最長の最短(34)
「カー、ハー、がぁっ! くはっ……クソがよぉ……!」
セプティナへの屈辱の感謝を口にしたあと、レッドは地面に倒れた。
戦闘不能状態は解除されているが、そこには皇束解除の反動がある。
「ちぃっ……立てッ、立てッてんだよ、皇騎士十三皇ぉッ!」
皇束解除のうち壱式、弐式は発動後にさしたる反動はない。
しかし、最後の終式にだけは特定の制限がかかる。
皇束解除・終式は発動後、万命の令嬢たちに敗北すれば関係ないが、もし勝ちきれたときは彼に、ゲーム内時間で十二時間相当の弱体化が適用される。
これは「ギリギリまでやったのに勝てないしぃ!」というプレイヤー側のストレスを緩和するため、負けたあとでも再度一押しすれば、弱っているのでちょっとの暴言でノックアウトできますよ、という親切を目的とした設計である。
ただし、負けてしまった令嬢たちがナビの隠れ家にリスポーンしている最中に、ほかの令嬢たちが「なーんかレッドくん弱ってんだけどぉww」と。
四季彩の大草原で弱った体を引きずるレッドを、仁義なきヤンキーのようにハイエナしてかっさらう事例により、親切心どころか横取りの不条理さを感じさせるケースが多々生まれ、これが原因でケンカした令嬢も少なくなかった。
「ッッ!?!? もう来やがったのかよ、ったくよぉ……」
セプティナを見届けたばかりの通路から、碧い波が這いずってくる。
おかげで魚兜のヒーローが飲み込まれたであろうことに気落ちするが。
今はとりあえず、そんな悩みを患っているヒマはない。
「オラぁ、立てぇ、俺ぇッ……!」
弱体化によりままならない体を起こして、ヨレヨレしながら歩きはじめる。
本来であれば、戦闘不能を介していればデバフ効果が消えるはずだが。
プリベリオンシュヴァリエ戦の中断処理が例外だったために継続している。
これに関しては、純粋に見つかっていなかった新バグと言えよう。
後方からジワジワと迫り来る碧い波に、プリベリオンシュヴァリエがいた大広場が飲まれていく。レッドはどうにかナビが行った道に向かおうと足を引きずっている途中、セプティナが爆散させた鋼騎士王の残骸のなかでひときわ意味深に光る、タンポポの綿毛のような形をした、カッチカチな白い鉱石を見つけた。
「――白銀の花ってか。皇女が見たら喜びそうだな……まあ、ナビもか」
力を入れるのもおぼつかない手指で、なにげなく拾っておく。
精神とも肉体とも言い表せない、弱体化の高熱に冒されたような体を引きずり、懸命に前に進む。途中、足がもつれて倒れるも、壁を支えに起き上がる。
プリベリオンシュヴァリエに追い打ちをかけられていたか、正しい戦闘不能からの自動移動状態になっていなかったから生き延びられているレッドだが。
通常の処理が適用されていないがために、本来なら戦闘不能後に回復するはずのHPも低いまま。慣れぬ肉体ダメージの痛みやシビれ、過酷な状況に対する精神の疲弊も重なり、皇騎士十三皇はこれまでないほどにボロボロだが。
「ケッ、アホが。こんなん、蛮女どもの蛮行に比べりゃどうってことねぇ……!」
激烈にツライ状況など、これまで数え切れないほど味わってきた。
群青の壁に寄りかかるようにして、体の安定を取り、遅くとも先へ進む。
永久鋼土の奥地は、ナビが歩いていったように、前に後ろにと曲がりくねったジグザグなS字道。今の彼には傾斜がないだけマシだが、前後左右に折れ曲がるS字をいくつか進んでいるうちに、ほのかに不安を抱きはじめた。
この先もずっとこんな道だったら、直進してくる碧い波のほうが――。
次の曲がり道、想像していたことが思ったよりも早く現れてしまう。
「……クソが、誰だよ、こんな頭の悪りぃ道を作ったヤツはよ……」
レッドががんばって一本道を、右に左に前に後ろにと歩いてきたのに対し。
障害など関せず、ひたすら直進して永久鋼土に食らいついてきた碧い波は。
次の曲がり角の先、行く道の奥を、すでに真っ青に染めていた。
