挿話・19 サーフェナと弟
サーフェナ・シュンガには弟と妹がいた。特に弟のミニウムとは仲が良かった。
長男、つまりシュンガ伯爵家の嫡男であるミニウムは、利発で心優しく、運動神経も良く、魔力にも恵まれた少年だった。
弟は物語や演劇が好きで、英雄が活躍し悪い魔物を退治する話が大好きだった。物語の英雄のような騎士になりたいといつも言っていた。
しかし彼は優しすぎた。
人と競ったり争ったりするのが苦手で、剣術を教わる際に基礎の稽古では見事な動きをしているのに、試合となったらてんでだめだった。
年下の、まだ幼い子供にすらろくに勝てない彼を、両親はいつも叱った。
そんな事では立派な騎士になれない。憧れる英雄になどなれはしないと。
ミニウムは両親の叱責を受けては、一生懸命に鍛錬をしていた。
手のマメが潰れ、身体に青痣ができても、いつかは英雄となり人々を助けたいのだと言っておどけて笑った。
サーフェナもまた「もっと強くならなきゃだめよ」と叱っていたが、彼は嫌そうな顔一つせずいつも「はい!」と真面目に答えていた。
記憶力の良い彼は英雄劇の台詞を諳んじていて、鍛錬の合間にその真似事をしては周りの人々を楽しませていた。
優しすぎて剣の才能を活かせずにいる彼を、叱りながらも皆が愛していた。
だがある日、悲劇は起こった。両親に連れられ、近隣の親しい貴族の一家と共に鹿狩りに行った山で、突如として魔獣の大群に襲われたのだ。
事前の探知魔術ではそれほど魔獣はいないはずだった。探知をくぐり抜けたのか、あるいは山を降りて急襲してきたのか。
とにかく、凶悪な魔獣の群れがそこにはいた。
護衛の騎士たちや一部の貴族は力を尽くして戦ったが、普段あまり魔獣と戦う機会がなかった貴族たちは、ただ怯えて身を隠すだけだった。
サーフェナもまた、母に抱きしめられ震えるしかなかった。
しかし、弟は違っていた。
自ら剣を取り、襲い来る魔獣と果敢に戦った。
…そうして、親しかった大切な少女を守って死んだ。
その事をサーフェナはひどく悔やんだ。弟に偉そうなことを言っておきながら、自分は何もできなかった。
だから魔術師になろうと思ったのだ。
魔術は得意な方だった。自ら剣を振るって戦う騎士は無理でも、魔術師にはきっとなれる。弟の夢、人を助けられるような人間になろうと思った。
必死に努力し勉強して、友人の伝手で紹介してもらい頼み込んで王宮魔術師に弟子入りもした。
正式な弟子ではなく、時間がある時に教えを受けるだけの関係だが、それでもサーフェナは嬉しかった。
両親は反対した。ミニウムのことはもう気にするな、お前は婿養子を取って家を継げと言った。
それは貴族家ならばどこでも言う事だろう。家の存続は何より大事だ。
嫡男が死んで娘しか残っていないなら、婿養子という選択肢が最も一般的だ。
それでもサーフェナはどうしても納得できず、魔術師修行を続けていた。
だがそんな時に、同級生だったラズライト・ジャローシスから求婚されたのだ。
生真面目な顔を紅潮させ、婚約して欲しいと告げた彼は、確かに真剣だった。
同級生として親しくしていたので、彼の人となりは知っている。こんな事で嘘をついたりふざけたりする人間ではない。
だけど、とても信じられなかった。
だって彼は侯爵家の嫡男だ。
容姿は良く、魔術師としても優秀で、領は裕福だ。何より、誰にも別け隔てのない性格でとても心優しかった。
魔術師系の新参貴族であるがゆえに有力な貴族との繋がりが弱い事以外、欠点らしい欠点は見当たらない。
特に同じ魔術師系の貴族や、あまり裕福でない領の令嬢からは非常に人気が高かった。いくらでも他に相手を選べるはずなのだ。
何よりサーフェナ自身、自分が男性から求婚されるような魅力的な人間だとは思えなかった。
容姿は十人並、特に実家が太い訳でもない。生真面目でいつも勉強ばかりしている優等生というのが、同級生たちからの評価だったはずだ。
サーフェナがラズライトから求婚されたと聞いたサーフェナの両親は驚き、喜んだ。
シュンガ伯爵領はあまり裕福とは言えない。それに引き替えジャローシス侯爵領は、王都から遠い田舎ではあるものの、温暖で豊かだ。
新参ではあるが爵位もこちらより高い。
しかも、ラズライトの妹は第一王子と親しいという噂が聞こえていた。気難しい第一王子と、唯一親しくしているご令嬢だと。
サーフェナが他家の嫁になっても、シュンガ家にはもう一人末娘がいる。跡継ぎはそちらに婿養子を迎えればいい。
両親の強い後押しもあり、サーフェナは悩んだ末にラズライトの申し出を受けた。
ただし、条件をつけた。
魔術師の夢を諦めきれないので、数年は結婚を待って欲しい。その間できるだけの事をやって、それで気持ちの整理を付けたいと。
ラズライトはその条件を呑み、それどころかサーフェナをジャローシス領の魔術師として雇うと言ってくれた。
正直、ラズライトはきっと途中で気が変わると思っていた。
自分が貴族令嬢として有り得ない、おかしな事をやっていることは分かっている。そんな女を何年も待つ訳がない。
別にそれでいいし、むしろそれが望みだ。自分はただ魔術師になりたいだけなのだから。
ある程度経験を詰んだら、サーフェナはジャローシス領を出て別の家に仕える。ラズライトならいくらでも他の女性を探せるだろう。
