最長の最短(8)
「どうですか、そちらのパティシュヴァリエは」
「同じだ。こいつも泡立て器しか持ってねぇ、クソがよ」
ナビが黒絹のローブの裾を丁寧に折りたたみ、青い草原にちょこんと座っているかたわらで。レッドが最初の遭遇から数えて計四体目のパティシュバリエを倒し、片膝を地面について戦闘不能ポーズでいる相手の体をまさぐった。
彼は現在、敵から入手した30センチほどの長さのピカピカな「泡立て器」を武器にして、パティシュバリエ狩りを行っている。
見た目は頼れる得物ではないが、パンチだと六十発は必要なところ、泡立て器であれば十発ほどで敵を倒すことができた。
それはアイテムの性能ではなく、武器を手にしたレッドの補正が成すものだ。
「そもそもよぉ、ロイヤルチョコレイトタルトってどんな形なんだよ」
「チョコでコーティングされた手のひら大の1ピースです。ホールは超希少です」
両手でクルッと円形を描き、サイズ感を伝えようとする。
それぞれのパティシュバリエは、二人の見える範囲では生息していなかったが、大陸東側を巡回していると、十五分に一体は見つけることができた。
けれど、レアドロップに該当するロイヤルチョコレイトタルトは今だ入手がかなわず。物で言えば、作中のアイテムリストに存在しない非ドロップ品の泡立て器のほうが仕様を越えたレアだが、二人にとってうれしいものではない。
それにそろそろ、世界を飲み込む碧い波も。
無視できない距離にまで迫ってきている。
皇城前を通りすぎたあたりでは、幾何学的な紋様を浮かべる碧い波も、まだ憂森林の半ばであった。けれどパティシュバリエ狩りに時間をかけているうちに、波は四季彩の大草原の境界線まで越えはじめている。
なにをするにも時間が関わる現状。プレイヤーによる通常プレイでの稼ぎなどとは違い、ナビとレッドには絶対的な運が求められていた。
「あ、あっちにパティシュバリエが。今度は二体も」
「ちょうどいい。ペースを上げるか」
レッドからはもう、同胞狩りの罪悪感も消えている。
NPCの二人はもう、MOBの草騎士を知的生物として認識しなくなった。
ゲームというのは古来より、実によくできているものである。
ナビがまた地面に座って待機しようとしたところ、レッドがグイッと彼女の右腕を引き上げて立たせる。赤髪青年の無遠慮さに若干「むっ」となった銀髪魔女だが、皇騎士が口にした言葉にゾッとし、顔色を青くしてしまった。
「おい、テメェ。これで俺を殴れ」
「……え?」
彼が手渡してきたのは、泡立て器。
それで俺を殴れと、そう言ってきた。
「……物で叩かれるのは、十皇アンシリエスの嗜好と皆さまに聞いておりますが」
「ッ、テんメェ! 蛮女的なアレじゃねえ! いいから叩けクズが!」
「えぇ~……」
壊れた世界でセーフティが外れたナビの自我が、ドン引きの感情を覚える。
万令術でもなしに、と思いながらも、手渡された泡立て器を右手でグッと握り、身長差20センチほどの背丈を持つ、レッドに相対する。
彼は仏頂面でイラつくも、抵抗したり、反撃したりする気はないのか、両手は「なにもしねえよ」とばかりに開いて上げられ、顔の横で並列している。
「で、ではいきますよ」
「ケッ。さっさとやれ」
意を決して、ナビが泡立て器でレッドの胸元を叩いた。
ポカンポカン。ポカンポカン。鉄線を編んだだけの密度のない打撃武器による、楽器としてもイマイチな冴えない打撃音が、四季彩の大草原に響く。
さらにポカン。レッドはため息をつきながらナビを見下ろし、無言のまま、もっともっとと金色の両目でせがむ。万命の令嬢たちからいろいろな話だけは聞いている耳年増なヘルプヤクの魔女は、顔を若干赤らめて、叩く。叩く。
そしてもう一撃、もう一撃と、ちょっぴり楽しくなってきたころ。
ガシッ。「もういい。足りた」。
右腕をつかまれ、泡立て器を取り上げられる。すると同時に。
皇騎士十三皇の全身から――何百もの赤い蛇。
いいや、赤い蛇のように蠢く血煙のオーラが立ち上り、彼が叫んだ。
