ある夕方、旧交を温める③
「ひょっこり現れて長年の側近を排除し、今やヴェンディをしのぐ権力で城を裏から牛耳るオニだというからどれほどの剛腕かと思えば、こんなひ弱そうな人間の女だとは。噂とはあてにならんものだな」
「あ、アルセニオ。リナはオニではなく……」
「恐れ入ります」
隣であわあわするヴェンディをよそに、私は深々と頭を下げて見せた。アルセニオの言葉の端々に、ちょっとした蔑みの色が見え隠れしているのはきっと気のせいではないだろう。けど、まあそりゃ魔族の方々にしてみれば「人間」というだけで小馬鹿にする対象であるということは、こっちに転生してきてからあちらこちらで体験させられているので分かってる。
「寛大なる我が主のご慈悲により、この地にて生きる術をいただいております」
ご慈悲ねえとアルセニオは呟くと、私の頭のてっぺんから爪先までまるで品定めをするかのように視線を動かした。不躾すぎるその目つきにイラつくが、ここは我慢のしどころだろう。私は微笑みを崩さないよう、ぐっと顔筋に力を込めた。
「顔は確かに良いが、クローディアに比べれば随分と貧相な身体だ。たぶらかしたとすれば寝所でヴェンディを骨抜きにするだけの技があるということか。一度お相手願いたいものだな」
「……なっ!」
あんまりな一言に、私の我慢はあっさりと限界突破した。ちょっと待て、何だそのセクハラは。いやこの場合は取引相手からのパワハラか? 世が世なら、そして立場が立場なら一発退場ものである。
しかしカッとなった勢いで思わず前のめりになった私の身体は、すぐさま腰のあたりから後ろに引っ張られた。倒れる、と身構えるも腰に回されたヴェンディの腕でそれは杞憂とすぐわかる。
ふわりと彼が纏う香水のかおりに包まれた。
「残念だがそれはできないな、アルセニオ。これは私の大切なパートナーだからね。君の今夜のお相手を務めたいご令嬢方が、ほらあちらから君に熱い視線を送っているよ」
いつものように穏やかな物言いだけれど、声は氷の様に冷たい。一触即発の二人の気配を察したのか、ここを中心に披露宴の会場は一瞬にして静まり返った。
まずい。私はヴェンディの顔を見上げた。陶器のような白い頬の上にある深紅の瞳に、ぎらりと炎の揺らぎが見える。こんな所でキレちゃだめ、と言いたいのに紅い瞳に意識が吸い込まれたかのように、私の身体は動けなくなる。
ねえ、とほほ笑んだヴェンディの底冷えする圧力にアルセニオは両肩を竦めた。
「これは参った。そう怒るな、冗談だ。ヴェンディがご執心と聞いたので揶揄いが過ぎたな」
「分かっているよ。君と私はまたいとこの間柄で幼い頃から君のことは良く知っている。しかしリナは君を良く知らないからね」
「いくら魔族の城にいるからといっても所詮は人間の女か。すまんな。怖がらせるつもりはなかったが……」
「いや、迂闊なことを言って怒らせてほしくはない」
「怒らせる?」
「ただでさえ彼女は今日、非常に疲れているからね。こういう時に怒ると、いつもの三倍ほど怖くなるんだ」
――なん、ですと?
いまのこれ、私を守ろうとかそういうんじゃなくて、怒られるのが嫌だったから牽制してみせたってこと?
ねえリナ、とヴェンディが顔を綻ばせた。その瞬間、金縛りにあったかのように動けなかった私の身体が軽くなる。同時に周囲のピリついた空気が緩んだ。
それで察した。大事にしないためにヴェンディは自分を落としたんだ。
でも結局私が「オニ」であることは否定されてない、というかむしろ全肯定されてる。なんとなく納得がいかない。
「……ヴェンディ様」
「ん?」
「それ、あんまりフォローになってません……」
彼を見上げたまま、私は小さく遺憾の意を表明したのだった。