最長の最短(26)
ひしゃげた木々と踏みならされた獣道だけの殺風景な空間に、顔面や手足が破損している異形の姿。残留する衝動だけで動いているような死体。
あてはないのだろう、二体の壊れた令嬢が無秩序に徘徊していた。
「どうすんだ。さっきの十字架蛮女みてぇに動きを止めるか」
「……いえ、ちょっと待ちます」
黒絹のローブの首元。深紅宝玉をギュッと握り、息を止める。
壊れた令嬢たちは、身を隠した木の裏から顔をのぞかせ、ヘタクソにも銀色の一本髪をユラユラとさらけ出してしまっている魔女の手落ちに気付くことなく、遠くに離れていきそうになっては、不意に戻ってきて。あらぬ方向に行くと思ったら、また戻ってきて。不規則でじれったい挙動を繰り返す。
生物的とも機械的とも言いがたい気ままさに神経がすり減ること、約十分。
壊れた令嬢たちはようやく、それぞれ森の別方向へと消えていった。
「……いったようです。私たちも行きましょう」
「ケッ、さっさと止めちまえよあんなもん。もったいぶりやがってよ」
「うるさいです」
一息ついて、また歩き出し、ときどき直上。森の切れ目を見上げる。
黒い天塔は大陸の対極位置からでも視認できたほどの巨大構造体であり、ナビの隠れ家からでもそこそこの横幅に見えていたため、すでに二人の視界の前面を覆い尽くすほどの黒壁が広がっていてもおかしくないが。そろそろ近距離と言えるであろう場所までやってきても、そこまで大きくは見えない。
どこで見ても大きく主張しているが、近くに来ると謙虚。
不思議な遠近感のオブジェクトであった。
「ッ、止まれ。また蛮女だ」
「あれはバナさま、通り亀さま、ベビーフォークさま……隠れましょう、レッド」
少し歩くと、またもや壊れた令嬢たちに遭遇してしまう。
ここも十五分ほどやりすごして、また徒歩を再開するも。
「……ざけんなよ。どんだけいやがんだ、おい」
「……ルックラックさまとビンGOINさま、相変わらずご一緒なんですね」
壊れた令嬢を見つけるたび、ナビにはそれが誰なのか思い出せてしまう。
別れる前にフィカが忠告していたとおり、永久鋼土にあるのであろう黒い天塔に近づくほど、二人の前には壊れた令嬢たちが立ちふさがった。
ナビとレッドはそのたびに身を隠し、令嬢が立ち去るのを見届けるのだが。
立ち止まったり、明後日の方向から違う令嬢が合流してきたり、やりすごしたはずの蛮女がハッと気付くと背後のほうから戻ってきたり。
遅々として進まない歩みに、皇騎士はイラ立ちを抑えきれなくなる。
「これ以上は時間のムダだ。テメェの呪いで、あいつらを消し去れ」
「ダメです。今は待ちます」
「日和ってんじゃねえぞ、ナビ。後ろも見ろ」
「……分かってます」
レッドが肩で示した背後のほうに、壊れた令嬢の姿はない。
しかし、その先。前方の森の切れ目から黒い天塔が見えるように。
歩いてきた道の後方の上空には、碧い波がのぞいて見える。
「ここでチンタラやってたら、永久鋼土どころか森のなかで追いつかれるぞ」
レッドの言い分は正しい。正しいが。
「分かってます」ナビは頷かない。
「ざけんなよ、テメェ」
「……わかってます!」
「……ケッ、クソ魔女が」
嫌気が差したとばかりに、悪い目つきで赤髪をガシガシとかきむしるが、皇騎士は魔女から離れようとはしなかった。律儀にも護衛を続ける様子だ。
相方に責められたナビも、頭のなかで祈る。
早く、早く、どうかお願いです、と。
急いた顔つきで、お願いを聞いてはくれぬ壊れた令嬢たちに祈る。
サービス中だったころと変わりのない壮麗な装いはそのままに、顔面やら手足やらが色も形もとりどりに損壊した美女たちがその場を去ってくれたのは。
ゲーム内時間で、約二十五分が経過したときのことであった。
「……行くぞ」
「……ええ」
暗い面持ちで、赤髪の侍騎士と銀髪の黒魔女が久しぶりに歩き出す。
先を歩くのはレッド。ナビはその後ろをどんくさに着いていく。
「万命令は、一度しか効かないのです」
「ぁん?」
彼女なりに気まずいのか、負い目を語るような声でしゃべった。
「隠れ家にいた、令嬢の皆さまに試しました。私の万命令に一度でもかかった令嬢は、違う呪文をかけても効きませんでした。だからレッドも……そもそもあなたに効くとは思っていませんでしたが、万命令が効くことはもうないはずです」
それはヘルプヤクの魔女なりに、ここまで皇騎士十三皇を信用しきらずに隠していた万命令の弱点であり、自分がもう抵抗できないことを吐露するものだ。
彼女が隠れ家を出る前日。厳密には、廃棄迷宮でゲーム内時間における一夜がすぎていたので二日前に当たるが、ナビは家周辺を練り歩いていた壊れた令嬢たちに「イフ・ケイク・トゥ」移動の権利を剥奪する万命令をかけた。
そうして動けなくなった令嬢たちは、その場を動かぬままずっと。