それがお互いのためだと思った。
そうしてジャローシス家の魔術師になったサーフェナは、まずセラドンという片足のない老魔導師の下に置かれた。
武具を中心に、様々な魔導具を作るのが仕事だという。
新人魔術師が仕事を選べるはずがない事くらいは分かっていたが、前線で戦いたかったサーフェナは初め少し不満だった。
働き出してしばらく経ったある日、セラドンはサーフェナに自分の話をしてくれた。
彼は将来を嘱望される優秀な魔術師だったが、ごく若い頃、魔術師として領の防衛の任務についたばかりの時に、運悪く大きな魔獣と遭遇して片足を失ってしまった。
治癒魔術では傷を塞ぎ命を助けることはできても、失った手足は取り戻せない。もはや兵として復帰する事は叶わなかった。
セラドンはその事実に打ちのめされ、傷が癒えてもなおしばらく立ち直れずにいた。
だが、その彼を必死に介護し支え続けたのが彼の妻だ。
妻に励まされ少しずつ生きる気力を取り戻したセラドンは、豊富な魔力と知識を活かし、魔導具を作る職人…魔導師となる道を目指す事にした。
傷を負い戦いの場に出られなくなった傷痍軍人は、残りの人生を失意のうちに終える場合が多いが、魔術師ならば比較的転職がしやすい。
ジャローシス領は領主が魔術師なのもあり、他領よりもずっと多くそのような者を受け入れていた。その一人が彼だ。
セラドンはそこから数年かけて修行し、そして魔導師となった。
セラドンは言った。
「俺は足を失い、前線で戦って魔獣を倒す事はできなくなった。そんな俺を、役立たずだと思うかい?」
「いいえ!」
サーフェナは慌てて首を振った。
魔導具についてそれほど詳しい訳ではないが、セラドンの作った剣や杖、魔導具がとても優れている事は既に理解していた。騎士や魔術師を助け、人々の暮らしを支えている。
それはある意味、前線で戦う者よりも大きな功績だ。
しかもセラドンは後進の育成にも熱心だった。特に、自分と同じような傷痍軍人を魔導師として育てている。
「…最初はこんな身体になった事が本当に悔しかったし、絶望したし、死んでしまいたいとさえ思った。でも、嫁さんが言ってくれたんだよ。戦うだけが道じゃない、他にもやれる事はたくさんあるって。
そうして魔導具作りを始めて、少しずつ分かった。人の暮らしを支えて、人を育てることだって大切なんだ。
そうじゃなきゃ国は成り立たない。いくら強くなって魔獣を倒せても、その後ろに誰も立っていないんじゃ何も意味がない」
皺の多い顔を更に皺だらけにしながら、セラドンは続ける。
「無理に魔術師を目指さなくても、あんたにはあんたのやれる事をやればいい。…せっかく別嬪さんに生まれて、お坊ちゃんと婚約したんだ。そんなあんたにしかできない事がきっとある。それを考えりゃいいんじゃないか」
ラズライトはサーフェナの身分を伏せておいてくれたが、セラドンにだけは話していたらしい。
それを裏切られたとは思わなかった。自分を思っての事だと分かった。なぜなら彼は、毎日セラドンとサーフェナの所に通ってきていたからだ。
顔を見せては励ましの言葉をかけて去っていくラズライトは、ただずっとサーフェナを見守ってくれていた。
数年の後、結局サーフェナは魔術師の道を諦め、ラズライトの妻になることを選んだ。
それを聞いた師匠のビリュイはわずかに落胆したようだったが、すぐに笑顔になりサーフェナの選択を祝福してくれた。
ずいぶん遠回りしてしまったが、魔術師や魔導師の修行をしたことは無駄だと思っていない。その経験があったから今の自分がいる。
セラドンの元で働くうち、サーフェナには新しい夢ができた。傷痍軍人や夫を失った女性が働き、生きていける場所を作ることだ。
ラズライトはそれを応援すると言ってくれている。
今まで待たせてしまった分、サーフェナもまた彼をしっかりと支えていきたいと思っている。
…そして今サーフェナは、ジャローシス侯爵家のガーデンパラソルの下、もうすぐ自分の義妹になる少女の相談に乗っている。
人目を引く青銀の髪の、とても美しい少女だ。賢く利発な事は話していれば分かるし、人並み外れた魔力もあるという。
彼女ならばどこの家からも引く手あまただろう。それどころか王子からも目をかけられているのだから、どれほど魔術の才があろうと、彼女の両親が王宮魔術師への弟子入りを反対する気持ちもわかる。
彼女を愛しているならば尚更だ。
しかも彼女は、どこか危うい印象を受ける。今回など大型魔獣と戦い、怪我をして帰ってきたのだという。
だからラズライトもずっと彼女を気にかけているのだろう。
「あの子はいつも事件に巻き込まれてばかりいる」と困ったように言っていた。
彼女の姿に、サーフェナはどうしても弟を思い出してしまう。
弟は確かに大切な人達の命を守ったが、しかし同時に大きな傷も残した。
今でもずっと引きずっている者もいる。
ラズライトに出会い、己の道を見つけられた自分は幸せだ。
それに僅かな罪悪感もあるが、しかしサーフェナにはやりたい事がある。立ち止まってはいられない。
少女の、彼女の兄とよく似た蒼い瞳を見てサーフェナは微笑む。
とても大切な、大好きな人と同じ色の瞳を。
…彼女にもいつか幸せが訪れるように、今はその背の後押しをしよう。




