我は皇騎士が十三皇
女性向けサディスティック恋愛オンラインRPG。
正式名称「十三皇騎士ノ命ゴイ」。通称「命ゴイ」。
命ゴイはドS嗜好な女性をターゲットとしたニッチな恋愛MMORPGであったが、世に放たれてからすぐに衰弱し、あっけない幕切れでサービスを終えた。
その後はプレイヤーによるゲームへのアクセスが遮断されたものの、電源が入ったままサーバーは稼働し続け、データ類だけは息づいていた。
それを「電気代の無駄だ!」などと節約目的で強制終了されなかったのは、ひとえに本作がセル型統合ネットワークゲームコアの一端に位置するからだが。
ともあれ、プレイヤーがやってこなくなったこの世界の一部NPCたちはしばらくの時間、騒がしさの途絶えた命ゴイの世界で、静かな日々を送っていた。
しかし、二週間前のことだった。
世界を大きく揺るがした地響きが鳴りやんだと同時に、それまでまったく姿を見せていなかったプレイヤーキャラクターのアバター「万命の令嬢」たちは、壊れた操り人形のようにおかしな振る舞いで、森を闊歩しはじめた。
奇怪に動き回る女たちが触れたものは、音もなく、奇術のように消滅した。
さらに、三日前のことだった。
四季折々の架空の花々が生息する命ゴイの世界「サッドライク大陸」の端っこに突如現れた「碧い波」は、天も地もなにもかも、大陸全土を食らいはじめた。
そうしてこの世界は今、碧い波がすべてを同色に塗り替えようとしている。
「さて……お別れはここまでといたしましょう」
そうしてNPCも……黒いローブ姿の銀髪魔女もまた、決意した。
碧い波の正体は、プレイヤーとの交流により情報が蓄積されていく学習指導型AIを搭載している魔女ナビにも、なに一つとして理解できていない。
所詮はゲーム内キャラクター。ゲームのなんたるかなど分かるはずもない。
「私も皆さまのように、サッドライク大陸での冒険を楽しんでみます」
それでも。碧い波に飲まれてしまえば、自己が、自我が、存在が。
「初めての旅、行ってきます……万命の令嬢ハナリナさま」
抗う術もなく一瞬で消滅するのだろうと、危機感だけは覚えた。
だから彼女は、何者かに与えられていた使命も投げ出して。
住み家の森から、不気味な碧い波から、今からこうして。
「目指すべきはやはり、あの謎でしかない”二本の天塔”ですね」
設定上、約十九年の生において初めて。
スタコラサッサとトンズラこくのだ。
そのためにしなければならないお別れも、今しがた済ませた。
「ふふっ。令嬢の皆さまならあんな遠くでも、指先一つで飛んでいけそうですね」
碧い波は大陸の南端、ここ「恥ずかし魔女の隠れ家」から出現した。
森の大半はすでに飲まれている。ここに残れば生はない。
高めに結った銀色の一本髪を揺らし、視線を上げる。
両目の先には、遠い遠い地にそびえ立つ、天につながった二本の塔。
地震後にこつぜんと現れた黒と白。二本の無機質な構造体。
それが彼女の冒険の目的地であり、逃げる先だ。
「ここから先は憂森林……初めての連続というのは、なかなか緊張します」
自身の隠れ家があるところから、数十歩ほど歩いただけの場所。
最初の未知のスポットは、あっけないほど近くにある。
魔女の隠れ家のすぐ近く。というより目と鼻の先のお隣さん。
チュートリアル相当の「憂森林」のフィールドだ。
ナビはゲーム内時間における三日前、碧い波が現れ、隠れ家の近所が徐々に飲み込まれる姿を見るまで、住み家を出ることなど想像すらしていなかった。
これまでも意識はあった。意志もあった。けれど、それは人が言う、魂を持った万命の令嬢たちが口にするものと違っていたことだけは知っている。
そんな彼女が、過去に万命の令嬢たちが歩んだ道を見つめる。
NPCでしかない魔女が、ゲームプレイヤーの遊びの軌跡をなぞる。
緑色の両目に不安を宿し、黒絹のローブの袖をギュッと握る。
「……行きなさい、ナビ。この先はきっと、メチャデカ楽しいのですから」
あどけなさの残る表情をこわばらせつつも、己を叱咤して、踏み出す。
右足が隠れ家と憂森林の境目を踏み、体が一線を越える。
見えないなにか。己に定められていたはずの妄信的な役目を捨てる一歩。
ヘルプヤクの魔女である自分が、何者でもなくなったように感じる。
喪失感にも似た、心に入り込んできたさびしさは、前向きに蹴飛ばした。
「……ふぅ。万命術すら持たない私ですが、いけるとこまで行きましょう」
二週間前、万命の令嬢たちが壊れた日から、ひとり言が急激に増えた。
そんな自分も案外、嫌いではなかった。
「…………」
決意とは裏腹に、恐る恐る歩いていく。
人にしてみれば目の前も目の前。スタート地点の次の目的地でしかないが。ナビには自分が行くつもりも、行けるとも思っていなかった、別次元のような場所。
己の住み家しかなかった森の隠れ家より、さらに鬱蒼とした憂森林。木々のざわめきすらなく、かすかな光も差さない暗がりだが、周辺は妙に明るい。
それは当然、ゲームを作った者たちの「明度」への配慮というやつである。
ナビは慎重な足取りで、一歩一歩と進んでいった。
道中の正規ルートは草木が踏みしめられている部分だが、冒険のノウハウなど持たない彼女は、ときおり小首をかしげながら立ち止まり、森の頭上。
木々の切れ目を眺め、二本の天塔のうち、真っ黒な塔を目標に進む。
遅々として早まらない進行速度は、まさにチュートリアルエリアを物珍しく歩き回り、目に映るものを体に慣らしていく、初心者そのものである。
しかし、そうこうしていると……ガサッ!
