さよなら、またお元気で
命ゴイに登場する、さまざまなタイプのイケメン騎士たち。
バリエーション豊かな十三人中、十三番目に位置する赤髪の侍騎士。
名を皇騎士十三皇「レッド=フォン=プリンシュヴァリエ」。
設定上は、二十歳の青年。
「クックク……いまだにノコノコ生き延びてたか、ヘルプヤクの魔女がよ」
悪役のような笑い方。ヤンチャな悪ぶり口調が与えられたアイデンティティ。
明るい色調の赤髪は、ざんばらに跳ねた毛束が揺れるショートマッシュ。
大きく切れ長の男前な目は金色。印象強めなまつげは攻撃的なイメージ。
キリッと立つ、男伊達な鼻筋。元気に開く口は小悪にゆがむ。
青年の精悍さと男の子の未熟さが共存する顔つき。
耳元で垂れる青い雫型のイヤリングも色気のワンポイント。
それが皇騎士十三皇、レッドだ。
「おらよッ――六文銭だ。テメェの地獄の駄賃にでもしな」
思わずボーッと突っ立っていたナビに向かい、古びた銅銭が投げられる。
古くさい表現で言えば、彼のキャラが成す、冥土の土産である。
抜かれた血吸いの刀「染め紅」は、十三皇の叙勲時に受け継がれた大陸指折りの名刀。戦闘時間および攻撃・被撃に応じて、攻撃力0.25倍のバフを積み重ねる。
衣服は茜染めの上衣に漆黒の侍袴。深青鉱石で装飾された純白の皇騎士マント。両手両足の手甲、足甲は黒塗りされた侍具足のように見える。
正直なところ、騎士要素は外套だけであり、ほかはジャパニーズ侍あるいは剣術家といった装い。全身の鎧感は20%程度のカジュアルさだ。
そんな彼が、先ほど自らが救出した相手であるということも棚に上げて。
銀髪の黒魔女、ナビに食ってかかる。
「皇騎士が十三皇の名のもとに、蛮女を統べる悪しき魔女が、ここで死ねッ!」
なによりの特徴として、彼ら皇騎士は蛮女こと万命の令嬢への恨みが深い。
根幹設定もそうだが、サービス中にやられたデータの蓄積が怨念と化している。
「……お初にお目にかかります、サッドライク皇国の皇騎士、十三皇よ」
「ケッ。この状況で口上並べるたぁ、余裕かますじゃねえかテメェ……死なすぞ」
「むぅ、ずいぶんと口が悪いのですね」
「クックク……クハッ! おいおい、おい。そりゃ蛮女どもが言えたことか!」
「むむ。万命の令嬢の皆さまへの悪口は許しませんよ。度し難い」
ムッとした顔が子供っぽく見えたか。
レッドが余裕の笑みを深めた。
彼はイケメンだが、皇騎士という語感からはかけ離れたイメージを備える。
けれどレッドは存在からして、ストーリークリア後の隠し種だからよいのだ。
「十三皇、こんな場所でもお元気なのはけっこうですが、少し気に障ります」
「黙れ、ヘルプヤクの魔女がよ。今さらテメェに恩情かけるとは思うな」
「だから、うるさいですねえ……」ナビがまたムッとした。
万命の令嬢と敵対する皇騎士は、いわばボスエネミーに相当する。
なかでもレッドは、この世界で五本の指に入る強者であり。
エンドコンテンツに相当する隠しボスのような存在だった。
口汚い悪ぶり方の反面、過去の背景から正義の心を秘めた熱血侍風の若騎士は、高貴なオレ様系の皇騎士、堅物の美青年系な皇騎士たちに続き、プレイヤー向けのアンケート施策「十三皇人気投票」では見事、第六位を獲得。
つまり、万命の令嬢たちがいじめたいランキングのちょうど中間位と言える。
「俺たち皇騎士の悔恨と屈辱、七皇への卑劣な暴虐……その身で償えッ!!」
当の命ゴイは主に、ストレス解消ゲーである。おかげでゲームバランスはプレイヤー側が一方的に有利だが、計画されてそうなったわけではない。
遊びに集まった人たちの性格と、新進気鋭と持ち上げられた若きゲームディレクターの至らなさで、結果的にそういう作りになっただけのこと。
