【番外編】姫騎士クローディアの憂鬱 ①
クローディア・スラフは眼前に繰り広げられる光景にめまいを覚えていた。
彼女の前に立つのは、この魔王領の主であり由緒正しい血統の現魔王、ヴェンディ。
「婚約」とは前魔王とスラフ伯爵の口約束ではるものの、クローディアが幼い頃から恋焦がれ、来るべき輿入れの日を待ち望んでいた相手である。
古くから魔王家に仕え、幾たびかの婚姻によって主従の絆を強固なものにしてきた伯爵家にとって、同じ年ごろのヴェンディとクローディアの婚約はもはや既定路線だったのだ。
公式に交わした取り決めではなかったものの、クローディア自身はずっとそのつもりで、良き君主の良き妻になるべく努めていたはずなのに――。
艶のある黒い髪を後ろで緩く束ね、いつもはきりっと着こなしているシルクのシャツの襟元を緩めリラックスした表情を浮かべる彼は逆光の中でも微笑んでいることが分かる。しかしその宝石のように深い紅色の瞳が見つめている先はクローディアではなかった。
戦の後始末で忙しくなるから、と大急ぎで魔王が別荘を国境地帯に移設させたと聞いて、彼のお世話をせねばと飛んで来てみればこれだ。
こんなリラックスしきった魔王の顔など見たことが無い。いつも儚げではあるもののピンと張りつめた糸のように一定の緊張感を漂わせていたはずのヴェンディしか知らない。彼が泊まっていた部屋のドアを開けたクローディアは、漂う穏やかな気配とは反対に戦斧を喉元に突き付けられている錯覚さえ覚えていた。
彼の傍らで頬を赤らめているのは、ダークエルフ一族の伯爵令嬢、月夜の黒真珠と称えられるクローディアではなく、最近雇用されたという金髪秘書だったのだ。
――しかも、人間の。
見れば彼女は肌着一枚であり、壁際のベッドの乱れ方は明らかに「事後」を表していた。華奢な体つきは確かに人間そのもので、豊満な肢体で扇情的なクローディアからすれば子どもと言っても差し支えない。
ただ、部屋に乱入したクローディアに気付き慌てて着衣を直している様子は、二人に改めて何をしていたかなどと聞くまでもなく、要するにアレである。
そう、アレ。
寝取られた、と思考と言葉がつながった時、クローディアの形の良い眉が見たこともないほどに吊り上がった。
「ヴェンさま……これは、一体どういうことですの……?」
「あ、ああ、クローディアじゃないか。どうしたんだいこんなに朝早く」
「どうしたんだいじゃありませんわ……これは一体どういうことかとお伺いしてるんですのよ……?」
ねえ、リナ、と自分でひねり出した声は驚くほど低く、そして熱い。火傷しそうなほど燃え滾る何かを喉から吐き出したクローディアは金髪秘書を睨みつけた。
リナとかいったその秘書は、赤らめた顔を引きつらせながら後ずさる。つい先日魔王城で初めて会ったときには、単なる事務員ですなんて言ってたくせに。裏切られたという怒りで、彼女のこめかみにはうっすらと血管が浮かび上がった。
リナとヴェンディのお話でなくてすみません・・・
なんとなく残念なヒト=クロ―ディアのその後をお楽しみいただけますと幸いです。