【番外編】ある夜、勘違いに翻弄される③
部屋の外にいたワーウルフはこちらを振り返ったけれど、顔をあげないまま何かぶつぶつ呟いている。声は彼の口の中でだけ響いているのか、切れ切れに聞こえるワードをつなぎ合わせる作業をそうそうに諦めた。
しかしワーウルフって種族はデカイ。彼らは事務的な職種にいない上に、肉弾戦を主な手段としているからか武器屋防具の購入の申請などにも来ないから、その大きさを感じたことがあまりなかった。実というとこんなに近くで彼らを見たのは初めてだ。
背丈はゆうに私の倍、体の幅なんてドアを丸ごと塞いじゃうくらいなので私が何人分あるのか分からない。
そんな大きな彼がうつむいたまま動かないで、見ようによってはもじもじしているのがなんだかすごく滑稽だった。
しかしいくら振り返って彼がドアの方を向いていてくれても、立ち位置がよろしくない。できればもう二、三歩下がってくれないと私が出るに出れないのだ。顔をあげてくれればきっと私が外に行きたがっていると分かってくれると思うけど、ずっとうつむいたままだし埒が明かない。
「あ、あの、ちょっと下がっていただけますか?」
「……っさい……」
「え? なんですか?」
「ぼ、ぼくと……っさい……!」
「あの、すいません、もう一度……」
「ぼく……と、その、つ、つ、つ……っさい……!」
「えーっと、すみません、良く聞こえなくて」
「ぼ、ぼく……と、あの、……って、その、はなを……」
もごもごと口ごもる彼の言葉は不明瞭かつ、囁き声に近いほどのボリュームで聞き取ることができない。でもなんか必死そうだ。何か伝えたくて一生懸命な様子に押されて、私はうつむく彼の顔を覗き込んだ。
「どうかされました? 具合でも悪いんですか?」
「あの、僕と……って、うわああああ!」
顔を近づけた私と目が合うと、ワーウルフの彼は仰け反るように、いや文字通り飛び上がって廊下の窓まで後退した。その目は驚愕で見開かれ、被毛でおおわれているのに顔色が真っ青になっていることもわかるくらい焦っている。
両眉と耳を極限まで下げ、太い尾も力なく床に垂れ下がり口元を戦慄かせている彼の様子はどう考えても尋常ではない。ひょっとしたら本当に具合が悪いのかも、心臓? と前職の記憶が蘇り思わず駆け寄ってしまった。
「どうしたんですか? 大丈夫? どこか痛むところとか、具合悪いところが?」
「い、いや、あの、その……うわあああああ」
「ちょっと待って、医務局の人呼びますから」
「待って、待って違う、いや違う、けどあの……! ここ、リナさまの……うわあああ」
一歩よれば一歩後ずさる、それを数度繰り返す。最後はパニックといってもいいほどに狼狽える彼の肩に触れようとすると、さらに後ずさりをしてついには窓に張り付いた。
「どうしたんですか? ほんとに、具合悪いなら医務局の人を」
「違います、違います、具合悪くないです! ほんとに! 大丈夫です! 大丈夫ですから! 触んないでください!」
「でも、顔が真っ青ですし、震えてらっしゃいますよ!」
「大丈夫です! これ、特技なんです! 特技!」
「そんな特技ありますか……。熱でも出てるんじゃないですか? 大丈夫?」
「大丈夫ですから! こんなとこ城主様に見られたら……あ」
矢継ぎ早に繰り出されていた言葉が途切れ、彼の視線が宙を泳いだ。同時に、辺りの空気が一気に冷える。背後から近づく靴音には聞き覚えがあった。ぞくりと背筋に悪寒が走ったのは、気温のせいかそれとも――。
「そこで何をしている、ロントニー」
氷点下の声音を聞いたのはいつ振りか。そういえば夕食の約束をしていたし、その刻限はとうに過ぎている可能性が高い。恐る恐る振り返ると、眉を吊り上げてひどく不機嫌そうな様子のヴェンディが立っていた。
「じょ、城主……さま!」
「そこで、何をしていると聞いている」
「あ、あの……いえ、何も……!花なんて……」
花、という単語にピンときた。そうだ、あの誰がくれたか分からない花束。添えられたカードの文字は、ナナカ曰く大柄な種族の者が書いたようだといったっけ。忙しすぎて、今の今まですっかり忘れていた。この彼がおいていったものなのか。
これはいわゆる修羅場というやつだ。