サッドライク皇城の城門前で、今にも飲み込まれそうだったナビを引っぱったときよりも間近に迫っている碧い波。内部には、先ほど飲み込んだばかりだろうか。金ピカの魚兜と、異様な大きさの大斧がプカプカと浮かんでいた。
「つっても後ろに戻んのも……んだよ、もう無理じゃねえか、おい」
S字通路ゆえに、来た道の先も、行く道の先も水没していた。
レッドは今、S字の頂点にかろうじて避難できているだけだった。
セプティナの残骸をプカプカと浮かべながら、ジワジワと迫る碧い波。
背中は壁。あたり一面も隙間なく壁。群青色の閉鎖空間。生存領域が徐々に青色に飲まれていく。心の弱い人であれば狂いかねない、残酷な幕切れだ。
けれど皇騎士十三皇は、死地にあっても誇れる自分でいられる。
「――輝かしきサッドライク皇国に、永遠の安寧があらんことを」
行っても戻っても、碧い波に食われるのが早くなるだけ。
だったら俺は、最後の最後までこの場所で生きあがいてやる。
恐怖に狂って自分から身を投げ出してやるつもりなど、さらさらない。
努めて平穏な面持ちで、色とりどりの宝玉が輝く天井を見上げた。
スッと目に入ってきたのは、赤くきらめく深紅宝玉の原石。
「じゃあな、ヘルプヤクの魔女。最後のひとりになったら、ちゃんと死んどけよ」
最後は安らかな態勢でと、痛む体を休めるように奥まった壁に寄りかかる。
はずだったのだが。
「グアッ!?」
なぜか、背中から地面に転んでいた。
「いっつぅ……ぁんだこれ」
背中側に、なぜだか先ほどまで寄りかかっていた壁がない。
そのせいでレッドは勢いよく、背面から転んでしまった。
最初に目に入ったのは白。天井の色。永久鋼土とは思えない、白い天井。
天井だけではない。驚いて上体を上げる。目の前には依然、碧い波。
けれど、それ以外がまるで変貌してしまっている。
「ど、どうなってやがる……俺の頭がおかしくなったのか……?」
眼前はやはり、大津波のような碧い波が視界を埋め尽くしているのだが。
それ以外は白。壁面も地面も天井すらもない、不自然な白一色の空間が広がっていた。白色には切れ目がいっさいなく、自分が座っているところが地面なのかも、見上げている場所が天井なのかも判別できない。平衡感覚が狂った。
くしくも、それは先ほど、ナビが扉の先の暗黒空間を目にしたときに抱いた心象とそっくりそのまま同じであった。違うのはカラーだけ。
「ッッ!? んだか、よく分かんねえが、これならッ!」
尻餅をついたまま後ずさる。つま先を食らいそうだった碧い波から逃れる。
距離を取ってから、慌てて立ち上がり、全周をすばやく見回す。
前方に見える範囲は、すべてが碧い波。人知を超えたサイズの壁にズイズイと押し寄られている圧迫感。しかし上下左右の一帯はすべて白い空間。自分が立っているところはかろうじて地面になっているが、体の感覚はアテにならない。
そして後方もまた白一色……の空間に、ポツリと、黒いなにかが見えた。
そこがなんなのかは分からない。だが、この世とは思えぬ二色の空間内で、半円のような黒い目印を見つけられて、レッドはすぐさま決断する。
「……とりあえず、行くしかねえだろがッ!!」
回復しないHPと、弱体化に蝕まれる体を必死に引きずり。
さっきまで永久鋼土だった場所を、ヨレヨレと歩いていく。
彼には想像すらできないだろうが。サッドライク大陸ひいては追放棄路は現在、碧い波によって、外騎士二皇フィカが目指していた外騎士の崩れ拠点も含め、完全に飲み込まれ、残すところはここ永久鋼土のみとなっていた。
命ゴイの大陸マップにおいて、ほんの少しだけ最北端に突き出ている位置。
まさにレッドが今いる地点を残して、すべてが碧い波に捕食された形だ。
そうして起こったのが、永久鋼土のマップデータの消滅。
碧い波にほぼ丸呑みにされたこの世界はすでに、永久鋼土という情報が付加された巨大オブジェクトないしダンジョンデータを維持することができず、構造の大半が碧い波によって物理的に侵食された先ほど、レッドが歩いていた地面も、肩を預けていた壁も、途方に暮れる視線を受け止めていた天井も、地形を形成するために連動していたデータのなにもかもが一挙に破損し、保持できなくなった。