ゆえにレッドは命ゴイの存命中、万命の令嬢を名乗る過半数どころか全に近い割合の女性プレイヤーたちにより、システムを生かした手ひどい扱いを受けた。
まあ、信念やプライドを守り通せるほどの生ぬるい扱いで済んだ皇騎士など。
性根からして悪趣味な蛮女らがのさばっていたこの世界には、一人とていない。
「その話は置いといてですね」
「ボケが。置いとけるか魔女がよッ!」
「いえ、それよりも」
「んだとテメェ。辞世の句でも読みてぇのか? 命乞いなんざできると思うなよ」
温度差に怒る皇騎士に、ナビは最低限のフォローをと。
暗い森で息巻く、赤髪の侍騎士の後ろを指さして。
「あなたの後ろに、ボーパルミチカ@MutiUti新宿店勤務さまがいますよ」
「あ衛Kgmびゃsゴル=dpぁ」
「ッッ、んだとーーーッ!?!?」
触れられたら即消滅。現在のサッドライク大陸において最も危険な怪物。
バグった万命の令嬢、もとい壊れた令嬢が元気にごあいさつ。
壊れた令嬢は、巨大に膨れあがった風船のような頭部でウサ耳を不気味に揺らしながら、セミを見つけた猫のように、皇騎士レッドに迫っていた。
万命の令嬢はプレイヤーの全身を代替するキャラクターアバター。魂なき現在、彼女たちは壊れた世界の壊れたデータ。損壊した記録を再生するように動くだけの異形でしかない。それと比べれば、ナビたちのほうがよっぽど人に見える。
「あ衛Kgmびゃsゴル=dpぁ」
不規則な足取りで迫ってきた相手に対し。
「グッ……反撃できねえッ!」
レッドは手を出さず、慌てて距離を取る。
壊れた令嬢に反撃するにも、触れた物体は消滅する。侍騎士はそれをすでに知っていたため、攻撃も防御もせず、焦りつつも距離を取ることだけに専念する。
その様子を「災難ですねえ」と他人事のように見ているナビは、焦るでもなく、ジリジリと足裏を滑らせ、レッドと壊れた令嬢の視界から外れたそのとき。
一人で、一目散に、明後日の方向に。
「私っ、皇騎士に用はありませんので失礼しますっ!」
「んなっ!? テんメェ、ヘルプヤクの魔女ッ! 逃げんじゃねえッ!!」
スタコラサッサと逃げ出した。
「待て! ざけんじゃねえぞテメ――」
「あ衛Kgmびゃsゴル=dpぁ」
「グッ!? オモシロ死体みてぇなツラして、こっちくんじゃねえ蛮女がッ!」
レッドと壊れた令嬢。猫同士のケンカ現場のように触れるに触れられない死地をあとにし、ナビはそれほど早くない足で、そそくさと森の奥に逃げ込む。
皇騎士につかまり、処刑されても、それは死ではないとナビは知っている。
この世界では誰かにやられてしまっても"定められた場所に生き返る"のだ。
だが……今はもう死ねない。仮に皇騎士に殺されてしまい、復活したらどうだ。彼女は我が身が「恥ずかし魔女の隠れ家」に戻るのであろうと予測している。
そして住み慣れた家はすでに、幾何学模様の貪食。碧い波に食われた。
倒されれば、復活した瞬間、自分は碧い波の腹のなかで生き返る。
それは死と同義だ。理解できない碧い波だが、楽観できる存在には見えない。
だから死ねない。今はもう、命乞いをしてでも生き残らねばならない。
普遍的なNPCよりゲーム的な事情に精通している魔女は、そういうことを自身の指先より出ずる世界の説明書「ファアキュウの万命書」で学んでいた。
「ハァ、ハァ……うっ。走るというのは、かくも、続かないもの、ですね……」
とはいえ、ステータスに由来するひ弱な体力は、安易の逃走を許さない。