どうかそのワードを聞き洩らしていて、という願いはもちろん聞き届けられるはずもなく、冷ややかな顔でワーウルフの彼を見下ろしていたヴェンディの纏うオーラが黒さを増した。
「花だと? あの花束のことかい? 君が、リナに?」
「あ、いえ! いえ、違います! いや違わないけど違います!」
「違うとはいったいどういうことだい? 君がリナに花を贈ったということが事実かどうか聞いているんだ」
「違います、違います! 僕はリナさまに花は贈っておりません!」
「しかし現に花束はここにあったし、リナが持ち帰っているのを私は見ているんだよ。そうだね、リナ?」
「り、リナさまが……?」
ワーウルフの彼の声はうわずり、掠れていた。魔王のオーラに強く狼狽しているのか、全身は小刻みに震え総毛だっている。
そんな彼から視線を外したヴェンディはそっと私の腰へ手をまわして立たせ、ワーウルフの彼に駆け寄ったときにできてしまっていたスカートの皴を払ってくれた。紳士然としたその態度は、己を冷静にさせるために行ったのかもしれない。横目にみた彼の顔は、感情をそぎ落とした蝋人形のようだったから。
「ねえリナ。君はあの花束を持ち帰ったね?」
念を押すヴェンディに私は頷くしかなかった。
「り、リナさまが……お持ちになったんですか……では、あの、カードも……」
「カード?」
魔王の眉がぴくりと跳ねる。
「どういうことか、説明してもらおうロントニー。ことと次第によっては、いくら君でも私は許すことができないかもしれない」
そんな、と私も息をのむ。配下の彼にそんな物騒なことを言い出すなんて、見境がなくなっている。
ヴェンディの言葉は少なく、語調も静かなものだったけれど、ワーウルフ――ロントニーというらしい彼はすっかり震えあがってしまっていた。ぱくぱくと金魚のように開閉する口は、言葉らしい言葉を紡ぐことができない。
必死にちがう、ちがうと呟くのが精いっぱいだ。
「お待ちください、ヴェンディさま。彼のそのお花は……」
「カードというのは何のことだい? 君は、私のものだと言ったはずだ」
「でも……!」
「君に愛を囁けるものは、この世で私しかいないはずだ」
ぴしゃり私は反論を封じられた。冷静を装うヴェンディのオーラはどんどんと黒く、大きなものになっていく。
まずい、逆鱗ってやつだ。
「残念だ、ロントニー。子どものころから知る君が、主の思い人にそんな不埒なことをしようとするなんて」
「ち、ち……ちが……」
「言い訳なら聞こう。ただし――」
「違うんです! あの花は! あの花は! ――モナエルに渡したかったんです!」
ん?
ロントニーは悲痛な声で思いもよらないことを叫んだ。突然別の名前が飛び出したことに拍子抜けしたのか、ヴェンディに表情が戻っている。
お互いにぽかんとしながら、私たちは顔を見合わせた。
「モナエル? モナエルって、庶務係にいるカー・シーの?」
三人の間に沈黙が流れて十数秒。名前の主を思い出した私が訪ねると、ロントニーは力なく頷いた。
カー・シーのモナエル。彼女はつい最近庶務係へ入ったカー・シー族という犬の妖精の一人で、ツインテールの長い髪が印象的な少女だった。年若い彼女は軽やかで華やか。色とりどりの花束は、言われてみれば彼女にぴったりの印象だ。
「モナエルさんのいる部屋って、ここのお隣ですけど……?」
「ええぇ!」
目を丸くしたロントニーは並んだドアの上にある部署名プレートと、そして私をかわるがわる見つめ、また「えええ」と力なく叫んで項垂れてしまった。
「……ついこの間、彼女に会って、これは運命だ! って一目ぼれを……で、花とカードで告白しようと思ったのに、文字、最近やっと勉強したんで、間違えちゃったんすね……僕」
「しかも今日は彼女、早番でお昼過ぎに帰ってますよ。お花置いてくれたのがお茶の時間の前でしたから、完全に行き違っちゃってましたね……」
「あああ……やっちゃった……」
「つまり、ロントニーは彼女の部屋と間違えて花を置いてしまって、それをリナが間違えて持って帰ってしまったということかい?」
平たく言うとそういうことである。
「リナに横恋慕したとかそういうんじゃ……」