その結果、永久鋼土は消滅し、ただの無地の空間へ。
障害物がなに一つ存在しない、ただの平野になった。
不具合と呼ぶには、ゲームクリエイターが想定する必要のない事象。人の目では可視化されない、終わる世界に生きる者の目だけに映る、消える舞台で起きた現象なのだから。それに名をつけるのなら、今なら、奇跡とでも言うのが粋か。
「ケッ。いつの間にか俺も、逃げんのが板についてきちまったな……」
HP不足による慢性的な瀕死状態。皇束解除・終式による反動。
バッドステータスはスタミナゲージの回復もよしとせず。
必死に生きあがく彼に、生存の不都合を強いる。
後ろは振り向かない。どうせ碧い波だ。障害物もなくなってウキウキだろう。
だから、あとは終点を目指して、人と波との追いかけっこ勝負。
「……クックク、皇騎士が聞いて呆れるぜ。クソがよ」
真っ黒な光明に向かって、一人ぼやいて、楽しげに自嘲する。
ついでに届いた声には、不覚にも、この二週間で最も安堵してしまった。
「レッドっっ!!!」先ほど別れた、黒魔女の声。
「ナビッッ!!!」ようやく追いついた、皇騎士の声。
レッドが目指していた、白の空間にただ一つ浮かんでいた黒点は、ナビが踏み入れた鉄扉の先の空間であった。そこにいたナビは当初、外から迫ってくる碧い波に目を奪われていたが、永久鋼土がいきなり消失し、今いる真っ黒な空間とは正反対の真っ白な空間に書き換わってしまったことに困惑していたが。
白地の空間で、ノソノソと近づいてくる物体……人間……皇騎士。
もう見慣れたザンバラな赤髪の、悪ぶった侍騎士の姿を見つけた。
「テメェ、そんなとこにいやがっ――」
もし彼が正常なら、思わず喜びでうわずった声色に羞恥していたが。
「レッド! なにか、ちいさな丸いものとか、変なの拾いませんでしたかっ!?」
感動の再会そっちのけ。要点だけ伝えてくる魔女に、ケッとなりつつ。
「ぁん? これか? 知らねえがよ」
侍袴にしまっていた、プリベリオンシュヴァリエの残骸から見つけたもの。
いつの日か「綿花輝石」と名付けられるはずだった、名もなき鍵を握り。
数十メートル先にいるナビにぞんざいに投げつけ……クッククと笑った。
おかしなことに、それはナビと出会ったときに投げつけた六文銭のようで。
あのときは地獄の駄賃だったのにな、と思い出し、極限状態で一人笑う。
「グッ……!」
その程度の身動きでも、今の皇騎士の体は悲鳴を上げる。
「おー! でかしましたっ!」
どんくさに石をキャッチすると、魔女は踵を返してスタコラサッサ。
「って、テメェどこに」
瀕死の相手に手などいっさい貸してくれず、黒い空間の先に走っていく。
「まさかほんとになにか持ってくるとは、さすが皇騎士っ!」
とくに期待せずに尋ねただけだが、それっぽい物を拾ってきた。
これだけ見れば、ナビの機転がもたらした幸運と言えるが。
「なんでもいいから、なんか起きなさいっ! この渦巻きっ!」
それは死が目前に迫ってもなお、逃げる道を探し続けてきた。
ずっと逃げ続けてきた彼女の努力が実らせたものだ。
瀕死のレッドよりは数倍早いが、相変わらず遅い走りで急ぎ、暗黒空間に鎮座している謎の黒い渦。その中心部分に浮かぶ紋様に手を伸ばし。
相棒から受け取った、知らない花のような形の石を乱暴にぶつける。
「むっ……!? 色が変わって……!?」
今までゆったりと渦巻いていた黒潮が、淡く発光しはじめ、やがて金色の渦となり、高速で鳴動しはじめる。まるでエンジンをかけられたようにして。
そういった概念を知らないナビにしても、なにかが起きたことは察する。恐る恐る金色の渦に指を伸ばすと「わっっ!?」注意していなければ、腕ごと吸い込まれていたであろう強力な引力を感じ、慌てて手を引っ込め、ホッとする。