ナビが逃げた方向は、通り道を示唆していた土道からも外れていた。足元はすでに草が生い茂る獣道。移動に支障を感じないのは、開発の手抜きによりコリジョン(接触判定)が未設定なおかげだが、森の出口の方角は把握できていない。
それでも皇騎士と壊れた令嬢に近寄られるよりはマシだと。彼女はたくさんの令嬢たちに褒められた銀色のハイポニーテールを振り乱して、黒絹のローブを激しく揺らして、道なき道をひた走った。そうしていると視界の先に、森の切れ目。
暗い木々の隙間から漏れている、まばゆい光が見えてきて――。
ガツン「あぅ!」ドテッ。
なにか、とても、硬いものに、横合いから頭部を叩かれて。
気付けば、全身で地に伏せていた。
「むぐぅ……」
頭への衝撃。未知の感覚。体が獣道に倒れ込んでしまった。
クラクラする両目でどうにか見上げると、目の前にはいつの間にか。
「――――」
ツラのいい騎士。サッドライク皇国に属する騎士。ボイス無きMOB。
総称は草騎士。いわば、この世界におけるザコ敵に急襲されていた。
「けほっ……ゲホッ!」
急いで起き上がろうとするが、体が言うことを聞かない。
地べたを這いずる毛虫のように、懸命によじるくらいしかできない。
ゲームスタートの地で、プレイヤーのチュートリアルのナビゲーションを担当するヘルプヤクの魔女にとって、生まれて初めて味わう、不思議な体感覚。
「ぅ、っつ……これがダメージ、というもの、なんでしょうか……」
戦闘ダメージ。知識では知っていたが、自分では受けたことのない衝撃。
それが人体における痛みのように、体の芯に重い痺れを残した。
ナビは戦闘のいろはも教えるが、戦闘能力を持たない無力な魔女だ。
ゆえに、皇騎士や草騎士、この世界にはびこるエネミーたち。
そういったあまねくすべての敵に抗する術をほぼ持たない。
「――――」草騎士が、ボイス非搭載の顔でニッコリ笑んだ。
爽やかな笑顔。セットされた髪。ピカピカの鎧。紋切り型のイケメン。
状況にそぐわぬ甘い顔つきで、両手の長棒を、ナビめがけて振るう。
バシッ。バシッ。「ぅっ……」。バシッ。
相手がまるで強くないザコ騎士であることは、ナビも知識で知っている。
知ってはいるが、貧弱な彼女の体は動かず、何度も容易に叩かれる。
相手もすばやいどころか、むしろ動きは緩慢だ。ゲーム最序盤のザコ敵として、命ゴイのコンセプトを提示するために甘い顔つきで長棒を振るっているだけ。
しかし万命の令嬢とは違い、万命術も万令術も持たぬナビは。
その程度の暴力にすらも抗えない。
「――――」バシッ。バシッ。
無抵抗な魔女に、一方的な打撃の連続。
「ゲホッ! あぐっ! っっ……こんな……でっ……」
ナビの吐息も、徐々に力をなくしていく。
ゆるりと高く掲げられた草騎士の長棒が、今一度、地面に倒れたナビの体めがけて振り下ろされようとしている。序盤も序盤のザコ敵。いかにゲームバランスに劣ったタイトルでも、ダメージで言えば、ほぼ極小な一撃。なのに。
ナビはなんとなく、自分の意識がそろそろ途切れてしまう予感がした。
そうと分かっていながら、キメ顔で振るわれた草騎士の長棒を眺め……。
「こんな、とこで……やられてっ! たまるっ! もんですかーーーっ!!!」
ガバッ。振りかぶられた長棒に、自慢の白銀の髪を薙がれながらも。
硬質な鉄鎧を着込んだ草騎士に、全身で体当たりを返す。
ただただ叩かれて、やられるだけでいられるもんか。可憐で華麗で清楚な憧れの万命の令嬢たちは、どんな草騎士や皇騎士を相手にしても、いつだって相手を小ばかにして見下し、せせら笑って蔑み、生を謳歌してきた。そう話していた。
多くの令嬢らは、そういった武勇伝や皇騎士への新たな嫌がらせを仲間内で話し合うため、魔女の隠れ家に集っては、ナビを引っ張り込んで談話した。