「滅相もないです! リナさまは城主さまの大切な方ですし、それに」
「それに?」
「僕、つるんとした肌の女性は魅力を感じませんし……」
そういってロントニーは頬を掻く。その指先や頬にみっちりと生えた被毛には妙な説得力があった。
もちろん、私もあまり毛深い人はお断りしたい。あと、同じモフモフでもどうせならもうちょっと毛が柔らかいほうがいい。
「う、うん、確かにそうだな。ロントニーには同じイヌ科のケー・シーがお似合いだと思うよ。疑って悪かった、勘違いなんかして私が狭量だったよ。よし、お詫びに今度私が交流会を企画しようじゃないか」
しょげているロントニーとその様子に申し訳なさそうに寄り添う魔王の姿に、私は腰に手を当てた。お互いの勘違いがとけ、夕方からの疑問が解決したところでもうひとつ言っておかなければならないことを思い出したのだ。
「ロントニーさん、お花の件は勝手に持ち帰ってしまって申し訳ありませんでした。あとから同じお花をこちらでご用意させていただくことも検討します、でも」
「でも?」
「私的な経費の流用はいけません。お花の請求書がこちらの事務室に届いてます。請求書はお返ししますので、思いを伝えるお花ならご自身のお給料でお求めになってください」
ロントニーはあっとつぶやくと、ばつが悪そうに頭を掻いた。なんとなくこの要領の悪いもとい素朴な青年が横領とか私的流用とかするようには感じないから、なにかの行き違いなのかもしれない。
「す、すみません。手持ちがなくてあとで支払いに行きますって伝えたんですが、城の腕章をつけてたんで店が気を利かせて請求書にしちゃったんですね……僕、払ってきます」
やっぱり、と私は今度こそ胸を撫でおろした。
ご迷惑おかけしました、と言ってそそくさと去るロントニーの後ろ姿を見送ると、既に夕食の時間を一時間以上過ぎていた。
勘違いで部下を粛正しようとしたヴェンディは、それを反省しているのだろう、ちょっとしょんぼりした顔で私の腰に手をまわした。
「困ったね、リナのこととなると、冷静でいられない……」
「そうですね」
「君が私以外の男といるところを見るのも嫌なんだ」
「知ってますけど、仕事の時は仕方ないこともありますよ」
「うん……」
思いのほかしょげている。冷徹な魔王の顔とのギャップがおかしくて、私はちょっと吹き出してしまいそうなのをこらえて彼に体重を少し預けた。
「私、ヴェンディさまのこと好きですって言ったじゃないですか。信じられません?」
「リナ……」
「お花やドレスなんてもらわなくったって、ちょっとやそっとじゃ揺らがないはずなんで、もうちょっと自信もっていいですよ」
ん、とヴェンディがかすかに頷く。そして額に柔らかくキスをくれた。目を上げるとそこには優しい色をたたえたガーネットの瞳が揺れていた。
ぐう、とどちらのものか分からない、いや多分同時に二人のお腹が鳴った。音にびっくりし、そしてお互いに顔を見合わせてくすくすと笑う。
「食事に行こうか、リナ」
「はい」
連れだって食堂へ向かう途中、ヴェンディがおかしそうに肩を揺らした。
「それにしても、あの奥手のロントニーがなぁ」
「モナエルさん、可愛らしいかたですよ。お鼻がつんっと上向いていて、お仕事も楽しそうですし」
「彼氏とかいるのかな」
「どうでしょうね?」
「そういえば、ロントニーの言ってたカードって何が書いてあったんだい?」
あのたどたどしい文字を必死に書いていたであろう、ロントニーの姿を想像するとほっこりとした気分になる。
彼の淡い恋は守ってあげたい。その恋が成就するといいなと思う。
「……それは守秘義務がありますね」
笑って告げると、ヴェンディもふふっとほほ笑んだ。
「さすが優秀なセクレタリだよ、君は」
こちらまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
番外編①でした。
このヒトたちのラブの行方がどうなんの??と思っていただけましたら幸いです。
続きが気になるなー、この二人どうなんのかなー、とか思ってくださる方で、
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