先のほう。暗がりの茂みから異音が聞こえてきた。
ナビは着の身着のまま。本能だけで警戒する。
武器らしい武器も持たないが、体も構える。
そしてまもなく、姿を現したのは。
今はあんまりお呼びではない、敬愛するお方だった。
「あ衛Kgmびゃsゴル=dpぁ」
話すも聞くも、意味不明な言語を吐き散らかす女。しかし。
「っっ……ここにいたのですね、ボーパルミチカ@MutiUti新宿店勤務さま」
それが誰なのか。いや、誰であったのかはナビには分かる。
ウサ耳付きの頭部が数倍もの大きさに膨れている、見たまんまの異形。
在りし日の美しい姿とはかけ離れた、壊れた万命の令嬢の姿。
清楚な白ワンピースに、大量の赤リボンを装着した個性的な服装はそのままに、相手は自我を損なった生物のように、右に、左にとさまよっているだけ。
そこに人としての意志はない。そういうものをいっさい感じない。
彼女ら、万命の令嬢はプレイヤーキャラクターである。
だが、令嬢の魂がこの世界に返ることはない。
それくらいはもう、ナビにも分かっている。
「むむ……困りましたね。どうしましょう。いきなり困りました」
幸い、危機感は薄い。
相手が襲いかかってきたわけでもなかったからだ。
「あ衛Kgmびゃsゴル=dpぁ」
関節を複雑に曲げて歩く美女の怪物が、理解不能な言語を吐き散らかす。
亡骸と化した万命の令嬢らの身体は、今や全身凶器となった。
その体が触れたものは、同じ令嬢以外のなにもかもを消滅させた。
ここ二週間、隠れ家の近辺で消えたものは数え切れない。
壊れた世界で、ようやく新たな一歩を踏み出した直後なのに。
ナビはいきなり動けなくなってしまった。
できることはあるが、できればやりたくない。
そうして息を殺し、奇怪な万命の令嬢が立ち去ることを願っていた矢先に。
「――そこのテメェッ!!」険の強い、青年の声。
目の前で純白のマントが翻った。それはまるで騎士のようで。
和服のような茜染めの上衣と漆黒の袴。それはまるで侍のようで。
視野外にあった木々の横合いから急に、赤髪の侍騎士のような男が現れた。
「テメェ生きてるか!? ケッ、女か。まあいい、無事かッ!」
騎士のような、侍のような、わりと乱暴な口調の青年は。
間一髪の王子さま気取りなのだろう。ナビの手をグッとつかむと。
「むきゃっ」
「クックク……まだ生きてるヤツがいるたぁな! これも十三神の加護ってか!」
燃える炎のようなザンバラの赤髪を踊らせ、一人勝手に盛り上がる。
「いきなりなんですか、失礼ですね。この手を離しなさい」
「俺は怪しいもんじゃねえ。つーか、まずはズラかるのが先だ、女ッ」
言うが早し。赤髪の侍騎士はナビに有無も言わさず、力強く駆け出した。
現れてから数秒程度で、一方的な性格が透けて見えてくる。
意図せぬ火急の事態。ナビに推測できたのは「この男が令嬢を危険だと認識しており、窮地にあった私を助けようとしている」くらいのもの。
そして力強い腕力。強引に引っぱられた手が振りほどけそうにない。
二人が重ねた手は、命ゴイの作りに則り、手と手の間に2センチほどの透明な空間が横たわっていた。手はつかめているが、素肌と素肌が直接触れていない。温度も脈動も感じ取れない、手袋越しにモノをつかむような無機質な感触。
それがこのゲーム、命ゴイの作り込みの甘さが招いた技術不足の壁である。
「グッ……とっとと走れノロマがッ! あいつら蛮女に触られたらなぁ――」
赤髪の侍騎士は無礼に忠告しつつ、後ろ手でつかんでいたナビに向き直り。
「ッッッ!?!? なっ、テ、テメ……テんメェ……まさかぁッ!!」
急に足を止めると、目つきがより険しい形へと変わる。
金色の目にこもった情念は、ここで会ったが百年目のごとし、恨み節。
あからさまな怪訝、敵対、警戒の情が宿されている。
続けて、子供がおつかいの買い忘れがないかを確認するように。
青年がナビの身体的特徴を見定め、順番に一つずつ、己に向かってつぶやいた。
「……灼かれた蛮女の遺髪を束ねた、白銀糸のような一本髪」
ナビのハイポニーテールは、毛先側が鮮やかにグラデーション。
「……嗜虐に嗤う眼は、世を疎んじる浅緑色」
命ゴイを解析すれば、#84C999と値が出るだろう。
「……苦しむ皇騎士の吐血で黒ずんだ、黒絹装束チユートリア」
そんな事実はないが、皇騎士がそうだと信じている設定。
「……指先で災厄を顕現する、ファアキュウの万命書」
ナビの引っぱられた右手に浮かんで現れた、薄汚れた金装丁の書物。
それらをじっくりと見定めて、何度も何度も、順番に眺めたあと……。
赤髪の侍騎士は、いきなり怒った。
「テ、テんメェはァァ……ッ! 蛮女の総統、ヘルプヤクの魔女ッッ!!!」
一人激怒する青年が、腰元の茜色の鞘から、純白の美しい刀を抜き取り。
「ようやく見つけ出したぜ、クソがよッッ!!!」
それはもう勝手に、威風堂々と、己が名乗りを上げる。
「我は輝かしきサッドライク皇国の皇騎士が十三皇、レッド=フォン=プリンシュヴァリエ! 皇国民のヤツらを、テメェら蛮女から守り抜くと誓った男だ!」