「ナビ、こんにちは」
「おはよー、ナビぃー」
「今日も命ゴイはいい天気だねえ」
「ナビナビぃ、これあげるー」
「ねー、ナビもお城にいこーよー」
「ナビ、次はどこ行ったらいい?」
壊れた目覚まし時計のように、延々と同じ言葉を鳴き続けていた。
その光景を苦に思った彼女は翌朝、森を出る前に「イフ・ケイク・ワン」。
この世界に存続する権利を剥奪する呪文を唱えたが、効かなかった。
唱えた理由は簡単だ。彼女たちが、今よりも得体の知れなかった碧い波に飲まれるよりも前に、キレイな姿のまま供養してあげたかっただけ。
万命令を知ってから、それなりに試行回数を重ねていた。二週間前に壊れた令嬢たちがのさばりはじめたころから、隠れ家に湧いて出てくる令嬢に向けて、鎮魂の祈りを込めるように、相手の具合に応じて呪文を使い分けてきた。
けれど、万命令は同じ相手には一度しか効かず、二度も三度も、四度も五度もかけ直したこともあったが、家の前で鳴き続けた令嬢たちのように、以前かけた効果を上書きして新たな影響を与えることはできなかった。
夜中も壊れて鳴き続ける令嬢たち。
徐々に迫ってくる碧い波の恐怖感。
ベッドのなかまで押し寄せてくる不快感。
それに耐えきれず、彼女は決断した。「……ここから離れましょう」。
ヘルプヤクの魔女の旅のはじまりは、初めての冒険への高揚ではない。
彼女はその場から逃げるため、帳尻合わせのように一晩で目的を定めて。
今もこうして、前向きに逃げ続けているだけだった。
「それで、だからなんだってんだ」
静かに話を聞いていたレッドが言い返してくる。
「さっきのやつら、もう万命令をかけたことがあんのか?」
「いえ」
「だったら、やりゃいいだろが」
「……それは……」
「二度がけが通じねえなら、一発で消しとけ。要領の悪い女がよ」
ナビの告白は、レッドが求めていたものではなかった。
彼女の言い訳は、レッドに「私はもうあなたに処刑されそうになっても抵抗できません」と腹を見せただけの、ただただ言い訳めいた、回りくどいネタばらしにしか聞こえない。事実、ナビ自身も意味のない話であることを理解している。
でも、だからこそ、本当にしたくない話はうやむやにできた。
「ケッ」
「…………」
そうしてまた無言で歩き続けて、しばらくすると壊れた令嬢に遭遇して、身を潜めて、やりすごしたらまた少しずつ進んで、またもや遭遇して――。
ロイヤルチョコレイトタルトのためにパティシュヴァリエ狩りをしていたときよりも緊迫感のある、それでいて無為に感じてしまう時間。
後方からは着実に碧い波が迫ってきており、前方では不規則な脅威が訪れ続ける。それでもゆっくりと少しずつ、安全を確認しながら断続的に進み続ける。
二人とも、気付けば会話をしなくなっていた。
レッドは表情を分かりやすくイラ立たせているが、先ほどのようにケチをつけてくることはせず、危険のたびに身振りだけでナビに隠れることを促す。
それを受けた彼女も言葉では返事をせず、腰を落としては、顔も伏せる。
廃棄迷宮で稼いだ、碧い波に対する距離のアドバンテージが徐々に削られていく。背後から意地悪に追い上げてくる波に、二人とも実感を迫られるが。
それでも、先に逃げ切ったのはナビたちのほうだった。
「ッッ!? おいナビ……」
「…………ええ」
何度も遅滞を迫られた追放棄路の森林をようやく抜けると、そこに広がっていたのは群青色の壁面。ゴツゴツとした岩塊は、明暗の異なる群青色で塗り分けられており、きらきらしく輝く多彩な色合いの宝玉が散在して埋まっている。
全体的に、不穏で豪華。特別感の漂うスペシャルな雰囲気。
おまけにダンジョンじみた洞窟の先の天井に、黒い天塔がそびえている。
「ここが永久鋼土……サッドライク大陸における、最果ての試練」
プレイヤーの感覚とゲーム内時間で言えば、ちょっとの面倒さで済むが。
見るものすべてが知っているけれど知らない、ナビたちNPCの体感では。
長大な冒険の末にたどり着いた、旅の目的地。
しかし、ホッと一息はつけない。肩の力を抜くこともなく、身構える。
魔女の浅緑色の目に、皇騎士の金色の目に映った、永久鋼土の入り口前は。
「――――」
「びゅ! ギュ! アぺbはえcy!」
「――――」
「――――」
「――――」
「だから言ったでしょ。だから言ったでしょ。だから言ったでしょ。だから言」
「――――」
「――――」
「クソジョーシコロースクソジョーシコロースクソジョーシコロース」
蛮女、蛮女、蛮女、蛮女、蛮女蛮女蛮女蛮女蛮女。
「蛮女どもが……祭りでもやってるつもりか、クソがッ」
鮮やかな群青色の永久鋼土。その入口には、物販を求めて開場前から居座っているかのような、おびただしい数の壊れた令嬢たちがうごめいていた。




