最長の最短(16)
広間にある隠し通路が徐々に、少しずつ、碧い波に飲み込まれていく。
ナビとレッドは鉄扉に背を預け、それを無言で眺める。
かすかに浮かぶ表情はなんとも言えないものだ。自分自身に「おつかれさま」と告げるような、自嘲のための歪み笑いのような、複雑な感情。そんな人間臭い顔をするようになったと知ったら、命ゴイの開発者は喜々としただろう。
「誰も知らねえ地下深くで死を待つとはな。皇騎士の名折れだ、クソがよ」
隣人に言うでもない、皇騎士十三皇のぼやきに。
「不条理な死に襲われる者というのは、みな等しくがんばって生きた者です」
ヘルプヤクの魔女が、知性で答える。
「詭弁だな……だが、誇りを抱いて亡くなったヤツの尊厳を救うにゃ、悪くない」
「つまらないことは、自分にメチャデカ都合よく考えるのがコツだそうです」
「ぁん? なんのコツだ?」
「生きるコツです」
「っざけた信念だ。誰が言った」
「万命の令嬢です」
「ケッ、さすが蛮女さまだよ」
追放棄路につながる廃棄迷宮へと至るはずの、皇騎士最強の膂力をもってしても開かない、封印された鉄扉。二人がいる開けた空間に、ほかに道はない。
あるにはあるが……それは目の前。二人がやってきた道だけ。
碧い波が徐々に迫っている、皇城へと戻るための隠し通路だけ。
そこも今や、死のカウントダウンを早める入水自殺の道でしかない。
「テメェは結局、蛮女たちを使役する魔女じゃなかったのか」
これまで火急に迫られていたがためにしなかった、他愛のない世間話。
「正解かつ不正解、といったところですね」
さっきまでならナビも一蹴していたが、今は素直に返事できる。
「言い回しがクドいんだよ……テメェは妙に、蛮女を敬ってるみてぇだからな」
「それはもう。令嬢の皆さまにはたくさん、大切なものをいただきました」
ほのかに、ナビの口元がほころんだ。
ここまで、彼女の背中で揺れる銀髪を追ってばかりだったレッドは意外そうに見るが、ヘルプヤクの魔女が万命の令嬢を語るときは、ずっとその顔だった。
「私はヘルプヤクの魔女。万命の令嬢を統べる者でも、利する者でも、そそのかす者でもありません。今さら弁解する気はありませんが、私の役目など、聡明なる令嬢たちがこの世界で迷わないよう、ただただ道を示唆するだけのこと」
笑んだ口元は、目前に迫ってくる碧い波や、横目で話を聞いているレッドに向けられたものではなく。彼女の記憶にある、美女たちに向けられたもの。
こうして感傷的になれるのは、令嬢たちとお喋りをして、愚痴を聞いて。
命ゴイの世界において、なによりも親身であるべき運営チームよりも。
誰よりも近くで、プレイヤーたちの生の感情に触れてきた成果。
「フタゴノオハナヤサマの令嬢」
「ぁん? フタゴノオハナヤサマ?」
「私の前に初めて現れた万命の令嬢、ハナリナさまはそう名乗りました」
絶体絶命の状況に反して、明るい笑顔。
人であれば、それが異常な状況における生理的な心理と言えるが。
ナビの表情はどこまでも澄み切った、ごく自然な笑みを浮かべた。
言うなれば、真夜中の急な思い出し笑いにも似ている。
「ハナリナさまの生業だそうです。なんでも、世界中の花々の支配者だとかで」
「ケッ、お似合いだな。自然や尊厳をたやすく踏みにじる蛮女にはよ」
「ハナリナさまは、私が初めて出会った万命の令嬢でした」
サービス開始日の初のプレイヤー側のログイン者、という意味で。
「あのお方は、いつもみなの中心にいて、みなを笑顔にしていました。もし立場を与えられるのなら、ハナリナさまこそ、万命の令嬢の統率者にふさわしい」
フフフッと思い出し笑いを浮かべる、ナビの一方で。
レッドの顔色が急激に青くなる。
「……おい、そいつはもしや、あの、大人数を引き連れて、ばか笑いしやがって、メチャデカ死ねだのメチャデカキモいだの貶しめてくる、七色髪の蛮女か?」
皇騎士十三皇の記憶にこびりついている心当たりは、ドンピシャ。
当然、悪い意味で。
「ええ。七色に光る美しき髪をなびかせる、花の星のお姫さまのようなお方です」
「あれ……が……ヒメ……だと……? 骨髄まで生粋の蛮族の間違いだろ……」
実体験をもってドン引きし、真っ当な意見を述べるも。
ホワァーっと陶酔する魔女は聞く耳を持たない。
「私には大変お優しいお方でしたよ? 少し変わった人なのは確かですが」
「少し、じゃねえよ」
「いえ、少しです。令嬢はみな、あなたがた皇騎士に恋する、ただの乙女でした」
碧い波は隠し通路をすべて飲み込み、目前。開けた広間の入口も真っ青に染め、部屋に入る前に、緊張するように、獲物をじっくり見定めるように。
理解できぬ幾何学模様や光の明滅を浮かべながら、その場で停止した。
