ある朝、機知によって策を練る②
私の「アイデア」は最後まで話し終わらないうちにトーヤの笑い声で中断させられた。
「ちょ、逢坂さんそれ本気で言ってます?」
「ええ、本気ですけど……何か?」
「いやぁ、なんか、意外です。腕、鈍ってません?」
「そうでしょうか」
くすくすと肩を揺らしながら、トーヤはねえと後ろのナナカを振りかえった。相槌を求められた有能な侍女は、はいもいいえも言わずにただにっこりと微笑だけを浮かべている。
私はしょげた風に眉を落として見せた。
「アルセニオ様は威風堂々とされてご立派ですけれど、民には怖がられているかもしれないのでギャップ萌えといいますか、そんなご立派な方に褒めてもらったら皆さんさぞ嬉しくなってしまうのでは……と思ったんです」
「それは既にもう行っているというか、高額の納税をしてくれた方々は表彰してますしね」
「それ以外にも、地方を視察される折に特産物などを生産している方々を褒めて差し上げたり、お城でたくさん買ってあげて宣伝してあげたりするのはどうでしょう」
「表彰じゃなくて褒めるんですか? なんか逢坂さんのアイデアってお母さんぽいっすねぇ。女性的っていうか、なんていうか」
「そうでしょうか……やだ、恥ずかしい」
あからさまにこちらを小馬鹿にした声音に気付かぬふりをし、私は両手で頬を覆った。爪の影からトーヤを見れば、大笑いをしたいのを我慢しているように鼻を膨らませている。
ま、こんな程度のアイデアを「いい考え」だと言われても困るけど。
トーヤ個人の考えでここに来たのか、アルセニオの企みのうちのことなのかわ分からない。しかしこの話をアルセニオに持ち帰ってトーヤが呆れられるも良し、ヴェンディの秘書はこの程度と侮られて手を引かせればなお良し、そんなことでと実施してみてこちらの国への動きが遅くなればもっと良し。話を持って行かなければいかないで、別にこの国の財政がちょっと厳しい状態のままだってことには変わりないのでそれでも良し。
ただしこんな小細工に引っかかるようであれば、ヴェンディの陣営を切り崩すなんてこともそうそうできないだろう。問題は引っかからなかったときだ。親戚としてアルセニオに心を寄せているヴェンディを必要以上に傷つけないように、なんとか戦や反乱を避けなくちゃいけない。
それはどうやったら、とトーヤの様子を伺いながら脳内をこねくり回していると、不意に背後から影が落ちた。ふわりと大きな黒い翼が私を包んだと思うと、頭上でなるほどというヴェンディの声がする。
あ、とナナカが声を上げた。私の口からも変な声が漏れる。――しまった。そういえばこのひとに説明してなかった。トーヤの表情が凍り付いたように見えたのは気のせいか。
「それはいい考えだよ、リナ。我が国でもその案を採用しようじゃないか」
ヴェンディは私の座る椅子の背もたれに腰を預け、私の肩に腕を回しながらなぜか自慢げに胸を反らせている。
「トーヤ君とやら。どうだい? 私の有能なセクレタリの案。これならアルセニオも諸手を上げて賛成するだろうね。あの強面だが彼はとても優しい良い男だよ。きっと民も彼に褒められれば有頂天になってしまうさ」
「ヴェンディ卿……?」
突然話に割り込んできたヴェンディにトーヤは戸惑いを隠せないようだ。そりゃそうだろう。こんな生易しいアイデアを全肯定な上、アルセニオに対しても親愛の情を惜しまない隣国の王なんて、私が彼の立場ならアタマオカシイと思うに違いない。
しかし当のヴェンディは思いっきり本気だ。今までの経験から、断言できる。本気でこのアイデアを良いと思ってるんだ。頭を抱えたい衝動を堪え、ヴェンディを見上げれば予想通りなんともいえぬドヤ顔である。
乱入してきた黒翼の魔王は、きょとんとしたままのトーヤに構わず私の頬に細い指先をあてがった。
「さすがだね、リナ。城で仕事をしている時間じゃなく私と旅行中だというのに、しっかりそんなことを考えていてくれたとは。さあ、早速アルセニオにも助言しに行こう」
「いえ、ヴェンディ様。これはアルセニオ様やこの国の方々の問題ですし、私どもが口を挟んだら内政干渉として叱られてしまいます。ついでに今は旅行中ではありません」
「なに、アルセニオと私の仲さ。どうということもない」
「子ども同士の話ではありませんし、どうという事もあると思いますけど?」
私たちが言ったら小細工にならないじゃないか。とも言えない。できれば早くこの国を立ち去り、城に戻ってクローゼやクローディアも含めて対策を練ったほうが得策だ。さっさとトーヤを追っ払ったほうがいい。
ええい、仕方ない。
「それはそうとヴェンディ様。そんなにお顔を近づけられては、私……」
必死で恥じらい顔をつくり私は魔王の首に腕を絡ませた。おや、とガーネットの瞳が揺れるのが見える。ダメ押しに耳元へ唇を這わせ我慢できませんと呟いてみると、密着したヴェンディの頬にわずかに赤みがさした。
何が、とは言ってない。何が、とは。
しかしヴェンディは思惑通り勘違いしてくれたようだ。背から伸ばした大きな翼で、まるで目隠しのように私の体を覆い尽くした。そして頬にも耳にもキスを降らせ、嬉しそうな小声でいいともと囁く。
――単純な王様で良かった。
「そんなに情熱的に求めてくれたら私とて否はないよ。昨晩の君も綺麗だったが、朝日の中で見る君もとても綺麗だ。さあ! トーヤ君!」
「え?」
「早速今の案をアルセニオに持って行きたまえ。君の仕事だ。我が優秀なセクレタリのアドバイスを存分にアルセニオに進言するといい。ナナカも下がっていいよ。私たちの愛を邪魔しないでおくれよ」
「え? あの? ヴェンディ卿?」
「はーい。さあトーヤさま、お帰りはこちらですよー」
的確に意図を汲んだナナカがトーヤを追い立てる。状況を把握できないまま顔を赤く染めたトーヤがなんか言ってるけれど構わず追い出しぱたりと扉を閉めてくれた。
しばらく耳をそばだてていたが、ドアの向こうでひとしきり騒いでいたトーヤが諦めて立ち去ったのだろう。しん、と室内に静寂が訪れた。
「リナ様、排除完了です」
「オッケー、ナナカ。はい、ヴェンディ様、離れてくださいね」
「え?」
絡ませた腕を解いて真顔で告げると、ヴェンディは全く訳が分からないと言った風に目を丸くしたのだった。