であれば、願わくば……私もそうでありたい。
万命の令嬢の皆さまに、恥ずかしくない自分でいたい。
ナビはプレイヤーたちに憧れ、隠れ家を出る決意をしたのだから。
「むきゃっ!?」
とはいえ、彼女はバトルシステムを担保された万命の令嬢ではないため。
草騎士と正面から衝突すると、その反動でお尻から地面に転んだ。一方で。
「――――」
ボイス未搭載の草騎士に反応はない。ダメージを受けた様子もない。
小柄な魔女の全身全霊の反撃は、己の散り際を演出するにとどまった。
草騎士は場違いの甘いツラを崩さず、なにも意識や思考を感じさせぬまま、彼らに託された戦闘ルーチンに従い、長棒による最後の一撃を加えようとする。
目では追っているナビは「旅ってメチャデカ大変ですね……」と静かに諦め。
「ケッ! んなとこでなにしてやがる魔女がッ! 道ばたで隠れたつもりかッ!」
いつの間にやら、見上げた正面には漆黒袴。白外套。赤髪。皇騎士の背面。
逃げた魔女を、さらに追いかけてきたレッドが刀を構え――瞬間。
草騎士が振るおうとした長棒は、森の遠く遠くに切り飛ばされていた。
草騎士は上位オブジェクトたる皇騎士への敬意を見せることなく、出現時からの爽やかな甘い顔つきを乱すことなく、武器を失ったときのアルゴリズムに従い、タッタッタっと。イケメンっぽくはない駆け足で森の奥に消えた。
「けほっ、っっ……皇騎士、十三皇」
助かった。情けなさを感じながらも、素直にそう思う。
「テんメェ、ずいぶんと貧弱だな……蛮女にもそっちを見習わせろってんだ」
彼は悪態をつきながら、ナビの手を取って引き上げ、立たせた。
壊れた令嬢には存在しないが、通常、万命の令嬢たちは「花護」と呼ばれる非実体型シールドにより、身体に直接的な打撃・斬撃を受けることはない。
これは全身まるごとの体感没入型で戦闘ありのゲーム、しかも女性向けとあって、潜在ターゲット層の人離れが考慮されたための安心設計だ。
ゆえに万命の令嬢が攻撃されたときは、身体の1メートル先で花護がダメージ判定を引き受け、被撃時に色とりどりの花びらを舞わせる。
ダメージ量は視界内ディスプレイ、あるいは舞った花の量で確認しつつ、目の前で武器を振るうイケメン騎士の必死顔を見つめては、意地悪く小笑いする。
返す刀は、非物理。自らの音声で精神ダメージを与える「万命術」を行使して、言われなき中傷や罵倒を投げつけては、うめくイケメンに大笑いする。
しかも蛮女にやられてしまえば、屈辱に歪ませた顔すらも見せ物にされ、お楽しみにされる――恐怖のおしおきターン「万令術」の時間が待っている。
つまり、命ゴイの世界では、敵である皇騎士が必死に物理攻撃をしているのに、プレイヤーである万命の令嬢は痛くもなんともない花護でそれを受け、ほんとーにヒドイ言葉の数々で精神を殴り、彼らを立てないほどにまで傷つける。
それがまたなんともイイご趣味な構図なのだが……これまた一部の女性層にウケた。もちろん、サービスが一年二か月しか続かないくらいの少数にだが。
ついでに令嬢たちはHPを削られきってやられてしまっても、そこから十秒ほどは完全無敵時間に移行し、何食わぬ顔でサラッと拠点にリスポーンする。
その間、皇騎士たちは「カハッ……に、逃げるなッ!」。勝利演出すら与えられることなく、代わりに「全力で蛮女を倒して疲れきったのに、相手は無傷かつ無敵でニヤニヤ眺めてくる」という悲惨な一幕を演じることになる。
その姿はまるで、物語第一話に出てきたラスボスが圧倒的な力を見せつけつつ、主人公にかすり傷を負わされて「フッ、虫ケラ風情が面白い!」などとのたまい、いつの日か自分を倒してしまう相手をなぜか見逃す余興に近いものだった。
