ある昼、金がモノをいう世界を知る⑤
路地裏は区画整備されているものの、華やかな商店街の通りとは異なり随分と静かでどこか緊張感が漂っていた。理由は何となくわかる。さっきの警邏の兵のような奴らの姿が、ぽつり、ぽつりと見え隠れしているからだ。
治安維持の割には仰々しい。しかし彼らの警備のおかげなのか、表通りから外れてもガラの悪い連中には出くわさなかった。
大きめの通りから比較的人通りの落ち着いた小路に入ると、腕の中で小さく震えていた子コボルトはようやく顔を上げた。大丈夫、と声をかけようとして、その頬を見た私は一瞬言葉に詰まる。
コボルト族は全身をうっすらとした被毛でおおわれていて、一見すると二足歩行をする犬のように見えるはずだった。しかしこの子の頬や腕は被毛が抜けているのかところどころカサカサに荒れた肌がむき出しで、とても良い状態とは言えないものだ。ペラペラで薄汚れた服からのぞく腕も小枝の様に細い。
どうしよう、とナナカを見やると彼女も困惑しているように首を振った。
「君、大丈夫?」
どうしたものか考えあぐねた結果、無難ではあるが何ら具体性がない問いかけをすると子コボルトは身を捩って私の腕から飛び降りた。ぺちゃっと裸足の足裏が石畳を叩く音がしたかと思うと、子コボルトはぷいっと背を向けて走り出す。その向かう先には、ちょっと目つきの宜しくないコボルトの大人が立っていた。
そして目をあげてはっとする。いつの間にか周りに幾人ものコボルト、ゴブリンが現れていたのだ。囲まれた、と内心ひやりとしたけどそれより彼らのいで立ちに息を飲んだ。
子コボルトもそうだけど、大人たちも随分とぼろを纏っているからだ。
表通りの豊かな街並みとはまるで別世界にいるようで、ものすごい違和感があった。こんなに城下の街全体が潤っていて整っているように見えるのに、このひとたちは一体――。
ナナカが私を守るように前へ出た。しかし子コボルトを回収したのを見届けると、彼らはそれ以上こちらと目を合わせることなく、静かに裏路地へと姿を消していってしまった。
「親や、家族、でしょうか」
小さくナナカが呟いた。声には安堵の色が見える。そりゃそうだ。武闘派ではない彼女には怖い経験だったろう。それでも私の前に出るなんて、侍女の鑑である。あとで甘いもの奢ってあげよう、と心に決めた。
「だとしても……なんか心配なんだけど」
「でも、追わないでくださいね。リナさまに何かあれば、城主様に会わせる顔がなくなりますし」
「いや、さすがに追わないし。それに……」
ヴェンディにはもう用がないって言われるかも、というのは飲み込んだ。昨晩のやり取りも、今朝の出来事も、まだ自分の中で整理すらできていない。
はあ、とため息を吐くと目を丸くしたナナカの顔がこちらを見ている。
「あ、リナさま」
「何?」
「鞄の蓋が……」
「え?」
素っ頓狂な顔をしたナナカが指さした自分の腰元を見てみれば、ななめ掛けしたバッグの蓋がぱっくりと開いているじゃないか。あ、と思うも遅かった。
「お財布……やられた……」
そこにあったはずのお財布が、きれいさっぱり姿を消している。お金はほとんどナナカが持っているから、個人的な小遣い程度の金額しか入っていなかったとはいえこっちに来てから初めて買ったお気に入りの財布なのに。
シンプルなヌメ革の、飾り気がなさすぎるものだったけど、使い勝手が良くてアメ色に育つのを楽しみに使ってたのに! 悲しさと悔しさがないまぜになり、かあっと頭が熱くなる。
そのほかに消えているものはないかとのぞき込めば、ヴェンディからもらった絹織りのハンカチと銀細工のヘアピンも無いじゃないか。高級ではないけど、決して安いものではない。
「……くっそー。あの子の仕業か……」
「手際がいいですねぇ……あんなに小さいのに」
追いかけようにももうどこへ姿を消したかもわからない。
「くっそー!」
「リナさま、お言葉遣いがよろしく無いです」
「でもさぁ!」
「ですよねー」
呆れたような、諦めているような、ナナカののんびりした口調に私はまた「くそう」と吐き捨てたのだった。