「後方は碧い波で、前方は金の渦で……ふふっ、比べるべくもないですね」
決断は早かった。そして、でかした相棒に説明しようと振り向くと。
「ちょっ!?!? な、なにモタモタしてるんですかレッド! さっさと来なさい!」
「ッ、ざけんなバカ魔女が! こっちゃ、ゥグッ……死に体なんだよ……ボケが」
ようやく白の空間から、黒の空間に踏み入れていた彼の姿。
背後にはもう、鉄扉があった入口も、白も黒もない。青一色。
ゴール間近とばかりに、碧い波がラストスパートをかけている。
「は、早くしないとっ!」
「うっせえ! くんじゃねえ! テメェは最後の最後に死んどけ、ナビッ!」
状況を知らぬレッドが叫ぶ。
彼はここにきて、満足しきったのだ。
最後に、ナビが生きて逃げていたことを知った。
務めは果たした。だから最後は皇騎士十三皇の務め。
蛮女の総統である黒魔女に、サッドライク大陸の最後を看取らせる。
だからテメェは来るな。俺と一緒に死ぬな。少しでも長く生きろよ。
それをもって贖罪としようと考える彼の不器用さは、あまりに優しく。
さすが、人気投票六位から四位に繰り上がったイケメン皇騎士だ。
「……~~~っっっ!!! もうっ!!! だらしないっっ!!!」」
「なっ!? だ、だからテメェこっちくんじゃ――」
だが、命ゴイにおいてイケメンとは、身体も、思考も、心情も、信念も。
男の子がカッコつける瞬間という、最も侵害してほしくない土壇場でさえも。
あまねくすべての男のプライドは、万命の令嬢たちが弄ぶために存在する。
ゆえに、命乞いしない十三皇騎士たちなど、この世で最も価値がない。
「ふーーんっ、ぐぅぅーーーっっっ!!!」
「テメッ!?!?」
レッドの言葉など聞く耳持たなかったナビは、遅い足で駆け寄り。
黒絹のローブから伸びる、白く細っこい両腕を懸命に伸ばして。
ヨロヨロと頼りない、レッドの右腕を力いっぱい引きずる。
素肌が2センチの不可視な壁に阻まれても、この世界ではちゃんと伝わる。
「ッ、テメェやめろクソ魔女! 一緒に死にてぇのか!」
「うるさいですっ! いいからさっさと、来なさい、ふんぐぅぅーーーっ!!!」
「テんメェ……クッ、クックク、クハッ! バカが! クソ蛮女がッ!!!」
背後に迫るは「最後の一口!」とばかりに勢いを増す碧い波。タカがしれているナビの膂力を支えに、レッドはもつれる足を必死に引きずり、彼女が引く先。
怪しさしか感じない、淡く金色に光り、高速で渦巻く物体を目指す。
「ありゃなんだッ!」
「知りませんっ!」
「ざけんなッ!」
「だったら波に飲まれちゃいなさい!」
「テんメェッ!?」
「私だけでお騎士見してあげてもいいんですよっ!」
「死なすぞ蛮女がッ!」
「イキってないでさっさと歩きなさい貧弱男!」
「ざっけ、ざけやがって、ぶん殴るぞ!」
「いいから歩くっ!!!」
「クソがよッ!!!」
二人が一歩進み、碧い波が二歩進む。
二人が三歩進み、碧い波が四歩進む。さらに加速。
もはや後ろ足スレスレのところまで近づいてきた碧い波が。
足元に広がる、小さな白い花畑をも蹂躙して。
レッドの背中、白いマントに触れそうになったとき。
「私はっ、私はっ、ヘルプヤクの魔女っ!!! ふんぐぅぅーーーっっ!!!!」
レッドの右腕を握りしめながら、全身を投げ出すように、左腕を前へ。
金色に光る渦へと、全身全霊で手を伸ばし――。
「むきゃっ!?」
「んなっ!?」
金色の渦が、ナビの左腕を飲み込んだ。腹ぺこで貪食な怪獣のように、確かな吸引力を誇る掃除機のように、続けてナビの上半身を、彼女につかまれたレッドを、二人の全身をものすごい力で吸い込んでしまい、それから数秒後。
碧い波がゴールテープを切るように、金色の渦をも飲み込み、命ゴイの名で親しまれた「十三皇騎士ノ命ゴイ」のすべてを完食しきった。
次の瞬間、波は地面に吸い込まれるようにして、一斉に崩れ、パッと消え。
名前も意義もなくしたこの世界には。
真っ白な、なにもない空間だけが延々と広がっていた。