皇騎士の敗北には惨めな敗北を、勝利には無残な敗北気分をと、これいかに――なんて話は、お金を落とすわけではない非生命体では考慮されない。
お金を落とす生命体、万命の令嬢たちからすれば、勝っても負けても勝者気分で気持ちよくなれるのだから、命ゴイのゲームデザインは最適であった。
このように。命ゴイは徹頭徹尾、万命の令嬢の皆さまがとにかく気持ちよくなれる設計を追求していた。他方で、ナビは違う。彼女はプレイヤーではない。
だから皇騎士たちNPC側のように、痛々しく殴られてしまうほかない。
戦う力のない魔女。しかも世界最弱であろうステータス。
ゲームの案内役でしかないヘルプヤクの魔女の旅は、おそらく。
この世界において、最も過酷な縛りプレイにあたる。
「テメェ……体はどうなんだ? 平気なのか?」
性分だろうか。レッドがなんだかんだ、優しく介抱しはじめた。
「……皇騎士よ、助かりました。今のことに関しては、ありがとうございます」
ナビも丁寧に背を折って、お辞儀を返す。
叩かれて地面に倒れた拍子に、黒絹のローブの一部が土で汚れていたため、ナビが手で払う。それは一時的なグラフィックス表現であり、キレイにするには数分の時間経過か、水場などで水属性オブジェクトに触れる必要がある。
「おいテメェ、まさかと思うが、蛮女どもみてぇに万命術を使えねえのか?」
「ええ、まあ」
「ク、クックク……クハッ! そりゃいい! 抵抗すらできねえ雑魚ってか!」
言葉の内容に反して、高笑いは意外と爽やかボイス。
「ええ、そうですが」
「……ケッ、張り合いのねえ女。どうしてこうも蛮女どもと違えんだかよ」
レッドはいまいましそうな顔で、血吸いの刀「染め紅」に手をかける……が。
抜くか、抜くまいか。自分でやっていて、どっちつかずでオロオロしはじめる。
レッドは一見すると、攻め攻めでオラオラなイキリヤンキー侍風であるが。
彼の学習指導型AIは制限により、相手が不快すぎないギリギリを努める。
それが令嬢たちがドSしやすい由縁であり、彼に課せられた人格だ。
「テメェら蛮女どもは、サッドライク皇国に不埒な出血をねだる、どクズだ」
「万命の令嬢による力の行使は、皇国を担う皇騎士の至らなさへの叱咤ですが」
「テんメェ……叱咤で、俺らが、裸で地面に這いつくばるいわれなんざねぇッ!」
「それは令嬢たちの愛。至らぬ皇騎士がしかと受け止めるべき、愛の鞭です」
「誇りを汚ねぇ土足で踏みにじるクズ女どもが……テメェはここで死ねッ!!!」
皇騎士たちにとってヘルプヤクの魔女は、万命の令嬢たちをサッドライク皇国に送り込んでくる悪の首領。ナビさえいなければ、蛮女たちにこれでもかと弄り倒されることもなく、幾度にも渡る屈辱の記憶に苛まれることはなかった。
――などと信じている。
彼らは当然だが、命ゴイの世界がどう成り立っているのかの枠組みなど知るよしもない。また、しらふのプレイヤーとふれ合う機会が多かったナビの特殊な学習指導型AIとは違い、皇騎士のAIはよりロールプレイングに徹している。
それでも強気な赤髪の侍騎士は、人気投票六位にふさわしく。
攻めきれない右往左往の情けなさで、ナビを斬ることができず。
「――っっ!? 十三皇、後ろっ! ボーパルミチカ@MutiUti新宿店勤務さまが!」
憂森林の奥、警戒を欠いていたレッドの背後に。
彼を追ってきた、壊れた令嬢が迫っていて。
「あ衛Kgmびゃsゴル=dpぁ」
今まさに、飛びかかろうとしていた。
「んなッ!? こ、この、イカれた蛮女風情がよーーーッ!」
