第77話 三歩進んで二歩下がる
順調に松葉杖が取れ、私は学院の授業に復帰した。
まだ運動はできないが、普通に校舎内を歩き回ったり座学を受ける分には問題ない。
「あ、ねえねえ、ちょっと待って」
カーネリア様たちとの昼食を終え学院の廊下を歩いていたところ、背後から声をかけられた。
クラスメイトのクリードだ。その後ろには同じくクラスメイトのスパーもいる。
二人共、スピネルとわりと親しくしている少年だったと思う。
「何でしょうか?」
「王子殿下、どこ行ったか知らない?」
クリードがそう言った途端、スパーが顔を青くする。
「お前、バカ、よりによって彼女に訊くなよ!」
「えっ?…あっ、そうか」
クリードがしまったという表情になる。
私は思いきり眉を寄せた。
何だ?私に聞かれてはまずいことでもあるのだろうか。怪しい。
「…殿下に何の御用ですか?」
「あ、いや」
二人揃って目を泳がせる。
「何なんですか。答えて下さい」
「その…」
怪しい。とても怪しい。殿下に何をする気なんだ。
事と次第によっては締め上げてでも聞き出さなければ。
睨んでいると、観念したのかクリードが諦めたように口を開いた。
「実は、隣のクラスの子から殿下宛の手紙を預かってて。その手紙を渡したかったんだけど」
それを聞き、思わず目を丸くした。
「それってつまり、恋文でしょうか?」
「…多分…」
クリードたちは何故か気まずそうに言ったが、私は嬉しくなって目を輝かせる。
「まあ…!そうなんですね!」
「…えっ?」
学院ではこの手の恋文は寮の郵便受けに入れられるのが一般的で、私の所にもたまに放り込まれている。
もちろん全て丁寧に断りの返事を書いているが、中には謎の詩だとか送り付けてくるのもいるから反応に困る。どうしろと。
とりあえずいつも適当に褒めた後「貴方様のこれからのご活躍を、心よりお祈り申し上げております」と書いて送っている。
毎回同じ文面になってしまうが許して欲しい。こんなものにそんなにバリエーションは作れない。
殿下の場合、王宮に住んでいるので気軽に手紙を放り込める郵便受けはない。下手に王宮宛てに送れば検閲されたりするし。なので直接手渡すか、誰かに頼んで渡してもらうしかない。
しかしどうも今世の殿下はそういう手紙を受け取っている所を見かけないので、あまりモテていないのではないかと疑っていたが、やはりそんな事はなかったのだと安心する。
人前で渡したがる人はあまりいないから、私が知らなかっただけなのだ。
前世では横に私がいても特に関係なく渡されていた気がするけど、やっぱり従者と友人では違うんだろうな。
…私はだいたい常に横にいたから、仕方なかったのかも知れないが。
「えっ…待って、何で喜んでんの?」
にこにことした私に、クリードとスパーは困惑気味の顔になった。
「え、だって殿下が女子生徒から人気がある証拠でしょう。喜ばしい事じゃありませんか。殿下には良いお妃を迎えてもらわなければなりませんし」
「ええー…」
何がええーだ。殿下の婚約相手についての私の悩みは切実だ。今世こそ良い方を見つけていただかなければ。
「俺、今まで殿下のこと羨ましいと思ってたわ…違ったんだな…」
クリードが何かすごく同情するかのように言う。スパーも似たような感じだ。
どういう意味だと尋ねようとした時、向こうから目立つ赤毛が近付いてきた。スピネルだ。
「お前ら何やってんだ?」
「なあスピネル、彼女これでいいのか?」
「何がだ」
「いや、女子から殿下に手紙預かってきたって言ったらめっちゃ喜んでんだけど」
「だからお前何でそんな命知らずなんだよ!!」
素直にべらべらと喋るクリードに、スパーが悲鳴を上げる。
それを聞いてスピネルはみるみる不機嫌になった。
「お前ら…」
思いきり睨まれてクリードとスパーが「ヒッ」と縮み上がる。
「…手紙は俺が預かっとく。殿下にはちゃんと渡しとくから安心しろ」
「そ、そんな怒るなよ~…」
クリードは愛想笑いをしながら、ポケットから取り出した手紙をスピネルの手に載せた。
ちらりと見えたが、可愛らしいピンク色の封筒だからやはり恋文だろう。
それを懐にしまい、スピネルが再びクリードとスパーを睨む。
「いいか、余計な事言って回るなよ。分かってんだろうな?」
「分かってるってば!」
それからスピネルは私の事も見下ろした。
「お前も、殿下に余計な事訊いたりすんなよ?」
「もちろんです。そんな野暮なことはしませんよ」
任せろとうなずくと、スピネルは「はあ…」と疲れ切った顔で深い溜め息をついた。
クリードとスパーが逃げるように去って行くのを見送り、隣のスピネルの顔を見上げる。
「あの、傷の具合はどうですか?」
「もうほぼ完治だ。剣術の稽古もぼちぼち再開してるし」
「頑丈ですねえ」
「言ったろ。鍛え方が違う」
確かにこいつは、顔は優男風だし一見細身だけど結構筋肉あるっぽいんだよな。着痩せするタイプだ。
と言っても脱いだ所は見た事ないが。
「武芸大会も近いですもんね。近頃は剣術の稽古をしている生徒を特に多く見ます」
「ああ…まあな…」
スピネルは何故か微妙な顔で目を逸らした。なんだろう?
しかし、すぐににやりと笑って横目で見下ろしてくる。
「それより、誰かが発破をかけたせいで殿下がすっかりやる気満々なんだよ。俺も負けてられねえ」
「そうなんですか。…それは…とても、良い事ですね」
私のかけた言葉で殿下がやる気を出してくれているなら、本当に嬉しい。思わず頬が緩んでしまう。
それだけでも、私がやってきた事は間違いではなかったと思える。
だが喜んでばかりはいられないな。私も頑張って、もっと殿下のお役に立てるようにならなければ。
それに、これまではただ殿下の命を救いたくて、その後の人生のことは「そうなったらいいな」程度の希望でしかなかったが、今はもう少し真剣に考えようと思っている。
私が知らないだけで、王宮魔術師以外にも殿下やこの国の役に立てる道があるかも知れない。
…そうして、私を見守ってくれている家族や友人たちも幸せにできたら。
そこに私の幸せもあるのではないだろうか。
何だか虫の良い話に思えるし、それがどんな未来になるのかは、まだちっとも想像できないけれど。
ぐっと拳を握りしめて決意を新たにしていると、スピネルが呆れたように言った。
「お前はまだ無理すんなよ。骨はなかなかくっつかないんだからな」
「わ、分かってますよ…」
つい唇を尖らせてしまうが、この件に関しては大人しく言う事を聞くしかない。
家族にもあんなに心配されてしまったし。
「もっと自分の事も大切にします。…そうするべきだと分かったので」
私の呟きが真剣だったからか、スピネルはちょっと意外そうな顔をした。
それから、「まあ頑張れ」と言って珍しく優しく笑った。




