ある昼、死中に活を求める②
ふっと彼の視線が私から外れ宙を彷徨う。つられて私も視線をはずすと、それまで意識の外に置かれていた屋外の物音が急に耳に飛び込んできた。
それははっきりした音声ではないけれど、雑踏のさざめきに聞こえる。思ったより近い。やはりここは商店街でケットシーの店の倉庫なのだろうか。
何とかしてここから脱出しトーヤの目論見を潰したい。事を明るみにすればアルセニオに対しても有利に話が出来るかもしれない。できればヴェンディは呼ばずに自力で逃げたいけど出入口は、と目だけで辺りを伺うが空間が広くて薄暗い隅っこのほうはよくわからない。
じりじりとしたまま数秒の沈黙が流れたところで、トーヤがちっと舌打ちをした。細めていた目を見開き、じろりと私に向き直る。
「おしゃべりはここまでだ。時間もねえし、さっさと用件を済まそう」
そういえばさっきケットシーに聞く事聞いたらどうたら言ってた。用件って、と聞くまでもなくトーヤはおもむろに腰の後ろから短剣を取り出した。薄暗い室内に細く差し込んだ光を反射した切っ先が目端を掠る。
やばい。
縛られたままの体が硬直する。恐怖なのか、焦りなのか、嫌な汗が背中を伝った。
「ヴェンディの弱点教えな。アルセニオとやりあって万が一勝たれちゃ困るからな」
言えよ、とトーヤは短剣をチラつかせる。一瞬で口の中が乾き、唇が貼りついた。でもここでビビってると思われるのはどうしても癪だった。
「いやよ」
無理やり引きはがした唇は、どこかが小さく割けたのだろう。ぴりっとした痛みとともに口中に鉄の味が広がった。
「王の弱点晒す側近がいるわけないでしょ。いい加減、私を解放しないとヴェンディが手の付けられないほど怒るわよ。それこそアルセニオごとあんたを――」
「コケ脅しは効かねえよ。アルセニオが負けるはずはねえが、いわば保険だ。どっちにしてもここまで聞かせた以上、あんたは帰すわけにいかねえしヴェンディには負けてもらう。」
「仮にアルセニオが勝って、そしたらどうするつもりよ。あっという間に引き返して城を取り戻そうとするわ。どっちにしろあんたに勝ち目なんてない」
「心配ご無用。軍にもオレに賛同するやつはいくらでもいるんでね」
「……暗殺でもする気?」
「それはあんたが知る必要ねえ話だな」
交渉決裂だ、とトーヤが肩を竦めた。眼前に短剣を突き付けられる。
だめだ、さすがにこれは一人ではもう無理だ。そう覚悟して私はヴェンディの姿を思い浮かべた。
アルセニオの思惑とか、トーヤの陰謀とか、いろいろ知ったらどれほど悲しい顔をするんだろう。でもここで私が死んだほうがあのひとは悲しんでしまうだろうから、私は彼を呼ばなくちゃ。
しかし意を決してヴェンディの名を呼ぼうとしたとき、目の前の短剣の切っ先がすいっと下がった。
かちゃり、と首元で固い音がする。
まずい、と思ったときには遅かった。短剣の切っ先が首に沿ったかと思うと、強い力がかかりネックレスのチェーンが引きちぎられたのだ。
「いいもん持ってるなぁ。これが城内で見つかればヴェンディ怒るだろうな」
切れたチェーンをゆったりと持ち上げ、緑色の宝石を眺めながらトーヤは舌なめずりをした。薄明りの中でも輝きを失わない宝石は、ヴェンディの術がかかった代物だ。でもあれって私が身につけてないと発動しないはず。まさかの事態に血の気かざっと引いていくのが分かった。
「か、返して!」
手を伸ばそうとしても拘束されているのだ。動けない。でも勢いに任せて前のめりになれば、私の体はすぐにバランス崩して荷台の上に倒れ込んだ。へえ、と頭上で声がしたかと思うと、後頭部に衝撃が走って目の前にちかちかと星が飛ぶ。
「さあ言えよ。ヴェンディの弱点」
がつがつと繰り返し後頭部に衝撃が走る。つま先で蹴られていると気が付いても身動きができずどうすることも叶わない。痛みに視界が涙で歪んだ。
「いっ……言うわけない……でしょ……。それ、返して……!」
「よっぽど大事なわけね。これも、あの優男も。……じゃあもういいや」
呆れたような男の声とともに髪を鷲掴みにされ、引き起こされた。頭頂部に走るさっきとは違う痛みに、今度こそ悶絶する。悲鳴を上げなかった自分は、偉いんだか、偉く無いんだか分からない。ただひたすら奥歯を噛み締めた。
「もっかい聞くぜ? ヴェンディの弱点、なに?」
「……いう、わけ、ないだろ……!」
「あ、そ。弱点言わないんなら用済み。おーい、もういいよ、食って」
くそ。
涙で歪む視界に、遠くのケットシーが揺らいで映った。ニンゲンを食っていいと言われ、スキップでもしていそうにひょこひょこ近づいてくるのが分かる。
食われてたまるか。抵抗してやる。
でも手足の自由も利かない。
くそ。
「ぜ……ったい負けない……んだから……! 誰か……!」
虚勢を張ったつもりでも声は情けなくも掠れている。にんまり笑ったケットシーの顔が目の前に迫った。細い髭が動きに合わせて揺れ、人間のものとは違うけれど柔らかそうな唇の隙間から、真っ白い牙が顔を出す。髪ごと頭を持ち上げられているので、さらけ出された首に生温かい吐息が吹きかかった。
怖い。
けど目を閉じたら一気に食いつかれそうで、歯を食いしばりながらケットシーの真っ黒い瞳孔を睨みつけ続ける。猫の目に、嗜虐性を孕んだ輝きが増した。
その時だった。
耳をつんざくような爆発音が響き渡った――。