではない。
それに作中用語や関連要素とは関係ない、リアル事情が絡むメタワードについては文字を読んだところで理解できない。ゲームへのダメ出しや運営批判などについても、蓄積すべき情報を分類するインデックスとはひも付けがされず、一時情報として収集はするが、時間経過によって自然消去される仕組みとなっている。
ゆえに、攻略情報は残っているが、プレイヤーの生き生きとした本音はすべて消えた。これにより、今のファアキュウの万命書に全盛期の”らしさ”はない。
といったニッチな部分だけ手が込んでいて、肝心のゲームバランスがおそろかだったところもまた、尖りすぎた意欲作として笑いものにされた。
「ふむ、検索がちょっと遅い。旅が終わったらお手入れしなければですね」
嫌なのか。万命書はお風呂を嫌がるネコのように、頁をめくる速度を早める。
つまるところ、今のナビとファアキュウの万命書は、命ゴイのことならレッドよりもイイ感じに知っているが、万命の令嬢たちよりもイイ感じに知らない。
だとしても、この世界においてヘルプヤクの魔女は誰よりも圧倒的な情報アドバンテージを有している。それだけにこの書は、彼女の生命線にほかならない。
ファアキュウの万命書もまた、ちょうど主に従うように回答を示し。
――FAQ:追放棄路の門壁。関連:追放棄路、永久鋼土、外騎士の崩れ拠点
――大型アップデート「闇の六皇:外騎士の反旗」追加エリア
――高難度。進入制限あり。新規ストーリー、新規シュヴァリエを実装
――以下のうち、いずれかの条件を達成することで開放
――1:レベル80以上でアンロック
――2:定命の令嬢パス(1か月。有償版)を購入
――3:贈り物「ロイヤルチョコレイトタルト」
――4:クエスト「棄て花の隠されごと」
といったように。すばらしき攻略情報をもたらしてくれる……のだが。
「むむむ??? 意味不明ですね」
だからといって、ファアキュウの万命書がたぐる別世界の知識の大半は。
作中人物として命ゴイの世界で生きるナビには、ちょっぴり難しい。