【出会い編】ある夜、果たした邂逅は⑥
文字を学ぶとやはりここが地球上のどこでもない異世界なんだろうなと実感する。この世界の文字は、今までの人生で見たことがないものだったから。
「こんな小娘に読めるわけないでしょう」
というネリガの見解はある意味正しい。私たちのあとについてきながら、ずっとぶつぶつ文句を言っている。
魔王に手を引かれやってきたのは執務室とでもいうのだろうか、応接用のソファや大きなデスクが並ぶ豪奢な部屋だった。デスクの後ろにあった小さな本棚からいくつか本を抜き出し、テーブルに並べた魔王はすぐに最初の頁を開いて見せてくれた。
「この魔王領だけでなく、魔界全体で使う文字の入門書にはこれが良いと思うよ。私も幼い頃に使った本だ」
「ありがとうございます」
と言って覗き込んで驚いた。
読める。
なんでか分かんないけど、全部読める。文字は直線やくねくね曲がった曲線、折れ線などの組み合わせで表されていて、日本語でもなければ英語でもないのになぜか私にはそこに何が書いてあるのか読むことができたのだ。なんていうアドバンテージだ、お得すぎる。
入門書に添付されている五十音表のようなものに指を走らせ、書かれた文字を読み上げた。頭上で魔王が感嘆の声を上げたのが分かる。いやそりゃそうだ、私もびっくりだし。
「……これが、転生チートパワー……」
ぼそりとこぼれた呟きに、魔王が不思議そうな表情で眉を寄せたが、言っても伝わらないだろう。私は首を横に振って見せた。
「読みは問題無いようだね。ではまずは私の名を教えよう」
取り直したように魔王は開いた本の余白にペンを走らせる。本を必要以上に汚すこと、書き込むことはあんまり好きな事ではない私は、ちょっとだけ勿体ない、と思った。でもまあ持ち主が良いというのなら仕方ない。ひとこと文句を言いたいところだったけど、黙って彼の手元を見るだけにとどめた。
「私の名は、ヴェンディ。文字で表すとこうなる。君の名前を教えて?」
「逢坂、里奈、です」
「オーサカリナ? オーサという名なのかい?」
「いえ、名前は里奈です。逢坂は、えっと……」
ああなるほど、と魔王――ヴェンディが頷く。
「姓名が我々とは逆になるのかな。面白い」
人間である私が名乗ることで、どうやらヴェンディはこれが「人間のスタンダード」と思ったようだ。興味深そうにうんうんと頷いている。違ったらごめん、と心の中でこの世界の人間に謝った。
「ではリナ、君の名はこう表す」
魔王の細く長い指先で操るペンは、するするといくつかの文字を書いていった。ヴェンディとリナ。並んで書かれた文字は思いのほかバランスが良く、まるで一つの単語のようだった。