ある夕方、旧交を温める⑤
「で、あのトーヤとかいう男とはどんな関係なんだい?」
披露宴がお開きになり、滞在を勧められたアルバハーラ城の南館に下がるやいなやヴェンディは私をベッドに押し倒してそう聞いた。待ってという抑止の言葉は冷たい唇で口中に押し戻される。彼のこんな冷たいキスは初めてだった。
それなのにわずかに開いていた唇の隙間からねっとりとした舌を差し入れられれば、私はそれを受け入れてしまう。あっというまに口内はヴェンディのものでいっぱいになった。
こんなに性急に求められたことはなかった。お互いの粘膜同士の絡みあう水音が口の中から鼓膜を震わせる。息継ぎも困難なほど深く舌を吸われ、私の喉からかすかに悲鳴のような音が漏れたところでようやくヴェンディは唇を離した。
「どんな関係?」
すっかり息が上がってしまった私に構わず、ヴェンディは問いを重ねた。
「どんなって、別に大した関係では……」
「無関係ではなさそうだったよ?」
「いやあ、まあ、遠い昔の知り合いというか……同僚とでもいうか……」
「ただの知り合いというには、意味深な挨拶だったね? 君の様子もそれから随分とおかしくなってる」
「そ、それは……」
「トーヤ」から本名で挨拶された瞬間、どっという音がする勢いで前世の思い出がよみがえった私の様子は明らかに不審者だったことだろう。口から出てくるのは「あ」とか「え」とかいう音のみで、単語の体すらなしていなかった。それはもう自分でもよく分かってる。
――でもパニックになって仕方ないじゃないか。まさかこんな所で日本人に、しかも知っている人に、更に言えば会社の同僚だった人に会うなんて夢にも思わないしお釈迦様だって知らん事でしょ。
トーヤ――つまり遠山翔という彼は、私の前世で勤めていた会社の若手広報の一人だった。取ってくる仕事はそこそこ大きく、いつも女の子に囲まれていた彼と私の接点は主に企画書と見積書。頼んます、と年下のくせにフランクに書類を投げてきては、不備があって突き返すと雨の日の子犬のようにしょげていたっけ。
ぼんやりと思い出せる前世での彼の面影は、確かに今の顔とも重なった。同時に自分の顔も、ひょっとしたら面影が残っているのかもしれないと思い当たる。
そんなことを考えながらうちの城のものより柔らかいクッションに身体を沈められた私は、全身の力を抜いた。抵抗をしようにも思うように動けない。それどころか久々に身体を横たえたおかげで、こんな状況なのにこのまま目を閉じて眠ってしまいたい衝動に駆られていた。まるで脳が考えることを拒否しているかのように。
でもそういうわけにはいかなさそうだ。さらりとしたヴェンディの黒髪が私の頬に落ちる。見上げれば切なそうな表情の魔王が私をじっと見つめていた。うう、と思わず口ごもれば、魔王の表情は更に曇った。
いやでも、そもそもよ? というか、でも、が多いな。でもさ。
私を人間として認識しているヴェンディには前世がどうとか、日本がどうとかという話はしていない。どうせ向こうでは私は死んじゃってるし、こっちに転生したのならもう言ったってしょうがないから今更ぐだぐだ説明する必要も感じなかったし。
それに前世の話をするってことは、あのちょっと冴えない風体だった自分を思い出さなきゃいけない。場合によっては話の流れでそれを言わなくてはいけないかもしれない。あの頃の私を知られて、ヴェンディに何か言われたらと思うとまだ何となく覚悟が決まり切らなかった。
「む、昔の事なので……」
濡れたようなガーネットの瞳にじっと見つめられ、私は思わず視線を逸らした。それがいけなかったんだろう。次の瞬間、彼の口から出てきた言葉は思いもかけないものだった。
「……彼が、君の想う人だったのかい?」
「……は?」
「やはり、同族には敵わない……」
ぽつりと零すと、ヴェンディは深いため息を吐いた。そして私の答えを待たず身体を離し、部屋を出て行ってしまったのだった。