ある夜、戮力すれど協心せず④
今、城で仕事をさせてもらい、そしてヴェンディと過ごしている私には貴族という身分もなければ力のある実家もない。いやそもそも転生してきた私には、この世界で寄る辺もないただの非力なニンゲンでしかない。
「まあそういうことでアルセニオ王はわたくしとそしてお兄様を非常に高く買ってくださっています。書簡を頂いて昨晩こちらにきたところ、わたくしとスラフ家に恥をかかせたヴェンさまに対しては憤っていらっしゃって、協力すればヴェンさまを失脚させお兄様をそのあとに王にしてやるとおっしゃいました」
「クローゼ様に?」
「そしてわたくしをこの国で将軍に取り立てると」
それで「寝返れ」か。
「わたくしとしても、お兄様にこのまま辺境伯としてくすぶっているより華々しい軍功をあげてほしいですし、もっとふさわしい地位があるのではと思っておりましてよ」
「そんな!」
「ついでに言えば、お前についてもおそらく欲しいと思っておいででしょうね。ヴェンさまご執心のモノは昔からなんだかんだと理屈をつけて奪ってしまう方ですから」
心当たりがあるでしょう、と静かにクローディアは唇を結んだ。
噓でしょ。
いや、嘘じゃない。
一緒に仕事をしよう、と朗らかに勧誘してきた遠山さんは、ひょっとしなくてもこの件を知っていたんだ。じゃなきゃ、仮にも王の執事がわざわざ来賓のお供の一人でしかない私の所になんか来ないだろう。もしかしたらこの国に来ることになった戴冠式、いや先王の崩御もアルセニオの策略の一つなのかもしれない。
急に足元がぐらつく錯覚がした。いや、実際に私の脆弱な立場を作っているものがガラガラと音を立てて崩れていく。この話に乗ったクローゼとクローディアが本気を出して反乱を起こしたら、ヴェンディは太刀打ちできるのだろうか。
あの戦嫌いの、怖がりで泣き虫の王が、身内ともいえる彼らの反乱に耐えられるんだろうか。次々に浮かんでは消える彼の泣き顔は、どれもこれも怯えた子供の表情をしている。離れるつもりはない。守りたい、守らなければと思うけれど、肝心のヴェンディには昨夜から会えていない。側にいて守りたいけど、でもどうやって――。
「リナ」
唐突に名を呼ばれハッとするが、頭の中は大混乱である。返事も出来ないまま顔を上げれば、そこには黒い瞳に激しい怒りをたたえた黒髪の美女がいた。あれ、と一瞬引っかかる。この人、今、私のこと名前で呼ばなかった?
しかしその疑問は口から出る事無く飲み込まれた。目の前の美女が、振り上げた拳をテーブルに叩きつけたのだ。
音以上にその威力はすさまじく、木製ではるが十分な厚みがあるテーブルの天板に亀裂が入っている。彼女の額に、はらりと黒い髪が一筋落ちた。絞り出すようにもう一度、リナとクローディアが私の名前を呼ぶ。
「……お前、悔しいと思わない?」
「え?」
「わたくし達、簡単にヴェンさまを裏切ると思われてますのよ?」
ぐすっと鼻をすするクローディアが顔を上げた。思い切り眉を吊り上げてはいるものの、すっかり涙目になっている。
「クローディア様……」
ナナカが小さなハンカチをクローディアに差し出したが、彼女はそれを受け取らずにもう一度拳でテーブルを殴りつけた。
「いくら……いくら弱腰な王と言っても、いくらお前のようなニンゲンにうつつを抜かしているとしても、我らの王はヴェンさまだけです。わたくし達の先祖が代々守ってきた国の王なのですよ? すぐ泣くし、女には弱いし、国の財政に関してははとんと頼りにならないけれど、お優しい、領民のことを愛していらっしゃるヴェンさまが我らの王です」
ぐすぐすとべそをかきながら力説される内容としてはいささか身も蓋もないけれど、ヴェンディが領民を愛し、そして愛されている王であることは私にも分かる。それを好ましく思っているクローディアの気持ちも、分かった。
「そんなヴェンさまを、我らが王を、ちょっと恥をかかされたからと言ってこうも簡単に裏切ると思われているの、悔しくありませんの?」
「悔しい、ですよね」
「わたくし、正直に言えばお前とヴェンさまのことは妬ましく、まだ到底認めることなどできませんが、お前の仕事ぶりについてはちょっとは認めています。ヴェンさまのために城の経済を立て直そうとしていること、領民の産業についていろいろ考えていることなど、よくやっていると――ものすごくよくやっているとは思いませんがそれなりにやっていると思わなくもありませんわ!」
お、おう。なんか、褒められているのか否定されてるのか分からないけれど、捻くれた彼女がそれなりに評価しようとしてくれてるようなのは伝わった。
「昨晩、ヴェンさまと諍いがあったというのも、おそらくはアルセニオ王の策略の一つですわ」
「……諍いというか、あれは私がちょっと配慮に欠けたというか……そのせいでヴェンディ様に遠ざけられたというか……」
「言い訳は結構。リナ、お前はあんな脳筋ゴリマッチョにいいようにされていいんですの?」
――良いわけあるか。
私はぐっと拳を握った。