「皇束解除ォ……壱式ッ! 吸え、染め紅ィ!」
シュー……詠唱に伴い、レッドの背中から血液を蒸発させたような、真っ赤な水蒸気が立ち上り、次の瞬間、超臨界に達するように爆発と轟音。
水蒸気が霧散すると、彼の背後に電流走る赤黒の粒子が舞っていた。
これこそがレッドを最強の皇騎士へとのし上げる、赤き狼煙。
パティシュバリエとの連戦と、ナビの打撃で調整し、ようやく発動させた。
皇騎士十三皇の強化スキル「皇束解除・壱式:染め紅」。
残りHP80%時点で自動発動。攻撃力・防御力・生命力・抵抗力の基底ステータス値を1.2倍に引き上げる。染め紅があれば刀の特性縛りを解除され、戦闘時間および攻撃・被撃ごとに0.25倍の攻撃力強化モードに入るが、染め紅はなし。
隠しボスのレッド攻略で一番問題だった部分は、残念ながら刀ごと消失した。
『我こそは皇騎士が十三皇! レッド=フォン=プリンシュヴァリエだッ!』
彼が敵に名乗りを上げるのも、本来ならこのタイミングでのことだ。
レッドは「ここからが本番だ」の合図を丁寧に送ってくれるボスだった。
「悪りぃが、速攻で潰れろ」
「――――」「――――」
パティシュバリエに高速で駆け寄り、レッドが勢いよく泡立て器を振るう。
能力値強化によるHP上限の引き上げに伴い、残りHPも割合回復。
地味ながら、彼のHPは戦闘前の全快時に近い値まで回復している。
が、それとは関係なしに。頼りない泡立て器ではなくステータス依存で戦っていたことで能力値上昇の恩恵は大きく、二体のパティシュヴァリエは数発としないうちに地面に片膝をつき、戦闘不能状態になっていた。
「あれが十三皇の御業。とても強そうですね」
そう、甘い顔で悪ぶるレッドは見かけに違わず、恐ろしく強いのだ。
「こっちは……ケッ。また泡立て器だけかよ。もう時間がねぇってのに」
いそいそと、レッドがパティシュバリエの戦利品をあさる。
一体目は相変わらず泡立て器しか持っておらず、空振りだったが。
「!? おい魔女ッ! これじゃねえか、ロイヤルチョコレイトタルトッ!」
二体目のコックコートの隙間から、1ピースの黒い三角形。
「あっ、それです! それがロイヤルチョコレイトタルトです!」
ナビも慌てて、皇騎士に駆け寄る。
まさに、レアドロップを見つけたプレイヤーに群がるように。
当のロイヤルチョコレイトタルトは、艶やかなブラウンのショコラソースをタルト生地に流して焼き、仕上げに深いブラックビターチョコでコーティング。
パキッと食感が楽しい大振りのチョコチップと、食用金粉で洒落た色づけがなされた、見た目のツヤからして高級そうなスイーツであった。
ドロップ率で言えば、人によっては怒りで開発陣の横っ面をはたきたくて仕方ないくらいの運が必要だが、ナビから万鍵を引き出すためには必須であった。
「なるほどな。ロイヤルを冠するだけはある。リッチな見た目じゃねえか、おい」
二体のパティシュバリエが、レッドにこうべを垂れたまま消失する。
ボイス未搭載の相手だが、お褒めにあずかり光栄ですとでも言うように。
「これがありゃ、テメェの万鍵とやらが手に入るんだな?」
「ええ、そうです」
うなずいたナビの視線は、好物のチョコタルトから外れていない。
「見ろよ。碧い波はもう大草原の北西部まで侵食してやがる。時間はねえぞ」
視線の先。碧い波を二人でチェックする。
北東の奥まった場所にあるサッドライク皇城なら猶予はあるが。
北西側。先ほどいた追放棄路の門壁はそろそろ危うそうだった。
おそらく、遊んでいる時間はもうない。
「そうですね。これで決めましょう。さあ、レッド。私に贈り物を」
「ケッ。ほら、受け取れ。ヘルプヤクの魔女が」
赤髪の侍騎士が、一欠片のタルトを片手でぞんざいに差し出し。
銀髪の黒魔女が、それを両の手のひらで優しく受け取ると――。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……で?」
「……さあ?」
とくに、なにも起きなかった。