「あ衛Kgmびゃsゴル=dpぁ」
ウサ耳付きの巨大な頭部では、肥大化した目玉がグルングルンと喜ぶように回り回っている。それがまた、バグったバケモノ感を増長させている。
「タダで死ぬかッ! ともに地獄に落ちろ、蛮女がァァッ!!」
十三皇の抜き打ち。血吸いの刀である染め紅が、蛮女の頭に触れた途端。
「あ衛Kgmびゃsゴル=dpぁ」不快な奇声とは別に。
音もなく、形跡もなく、まるで最初からなにもなかったかのように。
名刀・染め紅はあっさりと消滅した。これこそが壊れた令嬢の力。
もし相手の花護システムが正常であれば、斬撃が身体に触れることはなかった。世界が壊れたことで、皇騎士たちはようやく、念願の直接攻撃の機会を得たはずだったのに……令嬢に相対する彼らの不憫さにはなにも変わりがない。
そして、一拍の間が置かれたあと。
壊れた令嬢の、肥大化した、不気味な両目が。
獲物。レッドをオモチャのようにしか見ていない目で見直す。
「十三皇っ……!」
これからナビが目にする光景は、壊れた令嬢による皇騎士の殺戮だ。
幸運なのは、レッドが痛みを覚えることなく、一瞬で消滅することか。
彼女は一瞬……悩んだ。自分にとっての敵ではないが、万命の令嬢にとっては敵である皇騎士。敵ではあったものの、そこに憎さはなく、愛しさで語られた敵。
けれども、彼は先ほどから自分を殺そうとしている。
そんな男を、助けるべきか、否か。迷い、悩む。
それは先ほど、レッドが自分のことを助けてくれたからにほかならない。
万命の令嬢の手指は、もうすぐ皇騎士の肩にかかろうとしている。
触れられれば、彼はこの世から消える。それが死と同等なのかはナビには分からない。もしかしたら、消えた先でみんな生き永らえているのかもしれない。
かといって、壊れた令嬢も、ずっと後ろから迫ってくる碧い波も。
触れたものを消し去るなんて存在が、そこまで生優しいものには思えない。
「テメェらは最後の最後まで、好き勝手し放題の蛮女だったよォォ!!!」
レッドの咆哮は、今生に対する別れの句にも聞こえた。
今の皇騎士と、今の万命の令嬢と。どちらを選ぶべきか。
二つの存在の生死を天秤にかけながら、選択の猶予もないなかで。
ヘルプヤクの魔女は、心を殺して選ぶ。
「――イフ・ケイク・ワン(もし、あなたがガトーショコラなら……)」
それは、この世界で唯一、彼女にだけ許された、はじまりの魔法。
それは、この世界の万物を司る理へと命じる、黒魔女の強制令状。
悪趣味なこの世の凶悪なチュートリアルで任された、彼女の最初のお仕事。
万命の令嬢たちに絶望を与える、三つだけの問いかけ。選択肢のコマンド。
「【魔女は答えなかった】」
ナビが言の葉を紡いだ瞬間、レッドに触れようとしていた壊れた令嬢の姿が……フッと。不自然なほど、瞬きの時間で、その場からかき消えていた。
先ほどまで、皇騎士の手元にあったはずの血吸いの刀「染め紅」と同様に。
一秒前まで存在していた目の前の令嬢が、残り香もなく、消滅していた。
「っっ……ごめんなさい、ボーパルミチカ@MutiUti新宿店勤務さま……」
レッドはわずかな時間で自らの死を覚悟していたが、壊れた令嬢が目の前から急にいなくなり、目を丸くし、驚愕している。その横では。
ナビが今にも涙を流しそうな悲痛な顔で、虚空に謝罪を続けていた。
しかし、彼女がどれだけ痛ましい表情をしてみせても。命ゴイの世界において、ヘルプヤクの魔女が涙を流せるのはイベントスチルのときだけだ。
初めてのゲーム題材の物語です。
ゲームならではの難しさを痛感しつつ、
一区切りまで毎日投稿いたします。
面白そうだったらぜひ読んでくださーい!