出入り口いっぱいの青。鮮やかな色彩のドアができたようにも見えるが、状況的には地下通路に運河の水が大量に流れこみ、今から溺死するのに等しい。
それでもナビは内心、ホッとした。生存時間が引き伸びたことよりも、最後にレッドに、令嬢たちのすばらしさを説教する猶予時間ができて。
「ハナリナさまは、ある日は口汚く、喧嘩っぱやく、意地汚く、節操もないお方ですが、ある日は清貧で、淑やかで、慎ましやかで、爽やかな春風のようにはにかむお方でした。けれど、どんな日でも必ず『ナビあげる』『ナビどうぞ』と。己の理に帰る前に、花を贈ってくれるのです。花を探しにいけない私には、それがとてもうれしくて。私もキレイな花を、あの人のように贈れる存在になりたくて」
ジワリ、ジワリ。止まっていた碧い波が動き出す。
広間の入口から、とどまっていた波があふれ出す。
通路の床に徐々にあふれて、入口周辺をジワリ、ジワリ。
少しずつ碧が、覆っていく。
「ナビ」
「はい?」
「それがテメェの名か」
「む??? あっ、はい。そうですが」
「そうか。死ぬ前に暴けたから、心残りもねえな」
これまでもわずかに身構えていたレッドが、全身の力を完全に弛緩させ、同時に未来を手放すかのようにリラックスした体勢になる。
横目で見ていたナビは、視線をずらし、鉄扉とオレンジ色のランプとの間に挟まれるように壁掛けで飾られていた、黒い花弁の花を見つめる。
「レッド、あなたはあの花の名を知っていますか」
「アホか。花々の理を知るは前皇妃の一人娘。亡くなった花詠みの皇女だけだ」
「あれは、ブラックスターチスと言います」
「ッ!? なんでテメェごときヘルプヤクの魔女が、花の名を知ってる!」
「ハナリナさまにお教えいただきましたので」
「グッ……出自不明の蛮女どもが。どこまで世界に触手をかけてやがんだか」
大仰に驚いてみせるが、自分でやっていて疲れたかのように居直る。
「よかったぜ。皇女の領分にまで踏み入られてると知ったのが、死ぬ前でよ」
碧い波を見ないように、広間の石壁の天井を見上げながら、ため息をつく。
「俺は、亡くなった皇女を敬愛している。あの人がいなければ俺は皇騎士になんざなれなかったし、アイツと……フィカと出会うこともなかった。皇女に救われてなけりゃ、俺はガキのころみてぇに一生、城下で盗みだの恐喝だのをやってお縄についてただろうさ。孤児だった俺が皇国を守護する尊さを、皇国民のヤツらを全員、この手で守り抜くと誓うこともなかった。すべてはあの人が教えてくれた。あの人のおかげで人生が変わった。だから皇女を、手前の兄ディアルスの許嫁を殺して逃げ腐ったクヴァルスたちを許しはしねえ……今やこのザマだがな。クソがよ」
その声は、事情を知らぬナビに教えるつもりの声色ではなく。
若い彼なりの遺言めいた独白であった。
「それに、世界がこうなって、大陸をさまよって、テメェと出会ってからだ。なんなんだかな。それまでの俺じゃねぇってのか……こんなこと、口にすべきじゃねえんだが。皇騎士十三皇の使命を忘れて、俺が知らない俺になった気がしてる。以前は考えもしなかったこの感情は、この言葉は、どこから出てきやがんだか」
広間の半分が、碧い波によって満たされた。
すると、レッドが重たそうな腰を上げて起立する。
死を目前にして逃げたくなったわけではない。
彼は壁にかけられた黒い花、一輪のブラックスターチスの茎を手折ると。
「葬送の手向けだ、ヘルプヤクの魔女ナビよ。これをもってテメェの断罪とする」
ぞんざいに突き出しただけの片手で、黒い花をナビに差し出す。
「献花で断たれる罪とは……ふふっ。これも"いけめん"の所業というものですか」
雑に差し出された花を、雑に受け取ろうとする。
二人の周囲にはもう、碧い波が満ちている。地面に座っているナビが悠々と伸ばした両足の先っぽから、彼女らの存在を食らおうとしている。
ヘルプヤクの魔女ナビと、皇騎士十三皇レッドの最後は、一方的に因縁深き相手に和解を告げるような、そんな優しい花渡しの一幕を送りながら――。
キュィー……ガタン。
「きゃふっ!」すってんころり。
ナビが黒い花を、ブラックスターチスの一輪を受け取ったとき。
碧い波に触れる寸前だった彼女の両足が急角度で宙を舞い。
後ろに開かれた地面に向かって、背中ごとスッ転んだ。
「ん、んだとォッ!? 扉が開いて、ああいいオラッ! さっさと立てナビッ!」
「ちょ、なっ、むきゃっ!?」
急に開いた鉄扉。レッドはすばやい判断と身のこなしで扉をくぐり、その先の地面に背中から転がっているナビの右腕を強引に引っぱり上げ、一目散に駆ける。
命ゴイの世界に愛されぬ、二人の視界には映っていないが。
この世のすべてをつかさどっている不可視の構文には、確かに。
クエスト「棄て花の隠されごと」クリアと明文されていた。




