貴方の幸せを想い
エルは、ピクリとも動かなくなってしまった。
ふふ、朝日に見惚れてしまっているだろうか。
「……え?」
「お気分は、悪くありませんでしょうか……? エル様に、少々手荒なマネをしてしまったこと、深く反省しております」
よし、普通に会話ができている。
すごいぞ私、やればできるではないか!
「設備があれば、紅茶のご用意などをさせていただきたいところですよ」
「ここは、どこなのでしょうか? この場所が……本当に王都だと、言うのですか? 」
「ああ……ええ、その通りでございます。 ――ははは、朝日が綺麗ですね」
まるで、エル様のようですね……という言い回しが脳裏をよぎるが、言えなかった。 流石にキザすぎるというものだ。
「嘘、嘘、嘘……! そんなこと、信じられません!! だって、さっきまで、私はお城の中でっ……!」
見る見る内に、エルの顔が青ざめていく。
突然のことで、おそらく頭の中が整理できていないのだろうな。
まぁ無理もないことだ。
会談前に保護したゆえに、そこまでしかエルには記憶がない。
一応混乱が起きないように、簡単に説明だけ加えておこうか。
「……今回我々魔族は、永く因縁関係にある人間を攻撃させていただきました。 ――しかしながら、我々に人間が敵うわけもなく、結果としてフェルノセスタ国や各国の王は滅びることとなりました」
「……!」
「しかし、貴方の命を救うため……魔王執事の私が直接魔王様へと直談判を行うことで、なんとかエル様だけ、安全を確保することができたのです」
「……」
恩着せがましい感は否めないが、事実なのだから仕方がない。
とはいえ私にとっての問題はこれからだ。
アウルに釘を刺されてしまったゆえに、あまり長い時間保護することも難しいだろう。
エルを魔王城へ住まわせておくための、何らか理由を作らなくてはいけない。
しかし今は……助けることができたことを喜ぶことにしておこうか。
「ゴタゴタで危険に巻き込まれないよう、眠りの魔法をかけさせていただいておりました。 お体の不具合がありましたら、何でもお申し付けくださいませ」
「……」
ぽかんと口を開いたまま、微動だにしない。
それどころか先ほどからずっと、何も言葉を発してくれない。
「……大丈夫でしょうか?」
助かった喜びのあまり言葉が出ない、といったところか?
それとも、まだ意識が混濁しているのかもしれないな。
「……なぜ、こんな……ことを」
「――? なぜ、と仰いますのは……その、私が……エル様を救わせていただいた理由でしょうか」
直球な質問!
そりゃ気になりますよね!? 自分だけ死なずに済んだんだから、理由が気になっちゃいますよね!?
「そ、それは……です、ね……」
瞳を震わせながら、エルは私を凝視している。
言わなきゃいけないか!?
しかし、それはもはや告白というものを避けては通れないだろう!
でも言っちゃったほうが気持ちを伝えられるし、そっちの方がいいのか!?
コホン、と一度咳払いし、私もエルを見つめる。 顔が赤くなっていなければいいのだが……。
「――私が、その、エル様に、好意を持って……いるからでして」
言ってしまった!
私は思わず視線を逸らしてしまう。
妙な沈黙。 静寂が包み込んでしまった。
頼む、何か言ってくれ!! 恥ずかしいから!
「……へ?」
エルは歪に口角を吊り上げ、上ずった単音を発した。
「あ、あはは……あは、あははははっ! 私がっ……あは」
「エル様?」
どうしたというんだ、何かおかしなことでも言ってしまったか!?
そうか! 笑っているということは、喜びに震えているということ!
「喜んでいただけて、光栄でございます。 私も多少なりともリスクを冒したものですので……その笑顔をいただけると、この上ない幸福であります」
「あはははっ……これは夢なのです……あははははは」
こんなに笑ってくれるなんて、私までつられて笑ってしまいそうだ。
「――わ、私も夢のようでございます! エル様がこうして、生きていてくれるだけでですねっ!? ははは……」
「はははっ、あは、ははははっ」
しかし、どことなく様子がおかしい……ような。
やはり、これからのことが不安で仕方がないのだろうか。
「大丈夫ですよ! 必ずや、エル様の命は私が守りますので、ご安心くださいませっ!」
「あはっあははっ」
私は拳を強く握りしめ、決意を表明してみせる。
大丈夫だ、私なら彼女を必ず守り遂げることができる。
◇
それから、私はエルとの会話を楽しんだ。
「しかしですね、エル様が応接間に入ってこられた時のお姿ときたら、私感銘を受けたのですよ? やはり人間たちは我々の姿を見ると、顔をしかめることが多くてですね……」
「まぁ私の場合は、翼や身体の体毛をうまく隠してやれば人間のように見えなくもないですが……他の連中はそうはいきませんので」
だが彼女はずっと笑っているだけで、他の反応を示すことは無かった。
「エル様、これからが問題なのです。 私は貴方の命を繋ぐために、少々苦しいかもしれない嘘を吐いてしまっているのです」
「ですがご安心下さいませ。 必ず、貴方の身を脅かすような事態は回避してみせます」
この後は計画通り、研究対象という形で魔王城に住まわせる。
「こちらが、エル様がこれから生活することになるお部屋でございます。 一番広いお部屋を……と考えていたのですが、どうも他の連中が良い顔をしないようで……力及ばずで申し訳ございません」
私にとっての念願であり、エルにとっても命がほとんど保証された生活。
「本日は大変天気がいいですね……もしよろしければ、私と散歩でもいかかでしょうか?」
日を追うごとに、私もエルとの会話に慣れて来たのか、当初のように緊張することは減っていった。
でも、彼女は笑っているだけ。
いや最近は、笑うことも少なくなってきた。
「失礼いたします。 こちらディナーでございます。 先日は魔族が口にするような食材をお出ししてしまい、申し訳ございませんでした。 ――今回以降は、従者にはきちんとエル様に相応しいお食材を使用させますので……」
「――? 食欲がないのでしょうか……やはりそう簡単には、新しい環境には慣れることはできませんよね……。 気が回らず、重ねて申し訳ありません」
「もしや、これからのことがご不安なのでしょうか……? 大丈夫でございますよ、魔王様は残った人間の始末でお忙しいですのでね。 まだしばらくは安心かと思います」
食事も摂らず、眠るという生活をエルは繰り返していた。
私が彼女を安心させてあげられていないのか。
自分自身に腹が立ってしまうな……。
◇
やがて、数週間が経過する。
「おはようございます、エル様。 従者にお着替えの手伝いをさせますので……」
彼女が、ついに何も反応を示さなくなった。
「……お気分はいかがでしょうか?」
嫌な胸騒ぎがした。
手元のティーカップなどを放り投げ、ベッドへと駆け寄る。
「――エル様ッ!?」
顔は真っ白になってしまっており、彼女はピクリとも動かない。
「――誰かッ!? オーロワルツ様を連れてきてくれッ!! 魔法で治療を、なんとしても彼女をッ……!」
何度も声をかけた。 何度も肩を揺すった。
思いつく限りの手を尽くしたと思う。
しかし、再びエルが目を開くことはなかった。
悲しみのあまり、私は城から姿をくらましてしまった。
誰もいないところで、ただ泣き喚いた。
何がいけなかったというんだろうか。
私はただ、彼女の幸せを願っただけだというのに。
わからない、何も。
思考が何も整理できないまま、私の手は胸ポケットへと伸びていた。